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ウルトラ・ガーネット ――花嫁の翼――  作者: 佐倉 いつき
第4章 そしてセント・エルモの火は灯る
19/24

2.配達完了

 相変わらず雪は吹雪いて、容赦なく二人の視界と、体温を奪う。

 数フィート先すら見通すことのできない悪天候の中で空を飛ぶというのは、シェリルが想像するよりもずっと過酷で苛烈だった。

 ウェディングドレス姿のまま連れ出したシェリルにジャケットを羽織らせたラウルの背中はむき出しの作業着姿で、その背中が何度か船をこぐように揺れては思い出したようにぴんと張る。


 この背中に、何度助けられたことだろう。

 シェリルはそっと背中に手を添え、目を閉じる。


 ――出会いは最悪だった。


 最初は、そう。誰にも知られることなく別荘を抜け出そうとしていた。

 十二月二十三日――運び屋『エルモ』が初めてシャーロット家の別荘に現れた日だ。

 使用人(メイド)の服を拝借し、祖父の目を盗んで屋敷を出たそこに、一台のウィンド・ビークルが佇んでいた。

 ボディには、『ウルフドッグⅡ』の文字。ミレニア運送の宣伝文句も一緒に描かれている。

 このマシンに乗って、飛んで逃げることができたら――。


 だがそれは叶わなかった。

 ウィンド・ビークルはキィがなければエンジンを始動できず、空を飛ぶことができない。

 がっかりした。それでもこみ上げる空への羨望を諦めることができず、ただただマシンを見つめていた。


ウルフ(そいつ)に興味があるのかい?』


 ラウル・ラッセルが彼女に声をかけたのは、そんなときだった。


()()()()()()()()、あとの飛び方は空が教えてくれるだろう』


 初対面で、ラウルはとっくにシェリルの正体を見破っていた。

 それどころか、このマシンで飛んで逃げろと言う。ご丁寧にキィまで置いていった。見た感じ、誰かを騙すような人間には見えなかったし、彼がシェリルを騙す理由も見当たらなかった。


 けれど、シェリルはその誘いには乗らなかった。

 代わりに別の良い方法を思いついた。

 自分を荷物として依頼すればいいのだ。だが表立って依頼することはできない。

 そこでシェリルは一計を案じる。


 エルモの荷物の中に紛れ込むのだ。


 協力をお願いしたサルディーナには当然反対された。

 彼女は当初の予定通り、怪盗ブーケに盗みを依頼するべきだと主張した。ブーケは彼女の知り合いであり、決して断らないと。

 だが、それでは結婚式が行われずに済むだけであって、シェリル自身がメルとの約束の場所へ行けるわけではない。

 シェリルの望みはただひとつ、五年前の約束の地へ赴くことだった。


 サルディーナは渋々応じてくれた。

 そして、エルモの積み荷に身を潜める手助けをしてくれた。おそらく――聖騎士部隊に情報が漏れたとすればこのときだったろう。

 ともあれ、シェリルは機関車『ディーノ』への潜入に成功した。


 二度目の出会いも――それはそれは最悪だった。


 忍び込んだはいいものの、どうやってあの『セント・エルモ』を従わせるか。

 手配書はサルディーナに見せられて知ってる。

 キディ・ガーネットという赤髪の女は、ひと目見ただけで凶悪犯と分かるほど鋭い瞳と高圧的な口調で、それはつまり手配書通りの女だった。話など通じないだろうし、腕力ならなおさらだ。

 一方、ラウルというハイランダーの方は、あの凶悪そうな似顔絵からは想像もできないほど線が細く、ひ弱そうで、相手にするならこの男だと思った。


 半日ほど待って、チャンスが訪れた。

 ウルフドッグⅡが待つ貨車にラウルは一人で現れる。千載一遇のチャンスだったが、しかしシェリルは失敗した。


 シェリルが突きつけた銃の先には半裸のラウルが両手を挙げて立っていた。

 その胸には、不自然な傷跡が残っていた。

 今なら、それがドラゴンライダーの証なのだと分かる。その彼に銃口を向けたシェリルに対する、キディ・ガーネットの、あのあからさまな敵意も。


 彼女は、ドラゴノイドだ。

 バディであるラウルが死ねば、彼女の命もまた、尽きる。

 だからこそ、あれほどまでに怒りに満ちた視線をシェリルに送ったのだ。


 ――この時点で、シェリルの逃避行は失敗に終わったはずだった。

 事実、翌朝目覚めたシェリルの頭上で、彼女をどうやってシャーロット家へ送り返すべきかの話し合いが行われていた。

 ラウルもまたその意見には賛成のようで、だがそれを彼女に伝える役目を任されたことに対しては少し抵抗があったようだった。


 可能性があるならば、この男だろう、とシェリルは思った。

 不運な身の上を話し、涙に訴え、ほだし、説き伏せることができるとすれば。


 罪悪感がなかったと言えば嘘になる。

 それでもメルとの約束の場所へ行けるのであれば、喜んでこのお人好しの男を利用しよう――そう思った。


 そしてシェリルの思惑通り事は進み、ラウルはシェリルを連れて飛んだ。

 五年ぶりに飛んだ空はとても澄んでいて、穢れなくて、そして自由だった。

 一歩間違えれば死んでいたかもしれない危うさを秘めていながら、やはり空という存在はシェリルの心を捕らえて離さない。それは五年という月日が経過しても変わらない、紛れもない事実で、それは、


 ――ラウルという男にとってもそうだった。


 地上ではいつも仏頂面で、不機嫌そうなラウルが、笑っていた。

 おそらく、きっと、これまで見ていたラウルは偽物で。

 たぶん、このとき初めて、シェリルとラウルは出会ったのだ。

 もしかしたらほんの少し、心惹かれていた自分もいたかもしれない。


 ラウルと飛ぶ空は爽快だった。

 セイラー・ミセルのちょうど濃すぎず薄すぎない高度を維持したまま、時に大きく旋回し、時に踊るように緩急をつけながら飛ぶ。決して乗り心地の良い飛翔ではなかったが、空を飛ぶ楽しさに触れることのできる飛翔だった。


 その楽しい時間も、だが、長くは続かなかった。

 ドラゴノイドとドラゴンライダーの二人組に襲われ、二人はなす術なくやられた。

 ドラゴノイドはこと戦闘能力に関しては地上最強の飛翔種だ。戦闘経験のないハイランダー二人では――いや、何人束になってかかろうとも――決して敵いっこない。鉢合わせたその瞬間に、負けは確定していた。

 それでもシェリルが翌朝サドレアの結婚式場に姿を現せたのは、()()()()()()()からでも、()()()()()()()()からでもない。


 シェリルを守ったのはラウルだった。

 見逃せば助かる命を投げ打ち、シェリルが連れ去られるのを引き留めた。来るかどうかも分からない助けを待つ間、命懸けで時間を稼いだ。

 どう考えても無茶だとシェリルは思った。

 それどころか銃口を前に笑うラウルに狂気の片鱗を見て絶望した。


 だが、奇跡的に二人は生き残った。

 シェリルは花嫁として結婚式場へ、ラウルは反逆者として独房へ。

 五年前の約束が果たされないことよりも、ラウルへの申し訳なさでいっぱいだった。

 でもこれで良かったのかもしれない、とも思った。

 ラウルはこれまでもきっと今回みたいな危険な目に何度も遭ってきたはずだ。彼が今後も同じように飛び続ければ、今度こそ命を落とすかもしれない。捕まって、空を奪われた方が、彼にとっては良かったかもしれない。

 シェリル自身もそうだ。

 五年前の約束にとらわれて生きてきたこの五年間は決して幸せではなかった。

 この結婚式を機に、全てを忘れてしまった方が幸せなのかもしれない。


 ――全て忘れよう。


 五年前の約束も。ウィンド・ビークルで飛んだ空も。セント・エルモも。

 全部心の奥にしまって、新しい人生をここから始めるのだ。


 そうして迎えたクラウス・シュミットとの結婚式。

 歪み始めた運命の輪はシェリルの知らないところでそのひずみを増し、とうとう破綻し決壊した。

 結婚式場を占拠する武装集団。

 騒然とする来賓を黙らせる銃声。

 クラウスが撃たれ、神父様が意識を奪われ、戦場と化した教会に現れた救世主は。


 ――またしても彼だった。


『君を捕まえて、奪い去るためさ、……赤ずきんちゃん』


 血まみれの口元を歪めて笑った彼は、スカイ・ハイに陥った天国中毒者で、――ドラゴンライダーだった。

 潰れた肺で、震える腕で、引きずる足で。

 小さな背中で。

 シェリルをかばって立ち上がった。


 ――そして今も。

 意識を何度も飛ばしながら、何とか機体を立て直しながら、ラウルは飛ぶ。

 触れた背中は冷たくて、震えていた。

 それでもラウルは決して弱音を吐かずに飛び続けた。


『飛ぶだけが取り柄のハイランダーだ』


 そう言っていたラウルの、わずかな矜恃がそうさせたのか。

 それでも、そろそろ限界のようだった。

 目的地まではあとわずかだったが、ラウルの集中力が途切れる方が先だった。


 不安定に揺らぐ赤いマシンが、突如バランスを崩し、反転する。

 天地が逆転し、次の瞬間、マシンはコントロールを失いきりもみしながら落下し始めた。地面へと向かう放物線を描くマシンからラウルは力なく投げ出され、シェリルは必死に手を伸ばした。


 ――届かない!


 そう思った次の瞬間、赤いマシンがカッと光り輝いた。

 まばゆい光に目を閉じ、両腕で顔を覆う。次に目を開くより先にシェリルの身体は誰かの手で抱きかかえられ、気付けば落下も止まっていた。

 シェリルの腰に回された鋼鉄の左腕の主を振り返り仰ぎ見る。ヒューマン・フォームにフォームチェンジしたキディが、憮然とした顔で右腕に抱えたもう一人のヒューマンを見下ろしていた。


 キディは大きく開いた両翼をコントロールしながら飛翔し、二人を抱えたままゆっくりと高度を下げる。徐々に地面が近づき、シェリルにとっては見覚えのある錆びた鉄門の前にそっと着地した。

 キディはシェリルをまず地面に立たせると、次にラウルを大樹の木陰に横たえた。

 地上は上空に比べれば天候もおとなしく、大木の枝が辛うじて屋根代わりになった。


 ラウルは眠っているようだった。

 なかなか目を覚まそうとせず、心配そうにのぞき込むシェリルに、キディは言った。


「心配するな、能力(ちから)を使った後はいつもこうなんだ」


 ぶっきらぼうだが、どこか優しげな言い方で、シェリルは少しだけ安堵した。

 それでもシェリルの表情がどこか優れなかったからだろう。キディは後ろ頭を掻きむしりながら付け加えた。


「気にするな、お前のせいじゃない。この馬鹿はいつもこうなんだ」


 力を使い果たして、まるで死んだように眠る相棒をキディは呆れたように見下ろす。

 やはりラウルが起きる気配はない。

 感謝の言葉を言いそびれてしまった。

 いつもこうだ。大切な人に、大切な言葉を言えないまま、あまつさえひどい言葉までかけてしまって。そして、それきりだ。

 シェリルは、相棒から馬鹿呼ばわりされたかわいそうな男に手を伸ばしかけて、やめた。


「……ここでいいわ」


 と、シェリルは静かに逃避行の終わりを告げた。

 青い花弁を付けた一年草が咲き乱れる共同墓地。聖騎士部隊を退け、死線を乗り越えてようやくたどり着いた終着点は、拍子抜けするほどに静かな場所だった。

 錆びた鉄パイプの塊が辛うじて扉の体を保っているだけの入口は苔や蔦で覆われていて、丘の頂上へと向かう一本道も少女の足で上るには少々骨が折れそうな獣道だ。


「気を遣う必要なんてない、てっぺんまで連れて行ってやるよ。……それともあたしはお邪魔虫かい?」

「違うの。ここから先は誰も飛べないから」

「『飛べない』?」

「気流の関係だろうって、メルは――私の幼馴染みは――言ってた。セイラー・ミセルの濃度が極端に薄くて、だから、空賊にも狙われない、二人だけの秘密基地にしてたの」

「………そうかい」


 すん、と空気のにおいを確かめるように嗅いで、キディは納得したように引き下がった。ぼろぼろになったウェディングドレスの裾を持ち上げ、シェリルはゆっくりと立ち上がる。


「………私を、騙していたの」


 ぽつり、とシェリルは言った。


「ドラゴノイドだってことを隠して、私はそれをずっと知らないままで――」

「それは、……あんたの()()()()のことか?」


 はっとしたようにシェリルは顔を上げた。

 メルという男とシェリルの関係はキディもラウルから聞かされていたようだ。

 二人は幼馴染みで、五年前に生き別れた。シェリルがこの場所へやってきたのも、その男と再会を果たすためだ。それがほんの先刻までシェリル自身に銃を突きつけていた男なのだということまでは、知るよしもなかったが。


「――あなたは良いの?」

「あいつと契約を交したことが、かい」


 キディは質問の意味に、すぐに気がついた。


「……今更後悔したって遅いさ」

「後悔――したのね?」


 キディは答えなかった。

 嘘笑いを消さなくてもその言葉に耐えられるようになったのは、まだつい最近のことだ。


「狂ってるのさ。……大事に守られてきたあんたとは違う。どこもかしこも狂っちまってて、でなけりゃ生きていくことすらできなかった。分かるかい? ……あたしが後悔してるのはね、あいつと血の契約を交したことじゃない。そうまでして、こんな腐った世界に生き残っちまったことさ」

「確かに、狂ってる。あの空賊たちも、あなたも、みんなおかしい。どうかしてるわ。でも、――一番狂ってるのは、あなたと契約を交した彼の方よ」


 キディはきょとんとして振り返った。

 だがシェリルは、冗談などを言っているようには見えない真摯な目つきでキディを見上げる。

 思わず、キディは笑った。


「驚いた。そんな風に言われたのは初めてだ。……なんだって? あいつが、あたしやあの連中よりも狂ってる、だって?」


 シェリルは答えない。

 ただその瞳はきっとキディを睨んで、離さなかった。


「あははっ。その通りだよ、お嬢様。あいつは狂ってる。この世で一番、イカレた人種の一人なのさ。……無愛想なへたれ男を演じちゃいるが、そいつはあいつの中の一等壊れたあいつ自身を隠すための隠れ蓑に過ぎない」

「――天国中毒者(ヘヴン・ジャンキー)


 シェリルの言葉に、キディはすっと眼を細め、笑うのをやめた。

 赤い瞳に見据えられたシェリルは、それでも怖じることなく言い切った。


「分かっているんでしょう? 彼は天国中毒者よ。スカイ・ハイはドラゴンライダーの寿命を縮めるわ。現にあなたは彼のせいでその力を使わざるを得なかった。……どうして彼を止めないの?」


 答えは、すぐには返ってこなかった。

 言葉を探すように、あるいはシェリルの思考を推し量るように、緋眼が険しさを増してシェリルの瞳を射貫くだけ。


「………止められるもんか」と、八重歯の覗く口元から小さな声がこぼれる。


「止めたところで、………あんたなら飛ぶのをやめると思うかい?」

「それは――」

「やっぱりあんたも同類なのさ。そうじゃなきゃ、どうしてあんたは五年前、空を飛んだ? どうして五年も前に別れたマキナに焦がれる?」


 何か言い返そうとして、だけどそれを上手く言葉にできなくて。

 行き場をなくした感情はシェリルの喉でつかえて止まった。


「理性が止めても、本能が飛べと誘う。とどのつまりはハイランダーなのさ。あんたも、あいつも。………何が違う? スラムに生まれ、空に惹かれたハイランダー。一緒だろう? 『他に』何が違うって言うんだ?」


 ハッとして、シェリルは口をつぐんだ。

 ()()しているのだ、彼女は。


「――『あたし』さ。あたしが、あいつを変えちまったんだ。今のあいつは手を離したら飛んで行っちまう風船と一緒で。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんなあいつが空を飛ぶのを、あたしに止めろって言うのかい?」


 うつむくシェリルを見て、キディは困ったように笑った。

 そんな風に笑うところをキディは初めてシェリルに見せた。ラウルに対する負い目が、彼女をそんな表情にさせたのだろう。


 キディは後悔していた。もう、これ以上ないってくらいに。

 自分のためにラウルの人生を変えてしまったことを、後悔してもしきれないってくらいに。


「あんたと一緒さ。……この世のどこにでも転がってる、よくある話の一つだ。もしもそいつが悲劇だって言うなら――」

「――この世は悲劇でできてることになる」


 どうやらいつかキディが放った言葉をシェリルは聞いていて、いつまでも根に持っていたらしい。

 キディは驚いて、でもすぐにふっと笑った。この世の九割九分は悲劇でできていて、残り一分の希望のために人は必死に生きるのだ。

 彼女もまたその一分を掴むため、闘った。

 ――けれど。


「――ゲイル・ラッセルという男がいた。……ラッセルという名前をラウルに与えた男だ」


 わずかに逡巡した後、キディはシェリルも何度か聞いたことのある男の名を、唐突に口にした。


「………ラウルから少しだけ聞いたわ。サドレアの英雄――本物の『セント・エルモ』――そして――」

「――ドラゴンライダーだった」


 キディは慎重に言葉を選ぶようにして言った。


「十年以上も前に休戦協定が結ばれた後、ゲイルは空軍を退役して空賊になった。軍人ではサドレアを守れなかったからだ。ゲイルは義賊としてサドレアを守り、一方で戦争孤児を集めて養っていた。ラウルもその一人だ」

「ラウルも――サドレアの………?」

「何かが間違ってりゃ――いや、()()()()()()()――、あんたもそこでラウルと出会っていたかもしれない。だが、そうはならなかった。五年前、あの飛行船事故が起きちまったからだ」

「飛行船事故――まさかラウルもあの場所に?」

「――いた。ゲイルも。そして、――あたしもだ」


 シェリルは目を見開いた。

 キディがどうしてその話をし始めたのか、頭の片隅で理解し始めていたからだ。だがその一方で、それを否定する自分もいる。

 混乱するシェリルに、キディは真実を告げた。


「あの飛行船を墜としたのは――少なくともそのきっかけを作ったのは――あたしたちだ」

「そんな――」


 シェリルは言葉を失った。

 だって、あの事故のせいでシェリルは犯人扱いをされ、それをかばったせいでメルはシェリルと引き離され、シェリルはステラという名を奪われ、それは、つまり――。


「あんたの人生を狂わせたのは、あたしたちだ」

「どうして――そんな話を………?」


 まだ整理のついていない頭で、シェリルはやっとそれだけ口にした。

 言わなければ、おそらくこのさき一生シェリルの知ることない事実だった。知らなければ、こんな想いを抱くことはなかったのに。

 それなのに、なぜ。


「さあ、……お前だけが何も知らないことが気に入らなかったのかもな。どうしてラウル(こいつ)が命を賭けてまであんたを助けようとしたのか、あたしはあんたに知らしめてやりたかったのさ」


 キディは自嘲気味にそう吐き捨てた。


「だからな、お嬢様。あたしやそいつに、感謝だとか哀れみだとか、そんなものは必要ないんだ。あたしたちは確かに五年前、同じ場所にいて、同じモノを見た。そしてどういう因果か今だってこうして同じ空を飛んだ。だけどね、あたしたちが立っている場所は――それだけは、決定的に違う。お嬢様、あんたは――――()()()へ来るな」


 それは拒絶と言うより、願いのように聞こえた。

 それも彼女自身のではない、別の、誰かの。

 そこに悪意は感じられなくて。だからシェリルは黙って従うことにした。


 確かに自分の人生を変えたのは目の前にいるこの二人なのかもしれなかったが、それでも恨みや怒りがシェリルの心を満たすことはなかった。

 不思議と、受け入れていた。

 なぜならきっとこの二人も犠牲者なのだと、何となくではあるが気付いてしまったからだ。


「さあ、行きなお嬢様。きっと、誰かが待ってる」

「――いいえ」


 シェリルは静かに首を振った。


「誰も、待ってなどいないわ」

「え――?」

「――知っていたの」


 凛とした声で、シェリルは言った。


「……彼はもう生きちゃいない。そう……、お祖父様が言っていたから」

「――なに?」


 今度はキディが言葉を失う番だった。

 一瞬、キディは何のことだか分からなかった。彼女の幼馴染み、メルは・カントリーは生きているはずだ。やがてその言葉のわけを理解して、キディの心の底に黒い感情が芽生えた。

 彼女はまた、騙されているのだ。

 彼女の祖父、シャーロット家の当主に。それはそれは貴族らしい、何とも自分勝手な嘘で。


 とはいえ、それをシェリルに伝えようという気にはなれなかった。

 戸籍を失い、生きた痕跡を残さず、存在しないはずの部隊に所属して話すだけでも吐き気を催すような任務に日夜いそしんでいる人間など、――死んでいるも同然だ。

 それに、真実は他人から伝え聞くものではない。

 自分の目で見て確かめるものだ。


「馬鹿よね。分かっていたのに……。もしかしたら迎えに来てくれるんじゃないかって、ずっと待ち続けて……。どれだけ待っていたって、迎えになんて来てくれるはずないのに。分かっていたのに……」

「………その話、信じるのかい?」

「そのために、ここへ来たの」


 気丈に前を向き、シェリルは約束の地へと歩み始めた。

 共同墓地へと向かう坂の頂上を見据え、一歩一歩。

 自分の足で、歩き始めた。


***


「…………ふん、哀しい話だね」


 シェリルの背中が見えなくなるまで見送って、キディはそうぽつりとつぶやいた。


「住む世界が違うんだ。世界が終わったって会えやしない。……あんたもそう思うだろ、――『黒猫』」


 誰にともなくつぶやいた独り言に応えるように、ひとりの男が姿を現した。

 ラウルの眠る木陰から音もなく現れた男は、外した仮面を片手にすさんだ瞳で坂道の上のキディを見上げた。


「覗き見たぁ、いい趣味してるじゃねえか」

「……もう邪魔はしないのか?」

「お前と殺し合う理由はもう無くなったよ。仕事は済んだからな。ここから先、もうあの女は荷物じゃない。煮るなり焼くなり好きにするがいいさ。……もっとも、あんたにシェリルは殺せないだろうがな、メル・カントリー。幼馴染みを殺すくらいなら反逆者になった方がマシ。……そうだろ?」


 ぴくり、とメルの眉が動く。


「そうか、君は全部知っているんだな」真一文字に閉じられていた唇が、薄く開かれる。


「……彼女(ステラ)には教えたのか?」

「そんな野暮、仕事の内にゃ入ってない」

「殺すのも、奪うのも、みんな()()次第、か。……そんなに金が欲しいのか?」

「そりゃあ、そうさ。この世は金と酒で回ってるんだ。金がなきゃ、明日(みらい)を夢見れない。酒がなきゃ、昨日(かこ)の夢すら見られない」


 ラウルの決まり文句だ。『黒猫』はそれを一笑に付した。


「………ふざけた世の中だ」

「珍しく同感だね」


 にこりともせず、メルはシェリルの待つ共同墓地へと続くあぜ道を見上げる。


「――打ち明けるつもりかい?」


 つまらなさそうに笑みを消すと、キディはあくまで興味なさげに聞いた。

 返ってきた答えは、またしてもキディを満足させるものではなかった。


「僕はもう死人だ。死人に口はない」

「地獄から還ってくればいいじゃねぇか」

「……駄目だよ」


 メルは哀しそうに言った。

 いつも無表情な仮面の下でこんな顔をしていたのだろうか。


地獄(あそこ)にはルクスがいる。僕だけ還っては来れないよ」

「ルクス……。あの女か。愛を語るのが趣味の、狂った女」

「ルクスの愛は刃だ。傷つけることしか知らない。傷つくのは――僕一人で十分だ」

「………あの女は厄介だぜ」

「知っているよ。少なくとも、君たちよりは」


 ずっと険しい顔をしていたメルの表情に、初めて微かに笑みが浮かんだような気がした。


「シェリルに会うつもりか?」

「いいや」と、メルは首を振った。


「それが僕にふさわしくないってことくらい、君には分かるだろう?」

「大した騎士(ナイト)だ」

「……ありがとう」

「馬鹿か。褒めたわけじゃない」


 決まり悪そうにキディは吐き捨てた。


「聖騎士部隊はまだ諦めていないぞ。いつまでここで番犬の真似事をしてるつもりだ?」

「今日一日だけでいい。君みたいな邪魔者さえ入らなければ、きっと彼女も気付くだろう。メルという男が約束も守れない大嘘つきだったってことに」

「そうか――」


 それを知ったら、ラウルは悲しむだろうな、とキディは思った。

 折角命までかけて彼女を運んだのは、メルと再会して喜ぶシェリルの顔が見たかったからに違いなかったから。

 もちろん、そんな無駄口は叩かずに、キディは翼を広げた。

 所々痛むが、飛ぶには支障ない。別れも告げずにキディはラウルを抱きかかえ、ディーノの待つ新サドレアターミナルへ向かった。


「配達完了だ、ラウル。……帰るぞ」


 ラウルの寝顔にそう告げ、キディは飛翔速度をさらに上げる。

 思い返したように振り返ると、もう米粒くらいの大きさになってしまった共同墓地の入口で、『黒猫』はまだひとり、佇んでいた。


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