5.飛行船事故 ラウル編(前編)
オアシス――それが孤児院の名前だった。
『オアシス』の名は、サドレアの港に捨てられた同名の大型航空母艦に由来する。先の戦争が休戦した後、失業した元軍人たちがその空母を拠点に拵えたものだ。
はじめは、自警団だった。
盗みや暴力が横行するサドレアに、当時保安隊のようなまともな警察組織は存在せず、腕力の強い者が奪い、知恵の回るものが掠め取る、そんな不条理が当たり前のように横行していた。
不条理の割を食うのはいつだって力のない女性や子供たちで、それが、彼には我慢できなかった。
彼もまた、元軍人だった。
ウィンド・ビークル部隊に所属し、国のために命を賭け、戦った。
黎明期のウィンド・ビークルにはそれゆえ欠陥も多く、ちょっとしたトラブルで制御を失い墜落死するものも多かった。
それでも制空権を得るということは両陣営にとって最重要なことで、それゆえウィンド・ビークル部隊とは、選りすぐりのエリートの集まりであり、また選りすぐりの狂人の集まりでもあった。
空での戦いに騎士道はなく、何かひとつでも歯車が狂えば死が待つ。
彼もまたサドレア沖の海戦で瀕死の重傷を負い、そこで一人のマキナと出会った。
彼女の名はアリア=サファイア・セヴン。
彼はサファイアと契約を交わすことで一命を取り留めたが、代わりに軍から除隊を命じられる。
反マキナ派が実権を握るレドリード帝国軍では、当たり前のことだった。
彼が職を失って数ヶ月後。戦争もまた休戦という形でひとつの終結を迎える。
しかし彼がサドレアの地で目にしたものは、彼が命を賭けて守り続けていたと思っていたものは、とても凄惨で、残酷な光景だった。
騙し、盗み、放火、殺人。
この街に正義はなく、代わりに暴力が幅をきかせていた。
彼は、
――ゲイル・ラッセルは、サドレアにとっての正義になろうとした。
ゲイルはまず、退役した空母に居住まう元艦長に頭を下げた。かつての部下の頼みに、艦長も首を横には振らなかった。
それからゲイルは昔の仲間たちに声をかけ、捨てられた空母に集めた。
兵士だけではない。機関士、整備士、調理師に、船医まで。もとより朗らかなゲイルの人柄にみな惹かれ、すぐに空母オアシスはひとつのコミュニティを作り上げた。
そして、サドレアの治安を守る自警団として、すぐに有名になった。
争いが起きるたびに青いバルクレイター粒子を振りまきながら現れるその姿を、港町サドレアの民は、伝記に語り継がれる海の守り神の名で呼ぶようになる。
――セント・エルモ、と。
その名がサドレア中に広がるまでに、半年もかからなかった。
その間に争いは大きく減り、だがその一方で決して減ることのなかったものが、行き場を失った戦争孤児たちだった。
空母オアシスが孤児院を併設してさらに賑やかになったのは、これも、ゲイルの提案だった。ゲイルは仕事の合間を縫っては空を飛び、捨て犬を拾うように孤児を集めた。
その中に、ラウル・ラッセルもいた。
***
五年前の、十二月二十五日。
その日――ラウルは初めて自分の力で空を飛んだ。
荒れ狂うセイラー・ミセルの波に身を任せるようにして飛翔したウルフドッグに跨がったラウルは、空から見える景色に息を飲んだ。
いつもゲイルの背中から見ていた空とは違う、自分の意志で手に入れた空はとても眩しく、鮮やかで。
くすんだ世界にまるで色がついたみたいで、とても綺麗だった。
風は冷たく、真っ赤になった鼻をすすって、ラウルは気付かず止めていた息をふうっと吐き出す。白い息が風に流され、霧散する。
その先で、何かがカッと光った。
異変を感じ取ったゲイルもまた飛翔し、ラウルの横に並ぶ。
遠く――空に浮かぶ楕円球。
飛行船だった。
「確か、今日の仕事はあの飛行船の護衛だったはず……!」
ゲイルはほんの数秒、何かを考えるようにうつむき、そしてすぐに顔を上げた。
「ラウル、お前は船に戻れ。俺たちはあっちの様子を見てくる」
きっとラウルは不安そうな顔をしていたのだろう。
安心させるようにラウルの頭にぽんと手を置き、
「そんな顔するな。……大丈夫だ。俺たちを誰だと思ってる?」
ゲイルはそう言って笑った。
――嵐の夜、青白い光とともに、奴らは現れる。
そう、彼はサドレアの英雄、セント・エルモ。
英雄は笑って、ラウルの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「それじゃあ、行ってくる」
その後ろ姿を見送って、ラウルはゆっくりと高度を下げた。
オアシスに残る艦長や他の仲間たちにも伝えておかなければならない。
いまだセイラー・ミセルが吹き荒れる中、空母オアシスの甲板に降り立ったその時、ラウルは異変に気がついた。
覆面をした兵士たちが桟橋を渡って空母オアシスに乗り込んでくる。
敵だ、とすぐにラウルは直感した。
スラムで暮らしていた時は日常的だったその感覚。身に覚えがある。
あれは、そう――間違いなく殺気だ。
急いでマシンから飛び降り、みなのもとへと走る。
食堂、会議室、娯楽室、機関室――だがどこにも人の影が見当たらない。
不安に押しつぶされそうになる。
すでに空母を占拠しつつある兵士たちから身を隠しながら艦内を歩き回り、そして、孤児院の一区画に集められている仲間たちを発見した。
声が出そうになって、慌てて両手で口を押さえた。
調理長に、整備長、そして孤児たち。
その先頭に立っているのは艦長だ。彼らを取り囲む兵士たちのリーダーと対面し、これまで見たことがないほど怒りに満ちた形相を浮かべている。
「これはどういうことか、説明してもらえるかね、ティフェルヴァルト卿」
艦長は怒りに震える声を押し殺しながらそう言った。
その声は、物陰に隠れるラウルのもとにも聞こえてきた。
幸いラウルの姿は兵士たちには見つかってはいない。
ラウル一人でどうすることもできないことは分かっていたが、万が一のことがあれば自分一人でもウルフドッグで逃げ延びることができるかもしれないと、そんな考えがラウルをその場にとどめさせた。
こわばった声で、艦長は続ける。
「貴殿ら、FANTOMとは相利相得の良い友人関係だと思っておったが、儂の勘違いだったか?」
小銃を突きつけられながらも動じない、それは本物の軍人の立ち居振る舞いだった。
ティフェルヴァルト、と呼ばれた中年の男は薄笑いを浮かべて肩をすくめた。
「私もそう思っていましたとも、艦長。あなた方のマキナ部隊に我々が作った試作品を提供する代わりに、その情報をフィードバックさせていただく。今時第一線で戦士として戦っているマキナは数少ないので、とても有意義でした。十分に満足行くデータを揃えることができた。………そして、研究は次の段階へと進行したのです」
「次の段階?」
「――ドラゴノイド。原初の血を引く本物のマキナ。その力を我々は手にしなければならない」
ティフェルヴァルトは楽しそうに、そらんじるように語った。
「戦争は終わっていない。………あなたなら理解できるはずだ、艦長。休戦協定で得られたこのかりそめの平和の間に、我々は他国に引けを取らない戦力を生み出さなければならない。人為的なドラゴノイド、あるいはドラゴンライダーの覚醒に成功すれば、現在の劣勢な戦況をひっくり返すことができる。だがそのためにはたくさんのマキナの実験データが必要だ。――できれば、若い個体の情報が」
ラウルは背筋が凍るのを感じた。
孤児たちの中には、マキナであることを理由に虐げられた者も多く、集められた子供たちの大半はマキナだった。
そのマキナの子供たちを、この大人は利用しようとしている。
「悪い話じゃないはずです。この子たちの養育費も馬鹿にならないでしょうし、それに、いずれみなここから巣立つ日が来る。だが結局今の社会では、多くのマキナが差別され、虐げられ、疎外される。そんな彼らに、我々は居場所を提供できるのです」
だが、即座に艦長は拒否した。
「その話なら、前にも断ったはずだ」
「ええ、だからこうして直接伺ったのです」
その言葉を合図に兵士たちは一斉に小銃を構え、子供たちから小さな悲鳴が漏れた。
中には恐怖のあまり泣き叫ぶ子もいる。
ラウルは拳をぎゅっと握り、だが声も出せずに物陰で声を潜めていた。
「抵抗は無駄ですよ、艦長。いくらあなたがかつて数々の戦役をくぐり抜けてきた歴戦の勇士だろうと、たった一人でこの船は守れない」
「――そうか、飛行船警備の仕事。貴殿らが持ちかけたのはこのためか」
そうだ。
この船で戦える者は全て出払っており、そのほとんどはFANTOMから依頼された、飛行船就航記念パーティの護衛に充てられている。
唯一残っていたゲイルとサファイアも飛行船襲撃を目の当たりにして船を離れてしまった。
そのほかの仕事に出た船員たちも、まだ戻ってくる時間ではない。
「――ええ。それも、ありますが………」
と、ティフェルヴァルトは珍しく歯切れ悪そうに言った。
「我々の親組織である聖騎士部隊がなにやら怪しい動きをしておりまして。我々の作った試作品を勝手に使おうとしているのですよ」
「………試作品?」
きな臭さを感じた艦長が、眉間にしわを寄せながら反芻する。
常に高圧的で扇情的な話し方をするティフェルヴァルトが、突然奥歯に何かが挟まったような言い方をするものだから、胸騒ぎも強くなるというものだ。
「『コントラクター』――と。我々が呼んでいる、一種の薬剤です。ドラゴノイドを人為的に覚醒状態にする――つまり契約を交わすことなくドラゴ・フォームへの変身を可能とするのです」
艦長が息をのむのが聞こえた。
ドラゴ・フォームのことは、サファイアから聞いたことがある。
ドラゴノイドはハイランダーと契約することで、ドラゴ・フォームへのフォームチェンジが可能となる。ドラゴ・フォームは戦闘に特化したフォームで、特殊な能力も使えるようになるのだ、と。
結局サファイアは一度もその姿を見せてくれたことがないが。
きっと人には見せたくないものなのだろう、とラウルは思った。
「………それが、飛行船の護衛と何の関係がある?」
平静を取り戻した艦長が、核心を突く質問を問いかける。
ティフェルヴァルトは面白くもなさそうに答えた。
悪い予感は、的中した。
「一人のドラゴノイドが送り込まれた可能性があるのです。コントラクターを投与されたドラゴノイドが。あの飛行船に。――そして、つい先ほど、それが確認されました」
あの銃撃戦のことだ、とラウルはすぐに悟った。
「いったい、何のために?」
「聖騎士部隊は反マキナ政権の直属の組織です。そしてあの飛行船就航パーティには、親マキナ派の重鎮たちが多数搭乗している。一方で試作品の実験と称して、我々の管理しているドラゴノイドとコントラクターが彼らの支配下に置かれてしまった。この状況から類推するに、彼らの目的は――親マキナ派貴族の暗殺――これ以外に考えられない」
「………たった、ひとりで?」
「覚醒したドラゴノイドならそれが可能なのはあなたも知っているでしょう。アリア=サファイア・シルヴィーナは、ドラゴ・フォームへと姿を変え、ひとつの海戦を終結させたことがある――ゲイル・ラッセルを守るために、ね」
ぶるる、とラウルは身震いした。
あのいつも優しいサファイアが。あの眩しい笑顔のサファイアが――。
「それを危惧した我々は、あなた方に護衛を依頼したのです。あれはまだ不完全だ。もしも暴走を始めたら手がつけられない。だから、できればその前に止めてほしかったのです。………だが、どうやら、手遅れだったようだ」
「…………え?」と。
危うく声が出そうになった。
嘘であれと願った。
到底信じることなどできなかった。
だが、ティフェルヴァルトはその真実を突きつけた。
「たった今、情報が入りました。――護衛は全滅し、飛行船は彼女の手に落ちた、と」
淡々と、さして面白くもなさそうに、ティフェルヴァルトは告げた。
「ぜ、ん………めつ?」
ラウルの喉から小さく声が漏れる。その言葉の意味を確かめるように。
そして無意識のうちに後ずさる。その真実から逃げるように。
かつーん、と。
大きな物音が響き渡り、ラウルは我に返った。
ラウルの作業着のポケットからこぼれ落ちたそれは、ゲイルから託されたメタルの酒瓶だった。
『誰だ!?』
数人の兵士が音に気付き、すぐさまラウルの姿を見つけた。
――逃げなければ。
だが恐怖に犯された手足は凍り付いたまま動かず、悲鳴すら声にはならなかった。
最初にラウルを見つけた兵士が小銃をラウルに向ける。
ラウルは息を止め、目を瞑った。
――撃たれる……!
そう思った直後、鈍器で殴ったような鈍い音が聞こえ、不意に静かになった。
おそるおそる目を開けると、目の前には横たわり気を失っている兵士がいた。
おそらくラウルを狙った兵士だろう。ヘルメットが大きくへこみ、ひびが入っている。
その上に影が落ち、ラウルは影の主を見上げた。
すらっとした細い背中がラウルをかばうように立ちはだかっていた。
「珍しく仕事が早く終わったと思って帰ってみたら、これは何の騒ぎかしら?」
「ル、ルヴィ――」
ラウルはようやくそれだけの言葉を紡いだ。
彼女――アリア=シルヴィーナ・セヴンは、おそらく兵士を殴ったのであろう右の拳をひらひらと振りながらラウルに尋ねた。
「ラウル、怒らないから教えてちょうだい。この薄汚い馬鹿どもは、いったい誰の許可を得てこの船に土足で上がってきたの? それに、どうして子供たちが泣いてるのかしら?」
背中から彼女の表情は読めないが、きっと笑顔なのに違いない、とラウルは思った。
彼女はいつもいたずらっ子たちを叱るのと同じように、オアシス一、いや、世界一怖い笑顔で、微笑みかけているのに違いない。
「どうして――」
だが、ここで突如声色を変えたシルヴィーナは、もうラウルの知っているルヴィではなくなっていた。
「――あなたが銃を向けられなければならないのかしら?」
兵士たちがたじろぐ。
ティフェルヴァルトが一歩前に出た。
「相変わらずさすがですね、ミス・シルヴィーナ。眼光だけで我々の兵士たちを凍え上がらせるとは。あのアリア=サファイアと血のつながった姉妹なだけはある」
「お久しぶりね、ティフェルヴァルト卿。あなたも相変わらず人を食ったような話し方で反吐が出ますわ。それより、これはどういうことでしょう?」
シルヴィーナは銃のホルスターに手をかけながら尋ねた。
兵士たちに緊張が走る。
ティフェルヴァルトだけは変わらずマイペースな口調で答えた。
「我々としては穏便に進めるつもりだったんですがね」
「………ここにいる子供たちを――マキナたちを、連れ去って、実験に使おうとしたんだ」
間違っていないはずだ。
ラウルはようやく少しばかりの冷静さとなお震える声を取り戻し、言った。
ぴくり、とシルヴィーナの指が動く。
「飛行船の護衛の任務はみんなをここから遠ざけるための口実で――いや、それだけじゃなくて、飛行船にはドラゴノイドが、それに、ゲイルとサフィも………。そうだ―――――」
ラウルは急にすっと立ち上がり、シルヴィーナは驚いて振り返った。
ラウルは、どこか焦点が合っていないような視線を甲板に続く道へと向ける。
「――――いかなきゃ」
落とした酒瓶を拾い上げ、ラウルは歩き出す。
何故かすでにラウルの身体からは震えが消え、何かに引っ張られるみたいにラウルの足は甲板へと向かった。
「ラウル……!?」
「俺、行かなきゃ。ゲイルとサフィを助けに――」
『行かせるか!』
数人の兵士がラウルに襲いかかる。
その悉くをシルヴィーナの豪腕がなぎ払った。
『この………!』
「おっと、動くなよ」
艦長は低い声で言った。
いつの間にかティフェルヴァルトの背後に回り込んでいた艦長は、腰に下げていた銃をティフェルヴァルトの後頭部に突きつけながら、
「ラウル――」
と去りゆく少年の背中に向け、声をかけた。
ティフェルヴァルトを盾に取られた兵士たちは、どうすることもできずに後ずさった。
「飛行船は空の居城だ。お前――飛べるのか?」
「………うん」
「そうか。――フン、ゲイルの息子だな」
ラウルは最後まで聞かずに駆けだした。
一人の兵士が追う。
その足下に一発の銃弾が撃ち込まれる。艦長だ。
たたらを踏んだ兵士に、丸腰の男が一人飛びかかった。空母オアシスの整備長だった。
「うおおおおおおおお!」
そのまま押し倒し、小銃を奪い取る。
その背中に向けられた別の兵士の小銃を、今度はコック帽をかぶった男が払いのけてもんどり打った。調理長だ。
『この野郎!』
小銃が調理長に向けられる。
引き金が引かれる直前、シルヴィーナの拳が兵士を殴り飛ばし、めきり、という嫌な音ともに兵士は気を失った。
「動くなァ!」
低い声で、艦長は吼えた。
艦長の持つ銃はティフェルヴァルトの背にぴたりと押しつけられている。
「この艦の船員はみな儂の息子だ。ゲイルの息子なら、儂の孫だ。そいつの翼を奪おうってのは、……どこのどいつかな?」
「――飛行船はもうおしまいです」
とティフェルヴァルトは艦長に向かって静かに告げた。
「あれが暴走した。下手をすると孵化を起こす。そんなところに大切なお孫さんを行かせるおつもりですか?」
「あいつの行き先はあいつが決める」
と艦長もまた静かに答えた。
「あいつはハイランダーで、ここは空母『オアシス』だ。飛翔士を守るのが、儂らの仕事だ」
そして、すうっ、と大きく息を吸い込み、
「野郎ども!」
船内に轟き渡るほどの大声で艦長は息子たちに命じた。
「いいか! 絶対上げろ! 聖天空母オアシス・クルーの名に賭けて、死んでもラウルを空に上げて見せろ!」
『おおおおおおお!』
応じるように飛び出したのは数人の整備士たち。
整備長を狙った兵士たちにつかみかかり、もみ合う。機関士たちも飛び出した。
食事係の女性たちは、子供たちを安全な場所へと誘導し、彼女たちを狙おうとした不届き者をシルヴィーナが片っ端から倒してゆく。
怒号や銃声、子供たちの泣き声――。
みな全て置き去りにするように、ラウルは駆け、甲板に飛び出した。
ウルフドッグはさっき着陸した時のまま静かにラウルを待っていた。
鍵は刺さったまま、エンジンもすでに暖まっている。
ラウルはサドルに飛び乗り、無心でペダルを踏んだ。
「――飛べ!」
これまで何度飛ぼうとしても応えてくれなかったウルフドッグだったが、すでにラウルの支配下にあって、そんなことをラウルが思い出した時にはもうその機体は空を飛んでいた。
遠く彼方、海岸沿い、丘の向こう。
遠目が利くのはラウルの数少ない得手だ。
その碧い瞳に、煙を上げる飛行船の姿が映った。
「行くぞ、ウルフ」
ラウルはつぶやくとフットペダルを上に二度蹴る。
そして二つのペダルを同時に引き、スロットルを開け放つ。
姿勢を低くすると、引斥反転装置を利用して前傾に。プライマリレバーを戻すと、ウルフドッグはけたたましい爆発音と共にたちまちトップスピードに乗った。
少しでも速く、と高度を上げると途端に胸をきゅうと締め付けるような痛みが襲う。
同時に脳内麻薬に侵されるように恍惚感が頭の中を満たす。
疼痛と快楽の狭間で、ラウルの瞳は墜ちゆく飛行船の姿だけをはっきりと見据えていた。
徐々に姿を大きく見せ始めた飛行船が眼前に迫る。
青い光の筋が見えた。
反射的に舵を向ける。
「ゲイル――」
そう叫ぼうとした瞬間。
視界の外からの殺気に気付き、本能的にウルフドッグを反転させた。
強い衝撃が機体を襲い、次の瞬間、自分が空中に放り出されたのだと理解した。
片目だけ開けた視界の隅で、片翼だけになったウルフドッグが、煙を上げながらきりもみして墜ちてゆくのが見えた。
と同時に、あのとき反転していなければ、あの一撃を受けたのはラウル自身だったろうと確信する。
投げ出されたラウルの碧い瞳に、何かが映った。
ほんの一瞬のことだったが、それは確かにラウルの前に現れ、ウルフドッグの片翼をもぎ取った。
燃えるような緋色の、その何かと目が合い、ラウルは――。
「…………………ドラゴノイド」
――笑った。
ゲイル・ラッセルとオアシスの話はまた機会があれば。。。
ここに来て設定と登場人物が少し増えましたが、メインキャラ以外は気にしない方向で。
エンディングまで、あとちょっとです。




