第8話:氷の師長が捧ぐ誓い、奇跡の咲く庭で
広間を包み込んでいた圧倒的な黄金の光が静かに夜空へと還っていく中、会場の空気は凍りつくような沈黙から、やがて轟くような騒乱へと一変した。
「神聖冒涜、ならびに筆頭魔導師長とその同伴者に対する不当な拘束および暗殺未遂――」
玉座から響いた国王陛下の低く厳かな声が、大広間の天井を震わせた。
「エレナ・ド・ロシュフォール、ならびにロシュフォール公爵。貴様らの浅ましき権勢欲と神殿の私物化、もはや看過できん。直ちに衛兵の手により地下牢へ連行し、神聖審問会による厳格なる裁きを受けさせよ!」
「お、お待ちください、陛下! わたくしは……わたくしこそが本物の聖女ですのよ! あんな鉄兜を被っていた身元不明の平民の娘などに……っ!」
半狂乱になって叫ぶエレナ様だったが、その身にまとっていた白銀の聖女装束は、先ほど溢れ出た私の神聖魔力によって完全に魔力を吸い尽くされ、煤けたボロ布のように色褪せていた。神殿騎士たちも真の聖女の力に平伏し、誰一人として公爵親子を庇おうとはしない。近衛兵たちに取り押さえられ、エレナ様は引きずられるようにして大広間から排除されていった。
そして――床に這いつくばったまま、カタカタと震えていたオルコット伯爵とカメリアに、ジュリアン閣下の冷徹な眼差しが向けられた。
「アディリアを『無能』と蔑み、路頭へ追い出したオルコット伯爵。……どの面を下げて今更、我が伴侶にすり寄るつもりだ?」
「じ、ジュリアン閣下……! ち、違います、誤解です! アディリアは私の愛する娘でして……! あの鉄兜の呪いを解くため、あえて厳しい試練を与えていたのです!」
「黙れ、聞き苦しい」
閣下の紫紺の瞳が、侮蔑を込めて細められた。
氷のように冷たい魔力が床を伝い、オルコット伯爵の足元を凍てつかせる。
「血の繋がりを盾にする資格など、貴様らには欠片もない。オルコット家におけるアディリアへの不当な虐待と財産搾取、追放の事実は全て調査済みだ。……我がグランヴェル公爵家の名を以て、貴様らの爵位剥奪と全財産の没収を王室に申し立てる」
「ひっ……! お、お父様……助けて、お父様……!」
カメリアが泣き叫び、伯爵は泡を吹いてその場に卒倒した。彼らもまた、衛兵たちによって引き立てられ、二度と社交界の表舞台へ戻ることは許されない場所へと連れ去られていった。
悪夢のような嵐が過ぎ去り、広間に残されたのは、奇跡の余韻と、息を呑んでこちらを見守る貴族たちの視線だった。
ジュリアン閣下は、私の手を取った。
鉄兜を失い、冷たい夜気に晒された私の素肌を、閣下のあたたかい外套がふわりと包み込む。
「帰ろう、アディリア。……私たちの家へ」
「……はい、閣下」
差し出された大きな手に、私は自分の手を重ねた。
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それから、数ヶ月の時が流れた。
王都を白く閉ざしていた冬は終わりを告げ、グランヴェル公爵邸の広大な庭園には、色とりどりの春の花々が咲き誇っていた。
鉄兜が砕けたあの日、私は「救国の真の聖女」として王室から正式な爵位と名誉を授けられた。
けれど、私が選んだのは、華やかな宮廷で着飾って暮らす日々ではなく――これまで通り、ジュリアン閣下の専属助手として、王立魔導院で研究と書庫の管理に勤しむ生活だった。
もちろん、以前と全く同じというわけではない。
「アディリア、また一人で重い古文書を運んでいるのか」
テラス席で資料を整理していた私の背後から、聞き慣れた愛おしい声が降ってきた。
振り返ると、正装のローブを脱ぎ、白のシャツ姿で寛いだ様子のジュリアン様が、呆れたように、けれど極上に甘やかな眼差しで私を見つめていた。
「ジュリアン様。これくらい、昔に比べれば羽のように軽いですわ」
「ダメだ。今の君は私の大切な助手であり、そして――」
ジュリアン様は私の手から魔導書を取り上げると、テーブルの上に置き、そのまま私の腰を引き寄せて抱きしめた。
春風が通り抜け、私の漆黒の髪をふわりと揺らす。
「私の、世界でたった一人の愛しい婚約者なのだから」
「……っ」
顔がカッと熱くなる。
兜がなくなってからというもの、私の表情が全てジュリアン様に筒抜けになってしまうのが、最近の唯一の悩みだった。
「兜を被っていた頃は、そのスリットの奥からどんな瞳で私を見つめているのか、必死に想像していたものだが……」
ジュリアン様は愛おしそうに私の頬を撫で、額にそっと唇を落とした。
「素顔の君は、想像の何倍も赤くなりやすくて可愛いな」
「も、もう……からかわないでください」
私が照れ隠しに俯くと、ジュリアン様はふっと表情を改め、真剣な紫紺の瞳で私を見つめ直した。
その手には、白金に大粒の蒼玉があしらわれた、小さな指輪の箱が握られていた。
「アディリア。君の母上が遺したあの兜は、君が真に愛する者へその心を捧げた時に解ける誓約だった」
ジュリアン様は私の前で静かに片膝をつき、私の指先を掬い上げた。
「君があの舞踏会で叫んでくれた言葉が、私の凍りついていた心をどれほど救ってくれたか、言葉では言い尽くせない。……今度は、私が君に永遠の誓約を捧げる番だ」
青空の下、眩い陽光を反射する指輪が、私の左手の薬指へと滑り込む。
「私の生涯をかけて、君の心と笑顔を、あらゆる悪意から守り抜くと誓おう。……私と、結婚してくれるかい?」
涙が、視界を滲ませた。
かつて母が泣きながら私に被せた黒鉄の兜。
あの冷たく重い檻は、この温かな手に出会うための、奇跡の道標だったのだ。
「……はい。喜んで、ジュリアン様」
私が微笑んで頷くと、ジュリアン様は破顔し、立ち上がって私を力強く抱き上げた。
舞い散る花びらの中、重なる唇から伝わってくるのは、春の陽だまりのような、どこまでも深く温かい愛の熱だった。
呪われた鉄兜の令嬢は、もうどこにもいない。
世界で一番気高く、不器用で優しい氷の師長の手を取り、私は新しい光の満ちる日々へと、確かな一歩を踏み出したのだった。
『夜とヴェール』を最後まで見届けてくださり、本当に、本当にありがとうございました!
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