2.脱獄
アリア=サファイア・セヴンはとても優しい女性だった。
春の風のように。
冬の陽光のように。
それは、姉のアリア=シルヴィーナが鬼のように恐ろしいから、余計にそう感じるだけなのかもしれないが、それでも彼女の笑顔は、ラウルにとって亡くした母の優しさに代わるものだった。
だから、あなたも空を飛べるようになるわよ、と彼女に言われたことはラウルにとって何よりも嬉しいことだった。ラウルの周りでそんな風に言ってくれる人は、彼の本当の母親を除けば、彼女だけだったからだ。
ラウルは決して空への順応性が高かったわけではなかった。
むしろゲイル・ラッセルに引き取られて、彼のアジトである空母『オアシス』に来たばかりの頃は、ウィンド・ビークルを五インチ浮かせることもままならなかった。それでもラウルはゲイルのウルフドッグを使っていつも練習をしていた。
これを使えば、ヒューマンの自分も空を飛ぶことができる、と。
サファイアは、それをいつも笑顔で見守ってくれていた。
「またできないことを練習してるのか?」
ゲイルはそんなときにいつも突然現れて、決まってサファイアの横に座りヤジを飛ばす。
右手はポケットに突っ込み、左手にはウイスキーの入った酒瓶。
「できないなんて言うなよ!」
ゲイルは笑って、幼いラウルの頭をなでた。
ゲイルは鈍感な男だった。それがラウルの自尊心を逆撫でするなんて、これっぽっちも思っていなかった。
「空を飛ぶことは、ミセルの流れを読むことだ。それができないお前は、なんて言うか、その………空を飛ぶ、才能がないんだ」
「………!」
ゲイルは、空を飛べないのは努力が足りないからではないのだと、慰めたつもりだったのだろう。
ゲイルは、笑顔だけが取り柄の、鈍感な男だった。
「ゲイル! ラウルをいじめないで!」
決まって助けてくれるのはサファイアだった。
サファイアはゲイルのバディのマキナで、彼がどれだけ鈍感かを彼以上によく知っていた。
「い、いや、だけど……。これ以上練習したって、飛べないもんは飛べないぜ。普通のグラウンダーでも少し浮かせるくらいのことはできるやつもいる。でもラウルはそれすらできないんだ。なんていうか、その、こいつは、才能がないんだ」
「………!」
「そんなことないわ!」
二度目のショックを受けているラウルを擁護するように、サファイアは彼女のバディを睨む。
いつもおっとりしているサファイアも、このときだけはいつも口を真一文字にしてゲイルに真っ向から反発した。
「ラウルは生粋のハイランダーよ。私が言うのだから、間違いないわ」
「ど、どうしてそんなことが言えるんだよ」
「私の子だからよ!」
「……いつお前はヒューマンの子を産んだんだ」
呆れるゲイルをよそに、サファイアはラウルの両肩を掴む。
「さあ、もう一度よ、ラウル。ちょうどいい風が来てるわ!」
「いい風ってお前……」
と言いかけて、ゲイルは何かに気付いた。そして慌ててラウルを制止する。
「ま、待て! ミセルの濃度が急に濃くなってきた。これじゃ暴走する――」
そこまで言いかけて、再びゲイルは言葉を失った。
そして辛うじて短い単語をこぼす。
「うそだろ………」
ラウルの乗ったウルフドッグは静かに、だが力強く宙に舞い上がった。
両翼から吹き出す青い光の粒子は不規則に強くなったり弱くなったりして、上空のミセルの流れが荒れていることを物語っている。しかもウルフドッグはもともとホバリングのような姿勢維持がとても難しい機体だ。それを、十歳そこそこの少年が飛ばして、しかも不安定ながら上空の一点にとどまり続けている。
ラウルの瞳はすでに空母『オアシス』の先にある水平線に向けられていた。
その気になった瞬間に、いつでもラウルは飛び出せるだろう。それを止めることもできずに、ゲイルは唖然としていた。
「なんで、……急に?」
「ミセルの濃度が低すぎたのよ」
サファイアはさも自分のことのように自慢げに言った。
「どうしてだか分からないけど、今のこのあたりには千フィートくらいの高さに相当するミセルが流れ込んできてる。並みのハイランダーじゃ数分と持たずに卒倒するレベルよ。――やっぱり、この子は生粋のハイランダーだわ」
「………ていうか、なんでこんなにミセルが荒れてるんだ? 何か胸騒ぎがするぜ……」
その時だった。
ゲイルの予感が的中したように、遠くの方で微かに、だが間違いなく複数の銃声が聞こえた。
ラウルは反射的にウルフドッグの高度を上げた。
ゲイルもまたフォームチェンジしたサファイアを駆り、ラウルを追って舞い上がった。百フィートほど上空まで上昇し、その姿を視認することができた。
海岸沿い、丘の向こう、飛行船が飛んでいた。煙が上がっている。
横を見ると、ゲイルが青い顔をしていた。
「あれは、まさか……」
「ゲイル?」
「確か、今日の仕事はあの飛行船の護衛だったはず……!」
《ええ、仲間たちのほとんどがあそこにいるはず。それが………襲撃を受けてる?》
フォームチェンジしたサファイアの声は、バディであるゲイルの頭にだけ直接響く。サファイアの焦りと不安が入り交じったような感情も一緒になって伝わってきた。
「まずいな。襲撃を受ける可能性はかなり低いからとティフェルヴァルト卿にも言われていたから、あっちの装備は手薄だ」
《でも、他のみんなは別の仕事で、ここに残っているのは非戦闘員だけよ》
ゲイルはほんの数秒、何かを考えるようにうつむき、そしてすぐに顔を上げた。
「――ラウル」
ゲイルの手から何かが放り投げられ、放物線を描いて飛んできたそれを、ラウルは空中で慌ててキャッチした。
使い込まれて光沢を失った金属の酒瓶が、確かな手応えとともにラウルの両手に収まった。
「こいつはお前に預ける」
「ゲイル?」
なんだかいやな予感がしてラウルは問い返した。
その酒瓶は、ゲイルがいつも持ち歩いていたお気に入りだった。
「ラウル、お前はそいつを持って船に戻れ。俺たちはあっちの様子を見てくる」
「ゲイル……」
「そんな顔するな。……大丈夫だ。俺たちを誰だと思ってる?」
ゲイルはそう言って笑った。
セント・エルモ。
その英雄の名を知らない者は、ここサドレアにはいない。
――嵐の夜、青白い光とともに、奴らは現れる。
「それじゃあ、行ってくる」
サファイアの両翼は青白い光を放ち、轟音の余韻だけを残してあっという間に飛んで行ってしまった。必ず帰ってくる、とそう言い残して。
けれど、ゲイルが戻ってくることは二度となかった。
その日、セント・エルモの火は墜ちた。
***
ぶるるっと一つ身震いをした。
かすむ目をこすって、そうか夢を見ていたのかと、ラウルは気付く。
最近はよく昔の夢を見る。
五年前の飛行船の話を聞いてしまったためか。記憶の彼方にしまい込んでいたはずの記憶が、溢れるように蘇ってくる。決して忘れるなと、戒めるように。
シェリルがあの場にいたという話には驚いた。彼女の依頼に乗ってしまったのは、少なからず感情移入してしまったからだろう。
ふう、とため息をつき、周囲を見渡す。
どうやらここは牢屋のようだ。
傍らにはまだすやすやと眠るキディの姿があり、二人して独房に突っ込まれたというわけらしい。ご丁寧にキディの装備は頭のカチューシャからメタルワイヤーで織り込まれたブーツまで、全て剥ぎ取られている。
ラウルの持ち物もいくらか奪われているが、内ポケットに肌身離さずしまい込んでいた緊急用工具だけは辛うじて無事だった。とはいえこれで脱獄を試みようとしても、三年計画では済むまい。
ふむう、むにゃむにゃ、とキディは気持ちよさそうに寝息を立てている。
黒猫と呼ばれたドラゴノイドにやられた身体を心配したことを後悔したが、すぐにそれも消えた。
キディの身体はよく見ると傷だらけで、『白兎』に撃たれたところ以外にも、所々筋が断線していたり、生体金属が削れていたりしている。そういえば、ここのところウルフドッグばかりを整備していて、自分のバディの身体を労ることを忘れていた。
キディはそんなことを望むような女ではないが、バディとして、ラウルはこれまでの行いを顧み、反省することにした。一通り反省しきると、工具を片手に、眠るキディの背後へと忍び寄る。
ぎらり、とラウルの瞳が妖しく光った。
***
「ここがいいんだろ、キディ……?」
薄暗い部屋に立ちこめる、やや荒い息づかいと、甘い声。
「ラウル……、もっと、奥まで………」
「本当にいいのか、……キディ」
「やるなら、はぁ………、早く終わらせて、くれ……!」
冷たい鉄の柵。
窓のない部屋。
一般的には牢屋と呼ばれるその留置所に、嬌声とも悲鳴ともつかない水っぽい叫び声が短く響く。
「うきゃうっ……!」
全身に電流でも流されたみたいにキディの身体が反り返る。
お構いなしにラウルはキディの身体に指を這わせた。
汗とオイルで濡れそぼった肌はそれが沸騰しそうなくらいに高熱を帯びていて火傷しそうだ。抵抗を試みようとしたらしいキディの細い腕からはすっかり力が抜け、腰砕けになった下半身はさっきからずっと痙攣しっぱなしだ。
「悪いなキディ、辛いだろう? もう、すぐに終わらせてやるからな」
「い、いや、ラウル……、もういいって――ひゃあう!」
「馬鹿言うなよ。あれだけ派手にやられたんだ。きちんと整備しとかないと固着して後で困るんだぞ」
頬を上気させ、潤んだ瞳でキディはラウルを睨んだ。
苦しそうに顔を歪め、身をよじらせる。ラウルはポーチからスパナを取り出し、くるりと持ち直した。
「そんな目で睨んだってだめだ。気を失うくらいのダメージを受けたんだ、今日という今日は念入りに整備してやる」
「そんなこと言っても……、わざわざお前が整備なんてしなくたって――」
「何言ってる、キディ。いいか、腕の良いハイランダーってのはすべからく腕の良い整備士なんだ」
愛機ウルフドッグⅡを相手にしているときと同じように、ラウルはどこか楽しげに言った。
ウルフドッグⅡと違ってごちゃごちゃとうるさいが、配線をこっちが握った以上彼女の好きにはできない。それが彼女自身の身体だとしてもだ。
「そんな御託はい、い――ふ、ふわああっ……! ば、馬鹿っ! や、やめ……そこは………だ、めぇ――」
装備はおろかカチューシャまで押収されたキディは、ヒューマンで言えばシャツ一枚と下着だけの格好だ。下ろした前髪は汗に濡れ、露わになった生体金属の皮膚はにじんだオイルで覆われて薄暗い照明の光を乱反射している。
大きく開かれた翼の可動部の隙間に突っ込んでいた手を抜くと、ラウルはその手に持っていたスパナを持ち替えて額の汗を拭った。
「はぁ、はぁっ……。やっと終わった………。だから嫌いなんだ、整備は……」
「何言ってんだ? まだ終わってないぞ、キディ。――脚を見せてみろ」
ラウルは表情一つ変えず、淡々とそう命じた。
たちまちキディの表情が絶望に変わる。
「い……!? いや、もういい! もうやめ――んっ……くっ………んんんんん~~~!?」
「……………………楽しそうじゃの、二人とも」
絶叫がこだまする地下牢の前に、一人の大きな影が現れた。
唇を噛むキディの目の前に現れたのは、保安隊員の制服を着た二人。制服がはち切れんばかりの大男と、もう一人は身の丈にしてその半分ほどの少女。
おどけてすちゃりと敬礼をして見せた少女の横で、男は小さな『荷物』をぽいと放り投げた。
「お楽しみのところ悪いがお届けもんじゃ。……ホレ」
放物線を描いて両手におさまった鍵を見て、ラウルはパッと顔を上げた。
保安隊員の制帽をひょいと上げると、見覚えのあるヒゲ面が顔を出した。
「それと、こいつもな。……やれやれ、ワシらは正規配達員じゃっちゅうのに」
そう言って男は残りの荷物を床に置く。保安隊に取り上げられていた武器や装備品だ。
「レオーネ! ……に、ガンマ? ……なんだ、捕まってなかったのか?」
呑気にラウルは尋ねる。
「捕まったわ、ドアホ」
「大変だったんだよう! なんかいろんな人に代わる代わる質問されたりしてさぁ! まるで犯罪者みたいな扱い!」と、レオーネの影から現れた小さな影はガンマ。ご丁寧に子供サイズの保安隊制服を身に纏っている。
「まあ、図らずも片棒を担いだことには間違いないけどのォ……」
「それじゃ、どうやって――」
と、そこまで言いかけて、ラウルは彼らの背後から現れたもうひとりの男に気が付いた。
相変わらず趣味の悪いワイシャツに暑苦しいスーツと外套、ハットの三点セット。空賊エルモが大変お世話になっているあの御方だ。
「なるほど。あんたのおかげってわけか、ティフェルヴァルト。また迷惑を掛けちまったみたいだな……」
「気にする必要はない。彼らを詰め所から解放させることなど造作もないことだった」
ガルニア・フォン・ティフェルヴァルトは不敵に笑って二人を見下ろした。
「今回はどんな手品を使ったんだ?」
「簡単さ。『品行方正な運び屋ディーノ号は空賊セント・エルモにハイジャックされた』」
「………それ、保安隊はみんな信じたのか」
「誰かひとりでも疑う者がいると思うかい?」
胸に手を当てるまでもなく、日頃の行いからして至極当然な流れではある。
「……オーケィ、なるほど、よく分かった。これで俺たちは身内さえ襲う見境なしの空賊ってことになる。まるで手負いの獣だな」
「筋が通ってるかどうかなんて関係ねえさ。この御大にとってはね」
つまらなそうに牢の鍵を開け、キディはぼろ雑巾みたいなロングマフラーで身体じゅうの汗を拭った。
まだ頬には朱が差したままだ。
「――黒を白にするのが仕事なんだから」
「それなりの理由がなきゃ難しいがね。君たちにはその理由が見当たらなかった。残念ながら――」
「残念ながら?」
「君たちには脱獄という罪状が上乗せされる」
そう言ってティフェルヴァルトは最後に二丁の銃をキディの足下に置いた。
ラウルはため息をついて肩をすくめた。
「なかなかスマートに強引な方法だね」
「はは。その代わりと言っちゃなんだが、君たちの相手の正体を教えて上げようと思ってね。そのためにわざわざディーノに運んでもらったんだ」
「わざわざどうも。あたしらは仕事に失敗したってのに、優しいんだな」
オーダーメイドの装甲を身に付け、最後にキディはカチューシャ型の頭部装備で赤い前髪をかき上げる。
天を衝く紅毛の下に緋眼の輝く、いつものキディの姿に戻った。そして整備したばかりの身体の調子を確かめるべく関節をぐるんと回す。
「構わないさ。保安隊と、本物の私兵隊に確保されたシェリル嬢は無事サドレアまで送り届けられた。シャーロットもシュミットも胸をなで下ろしているよ」
「本物の……?」
キディは訝しむようにティフェルヴァルトを睨む。
ティフェルヴァルトはというと、そんなキディの表情の変化を興味深そうに観察しながら続けた。
「ああ、君たちの相手だが、……ありゃあ私兵隊なんかじゃない。もっと凶暴で、危険な連中だよ」
「――興味があるね。なんたってあたしたちをこんなところにぶち込んだ奴らだ」
「聖騎士部隊――戦争が仕事の兵隊さ。貴族の所有する私兵隊なんかとはまるで格が違う」
「せ、聖騎士部隊だって――!?」
キディは噛み付くようにそう反芻した。
聖騎士部隊――帝国正規軍とは別に王帝府が直接動かすことのできる軍隊だ。そういえば、シャーロット家の使用人、サルディーナもその存在を示唆していた。
「ウェディングドレスの囮に釣られたとは思えない。おそらくはシェリルが何者かに『誘拐』されたという情報がどこかから漏れたようだ」
ティフェルヴァルトはなぜかおもしろそうに笑った。
「奴らも面食らっただろうよ。まさか私兵隊の格好までして撃たれるとは」
キディはむすっとして口をとがらせた。
そこで、ラウルはあることに気が付いた。
「なるほど、それで奴らはウェディングドレスなんかお構いなしにシェリルにまで銃を向けたってわけか」
「彼らの目的は結婚式の中止だ。お嬢様の誘拐、あるいは殺害によってね。あとは、空賊の仕業に仕立て上げれば、反マキナ派の煽動にもなり一石二鳥って寸法だろう」
「空賊の仕業ってぇのはつまり、俺たちのことか?」
ティフェルヴァルトは言わずもがなとでも言うように苦笑して見せた。
「――奴らもか?」と、少し語気を強め、キディは言った。
「『奴ら』?」
ティフェルヴァルトは反射的に反芻し、そしてキディの言葉の意味を理解した。
「ああ、君をこてんぱんにのした彼らのことか。……保安隊の情報の中にもあったな。君たちと戦闘になっていたもう一つの勢力……。正直眉唾物かと思っていたが」
「あの二人組……。最初にディーノを襲ったのとは別物だ。奴は――ドラゴノイドだった」
「ドラゴノイド、だって?」
訝しむように、ティフェルヴァルトは眉をひそめた。
付け加えるように、ラウルも。
「ドラゴンライダーの能力も厄介だった。……動きを読むんだ。先読みされて、俺もキディもミセル吸入口をやられた。信じられない。神業だよ」
「動きを読む……? まさか、そのドラゴンライダーは銀髪の女か?」
ティフェルヴァルトは何かに気付いたように眉をひそめた。
「知ってるのか? おまけにおつむのネジが二本か三本は飛んでる感じだった。愛がどうのこうのとうるさい女だ」
「――ルクス・ゴーシェ」
ティフェルヴァルトは、彼にしては珍しく驚きに言葉を失った。そうなる前に放った最後の言葉は、声が小さすぎてよく聞き取れなかった。
すぐにティフェルヴァルトは含み笑いを始める。笑みは声になり、こらえきれずに噴き出した。
「ぶっ……、はははっ。奇遇だな! まさかこんなところで会えるとは。――ということは、バディはあの『ドラゴ・ベリル』か」
「………どういうことだ?」
今度は、キディが眉をひそめる番だった。構わず、ティフェルヴァルトは。
「面白い力だったろう、あれの力はね、ほんの少し先の未来を予見できるんだ。もちろん、条件付きでね」
「なんだと!?」
「おや、気付いていなかったかい? 彼女の力のことを私たちは『予知陣』と呼んでいたんだが――」
「そうじゃない!」と怒鳴ったのはキディ。
「どうしててめぇがあのドラゴンライダーのことまで知ってるのかって聞いてるんだ。……まさか、全部お前が裏で糸を引いて――」
ティフェルヴァルトは笑って首を横に振る。
「違う、違う。あれはもう、私たちのものじゃない。君と一緒さ、ドラゴ・ガーネット。彼女はFANTOMで造られ、FANTOMで育った。君みたいに上手くはいかなかったがね」
ティフェルヴァルトは何が面白いのか、嬉々としてそう語った。
「かつて、FANTOMは帝国府の一組織だった。反マキナに方針転換した帝国府から、親マキナ派の現局長が帝国府から買い取るまでね。彼女は初期のFANTOMで管理されていた、実験体だった」
「………実験体?」と、反芻し、ラウルは言葉を失った。
「なるほど、君が手こずるわけだ。あれは中々に希有な能力だった。彼女が不完全なドラゴンライダーでなければもっと素晴らしかったんだがね。能力が未熟なままで……。所詮は『失敗作』ってことさ、だから聖騎士部隊にはおさがりをあげたんだ」
「失敗作、だって?」
「彼女は元々ドラゴンライダーとなる素質などなかった。ハイランダーではあるが、ドラゴノイドと契約を交すにはそれだけじゃ足りない。何かが足りないんだ。我々はそれを研究していたんだ。その過程で彼女が生まれた。ただのハイランダーをドラゴノイドと契約させたんだ。実験は成功したように見えたが、能力に重大な欠陥を持っていたんだ」
「――彼女は力を使う度に苦しんでいた。とても辛そうに。……そのことか?」
静かに、ラウルは尋ねた。そしてティフェルヴァルトはうなずく。
「それだけじゃない。バディであるドラゴノイドが力を使う際にも同じような症状が出る。これじゃあ使えない」
「………だから、使い捨てた」
「気に触ったなら謝ろう。だけど彼女を手放したのはもう一つ理由がある。………彼女の『傷痕』を見たかい?」
ルクス・ゴーシェの胸には大きな傷跡が残っていて、そこにはマキナの部品のような核が埋め込まれていた。
あれは、本来ならマキナの身体にあるべきものだ。
「君たちも知っているだろうが、ドラゴノイドと契約を交す際の、あれは契約の証だ。そいつは能力を使う度にハイランダーの色に染まり、染まりきったとき、核はドラゴノイドの体内に戻る。それが『孵化』だ」
「ああ。……彼女の核はもう、完全に染まりかけてた」
ティフェルヴァルトはうなずく。
「そう、彼女の侵食速度は今までのサンプルの中で群を抜いて速いんだ。このペースだと実験を終わらせる前に『孵化』を起こしてしまう。『孵化』は長い年月を掛けて蓄積された能力エネルギーの放出だ。簡単に言うと、そこら一帯を吹き飛ばしてしまうくらいの爆発が起こる。時限爆弾みたいなものさ、そんなもの危なくってウチには置いておけない」
思い出したように、ティフェルヴァルトは人差し指を立てた。
「そうだ、五年前の飛行船爆発事故を覚えているだろう? あれも、原因は『孵化』だった。一組のバディが飛行船に乗り込み、そこで力を使い果たし、そしてドラゴンとなった。その際、その身に秘めていた膨大なエネルギーを吐き出して、ね。……奇遇なことだが、あのドラゴノイド、ベリルがFANTOMにやってきたのもちょうどその頃だ。『ベリル』は彼のコードネーム。本当の名前は確か――」
「――メル」
ラウルは、小さくつぶやいた。
ティフェルヴァルトはまた驚いたようにラウルの方に振り返る。ラウルは振り返らず、その背に向かってティフェルヴァルトは応えた。
「……ああ、そうだ、思い出したよ。彼の名はメル・カントリー。現在の彼の所属は、聖騎士部隊、第十七分隊」
「十七だって? あそこは十六分隊までのはずじゃ――」
面白くなさそうに口を挟むキディに、ティフェルヴァルトは不敵に笑いかけた。
「悪意なんてものは本来目には見えないものだ。目に見えない部隊なんてこの世にいくつだって存在する。闇に隠れて、誰にも気付かれないよう時折顔を出すのさ」
そしてその笑みを、ティフェルヴァルトはラウルの背に向けた。
「彼らの目的は変わらないだろう。空賊の仕業に見せかけて、結婚式を潰す。相手が聖騎士部隊では、たとえシャーロット・シュミットの私兵隊といえども太刀打ちはできまい。主賓にも犠牲者が出るかも知れない。……さて、君はどうする?」
ラウルは何も答えず、立ち上がった。装備を手に取り、額のゴーグルを下ろす。
「……行こう、キディ」
「はいはい……。そう言うと思ったよ。――まあ、あたしも借りを返さなきゃならない相手がいるしな」
「彼女を助けたいならそろそろここを出た方がいい。ここも潮時だ」
くるり、とティフェルヴァルトは踵を返す。そして大仰に出口を指し示した。
「結婚式の場所はサウスフィールド、サンドラゴ教会だ」