第十八話:新しい物語の始まり
桜の蕾が少しずつ膨らみ始めた肌寒い春の日、覇羅野学園の卒業式が執り行われた。
地下書庫の事件から、早一年以上。
学園は騒動の痛手から立ち直り、元通りの日常を取り戻していた。
壇上で見事な送辞を述べたのは、覇土山家の次期当主となった智樹だった。
智樹は今やメキメキと才覚を現していると聞く。
そして式が終わったその日の午後。
凛の元に、厚手の封筒が配達された。
『土御門省 一般職採用・配属先および職員寮のご案内』
凛はこの冬、土御門省の一般正職員試験を受験し見事内定を勝ち取っていた。
「そっか、配属先と寮の詳細が届くのは今日だったわね」
「おめでとう、凛ちゃん! 無事に卒業もできたし、これで晴れて土御門省の職員だねぇ」
李家のマンションのリビングで、翔宇が拍手を送る。
だが、同封されていたパンフレットを読み進めるうち、凛の顔がみるみる険しくなっていく。
「……え!? ちょっと待って……! 『新入省職員が入居する女子寮は昭和五十年築、木造二階建て、大浴場・トイレ共同、門限二十一時(厳守)』……!? は、話が違うわ……!」
凛は土御門省の寮についてはかなり期待していたのだ。
生活費を浮かせられるし、自立への大きな一歩だと希望を抱いていた。
しかし、まさかここまで年季の入ったスパルタ仕様の共同生活だとは思ってもみなかった。
これでは監獄並みである。
「あはは! 土御門省の寮って昭和のまま時が止まってるらしいからね〜! プライベートゼロかもよ〜」
「嘘でしょ……!?」
凛はがっくりと頭を垂れた。
こんなことなら、素直にここから通うべきだった。だが、時既に遅しである。
全力で後悔する凛の横で、膝の上のシロが「きゅん……」と心配そうに首を傾げた。
パンフレットをよく読むと、式神は問題なく帯同が許可されていた。
「シロ、一緒に行けるみたいよ」
「わふっ! わぅん!!」
「凛ちゃん、神獣は式神じゃないでしょ」
「うう……。紙の札でも背中に張っておく……?」
「まぁ、高位の式神ってことにしたら見かけはバレないかも? 小爺の烏も札なんてないし」
「わん!」
そうだとばかりに尻尾を振るシロに、「神獣に寮生活をさせるのか?」と、隣に座る鳳龍は笑いを噛み殺している。
「阿凛。今からでも撤回してここに住めばいいだろう」
「む、無理……っ! もう入寮の手続きも出しちゃったし、一般職の新人がいきなり我儘言って辞退なんてできない……っ!」
頑なに辞退する凛だったが、胸の奥には別の切なさが込み上げていた。
これまでずっと側にいてくれた鳳龍と、入寮したら物理的に離れ離れになってしまうのだ。
(寮に入ったら……こうして気軽に隣にいることもできなくなるのよね)
急に、寂しさが凛の胸に落ちてきた。
キュッと唇を噛み締めると、鳳龍が凛の手を握り締めた。
「……じゃあ、約束しろ」
「え……?」
「毎日、寮まで会いに行く。週末は、またここに泊まれ。じゃないと、対印も疼いて仕方ないだろう?」
「……うん……」
鳳龍にまっすぐに見つめられ、凛は素直に頷いていた。
凛の対印の熱と、鳳龍の対印の冷気の相殺のため——。
それは必要なことだけれど。
もう、今は。
それは建前で、本当はお互いに離れたくないのだと分かっている。
◇
学園卒業のタイミングで、鳳龍の両親が正式に来日した。
高級ホテルの個室で会食の場が設けられた。
「まあ……! 凛さんね! ビデオ通話で見るよりもずっと可愛らしいわ!」
「あ、ありがとうございます……」
「仔啊(息子)! こんな素敵なお嬢さん、絶対に逃がしたら駄目よ!」
「分かってるよ、媽咪(母さん)」
鳳龍の母は、電話越しの声そのままに朗らかな人柄だった。
しかも、凛の手を温かく包み込み、優しく抱きしめてくれたのだ。
柄にもなく、じんとしてしまった。
鳳龍の父もまた、不思議な威厳があるのに、偉ぶった感じのしない人だった。
「鳳龍から話は聞いている。過酷な運命に負けず、自らの足で立とうとする素晴らしい娘さんだってな。李家は喜んであなたを歓迎するよ」
「あ……ありがとうございます……っ」
(この方が、李家のご当主。……鳳龍と、似ているわ)
凛を見る眼差しは極めて温かく、ガチガチになっていた凛の緊張は、驚くほどすぐに解けていった。
かつて花石家で受けていた冷たい仕打ちとは、天と地ほどの差がある。
まるで、本当の家族のような温もり。
一人の人間として大切に扱われているというのはこういうことかと、凛の胸はいっぱいになる。
美味しい食事と共に会食は和やかに進んだ。
「そういえば、鳳龍。お前はいつまで日本にいるつもりだ?」
凛の心臓がどきりと跳ねた。
鳳龍の本来の拠点は香港なのだ。いつまでも日本にいるわけではないと分かっているつもりだったが……。
だが、父の問いに、鳳龍は迷いなく答えた。
「しばらくは日本に残る。土御門省との連携強化という当初の名目もまだ生きているし……何より、阿凛を一人にするつもりはない」
「そうか。まあ、いいだろう。李家としても、日本との窓口は誰かが継続して担う必要があったからな」
「正式な駐在という形にしてもらえると助かるが。老竇(父さん)、頼めるか?」
「ああ、手配しておこう」
やがて食事が終わると、鳳龍の父親が表情を少しだけ引き締めた。
「凛さん、……あの地下書庫の事件のことだが」
「えっ……はい!」
「老竇! 阿凛に何を言うつもりだ?」
「鳳龍、落ち着け。お前も、凛さんも知っておいた方が良い」
「……分かった」
鳳龍の父は一つ息を吐いた。
「学園の地下書庫で凛さんの義妹達を唆したという不気味な『声』について、李家の術者達も調査したんだ」
「……!」
「それによると、どうやら単なる怪異ではなく、裏で何者かが意図的に糸を引いている可能性が高いそうだ」
「っ……そんな……」
「おめでたい時分に、こんな話をして申し訳ない。だが、凛さん。土御門省に入っても、どうか警戒だけは怠らないでほしい。凛さんは、李家の大事な婚約者なのだから」
「はい……肝に銘じます」
あの不気味な影の正体も、なぜあれほどまでに対印の主を敵対視していたのかも、まだ闇の中だ。
きっと、何かがまだ終わっていない。
これから始まる新しい日々の中で、再び事件に巻き込まれるかもしれない。
そんな会話の後だった。
「凛さん、これ……」
鳳龍の母が和やかな笑みを浮かべ、小さな箱を恭しくテーブルの上に置いた。
「実はね、これは香港から持ってきたのよ。李家に代々伝わる守り石で作らせたものなの。香港の職人に細工させたのだけど……受け取ってくれるかしら?」
「ええっ……私のために、わざわざありがとうございます……。見てもよいのですか?」
鳳龍の母ははにかむような笑みを浮かべてうなづいた。
そっと蓋を開いた凛は、思わず感嘆の声をあげた。
「わぁ……! こんな素敵なものを……いいのですか?」
それは青く煌めく石のついたペンダントだった。
小ぶりながら強い光を放つ宝石のトップで、チェーンは白銀に輝いている。
全体的に繊細なのに、力強さもある。
間違いなく名のある職人の手によるものだろう。
予想もしなかった豪華な贈り物に恐縮し、慌てふためいてしまう。
そんな凛の様子を、鳳龍と両親が実に嬉しそうに、温かな眼差しで見守っていた。
「勿論よ。受け取ってくれたら嬉しいわ。私達の大切な家族となる凛さんへ贈る、婚約の証と思って頂戴」
「この馬鹿息子は、凛さんに宝石一つ送ったことがないと言うもんだから。慌てて用意したんだが、気に入ってくれたかな?」
「はっ、はい……! 大切にします……!」
「おい! 誤解を招くような言い方をしないでくれ。阿凛はあまり俺からの贈り物を受け取ってくれないんだ」
「仔啊、分かってないわね。『欲しがらない』と『欲しくない』は違うんだってことを」
「…………」
さすが、鳳龍の両親である。
あの鳳龍が珍しくも反論出来ないでいる。
「ちなみにね、その守り石には強力な防衛結界と、不意の攻撃を受けた時に自動で攻撃を跳ね返す反射術と、何か起こった時に鳳龍に位置を知らせる追跡術が付与してあるからね」
「…………す、凄……いですね……」
「術は私が付与したんだ。なかなか上手く出来たと思うんだがどうかな?」
どうかなも何も、香港の李家の当主の術である。
世界最高峰の技と言われているのと同義だ。
ひたすら恐縮する凛に、鳳龍は溜息混じりに警告した。
「阿凛、俺の親に気に入られると……」
「な、何?」
「物が増えるぞ。二人とも贈り物が大好きだから」
「……」
ほどほどにお願いします、と心の中で思わずにいられない凛だった。
◇
——入寮を翌日に控えた、最後の夜。
マンションのバルコニーで、凛と鳳龍は並んで夜景を眺めていた。
春の夜風が頬を撫でる。
明日からは離れた場所での、新しい生活が始まるのだ。
「明日から寂しくなるな」
「うん……そうね」
「今日は、やけに素直だな」
「……うん」
自分でもどうかしてしまったかのように、凛は言い知れない寂しさを感じていた。
このままだとおかしなことを口走ってしまいそうだ。
「……どうしたの?」
自分を律しようと奮闘していた凛だったが、ふと、鳳龍の様子がおかしいことに気がついた。
別れを惜しんでいるだけではない。
何か大事なことを言うかどうか迷っているような……。
凛は表情を改めた。
「あの……本当は婚約破棄したいのなら、そう言ってくれても……」
「!? なぜそうなる……?」
鳳龍は呆れたように息を吐くと、凛を力強く抱きしめた。そのまま、頬や額に口吻を落とす。
「ちょっ……! 鳳龍、わっ……や、待って」
「待たん。阿凛、言っただろう? 逃がすつもりはないと。出会った時から言っている」
「…………」
やがて、鳳龍の唇が近づき——凛の唇を優しく啄んだ。
「鳳龍……」
「卒業したら、もう我慢しないと決めていた」
「……!!」
「それなのに、離れて住むと言うから……。これでも、自分を制しているんだからな」
「う、うん……。その、ありがとう……?」
お礼を言うのもおかしいが、他に何と言っていいか分からない凛である。
「阿凛。伝えたかったことは他にもあるんだ」
「……何?」
歯切れの悪い鳳龍に、凛は首を傾げた。
「阿凛の母親の居場所が、わかったかもしれない」
「!!」
かつて、幼い凜を置いて出ていったという凜の実母。
複雑な思いが一挙に胸に押し寄せる。
「週末、お前がここに泊まりに戻ってきたら……一緒に会いに行くこともできる。考えておいてくれ」
凛は無言で頷くと、頭を鳳龍の肩に預けた。
不気味な声の主……。
そして、凛の実母の居場所。
——まだ分からないことはたくさんある。
胸元で輝くペンダントにそっと手を添え、都会の夜景に紛れて、ぼんやりと月が見えるのをそのまま眺めた。
明日から、新しい生活が凛を待っていた。
そしてまた、新しい物語の幕が開ける。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
ひとまずこちらで本編完結となります!
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ご反響次第で、また二人の続き(続編やSS)も
お届けできたらと思っております。
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました!




