3.聖騎士部隊 第十七分隊
任務開始前、最終のブリーフィング。
広大な敷地に展開された演習場の一角。
屯所内の狭くカビ臭い会議室で、極秘任務〇〇二一二五号の最終確認が行われていた。
部屋の中には七組のバディと、二十人を超えるヒューマン。その中で唯一正式な隊服を着衣した男が、この分隊の隊長だ。
他の隊員たちは正式な制服ではない隊服を身に着け、厳かな表情で隊長の説明に傾聴している。
王帝府直属、聖騎士部隊、第十七分隊。
彼らは、内憂外患に立ち向かい、そしてレドリードという帝国のために日夜、人知れず闘う栄誉ある戦士たち。公にはできない事件に対処し、知られてはならない作戦を遂行する戸籍のない兵士たちの部隊。
そこに、『彼』はいた。
「………以上だ。質問は?」
数秒の沈黙が会議の終了を告げた。隊長が解散を告げると、隊員たちは一言も発することなく席を立ち部屋を出た。
「『黒猫』、……いや――」と、隊長は一人の男を呼び止める。
「メル。……メル・カントリー」
同僚たちに倣って部屋を出ようとした足を止め、わざとらしく回れ右して隊長に向き直る。
傍らを通り過ぎる同僚の兵士達の視線が冷たくメルに突き刺さる。だがそのすべてを無視して直立不動の姿勢をとり、隊長の頭の上あたりを見据えた。
二人の他に誰もいなくなったのを確認して、隊長――ユーリ・ケルクハート――は彫りの深い顔をさらに険しくして口を開く。
「私が何を言いたいか、分かっているはずだ」
「……はい、隊長」
あくまで紋切り型の口調でメルは答える。
「職務放棄に独断専行、挙げ句の果てに任務失敗。お前らしくもない。一体何があった?」
ユーリの鋭い視線がメルの横顔を射貫く。
メルは口をつぐんだ。直立し、顎を上げ、身じろぎ一つすることなく、その口を決して割ろうとしない。
「……フン、おまけに義務報告の不履行、か。お前でなければとっくに首が飛んでいるよ」
ユーリは半ば呆れたようにそう言い捨てた。
「幸いなことにこれは厳重注意だ『黒猫』。分かっているな、次は注意では済まされない」
メルよりもひとまわり体格の良いユーリの言葉は、その内容以上に強い圧力を持ってメルにのしかかる。かつての戦役にも参加していたという歴戦の勇士を前にしては、ヒューマンとマキナという人種の差を差し引いてもなお余りあるプレッシャーに押しつぶされそうだ。
爪先に込める力を少しだけ強め、メルは気付かれないように奥歯を噛みしめた。
「……まるで私たちが悪いみたい」
「ルクス……!」
降って湧いたような背後からの声に思わず表情を変え、メルはその声の主をたしなめた。
そうでなくとも大きな任務を前に言いしれぬ緊張感が隊全隊を包んでいるというのに、しかし彼女だけは違っていた。
ルクス――『白兎』のコードネームで呼ばれていた少女――は、むさ苦しい隊内の雰囲気には似つかわしくない爛漫な笑顔でユーリを揶揄しにかかった。
「私たちは良かれと思ってやったのよ? そもそもあの役立たずたちが『セント・エルモ』を止めていれば、こんな事にはならなかったんだから」
そう、発端は聖騎士部隊第八分隊に下された極秘任務。
シェリル・シャーロットを誘拐し、翌日行われる極秘サミットに出席するシュミット家当主へ圧力を掛けること。折しも結婚を翌日に控えたシェリル・シャーロットが一介の空賊に攫われたという情報が入り、第八分隊には、それを――有り体に言えば――横取りしろという任務を課せられた。
メルとルクスの独断専行というのは、その作戦の失敗を見越した単独行動のことだ。
「お前たちに命じたのは、偵察任務だ。シェリル・シャーロット誘拐という情報の真偽の確認と、第八分隊の戦果の報告――首を突っ込めと言った覚えはない」
メルは決まり悪そうに俯いたまま、気付かれないように奥歯を噛み締めた。
そう。隊長ユーリの言う通り、任務は偵察だけのはずだった。
万が一、第八分隊がしくじって、シェリル・シャーロット奪還に失敗したとしても、その事実だけを伝えに帰還すれば良かった。それはメルにだって分かっていたし、事実、そうするつもりだった。
――ウィンド・ビークルを駆り、この大空を自由に飛翔する彼女を目にするまでは。
一緒に乗っているのは知らない男だった。
自分とよく似た黒髪に碧い瞳。三つ編みにした襟足が風になびく。
彼に突如平手打ちを見舞った彼女は、その直後、その頬に口付けた。
そして、満面の笑みで笑う。
彼女の名前はシェリル・シャーロット。
ちがう。
彼女は――ステラだ。
彼女を保護することを提案したのはメルの方だった。
メルが頼めば、ルクスは決して断らない。何も聞かず、うなずいてくれた。
ルクスもまた、あのハイランダーの男に興味を持っていたのかも知れない。両手を離したまま自転車を漕ぐような、どこか危うさを秘めたその操縦は、ルクスとはまた違った意味で独特だった。
果たして第八分隊の作戦は見事に失敗し、彼らを撃退した空賊セント・エルモと交戦。
しかし、シェリル・シャーロットを確保することはできなかった。
つい先ほどまで行われていた任務指令は、その尻ぬぐいとも言える任務だった。
メルの属する第十七分隊に下された任務の内容は、結婚式の行われるサドレアにて式場の襲撃、そしてクラウス・シュミット、およびシェリル・シャーロットの誘拐。それが叶わない場合、両名のいずれか、あるいは両者を殺害すること。
親マキナ派のシュミット家への圧力とともに、市民の反マキナ感情を煽るための工作活動である。
サミットの行われているサドレアでマキナによる親マキナ派幹部の襲撃が起これば、自ずと反マキナ政権の支持は厚くなり、当日行われる予定のサミットにも多大なる影響を与えることができる。更に状況次第で親マキナ派の幹部を闇に葬れば、一石二鳥というものだ。
そのためには一介の空賊を装って襲撃する必要がある。もし捕まっても、聖騎士部隊の関与を知られるわけにはいかない。『存在しない』十七分隊にはうってつけの任務だった。
「メルは悪くなんかないわ。悪いのはメルの邪魔をする足手まといたちよ」
と、ルクスは悪びれることなく言ってのける。訳ありで一癖も二癖もあるこの隊の隊員たちの中でも、彼女の存在はとりわけ異質だ。
「よせ、ルクス……!」
「私たちは、私たちが最善と思うことをするだけ。飛ぶ必要があると思えば飛ぶし、殺す必要があるなら殺す。………それだけよ」
「………勝手な行動は慎め。それが部隊の掟だ」
ユーリは直立不動のメルを見上げたまま、ルクスを咎めた。
「存在しない部隊に、掟なんか」
ぎろり、とユーリはルクスを睨む。ルクスはひょい、と肩をすくめ、
「あら、怒った?」
「………話は終わりだ。お前たちの働きには上層部も期待している。いいか、次はないぞ」
「それは、あなたも同じでしょう?」
銀色の髪が風に乱れるのを手で押さえながら、ルクスは不敵に笑った。
ルクスを睨むユーリの視線に険しさが増す。
「………それはそうと隊長。あなたのお気に入りの首飾りが見当たらないのだけど、もしかしてなくしちゃったのかしら? あれだけ大事にしていたのに」
くすくす、とルクスはユーリの背中に笑いかけた。
お気に入りの首飾りとは、彼が常日頃から身に付けている女物のネックレスのことだ。何か理由があるのには違いなく、メルも、他の隊員も当然黙っていた。
「………本当の持ち主に返しただけだ。任務に必要なものではないからな」
「ふぅん。本当に大事なのは首飾りの持ち主の方だったりして」
ぎろり、と隊長の細い眼がルクスを睨んだ。
「あなたも隅に置けない人。……興味があるわ。あなたみたいな朴念仁をいったいどんな色仕掛けで落としたのか。さぞかし面の皮の厚い女だったんでしょうよ」
ユーリが動いた。
一切の無駄なく腰のホルスターから抜かれた拳銃の撃鉄はすでに起こされている。だが、ユーリの指が引き金を引くより早くもう一つの銃口がその瞑い瞳でユーリを捉えていた。
ユーリの指は引き金を引く一瞬前に止まり、合わせて銃を抜いたルクスは笑った。
「……聞いていなかったのか、『白兎』。次はないと言ったはずだ」
「ふふ。その瞳、素敵よ。『夜鷹』の名前通り。深くて、暗くて、今にも私を殺したくってたまらないって瞳」
ぎりり、と銃把を握るユーリの手に力がこもる。
「あなたにもそんなに大事な人がいたのね。私に銃の撃ち方を教えたその手で、何も知らない女の股をまさぐって、悦ばせていたのかしら」
「ルクス!」
数瞬遅れて銃を抜いたメルはその銃口をユーリに向けたまま、たまらずルクスを制止した。
ユーリは何も言い返さず、静かにルクスを見下ろしている。
「感謝してるわ。あなたのおかげで、メルに会えた。あなたたちが私を実験動物のように切り刻んで、ぼろ雑巾のように捨ててくれたおかげで、私は愛する人を見つけた。あなたたちが、私を愛してくれたおかげ」
それは、永い一瞬だった。
実際にはユーリが息を一度吸って、吐くだけの時間。二人の無言の睨み合いは、次の瞬間唐突にその終わりを告げた。
煮えくりかえったはらわたに押し込めた怒りを吐息に混じらせて大きく息を吐いたユーリが先に銃を下ろす。腰のホルスターに銃を収めると、ユーリはやはり何も言わずにその場を去っていった。
背後から聞こえる足音が聞こえなくなるまで直立したままのメルに、
「………怒らせちゃった」
さっきまでと同一人物とは思えないほど無邪気な声がメルの鼓膜をくすぐった。ほっとため息をつくと、メルはいきり立った。
「ルクス……! 無茶はよせ、君が死んだら僕は――」
「……うぅ」と、ルクスはにわかにしゅんとうつむいた。
「ごめんなさい、メル。………そうよね、私が死ぬときはメルまで死なせてしまうものね」
はっとメル顔を上げた。そして、ため息をつきルクスの顔を上げさせた。
「違うよ、そういう意味じゃない。君は……もっと自分の命を大切にした方がいいと――」
だがそこまで言いかけてメルは口をつぐんだ。
そのルクスを殺す宿命にあるのは他の誰でもない、ドラゴノイドである彼自身だ。滑稽ですらあるセリフを、結局メルは最後まで言えなかった。
「………『独断専行』、か」
ごまかすように、メルはつぶやく。すぐにルクスはころりと表情を変えて唇を尖らせた。
「気にくわないわ。他の奴らはきっと私たちが手柄欲しさに先走ったとしか思っていないに決まってる。もしあそこで私たちが止めなかったら、今頃結婚式もなくなって今回の作戦自体ができなくなってたところなのに」
「………そう思わせておけばいいさ。僕らはただ任務をこなして、僕らが必要だってことを教えてやればいい」
「ううー……。でも……、それに、あの怪盗なんとか! あいつさえ出てこなきゃあの女を攫って来れたのに!!」
ルクスは頬を膨らませ、口を尖らす。
ルクスがこんな風に子供みたいな口調で喋るのはメルの前でだけだ。いつもは一言も喋らないか、煽り文句を投げつけるか。どちらにしろまともな会話にはならない。
そんなルクスも、メルの前でだけは無垢な表情を見せる。
かんしゃくを起こしかけているルクスの頭をぽん、とメルの手のひらがなでる。
「今度はしくじらないさ、ルクス」
「……! う、うん…!」
パッとルクスの顔に弾けんばかりの笑顔が蘇る。
眩しいほどの笑顔で、ルクスは。
「メルなら今度の作戦も一番役に立てるよ。ユーリの鼻をあかしてやるの。今までそうしてきたように。……お嬢様だかなんだか知らないけど、あんなの、殺しちゃえばいいんだから。今までみたいに、さ」
ルクスの無邪気な表情にメルは一瞬だけ瞳を曇らせた。
「――ああ。………そうだな」
「…………メル?」
「もうすぐ時間だ。……行こう」
メルの瞳に、何かが揺れる。
メルは気付かなかった。
ルクスが、彼女だけがそれに気付いていたことに。




