37-1 届かぬ切望①
◆
「食った~」
「満腹よ~。これで一週間分の栄養は取れた気がする~」
部屋に運ばれてきた料理を完食した2人は、それぞれのベッドの上に横たわる。どうやらニーアに関しての事情が伝わっていたようで、料理の量が多くなっていたことも、2人を満腹へと導いたようだった。
サクはいつもの倍近い量を食べたために体が重く感じられた。体が縮んでいるために胃も小さくなっていることも大きく影響しているようだ。向かいのベッドの上では、満足そうに表情を緩ませたニーアが天井を見あげていた。
その様子を見てサクは安心しつつも、部屋においてあった鐘を鳴らした。やってきた従業員は、だらしなく寝そべる2人を見て口元に笑みを浮かべていた。
食器やテーブルの上を手早く片付けると、従業員は一礼して部屋から去って行った。静かになった部屋の中。寝るにはまだ早いのでサクがどうしようかと思いを巡らせる。
「……サク」
「ん? どうしたニーア……って、もう寝ちゃったか。そりゃ色々あって疲れてただろうからな」
仰向けでニーアは眠っていた。安らかなその寝顔は、安心しきっているからこそ浮かべられるものだった。
寝言に返答してしまったことに心の中で詫びながら、サクは風を引かないように毛布を掛けてあげた。温かなそれに包まれたニーアは笑みを浮かべながら寝言をつぶやく。
「……いいじゃないのニーア。たまには……、あたしの儘聞いてくれたって……」
「……自分が姉になった夢見てるっぽいな」
その睡眠を邪魔しようとは思えないサクは、忍び足で脱衣所に併設されている洗面所へと向かった。
鏡を見ながら歯を磨きたいのだが、身長が足りない。一度引き返したサクは、物音を立てないように部屋から椅子を運び込み、その上に立って歯磨きを開始する。
今日もまた色々なことがあった。小さくなったり、カーラに襲われたり、人生初の誘拐にあったり、戦ったり。それらを思い返し、ニーアと出会った以外にはろくな目に遭っていないことが分かったサクは、奥歯を磨きながら苦笑いしてしまった。
まあ、大変なこともあってこその人生なのかもしれない。これまで冴えない生活を送ってきたので、新しいことに慣れるのに時間がかかるのはしょうがない。それに、苦だけじゃないのだから。そう考えながらサクは口を何度かゆすぎ、吐き出す。終わった歯ブラシをコップに立てかけたところで、何かを忘れているような気がした。
それなりに重要なことであったはずのことを思い出そうと、コップを凝視する。それでも思い出せないため洗面所で渋い顔をしていると、部屋の扉が開いた音がした。従業員は来ないはずだが、一体だれが。そう考えたサクの脳内に某アニメのような電流が迸った。
「……勘付かれたか?」
食後の後にすぐ歯磨き。ついこの間、この行為によって、精神的に疲れ果てた記憶が呼び起された。今の疲れた体でそれは勘弁してほしいと願うサクは、椅子から降りると恐る恐る脱衣所の扉を開いた。
「ほふっ!?」
突然抱き上げられたサク。体の前面が柔らかな感触に包まれる。理想に近い大きさのそれにサクが真っ赤になっていると、抱きしめた主が話しかけてくる。
「こんばんは、サク」
「おお、ハクか。ど、どうしてこっちの部屋に?」
「サクが歯を磨いてるの感じたから来てみた。安心して。疲れてるだろうから、今夜はしたいとは思わないよ」
「……ありがたい。でも、これはどういった状況?」
したいという意思がないのは分かった。しかしながらハクはサクを放そうとはしない。すでにサクの股間は甘硬くなり始めていた。
そのままサクを抱きかかえたまま、ハクは壁に寄り掛かった。そして、痛みを感じない程度にサクに回した腕の力を強めていく。
とりあえずはされるがままに抱かれることにしたサク。しばらく精神を集中していくと、興奮は治まってきた。元気になり始めたムスコも小さくなっていく。
サクを感じ取るように、ハクは優しく抱きしめてくれている。それに応えようとサクもハクの首に手を回してみた。それに対し、ハクは嬉しそうに微笑む。
それからも抱擁は続いた。どれほど時間が経ったか分からないほど長く。それでも、ずっとこうしていたいともサクは思い始めていた。お互いの揺るぐことのない愛を確かめ合う中で、ハクが口を開いた。
「私、すごく悔しかったの。油断したとはいえ、あのデカいのに投げ飛ばされたこと」
「あれか。確かに俺もびっくりしたよ」
「だからね、もっと強くなりたいと思った。大切で大好きなサクを守るために。こうして繋がりを深めればもっと力が増すはずなんだ」
「そうか。なら時間の許す限りこうしていよう。ハクがそうしたいなら、拒む理由はないしな」
「ありがとう。……大好きだよ、サク」
「俺も、大好きだ。これからも、ずっと、よろしくな」
「……うん!」
嬉しそうに答えるハク。サクもその声と思いに、心の底から喜んでいた。
絶対的な安心感がサクの心の中を満たしていくと、今になってやってきた疲労の波が身心を襲う。どうやら、限界のようだった。
首に回していた手の力が弱くなっていき、やがてその手はだらりと垂れ下がる。身体を制御できず、温かくて柔らかな感触に体の全体重を倒してしまう。申し訳ないという声も出せずにサクの意識が薄れていく中で、ハクが優しくつぶやいた。
「おやすみ、サク」
◆
「――またか。でも目が覚めたら忘れてるんだろうな」
覚醒したサクは真っ白な空間に立っていた。その体は少年ではなく、いつもの冴えないそれに戻っている。
さて、今回はどんな摩訶不思議な出来事が待ち構えているのか。できればズッキーは登場してほしくないと切に願うサクは、何が来ても対応できるように静かに身構えた。
やがて、景色が変貌していく。ぐちゃぐちゃになったそれは、やがて色がつくとともに見慣れた光景を生み出していった。
「ここは……、学校の教室、だよな?」
見慣れた光景が眼前に広がっていた。そこは、サクが通う田舎町にある県立高校。サクの在籍する2-3の教室だった。
通い慣れたそこはちょうど昼食後の休憩時間のようで、多くの者たちが語り合ったりふざけ合ったり、外へと体を動かすために教室から出ていったりしている。青春真っただ中といえる微笑ましい光景だが、その一角で静まり返っている者がいた。
机に突っ伏し、だらしなく寝ている者が1人。協調性があまり感じられない様子からして、それが自分自身であることをサクはすぐに気づくことができた。
惰眠貪る自分自身にサクは近づいていく。心地よさそうに眠るその顔にある口は開いてしまっており、枕にしている腕によだれが垂れてしまっていた。時折そばを通り過ぎるクラスメイトがその姿を見て笑っていくのを見て、いいようのない恥ずかしさを覚える。
起こそうと揺さぶろうとしても、伸ばした手は眠る自分の体を透過してしまう。笑われる自分を他者視点で見るという地獄に悶えるサクは、早く目が覚めてくれと何処にいるかもわからない誰かに心の底から懇願していた。
『お~い冴久~。起きてっか~』
『んお? 『博人』か』
『うおっ。汚ねぇよ馬鹿。腕拭け、腕を』
『ああ、すまねえ』
そんなサクの懇願を叶えるかのように、数少ない友人の1人である『田島 博人』が声を掛けてくれた。
起きた自分は、制服の袖でよだれを拭いて博人の方を向く。せめてハンカチか何かで拭いてほしかったが、自らが高確率でハンカチを忘れる癖を思い出し、諦めるのだった。
『どした博人。何か面白いことでもあったか』
『そうじゃねえけど、こいつを返しに来たんだよ。ほれ』
『あ、そっか。ほいほい、返却ご苦労さん』
周囲にばれないよう気を配りながら、博人は懐から取り出したエロ本を机に引っ掛けてあるサクの鞄の中へと滑り込ませていった。
エロ本の貸し借りを敢えて人目の多いここでやることで怪しまれないと考えた博人の案に乗っかり、毎回こうしてやり取りしているのだ。ハイリスクハイリターンといえるが、若干М気質な博人はこれが気に入っているらしい。
友人の性癖をとやかく言う気はない冴久はいつも通りのやり取りを終えた後、椅子の背もたれに寄り掛かりながら背伸びをする。相も変わらずマイペースな姿に博人は苦笑いしていた。
『呑気だな冴久』
『お前もそうだろ博人』
『違いねえ。あ、そうだ。この前買った『戦士達の軌跡』、どんな感じよ』
『あれか。話に聞いてたけど、かなり面白いな。個人的にはifルートが特に面白れえぞ』
『ifルートか。あれか? 三連星が生き残るルートとかあるのか? ネタバレしていいぞ』
『ジャブロー堕としに貢献して、最後はルナツ―掃討作戦成功で公国軍勝利。笑っちゃうよな。しかも最後専用の豚鼻さんに乗っちゃうんだぞ』
『マジかよ。めっちゃ面白そうじゃんか。無駄遣いせずに小遣い貯めときゃよかったな~』
『忍耐力の強さが良い結果を生んだのだよ』
そんな感じのいつも通りの緩い会話を交える2人。少し前までは当たり前だったのにも関わらず、異様に懐かしく感じられた。
「なあ、博人――」
『このやろう~。早く全クリして貸してくれよ~』
『早くやりたけりゃ自分で買えっての~』
「――駄目か。まあ、聞こえるはずないもんな」
届かぬと分かっていても、サクは博人に声をかけてしまう。それが聞き届けられなかったのを目にして、心の中に寂しさが広がっていく。
気軽に好きなゲームやアニメだとかの話が出来て、エロ本の共有をしたりしていた。そんな仲の良い友人と話すことはもうできない。そこに”冴久”はいても、”サク”はもうそこにはいないのだ。
寂しさで暗くなり始めた心に、今の自分にはハクたちがいると言い聞かせて鼓舞していく。そうしている最中に、眼前の景色が変貌し始めた。
あと少しでいいから見ていたい。そんなサクの願いは聞き届けられず、一帯は真っ白な空間へと戻ってしまう。博人の肩へと伸ばした手は、何もない空虚を掴むこととなった。握った手を開いても、そこには何もない。当たり前なのだが、それこそが今の自分の心の深層を表しているように感じられた。
掴みたくても、戻りたくても、もうどうにもならない現実を突き付けられ、サクの心は揺らぐ。その揺らぎが空間に作用していき、新たな景色を形どっていった。
「こいつは……」
『毎度ありがとうございますー! 熱中症に気を付けてくださいねー!』
『ありがとうね、『亜里沙』ちゃん。また来るわねー』
『はーい! またのお越しをお待ちしてますー!』
汗ばむほどの気温の中、空調で温度管理された店内から買い物袋を手にしたお婆さんが出ていく。その後ろ姿を少女が送り出す。腰辺りまで伸ばした黒髪が特徴的な少女だった。
看板娘である少女を見たサクは、ふと上を見上げる。入り口上部に設置された看板には『倉橋』と大きく描かれていた。この店は、實本家を含めたこの町の多くの家がお世話になっている老舗の八百屋だ。
商店街にあるこの店は、数年ほど前に大改装して今風な八百屋になったのが記憶に新しい。店は新しくなっても店主や奥さん、そして看板娘である亜里沙の活気ある対応が人々から好感を得ていた。
通い慣れた店と見慣れた亜里沙の姿を見て、サクの心はさらに大きく揺らぐ。そんなサクに追い打ちをかけるように、冴えないオーラ漂わせる冴久がふらりと店内へと入っていった。
『いらっしゃい……、って、何だ。先輩か』
入ってきた冴久の姿を確認して、亜里沙の営業スマイルが愛想のない表情へと変わる。あからさまな対応の違いはいつもと変わらない。彼女に見えていないサクと、実際に店にやってきた冴久は苦笑いするしかなかった。
『常連とはいえ、その態度は毎度ながら失礼じゃないか亜里沙?』
『いや、何か、こう……。先輩なんだけど、敬う必要がないと思えるんですよね』
『結構酷いこと言ってる自覚ある?』
『あります』
『わぁ。確信犯かぁ』
『別にいいじゃないですか。今に始まったことじゃないし。それじゃ、いつものやります?』
『そうだな。んじゃ、行くぞー』
そういって冴久はズボンの後ろポケットから紙切れを取り出した。そこに箇条書きで書かれているのは料理名。それらを冴久は声に出して読み上げていった。
『ゴーヤチャンプル、回鍋肉、けんちん汁、冷ややっこの上に乗せる奴でおすすめな物』
『ゴーヤに、實本さんちの場合は玉ねぎと人参。キャベツにピーマンと長ネギ。大根、ゴボウ、里芋、しめじ。冷ややっことなると、旬のミョウガなんてどうです?』
『それで頼むわ』
『分かりました。お代は……、こんな感じですね』
『んじゃこれで』
『ありがとうございます。これお釣りです。パパっと入れますから、ちょっと待っててくださいねー』
『了解ー』
各料理に使用する野菜を亜里沙が列挙し、必要なお代を電卓で素早く計算。必要額を渡して釣りを差し出したら、冴久が財布をズボンにしまう間にビニール袋に購入物を入れていく。常連である冴久と亜里沙がいつもやっている高速購入劇だ。
まだ亜里沙が小学生の頃はあたふたしながらやっていた姿を覚えている。高学年になってからは手際がよくなり、中学生になった今では止まることなく進めるどころか、おススメを推してくるほどになっていた。
お遊びであり、暇つぶしとして始めたこの一連のやり取り。懐かしく思えたサクは相も変わらず冴えている無駄のない亜里沙の思考と動作を見て小さな笑いを漏らしてしまった。
『はい、こちらになります』
『ありがとって結構重いな』
『それぐらい普通ですよ。先輩が非力なだけです』
『そうかい。まあ、ありがとうな。またよろしく頼むわ』
『ありがとうございましたー』
『棒読みヤメロー』
『あざっしたー』
『短縮もヤメロー。それじゃあなー』
『はーい。また今度ー』
軽いやり取りを終え、冴久は店を出ていく。先ほどのお婆さんとは違い、亜里沙が店外まで見送ることはない。雑に扱われることに慣れてはいたが、第三者視点から見ると結構な扱いを受けていたのだと今になってサクは理解するのだった。
「――あれ」
亜里沙とのやり取りを見て口元を緩めたサクの視界がぼやける。立ちくらみか何かとも思えたが、違うようだった。
「マジ……か。ああ、くそ。結構ダメージ大きかったか……」
サクは、知らず知らずの内に瞳を潤ませてしまっていた。生成され始めた涙がそれ以上増えるのを抑えるべく、商店街の上部を覆う天井へと向けて顔を上げる。
当たり前がそうでなくなる空しさ。心のどこかで楽しんでいたほんの些細なやり取りができない悲しみ。それらの感傷によって、サクの心は少しずつすり減っていた。
――早く。早く。早く。
とにかく早く、目が覚めてほしいとサクは願う。故郷を想う心が見せてしまっているこの夢は、サクにとって苦痛でしかなかった。
揺れるサクの思いに呼応するかのように一帯の空間が再び歪み、形を成していく。新たに出来上がった空間に、サクは思わずたじろいでしまった。
「――俺んちか」




