3.夜鷹の復讐
どれだけ闘っただろう。
どれだけ殺しただろう。気付けばメルに刃向かう者はいなくなっていた。
この場所はセイラー・ミセルの濃度が極端に低く、空から近づくことはできない。それも五年前と変わってはいなかった。
従って敵の攻撃は立地の関係上、メルの待ち受ける正門に集中する。
ここを通らなければ、シェリルのもとへはたどり着けない。
呼吸を整えながら、地面に臥して息絶えた兵士たちを見下ろす。みなかつての仲間たちだったが、もとより寄せ集めの集団で、そこに特別な感情は生まれなかった。
何とか第一波は防ぎきったようだ。
だが、力を使いすぎた。
能力を使うほどにメルの身体はドラゴンに近付く。ルクスの胸の核が完全に染まりきれば、メルの身体はドラゴンへと『孵化』する。
それだけは避けねばならなかった。
シェリルを、巻き込まないために。
一度やんだ雪が雨に変わり、火照った身体を冷やす。空は暗く、本当なら見えているはずの夕日は分厚い雲に隠れていた。
――次の攻撃は防ぎきれない。
敵に回した聖騎士部隊の考えは読める。
第一陣で相手の余力を判断し、それを上回る戦力で殲滅する。それが奴らのやり方だ。
これ以上能力を使わずに退けるのは難しいだろう。
メルは固く閉ざした鉄の門を開け、その中に足を踏み入れた。
五年前と同じ花の香りが鼻をくすぐる。だけど、やっぱり感傷に浸っている暇はメルにはなかった。
考えが甘かったのだ。
たった一人でシェリルを守ろうなどと。
傷だらけになった仮面を付け直し、メルは『黒猫』に戻る。
守ることができないのならば、せめて彼女を逃がそうと思った。
ふらつく足を引きずるようにメルは上へと向かう。
シーフラワーの咲き誇る、小高い丘の頂上。
海の見えるその共同墓地は彼と、彼女の思い出の地。
――約束の、地。
彼女はそこにいた。
淡い栗色の髪は昔よりも長く伸び、純白のドレスはいつの間にか女性らしくなったシルエットを残して風にはためく。
無鉄砲で向こう見ずなその性格とは正反対に細く弱々しいその影は、潮風になびいて今にも飛んで行ってしまいそうだ。
一面を覆う花畑の中で、もしも空の龍が見つけたなら、花と見紛い摘んでしまうかもしれない。摘んだが最後、力を失い枯れ果ててしまうことを知りながら。
『知ってる? この花は決して一緒には咲かない。海と空は、決して交わらないんだ』
誇らしげに咲くシーフラワーと、その傍らで枯れたスカイフラワーを見ながらつぶやいた彼女の言葉を、メルは一時たりとも忘れたりはしなかった。
約束のことだってそうだ。叶うはずのない願いに、いつまでも子供みたいにしがみついているのはメルくらいのもので、きっと彼女は忘れてしまっているのに違いないのに。
なのに――。
『助けて、メル』
――彼女は忘れていなかった。
忘れてくれていれば、どれだけ楽だったろう。
忘れられていなかったことがどれだけ嬉しかっただろう。
凛と立つ彼女は決して現れぬ幼馴染みを待ち続けているのだろうか?
それとも還っては来ない魂に祈りを捧げているのだろうか?
だが、もう遅い。
「――シェリル・シャーロットだな?」
雨足は更に強まり、灰色の墓石を濃く染め上げる。
ここは共同墓地。戸籍を失ったメルにはお似合いの場所。
だが、彼女は違う。この命に替えても、守らねばならない。
「お前の待っている男は――」
来ない、と、メルが言うより早く、彼女は言った。
震えるような、けれどそのくせ凛として力強い口調で。
「――遅かったわね」
メルは一瞬、ほんの一瞬だけ怯んだ。
知っているはずはない。セント・エルモは話してないと言った。だから彼女にとって今のメルは命の恩人でもなければ、幼馴染みですらない。命を狙う空賊だ。
だというのに彼女は。
「迎えに来ないつもりかと思った。――ねぇ、どこへ連れて行ってくれるの?」
振り向いた彼女に、もしも仮面を付けていなければ動揺が伝わったに違いない。
「――ねえ、空賊さん?」
ハッと我に返る。
そう、知っているはずがない。約束の相手が、たった今、目の前にいるなどと。
「怖く、ないのか?」
「ええ。……約束したから」
ずきり、と締め付けられるような痛みが胸を襲う。
その約束は、叶わない。叶えてはいけないのだ。
それなのに彼女は。
「……ここはね、約束の場所なの。で、今日は約束の日。『迎えに来る』って、『君を守る』って、約束したんだ」
まるで子供のように、
「だから、怖くない」
言い聞かせるように、シェリルはそう断言した。
忍び寄る恐怖を奥歯で噛み締めて、けれど肩が小刻みに震えていてそれを隠し切れていない。
ぎゅっと抱きしめてあげたくて、無性に愛おしくて、それでもメルは黙って聞いていることしかできなかった。
「だから。……だからさ。私を殺してよ、空賊さん。そうしたらきっと私を守るために飛んでくるかも知れない。……ううん、絶対に来るわ。そうよ、ねえ、空賊さん。私を殺して。今すぐ殺して。その手で。その銃で。今まであなたがたくさんの人にそうしてきたみたいに。殺してよ。ほら、早く! 私を! ――私を殺して!」
ぴしゃっ、と稲妻が走り、彼女の表情を一瞬だけ明るく照らし出す。
顔を上げたシェリルの顔は、気付くと涙と鼻水でくしゃくしゃになっていて、押し込めていた感情の大きさをこれでもかとメルに見せつけた。
小さな拳でどん、とメルの胸を叩き、救いを求めるように仮面を見上げる。
「殺してよ………」
無様な泣き顔を恥じることなく仮面の空賊に向けて、シェリルはうわごとのようにつぶやくだけ。
メルもまた、喉もとまで出かかった言葉を黙殺して、
「だめだ。……残念だが、お前の待っている男は、もう――」
「い、言わないで!」
けれどシェリルは頑としてそれを受け入れようとはしなかった。
「……知っているわ。大人はみんな嘘つきなの。だから、あなたが何を口にしようと、それは全部嘘で。だから――、それ以上、何も言わないで……!」
――嘘じゃない。きっと、守る。
殺したはずのその言葉が愚かにももう一度蘇って。
その言葉を、メルは。
必死に飲み込む。
「…………謝りたかった」
絞り出すように、シェリルは言の葉の欠片を紡いだ。
それは、懺悔の言葉。
「酷いことを言った。全部、私を守るためだったのに。私……、知らなくて、………ううん、知らないふりをして。思い通りにならないこと、気にくわないこと、全部ぶつけて、それでも、ずっと私を守り続けてくれて、だから、ずっと――、謝りたかったのに……!」
――違う。
違うんだ、ステラ。と。
その言葉が喉の奥まで出かかって。
逡巡に、気をとられていた。
鳥肌が立つほどの殺気に振り返り、銃を抜くより早くとっさに身体が動いた。
結果的にそれは正解だった。メルの身体に突き刺さった二発の弾丸は、その身体がなければシェリルの頭と胸を正確に撃ち抜いていた。
よろめきながらメルは目を見開く。
凍えるような白銀の髪の毛を雨に濡らし、ルクスが立っていた。
「帰りましょう。一緒に」
「――ルクス………」
「抹殺部隊がこっちへ向かってるの。だけどまだ間に合うわ。……その女を殺して組織に戻るのよ。今なら、まだ――」
「駄目だ。……駄目なんだよ、ルクス。彼女は、死んでも殺させない」
「どうして――」
ルクスの声をぎりぎりのところで抑えていたモノが、音を立てて壊れた。
積み重ねた感情が崩れ落ちるように、ルクスの口から思いの丈が溢れた。
「どうして分かってくれないの? その女はあなたを殺さないわ。あなたを殺せるのはこの世で私だけ。私だけなの! あなたを殺してあげられるのは! あなたを――、愛していられるのは……」
嗚咽が、ルクスの言葉を遮った。
それでも彼女は、決して涙を流そうとはせず、それがかえって悲壮感をかきたてた。
「どうして?」ぽつり、とルクスはつぶやく。
「どうしてその女を守るの? どうして………、」
小さな、小さな声だ。
本降りになった雨音にかき消されそうなくらい小さな声で、ルクスは首を少しだけ横に傾けた。
「………どうして、能力を使わないの?」
嗚咽に鼻声が混じって、最後のセリフは小さく震えていて。
ぎゅっと胸を締め付けるような痛みがメルを襲う。
ルクスは気付いている。
あと一度でも能力を使えば、彼女の胸の核が完全に彼女の色に染まることに。
だけどそれを、メルが望んではいないことに。
「この徴のせい? 私は、あなたになら、殺されたって構わないのに――」
涙まじりに、ルクスは、
「……あなたが本当に守りたいのは、……………なに?」
はっと息を飲む。
その時、にわかに丘の麓が騒がしくなった。
静かな共同墓地に突如現れたのは王帝府直属聖騎士部隊、第十七分隊。その圧倒的な戦力を以て、裏切り者の始末にやってきた。
「ま、待って!」
背後を振り返り、叫んだのはルクス。
約束が違う、と。
けれど彼女に構わず大口径の銃弾が警告もなく襲いかかった。
「どうして――!? まだ……、あの女を殺せば許してくれるって……」
「避けろ、ルクス!」
問答無用で放たれた弾丸がルクスの足元をすくう。
伸ばした手は空を切った。
切り立った断崖に立っていたルクスは、小さな悲鳴だけを残して崖の下に姿を消す。思わず駆け寄ろうとしたメルの鼻先に容赦なく弾丸の雨が降り注いだ。
十二・七ミリ弾。
当たればヒューマンはもちろんマキナだってひとたまりもない。反射的にシェリルをかばったメルは、転がり込むようにして神殿の影に隠れた。
「もういや……! どうしてみんな、殺し合うの……!?」
シェリルは混乱に負けないように何とか言葉を紡ぐのが精一杯のようだ。
それも、長くは続かなかった。
諦観したように空を見上げ、
「――私も、ここで死ぬのね。そうだ……。私には……、きっとそれがふさわしい」
「死なせない」
シェリルの顎をくいと指でもたげ、メルは仮面越しにその濡れた瞳を見つめた。
当惑の瞳がメルの記憶を呼び覚ます。
――大人は嫌いだった。
大人はみんな自分勝手で、わがままで、嘘つきで。
だから、そんな大人になる前に。そう思っていた。……思っていたのだ。
今の自分は、嫌いだったあの汚い大人になってしまった。
ごめんよ、と一言、過去に自分に謝る。
そして、
「きっと守る。今度こそ、きっと……! だから君は、ここで眠っているんだ」
こうして彼女を眠らせるのはもう何度目だろう。
盗みについて行くと言って駄々をこねる彼女をこうして眠らせるのは毎度のことだった。眼を覚ました彼女はいつも機嫌を悪くしてしばらく口をきいてくれなくて。
次に眼を覚ましたときも、きっと彼女は口をきいてくれないに違いない。
「………!」
高濃度のセイラーミセルがシェリルの意識を遠のかせ、ぼんやりと薄らいだ視界の中で、メルは仮面を脱ぎ捨てた。
「さよなら、ステラ。今度こそ、――さよならだ」
五年前と同じ手口で、メルは別れを告げる。
まだ、シーフラワーは枯れちゃいない。
メルはシェリルを雨の当たらない木陰に寝かせると、そっと地を蹴り、空へと舞い上がる。
そして、聖騎士部隊の様子がおかしいことに気が付いた。銃声が辺り一帯に鳴り響いているのに、肝心の銃弾は流れ弾の一発すらメルのもとへは飛んでこない。
そのくせ時折悲鳴だけは聞こえてきて、そのたびに目と耳を凝らす。
何か、メルの想定外の出来事が起こっているのに違いなかった。
やがてそれも聞こえなくなると、丘の麓からたった一人だけ姿を現した。
全身に返り血を浴び、右手の銃の弾倉を交換する。スライドを引いたその手で顔にべっとりとついた血のりを拭うと、ぎろりと光るまなこがメルを睨んだ。
『夜鷹』――ユーリ・ケルクハート。
かつてメルの上官だった男。
隊長である彼が何のためにたった一人で現れたのか。何のつもりで味方を背中から撃つような真似をしたのか。それよりもまず、敵か、味方か。それすらも分からない。
ユーリはゆっくりと歩み寄り、そしてメルの眼前で立ち止まった。
「――これは何かの冗談か? たった一人のマキナ相手に第十七分隊の先遣隊が全滅とは」
戦場には不似合いな軽口とともに、ユーリはため息をついた。
その意図は未だ読めない。メルは慎重に言葉を選ぶようにして答えた。
「悪いことをしたな」
「いいや、構わないさ。こうなることは、はじめから織り込み済みだ。私の目的でもある」
「………なに?」
不穏な空気に、メルは胸がざわめくのを感じた。
「いったい、何を企んでる!?」
「私が殺したいのは、お前じゃない。お前の幼馴染みでもない。私が殺したいのは、聖騎士部隊。……いや、この腐った世界のすべてだ」
「『夜鷹』――」
「違う」
ユーリは偽りの名を否定し、声高に名乗った。
「私の名は、――ユーリ・フォン・ケルクハート・ディ・シャーロット」
「『シャーロット』!? ……まさかシェリルの――」
「シェリルは死んだ。五年前、貴様らの目の前で」
死んだのは、本物のシェリル・シャーロットだったはずだ。
ユーリが言っているのはその『シェリル』のことで、それは、つまり――。
「お前も知っているはずだ。『シェリル』はその女の名ではない。私の、……たった一人の妹の名だ」
「まさか……。あんたは五年前、FANTOMにいたはずだ。僕を組織に引き込んだのはあんたなんだから」
「そう。私はシャーロットを追われた身。ハイランダーの血筋でありながら空に嫌われた異端児だった私は、シャーロット家のため――、いや、シェリルのためシャーロットの名を捨て軍人になった。私は必要のない人間だったから。………だが、シェリルは違う。死んでいい人間ではなかった。殺されていいはずが――」
「まさか、あの事件は――」
「シャーロット家はその古きから親マキナ派。組織に目を付けられたのだ。私がそれを知ったのは全てが終わった後だった。そう、あれは事故ではない。故意に引き起こされた、虐殺だ。――私の妹は王帝府に殺されたのだ! 正義の名の下に、親マキナ派の家に生まれたというだけの理由で!」
ぐっと拳を握ったユーリは、弾んだ息を整えながらその拳を腰のホルスターに伸ばした。
「……よせ、『夜鷹』!」
ぴたり、とユーリの手が止まる。
だが、彼の意志は止まらなかった。
「それはこちらのセリフだ、『黒猫』。銃の腕では私が上だ」
「この距離では外さない……!」
「もしも外したら?」
ユーリはじっとメルの瞳を見据えたまま、瞬きもせずにそう尋ねた。
「先遣隊は良い仕事をした。お前にこれだけの力を使わせたんだからな。すぐに分かったよ。次発隊にこれだけの人間は必要ないとな。何故なら貴様は、………もう能力を使えない」
メルは奥歯を噛み締めた。
先発隊に力を図らせる。そのやり方は変わってはいなかった。
力を使いすぎれば『孵化』を早める。それを悟られぬよう戦ったつもりだったが、彼の上官だった男は彼が思っている以上に有能だったようだ。
「………知っているか? サドレアターミナルがどうしてあんな姿になったのか。どうしてドラゴンが現れたのか」
ホルスターの横で揺れていた右手がぴたりと静止する。
ユーリの視線がわずかにずれ、それがシェリルを見つけたことに気付いた。
「ドラゴンは空から降りてきたのではない。……生まれたのだ。この地で。そしてその時発生した膨大なエネルギーがターミナルをはじめサドレア一帯を破壊した。教わらずとも、お前なら知っているはずだ。時が熟したとき、卵は孵る。――ドラゴノイドという名の卵は、ドラゴンへと『孵化』するのだ」
「はじめから…、こうするつもりだったのか……? 僕を先の短いドラゴノイドと知って――」
「あと一度だ。………あと一度、貴様に力を使わせるだけで、私の望みは叶う」
メルが『孵化』すれば、同じ惨事がこの場所で再現されることになる。
ユーリの目的に気付いたメルの問いに、ユーリは笑みで答えた。
「今日、この地では極秘のサミットが行われている。ここからも見えるだろう。サドレア湾に浮かぶあの孤島だ。あんな辺鄙な島に世界中の高官、貴族、政治家が集まる。それはこの『世界』そのものと呼んでもいい。それを全て――壊す……!」
「………………やめろ」
と、メルはか細い声で乞うようにつぶやいた。
だが構わずユーリは続ける。
「ここはシェリルが眠る地だ。シェリル・シャーロットは二人もいらない。そうだろう?」
「やめろ――」
「止めてみろ。その力で。そしてこの世界を壊してみろ!」
「やめろォ!!」
銃声が全てをかき消した。
声も、手も、風さえも、届かなかった。
あと一度でも能力を使えば『孵化』が起こるかも知れない。その迷いが致命的だった。ユーリの銃口はシェリルの胸を寸分の狂いもなく捉え、凶弾を阻むものなど何もなかった。
彼女が死ねば、我を失ったメルは激昂し、必ずや能力を使い果たして『孵化』することだろう。
そうなればユーリの目的は果たされる。
確信に満ちたユーリの瞳が、ほんの直後、驚愕に変わった。
それが落胆に変わる前、反撃の銃弾にユーリの身体は宙を舞った。
身体が地につく直前、シェリルを撃ち殺すはずだった弾丸を受け止めた誰かの影が視界をよぎった。
燃える紅毛は天を衝き、一対の緋眼が残像を残して揺れる。
光の残滓は青い翼。
――嵐の夜、青白い光とともに、奴らは現れる。
「セント・エルモ……!?」
「……悪いな。これも仕事なんだ」
まるで本当に申し訳なさそうに、キディはユーリを見下ろした。
対照的に、重傷を負いながらそれでもユーリの瞳は死んではいない。銃を握る手は世界の終わりを告げる号砲を鳴らすという使命をまだ離そうともせず、不屈の意志がユーリを突き動かす。
「……は、はは。有能だとは聞いていたが、まさかここまでとはな。まったく、いつもいつも良い仕事をしてくれる。貴様らのような運び屋は、世界のどこを探しても他にいないよ」
「皮肉のつもりか? 彼女はあたしたちが連れて行く」
「構わんよ、持っていけ。どうせ私は全てを奪われた。名前も、名誉も、命だって。――ああ、そんなもの、もう私には必要ない。残りは全てくれてやる。だが――」
もはや銃を握ることもままならない拳を懸命に握りしめた。
「こいつは――こいつだけは絶対に渡さない!」
こいつ、とユーリが呼んだそれはこの世界への復讐のことなのか、それとも一途に守り続けてきた彼なりの正義のことなのか。
だがそれもここまでだ。
キディは炎を纏った爪をメルに向け、メルもそのわけを理解したように銃を下ろした。
彼の命さえ始末すれば、惨事は繰り返されない。
「最後に君が来てくれて良かった。僕を殺すことができるのは、君だけだから」
「……どうしてもっと早く言わなかった? 気付いていたんだろう、はじめから二人ともを助ける方法なんて、こんな馬鹿げたやり方以外になかったんだ」
「君こそ、気付いていたのならあの時僕を殺してくれれば良かったのに」
メルはふっと笑う。
キディの爪はそこで止まったまま宙に浮き、メルは笑みを消した。
「怖じ気づいたのか?」
「………だまれ」
「やれよ」
「できるものか」と、ユーリはほくそ笑んだ。
「貴様らは同類だ。……理解しているんだろう、ミス・ガーネット。その爪を向けた相手は、貴様自身だ。――殺せやしない」
言われるまでもない。
そんな葛藤ならとうの昔に乗り越えたはずだ。
それでもなお、キディの爪はそこからぴくりとも動かない。
強い雨がその炎を完全に消し去るまで、キディはそのまま動けなかった。
息が詰まるほどの沈黙ののち。
もう一度、ユーリが銃を持ち直す、その前に、
「……………………損な役回りだ」
炎は再びキディの腕に灯った。
殺気のこもった炎は、消える前より大きく、強く。
雨に打たれてなお激しく燃えさかる。
メルはそっと目を閉じた。
これで終わりだ。世界の終わりは、始まらない。
キディはその手を振り下ろした。




