11話 リリアーナの攻略開始
引き続きリリアーナ視点
いよいよ、王立学園の入学式当日。
リリアーナ・コップトンは、学園の広い敷地を歩いていた。
(ついに来た! ここからが本番よ!)
この日を、どれほど待ち望んだことだろう。
前世で何度も遊んだ乙女ゲーム『君の心が聞きたくて』。
通称『キミキキ』。
その物語が、いよいよ始まるのだ。
主要な攻略対象は五人。
第二王子ツヴァイク、宰相子息スイエール、商会を営む伯爵家のネビル、帝国第五皇子フィフル。そして、騎士団長令息キリム。
全員の好感度を上げ、最後にはスペシャルエンドを迎える。
それがリリアーナの目標だった。
(まずは、ツヴァイク殿下との出会いイベントね)
リリアーナは周囲を見渡した。
入学式の会場へ続く道は、すでに確認してある。
しかし、あえて別の道へ入り込んだ。
そう。
迷子になるためである。
(この辺りだったはず……)
ゲームでは、入学式の会場が分からず困っていた主人公に、ツヴァイクが声をかけてくれる。
王子様との運命の出会いだ。
リリアーナは案内板の前で立ち止まり、困ったように辺りを見回した。
そのときだった。
「どうした? こんな所で何をしている?」
(来た!)
振り向くと、金髪の少年が立っていた。
ツヴァイク・セントーン。
セントーン王国の第二王子である。
(……あれ?)
リリアーナは一瞬、戸惑った。
確かに美青年だ。
整った顔立ちも、美しい金髪も、ゲームで見たツヴァイクそのものだった。
しかし、少しふくよかというか、全体的に丸みがある。
(……ゲームより、ちょっと丸い?)
隣に立つ少年へ視線を移す。
蒼い髪に眼鏡をかけた、端正な顔立ち。
スイエール・プレソーブル。
こちらも間違いなく攻略対象の一人だ。
ただ、ゲームで見た姿より、どこか陰気な印象を受けた。
(……まあ、いいか)
立ち絵と実物が少しくらい違っても不思議ではない。
それよりも、今はイベントを成功させなければ。
リリアーナは内心でほくそ笑んだ。
しかし、喜びを顔に出してはいけない。
少し首を傾げ、困ったような表情を作る。
そして、意識して声を甘くした。
「はいぃ……入学式の会場が分からなくてぇ……」
「そうか。初めて来たのなら無理もないな」
ツヴァイクは鷹揚に頷いた。
「私たちも会場へ向かうところだ。一緒に来るがよい」
「まあ! ありがとうございますぅ!」
リリアーナは嬉しそうに微笑んだ。
「ツヴァイク殿下。そろそろ時間です」
隣にいたスイエールが、眼鏡を直しながら言った。
「分かっている。そう急かすな」
ツヴァイクが歩き出す。
リリアーナも、その後についていった。
「ところで、君は?」
「リリアーナ・コップトンと申しますぅ。コップトン男爵の娘です」
「コップトン……ああ、治癒魔法の特待生か」
スイエールが口を開いた。
「珍しい桃色の髪だと聞いていたが、なるほど、君のことか」
「はい。よろしくお願いいたします、スイエール様」
「……私の名前を知っているのか」
「もちろんですぅ。有名な方ですから」
「そうか」
スイエールは短く答えると、それ以上は何も言わなかった。
(……冷たっ)
リリアーナは内心で首を傾げた。
ゲームでもスイエールは冷静で、少し冷たい性格だった。
しかし、ここまで愛想がなかっただろうか。
それに、もう一つ気になることがあった。
(……キリムは?)
ゲームでは、第二王子ツヴァイクと宰相子息スイエール、そして騎士団長令息キリムの三人は幼なじみだった。
入学式の出会いイベントでも、三人が一緒にいたはずだ。
ところが、今は二人しかいない。
(……何か予定が変わったのかな?)
気にはなったが、せっかくの出会いイベントである。
リリアーナは笑顔を崩さず、二人とともに入学式の会場へ向かった。
◇ ◇ ◇
入学式が終わった。
新入生たちが会場から出て、それぞれの教室や寮へ向かっていく。
リリアーナも人の流れに沿って歩いていた。
「失礼。君がリリアーナ・コップトン嬢かな?」
突然、声をかけられた。
振り向くと、緑色の長い髪をした青年が立っていた。
仕立てのよい制服を着こなし、優雅な笑みを浮かべている。
(……ネビル!)
リリアーナの胸が高鳴った。
ネビル・ノーレル。
王国有数の商会を営む、ノーレル伯爵家の令息である。
「はい。そうですが……」
「やっぱりね。僕はネビル・ノーレル。ノーレル伯爵家の者だよ」
ネビルは自然な仕草で微笑んだ。
「コップトン男爵には、父の商会が何かとお世話になっていてね。君が学園に入学すると聞いていたんだ」
「まあ、そうだったんですかぁ。お声をかけていただけて嬉しいですぅ」
「それに、その髪を見ればすぐ分かるよ」
ネビルはリリアーナの髪に視線を向けた。
「綺麗な桃色だね。とてもよく似合っている」
「……ありがとうございます」
リリアーナは思わず頬を赤らめた。
(……すごい)
ゲームで見たとおりの美青年。
しかも、実際に目の前で微笑みかけられると、その破壊力は想像以上だった。
(やっぱり、ネビルもイケメンだなぁ……)
ツヴァイクもスイエールも美青年だったが、どこかゲームの印象と違っていた。
しかし、ネビルはまさしく原作どおりだ。
女の子の扱いにも慣れている。
「学園で困ったことがあれば、遠慮なく声をかけてくれたまえ」
「はい! ありがとうございますぅ、ネビル様」
ネビルは軽く手を振り、立ち去っていった。
(よし! ネビルの出会いイベントも成功!)
リリアーナは上機嫌で教室へ向かった。
◇ ◇ ◇
リリアーナが所属するのは、エリートクラスだった。
王族や高位貴族の子弟、そして特別な才能を認められた生徒たちが集まるクラスである。
男爵令嬢のリリアーナがここに入れたのは、特待生として認められた治癒魔法のおかげだった。
教室に入ると、何人かの生徒が興味深そうに彼女を見ていた。
桃色の髪が珍しいこともあるのだろう。
その中から、一人の少年が近づいてきた。
「あー、君が特待生だね?」
白い髪をした、小柄な少年だった。
愛らしい顔立ちに、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべている。
(……フィフル!)
フィフル・ウェンスター。
西方ウェンスター帝国の第五皇子。
攻略対象の中では、最も年下に見える少年である。
「はい。リリアーナ・コップトンと申します」
「僕はフィフル。フィフル・ウェンスターだよ」
「お目にかかれて光栄ですぅ、フィフル殿下」
「ふーん。君、治癒魔法がすごいんだよね?」
「はい。治癒魔法は得意です」
「じゃあさ、これも治せる?」
フィフルは自分の頬を指さした。
小さなニキビが一つできている。
「……ニキビ、ですか?」
「そう! 気になってるんだよね。治せる?」
リリアーナは少し驚いた。
しかし、すぐに微笑んだ。
「はい。喜んでぇ」
フィフルの頬へ手をかざす。
柔らかな光が生まれ、ほどなくニキビが消えた。
「わあ! 本当に治った!」
フィフルが嬉しそうに頬を触った。
「すごいね、リリアーナ!」
「ふふっ。お役に立てて嬉しいですぅ」
「またできたらお願いしてもいい?」
「もちろんです。いつでもお声をかけてくださいね」
「やった!」
フィフルは無邪気に笑った。
(……うん、これも原作どおり!)
リリアーナは安心した。
しかし、
(……帝国の皇子様との出会いイベントが、ニキビ治療ってどうなのよ)
リリアーナは少しだけ疑問に思った。
(まあ、好感度が上がるなら何でもいいか!)
ツヴァイクとスイエールには多少の違和感があったものの、ネビルとフィフルはゲームの印象そのままだ。
残るはクラスにもいないキリムだけ。
(今度、朝の訓練場を覗いてみようかな)
リリアーナは次の計画を考え始めていた。
◇ ◇ ◇
入学からしばらく経った、ある朝。
リリアーナは学園の訓練場付近に立っていた。
手にはタオルと、朝食を包んだ小さな布袋を持っている。
(確か、キリムは毎朝ここで訓練しているはず……)
ゲームのキリムは、朝から剣の稽古に励む、元気いっぱいの少年だった。
主人公が差し入れを持っていくと、嬉しそうに笑ってくれる。
そんな出会いイベントがあったはずだ。
(よし。今日こそワンコを捕まえるぞ!)
しかし。
(……いない)
訓練場には何人かの生徒がいるものの、目当ての少年は見つからない。
リリアーナは辺りを見回した。
声をかけて探そうにも、知らない生徒ばかりだ。
(もう訓練終わっちゃったのかな……)
しばらく待ってみたが、キリムは現れなかった。
その間に、大柄な男子生徒が二人、近くを通り過ぎていった。
一人は紅い髪をした、背の高い少年。
もう一人は、横にも大きな丸々とした少年だった。
二人ともバゲットをかじりながら、楽しそうに話している。
リリアーナはちらりと視線を向けたものの、すぐに訓練場へ目を戻した。
(……キリム、どこにいるのよ)
彼女は知らなかった。
探していた相手が、たった今、自分の目の前を通り過ぎていったことを。
結局、その朝は誰にも声をかけられないまま、リリアーナは教室へ向かうことになった。
◇ ◇ ◇
その後もリリアーナは、キリムを除く攻略対象者たちとの交流を少しずつ進めていた。
ツヴァイクには学園の話を聞き、ネビルとは商会の話題で盛り上がった。
フィフルは相変わらず気さくに声をかけてくれる。
しかし、キリムだけは一向に見つからない。
(……どうなってるのよ)
そんなある日。
リリアーナは図書館でスイエールと顔を合わせた。
高い書棚から本を取り出そうとしていたところへ、声をかけられたのだ。
「その本を探しているのか?」
「あ、スイエール様!」
振り向くと、蒼い髪の少年が立っていた。
「はい。でも、ちょっと手が届かなくてぇ……」
「そうか」
スイエールは書棚から本を取り、リリアーナへ差し出した。
「ありがとうございますぅ!」
「礼には及ばない。図書館では静かにするように」
「……はい」
(……やっぱり冷たいなぁ)
しかし、これもスイエールらしいといえば、スイエールらしい。
リリアーナは受け取った本を胸に抱え、思い切って尋ねてみた。
「あのぉ、スイエール様。一つお聞きしてもよろしいですか?」
「何かな」
「スイエール様は、ツヴァイク殿下と幼なじみなんですよね?」
「ああ。幼い頃からお付き合いがある」
「では、キリム様という方も、ご一緒ではありませんでした?」
スイエールが怪訝そうな顔をした。
「キリム?」
「はい。キリム・ブラドリー様です」
「……いや。私と殿下の幼なじみに、そのような者はいないが」
(……え?)
リリアーナは驚いた。
ゲームでは、三人は幼い頃から親しくしていたはずだ。
「キリム・ブラドリーといえば、暫定ながら将軍の位を得た者がいるな」
「……将軍?」
「ああ。ブラドリー伯爵家の次男だ。確か、一般クラスに所属している」
「……一般クラス、ですか?」
「そうだが。それがどうかしたのか?」
「い、いえ! 何でもありません!」
リリアーナは慌てて笑顔を作った。
「教えていただいて、ありがとうございますぅ!」
「……そうか」
スイエールはそれ以上追及せず、自分の席へ戻っていった。
リリアーナは手元の本を見つめた。
(……どういうこと?)
ゲームでは、キリムはツヴァイクの取り巻きの一人だった。
幼なじみで、同じクラスに通い、いつも一緒に行動している。
だからこそ、出会いイベントでも三人が揃っていたはずなのだ。
しかし、この世界では違う。
キリムは一般クラスにいる。
しかも、暫定とはいえ将軍になっているという。
(……何か変わってる?)
不安が胸をよぎった。
だが、ほかの攻略対象者たちとのイベントは順調に進んでいる。
(……まあ、何とかなるでしょ!)
リリアーナは気を取り直した。
今は、もうすぐ始まる実地演習のことを考えなければならない。
何しろ、その演習には大切なイベントが待っているのだから。
◇ ◇ ◇
そして、合同実地演習の日。
王都郊外の森林地帯には、王立学園の生徒たちが集まっていた。
各班に分かれて小型魔物を討伐し、戦闘や支援の技術を学ぶことになっていた。
リリアーナも治癒魔法の特待生として参加している。
(……いよいよね)
彼女は周囲を見渡した。
少し離れた場所には、ツヴァイク、スイエール、ネビル、フィフルの姿がある。
その周囲には護衛騎士や教官たちもいた。
(……大丈夫。ちゃんと覚えてる)
この実地演習は、『キミキキ』でも重要なイベントの一つだった。
午後の演習中、突然キマイラが出現する。
攻略対象者たちが負傷し、主人公が治癒魔法で助けるのだ。
特にキリムは、キマイラとの戦いで意識を失うほどの大怪我を負う。
そして、主人公の治癒魔法によって命を救われる。
それが、キリムとの重要な恋愛イベントだった。
(ここでキリムが大怪我するけど……絶対に助けてあげるからね!)
もちろん、キマイラが襲撃してくることを誰かに教えるつもりはなかった。
ゲームでは誰も命を落とさない。
教官も護衛もいるし、自分には特別な治癒魔法がある。
怪我人は全員、自分が治してみせる。
(よーし。頑張るぞ!)
リリアーナは胸の前で小さく拳を握った。
◇ ◇ ◇
午前の演習は順調に進んだ。
リリアーナの班でも小型魔物の討伐が行われ、彼女は支援役として参加していた。
幸い、大きな怪我をする生徒はいなかった。
そして午後。
(……そろそろかな)
リリアーナは周囲を気にしながら演習を続けていた。
そのときだった。
森の奥から、巨大な音が響いた。
木々が倒れ、鳥たちが一斉に飛び立つ。
「な、何だ!?」
生徒たちが騒ぎ始める。
そして、森の奥から巨大な魔物が姿を現した。
獅子の頭。
背中から伸びる山羊の頭。
長くうねる蛇の尾。
そして、大きな翼。
「キ、キマイラだ!」
教官の叫び声が響いた。
(……来た!)
リリアーナは息を呑んだ。
ゲームで何度も見た魔物。
しかし、実物は想像していたよりも、ずっと大きく、恐ろしかった。
「全員、下がれ! 演習を中止する!」
教官たちが叫ぶ。
その直後、キマイラがツヴァイクたちの方へ向かった。
「殿下!」
護衛騎士たちが動き出す。
スイエールも魔法を放った。
しかし、キマイラの勢いは止まらない。
やがて激しい魔法の攻撃が放たれ、ツヴァイクたちが次々と倒れた。
「きゃあっ!」
周囲から悲鳴が上がる。
(……大変!)
リリアーナは思わず駆け出そうとした。
「待ちなさい! 危険だ!」
教官に制止される。
「でも、殿下たちが!」
「今は近づくな! まだキマイラがいる!」
リリアーナは立ち止まった。
確かに、あの巨大な魔物が暴れているところへ飛び込めば、自分まで怪我をしかねない。
(……落ち着いて。大丈夫。ゲームでも、ここから……)
そう思ったときだった。
キマイラの前に、大きな盾を持った男子生徒が飛び込んだ。
その後ろから、紅い髪の男子生徒が続く。
(……え?)
二人は、あの巨大なキマイラを相手に戦い始めた。
一人は大きな盾を構えた、丸々とした大男。
もう一人は、赤い髪をした大男だった。
(……誰、あの二人?)
周囲の生徒たちも、二人の戦いに目を奪われている。
「すげえ……あれが暫定将軍のキリム・ブラドリーか」
「暫定とはいえ、将軍になれるだけの力はあるってことか……」
「隣のバレルズもすげえぞ!」
(……え? キリム?)
リリアーナは赤髪の大男を見つめた。
(あれがキリム!?)
確かに赤い髪。
確かに大きな身体。
しかし、ゲームのキリムは、もっと陽気で人懐っこい、脳筋ワンコ系の男の子だったはずだ。
(……いやいやいや!)
(ワンコって、闘犬とか猛犬なの?!)
思わず叫びたくなった。
(全然かわいくないじゃん!)
その間にも二人の戦いは続いていた。
そして、信じられないことが起きた。
あの恐ろしいキマイラが、二人の前に倒れたのだ。
(……え? 倒しちゃった?)
リリアーナは呆然と立ち尽くした。
ゲームでは、キリムが大怪我をして倒れるはずだった。
それなのに、目の前のキリムは、バレルズと笑いながら何かを話している。
(……何なの、これ?)
しかし、いつまでも呆然としているわけにはいかなかった。
「治癒魔法の使える者は、負傷者のところへ!」
教官の声が響いた。
(……そうだ! 治療しなきゃ!)
リリアーナは我に返り、ツヴァイクたちのもとへ駆け寄った。
最初に向かったのは、ツヴァイクだった。
「大丈夫ですぅ。私に任せてください」
リリアーナはツヴァイクの傍らに膝をつき、負傷した腕へ手をかざした。
柔らかな光が溢れ、傷口を包み込む。
「おお……痛みが……」
ツヴァイクが驚いた声を上げた。
「もう大丈夫ですよぉ、殿下」
「なんという治癒魔法だ……」
近くにいた教官も驚きを隠せない。
リリアーナは続いてスイエール、ネビル、フィフルのもとへ向かい、次々と治癒魔法を施した。
通常の治癒魔法なら時間のかかる怪我も、彼女の手にかかれば見る間に回復していく。
「素晴らしい……」
スイエールが、自分の腕を確かめながら呟いた。
「これほどの治癒魔法は、初めて見ました」
「ありがとうございますぅ。皆さんが無事で、本当によかったです」
リリアーナは笑顔で答えた。
(……よかった。みんな助けられた)
四人の怪我を治療できたことに、ほっと胸を撫で下ろす。
しかし、その視線がふと、離れた場所にいるキリムへ向いた。
キリムは、バレルズや眼鏡をかけた紺髪の少女と笑いながら話している。
(……あれ?)
先ほど、キリムの肩には血がついていたはずだ。
ところが、今は傷一つ残っていない。
(……え? まさか)
リリアーナは目を凝らした。
(……治癒魔法?)
「どうかした?」
フィフルが不思議そうに尋ねた。
「い、いえ! 何でもありません!」
リリアーナは慌てて首を振った。
しかし、どうしてもキリムから目を離せない。
あの巨大なキマイラを倒した男。
ゲームでは脳筋ワンコで、ツヴァイク達をかばって大怪我をするはずだった男。
しかも、治癒魔法まで使えるというのだろうか。
(……原作と、全然違うじゃん!)
リリアーナは、キリムたちを呆然と見つめていた。
◇ ◇ ◇
キマイラの襲撃から数日が過ぎた。
王立学園では、あの日の出来事がいまだに話題になっている。
そして、リリアーナにも嬉しい出来事があった。
「リリアーナ嬢。今日の昼休み、時間はあるかな」
声をかけてきたのはスイエールだった。
「はい。何でしょうか?」
「ツヴァイク殿下が、先日の治癒魔法について改めて礼を述べたいとのことだ。よければサロンへ来てくれないか」
「まあ! もちろんですぅ。喜んで伺います!」
「そうか。では昼休みの終わり頃に来てくれればいい。場所は分かるね?」
「はい! ありがとうございますぅ、スイエール様」
スイエールは軽く頷くと、その場を立ち去った。
(やった! サロンへの招待イベント!)
リリアーナは思わず拳を握りしめそうになった。
ツヴァイクにスイエール、ネビル、フィフル。
四人との出会いは、細かな違いこそあったものの、おおむね順調だった。
先日の治癒魔法イベントでも、四人を助けることができた。
ただし、キリムの治療だけはできなかった。
(……まあ、いいか。あのワンコは後回し!)
今は目の前の攻略対象たちとの関係を進める方が大切だ。
そんなことを考えながら、リリアーナはサロンへ向かった。
◇ ◇ ◇
サロンのある建物へ入り、廊下を進む。
もう少しで目的の部屋というところで、突然、大きな声が聞こえてきた。
「ああああああっ!」
「ひゃっ!」
リリアーナは思わず足を止めた。
声のした方を見ると、紅い髪の大男が頭を抱えている。
(……キリム?)
実地演習で見た、あの男だった。
いったい何をしているのだろう。
そう思った瞬間。
「『キミキキ』じゃないか〜!」
リリアーナの身体が固まった。
(……え?)
聞き間違いだろうか。
(今、何て言った?)
キミキキ。
この世界では存在するはずのない、乙女ゲームの名前。
(……ちょっと待って)
キリムはその場にしゃがみ込み、何やらぶつぶつと呟いている。
しかし、リリアーナにはもう、その言葉が耳に入らなかった。
(なんで?)
(なんでキリムが『キミキキ』を知ってるの?)
リリアーナは廊下の角に身を隠した。
頭の中が混乱していた。
自分がこの世界をゲームの世界だと知っているのは、前世の記憶があるからだ。
では、彼は?
(……まさか)
リリアーナはもう一度、キリムの方を覗き見た。
あの脳筋ワンコが?
(……転生者?)
しかし、決めつけるには早い。
偶然、似た言葉を口にしただけかもしれない。
何より、あのキリムがゲームのことを知っているのなら、先日の実地演習での行動は何だったのだろう。
(……原作と違う理由って、まさか)
考えれば考えるほど、疑問が増えていく。
そのうちキリムは立ち上がり、廊下の向こうへ歩いていった。
リリアーナは、その姿が見えなくなるまで動けなかった。
「……お嬢さん?」
不意に声をかけられ、飛び上がりそうになった。
サロンの扉の前に立つ、近衛騎士だった。
「サロンへご用ですか?」
「あっ、はい! リリアーナ・コップトンと申します。ツヴァイク殿下からお招きいただきまして……」
「おお、先日の治癒魔法の!」
騎士は納得したように頷いた。
「話は伺っております。どうぞ、お入りください」
「ありがとうございます」
リリアーナは慌てて笑顔を作った。
(落ち着け、ワタシ!)
今は考えても仕方がない。
とにかく、サロンでのイベントを成功させなければ。
そう自分に言い聞かせ、扉をくぐった。
◇ ◇ ◇
サロンには、見知った顔が揃っていた。
中央のソファにはツヴァイク。
その傍らにスイエール、ネビル、フィフル。
そして、もう一人。
(……レイティシア!)
紫がかった髪の、美しい少女がいた。
レイティシア・プロマンシー。
ゲームでは主人公の前に立ちはだかる、悪役令嬢である。
(うわ、本物だ……)
その美しさに、リリアーナは思わず見惚れそうになった。
「よく来たな、リリアーナ・コップトン」
ツヴァイクの声で我に返る。
「お招きいただき、ありがとうございますぅ。ツヴァイク殿下」
「うむ。先日の治癒魔法は見事であった。改めて礼を言おう」
「まあ、もったいないお言葉です。殿下のお役に立てて、本当に嬉しいですぅ」
「まあ、座りたまえ」
ネビルが微笑みながら椅子を勧めてくれた。
「ありがとうございます、ネビル様」
リリアーナはにっこりと微笑み、勧められた椅子に腰掛けた。
しかし、どうしても気になることがある。
「あのぉ……皆様。先ほど廊下で、キリム・ブラドリー様をお見かけしたのですが……」
その名前を出した途端、ツヴァイクの顔が不機嫌そうに歪んだ。
「ふん。あの無礼者か」
「……何かあったのですか?」
「殿下は、あの男を側近として取り立てようとお考えだったのです」
スイエールが冷たく言った。
「ところが、本人はそれを断ったのですよ」
「……え?」
リリアーナは目を丸くした。
(キリムが、ツヴァイク殿下の誘いを断ったの!?)
ゲームでは、キリムはツヴァイクの取り巻きとして、いつも殿下のそばにいたはずだ。
「まったく、理解に苦しむよ」
ネビルが肩をすくめた。
「戦争に行きたいんだってさ。せっかく殿下がお声をかけてくださったのにね」
(……戦争?)
リリアーナは息を呑んだ。
(戦争が始まったら、キリムは学園を離れちゃうかもしれない!)
ゲームでも彼が戦争に参加する展開はあったが、こんなに早く離脱するはずではなかった。
(……どうなってるのよ)
先日の実地演習では、キリムを治療するイベントが発生しなかった。
そして、ゲームではいつも殿下のそばにいたキリムが、その誘いまで断ってしまった。
そのうえ、本人は戦争が始まれば参戦するつもりだという。
(これじゃ、キリムの攻略が全然進められないじゃない!)
リリアーナは内心で頭を抱えた。
「それにしても、リリアーナ嬢。君の治癒魔法は本当に素晴らしかったね」
ネビルが話題を変えてくれた。
「私も驚きました。あれほどの治癒魔法は、初めて見ましたよ」
スイエールも頷く。
「ありがとうございますぅ。皆様のお役に立てたのなら、私も嬉しいです」
「僕のニキビも、またお願いね!」
フィフルが愛らしい笑顔で割り込んでくる。
「ふふっ。もちろんです、フィフル殿下。いつでもお声をかけてくださいね」
「本当? じゃあ、またお願いしちゃおうかな!」
その言葉に、ネビルが笑った。
「フィフル殿下。それではリリアーナ嬢が大変ですよ」
「えー、いいじゃない。リリアーナは優しいんだから!」
「まあ、フィフル殿下ったら!」
リリアーナも笑顔で応じた。
(……あれ?)
(もしかして私、フィフル殿下のニキビ係になってない?)
いやいや、そんなはずはない。
これだって立派な攻略の一環なのだ。たぶん。
紅茶と菓子を楽しみながら、四人との会話が弾む。
ツヴァイクも上機嫌で、先日の治癒魔法を何度も褒めてくれた。
(……うん。こっちは順調!)
リリアーナは満足していた。
四人とも、自分に好意的だ。
ゲームで見た攻略対象者たちが、今は目の前で自分に話しかけ、笑顔を向けてくれている。
(やっぱり、みんなイケメンだなぁ……)
少し丸くなったツヴァイクも、整った顔立ちをしていることに変わりはない。
こうして話していると、ゲームの世界に入り込んだようで楽しかった。
けれど。
(……やっぱり、変なのよね)
リリアーナは紅茶を口に運びながら、そっとレイティシアを観察した。
レイティシアは会話に加わりながらも、終始控えめな態度を崩さなかった。
婚約者のツヴァイクが話しているときも、特別嬉しそうな様子はない。
リリアーナがツヴァイクに笑顔を向けても、嫉妬する様子すら見せなかった。
(……おかしい)
ゲームのレイティシアは、ツヴァイクに強い愛情を抱いていた。
だからこそ、主人公であるリリアーナを敵視するのだ。
しかし、目の前のレイティシアからは、その愛情が感じられない。
もちろん、礼儀正しく接してはいる。
だが、それだけだ。
(もしかして……殿下のこと、好きじゃない?)
リリアーナは驚いた。
けれど、ほかの四人は特に気にしていないようだった。
レイティシア自身も、何事もないかのように紅茶を口に運んでいる。
(……何なの、この世界)
ツヴァイクは少し丸いし、スイエールはゲームより陰気だ。
レイティシアはツヴァイクを愛していないように見える。
そして、キリム。
(……キミキキ)
廊下で聞いた言葉が、頭から離れない。
彼もゲームを知っているのだろうか。
それとも、偶然なのだろうか。
しかも、戦争が始まれば参戦するつもりらしい。
(……あー、もう!)
考えても仕方がない。
リリアーナは小さく息を吐いた。
今は、目の前に四人の攻略対象者がいる。
しかも、全員が自分に好意的なのだ。
こんな絶好の機会を逃す手はない。
(キリムのことは、一人のときにゆっくり考えればいいわ!)
幸い、ゲームにはまだ時間がある。
スペシャルエンドへの道が完全に閉ざされたわけではない。
だったら、今できることをやるだけだ。
(まずは、この四人との仲をもっと深めなきゃ!)
リリアーナは気持ちを切り替え、満面の笑みを浮かべた。
そして、攻略対象者たちに向けて、甘えた声で尋ねた。
「ところでぇ、皆様。学園での生活には、もう慣れましたかぁ?」
彼女のスペシャルエンドを目指す逆ハーレム計画は、まだ始まったばかりだった。
読んでいただきありがとうございます
XにてAI生成画像による挿絵もあげています




