36 大きな木の下で
※
「……」
無言で手のひらを凝視するサク。先ほどまでの女体の生々しい感触が残っている。ハクたちとの触れ合いとは一線を画すニーアとの入浴はトングの景色同様、永遠にサクの心の中に刻まれることとなった。
本番行為には及ばなかったものの、夢のようなひと時だった。いや、本番行為がなかったからこそ、良かったのかもしれない。というか王女様の妹とこんなけしからんことをしていいのか。知られたら親族に殺されそうな気がしてきたサクは身震いしてしまった。
そんなことを考えながらサクは鼻の下を伸ばしつつ物思いにふけっていると、着替え終わったニーアが背後から抱き着いてきた。風呂から上がったばかりのポカポカしたニーアの体温を感じ、サクは静かに内股になる。
「お待たせ。それじゃ、夕飯前の散歩に行こうか」
「お、おう。アイリスたちは連れて行かなくていいんだな?」
「うん。2人っきりで行きたいからね」
背から離れたニーアは部屋の鍵を持ち、先に扉の方へと向かった。部屋の中の確認を終えたサクが扉の方を向くと、楽しそうにこちらに手招きをしているニーアの姿があった。
「早く早くー」
「分かってるって」
それに応えて急ぐサク。外に出たところで素早く鍵を閉め、切り株の方へと向かう。
切り株がやってくる場所までたどり着くと、壁に描かれた下を表す記号の穴から伸びていた紐をニーアが引っ張った。すると、しばらくしてから下降してきた切り株が目の前にまでやってきてくれた。
どういった原理で呼んでいるかが気になるが、今はとりあえず考えないことにしたサクはニーアとともに切り株へと乗り込んだ。1階にまで移動していく中で、点にしか見えなかった人々の姿がはっきりとしてくる。こうして風景を眺めていると、このホテルに使われている大木が圧倒的に大きいことを改めて理解できた。
地上に到着し、サクはニーアに手を引かれて切り株から降り立つ。背後で切り株が呼ばれた階へと移動していくのを感じながら、自然豊かな街への散策へと乗り出していった。
「うまく木を活かしてるんだな。すげえや」
「あたしも話を聞いたり本で見たりはしてたけど、実際に来たのは初めてだわ。いいところね」
「だな」
賑やかな人々の話声。木の枝から降り注ぐ光と、その隙間から入り込んでくる太陽の光が街を照らす。カメラがあれば撮っておきたいと思ったサクは、その機能を兼ね備えるものを持っていることに気づいた。
収納方陣に入れてからしばらくいじっていなかったそれを取り出す。サクの世界にて生まれた便利品、”スマートフォン”だ。ちなみにソニー製。お世話になってます。
「……だめか」
電源ボタンを押してみるが、反応がない。この異世界にやってきてから何だかんだで結構経っている。電池が切れているのは当たり前のことだった。
せめて携帯充電器を持ち歩いていればよかったとサクが心の中で嘆いていると、空いた片手で見たことのない端末をいじるサクが気になったニーアが体を寄せながら問いかけてきた。
「何それ?」
「スマートフォンっていうやつだ。”2004年製”のやつ……って言っても、分かるわけないよな」
「あ、異世界の物か。それなら分からなくて当たり前ね」
「んん? 何で異世界のものだって分かったんだ?」
「施設の中でサクの瞳を見たでしょ? あの時にあんたのことは断片的ではあるけど大体把握したからね」
「マジか。もしかして特殊能力的なもの?」
「ええ。ヴィヴィオネット家の血に伝わる『透視能力』よ。でもこの便利な能力持ってても、あたしあんまり魔法使えないのよね」
「ほへー」
驚くべき事実を知りながらも、サクとニーアは街の中を歩いていく。どうやらサクの性分も理解しているようで、可能な限り人の少ない道を歩いてくれているようだ。
それに感謝しながら歩き続けていると、木々の間から入ってくる光が徐々に赤くなり始めていることにサクは気づいた。もう少しで夕刻。それに合わせて大木の枝から発せられる光も少しずつ弱くなってきていた。
温かな雰囲気が、しんみりとしたものへと変わっていく。それでも悪い感じはしない。どちらかというと、落ち着いた大人の街へと様変わりしているようにサクは感じた。
そんな中を進んでいくうちに、サクとニーアは公園にたどり着いた。多くの木製の遊具が存在していたが、夕刻であるため子供たちは自宅へと戻っていったようで、とても静かだった。
誰に邪魔されることもなさそうなこの久々の雰囲気に、サクは心の中で飛び跳ねていた。やはり、こういった静かな空間こそが自らが生きるのに最適だとサクは確信していた。
ニーアはサクを連れて公園のベンチに一緒に座る。上空を見上げると、木々の光と隙間から漏れる夕日の光が絶妙に混じり合い、絶景が出来上がっていた。その光景にサクが心を奪われていると、ニーアが口を開く。
「ねえサク、数日しかまだ経ってないと思うけど、この世界のことどう思う?」
「唐突な質問だな。んー。俺は今のところ好きだぞ。まだ上辺だけで、裏側に関しては全く知らないけど、少なくとも俺の世界よりも平和なような気がするからな」
「……そう、よかった。あたしも好きなんだ、この世界」
そういってニーアは感慨深そうな表情をして上空を見上げていた。何かを考えているような様子が気になり、サクの方から話しかけてみる。
「何かでお悩み? やっぱ王女の妹となると色々なことがあるんだろうな」
「まあね。でも止まることは出来ないわ。あたしたちの行動は、多くの人に影響を与える。あたしたちが踏みとどまれば、必然的にその人たちに悪影響がでるからね」
「んんー。ちょっと難しそうな臭いが漂ってきたな」
「あ、ごめん。相談相手になってほしいとは思わないから大丈夫よ」
「確かに、俺如き存在にその悩みは壮大すぎる気がする」
「さっきも言ったけど、あんたのことは把握してる。巨乳好きの変態紳士で、やるときには頑張る人間だってね」
「……褒められてるのか、罵られてるのかわかんねえや」
なんとも言えない指摘にサクが苦笑いする。その様子を見て、ニーアは笑っていた。
「それと同時に、あんたには上に上り詰めようとする欲と他人を見下す心がないことも分かった。だからこそ、恩を返したいし、一緒にいたいと思ったの」
「ほーん。となると、ニーアの周りには俺とは反対の欲まみれの人が多かったんだな」
「それで合ってるわ。疲れちゃうのよ、この能力のお陰でそういうのが見えちゃうから。サクと一緒にいると、気が楽でいいわー」
「癒しになれるんだったら、喜んで協力するぞ。逆に言えば、それぐらいしか俺にはできないけど」
「……ありがと。ねえ、もしあたしが国に戻っても、会いに来てくれる?」
上空から視線をサクに移したニーア。先ほどとは全く違うその寂し気な顔。サクはそんな彼女を元気づけるように笑顔で答える。
「呼ばれたら可能な限り行くぞ。あ、でも移動にはたぶんハクに協力してもらうかも。ハクが一緒でも問題ないか?」
「問題ないわ。恩人のサクが来てくれるだけでも嬉しい」
ニーアの表情は見慣れた笑顔へと変わる。笑顔が圧倒的に似合う女性だとサクはそれを見て実感していた。
その後、サクとニーアは散歩を再開した。人が徐々に減っていく中、2人は幻想的な街のまだ見ていない部分を歩いて回った。
ニーアと手を繋ぎながらの散歩はとても楽しかった。それでも、空腹を忘れることができないようで、2人の腹の根がほぼ同時に鳴り響く。
「……そろそろ戻るか」
「そうね。私も久しぶりにまともなご飯を食べたいわ」
そういうと2人は、来た道を引き返すことにした。道中において民家やお店からの美味しそうな臭いがしたために、夕飯のことでサクは頭の中が一杯になっていた。
お気楽なその思考をニーアは能力を駆使して読みとる。嘘偽りのない楽しそうな感情を見たニーアの顔には、自然と笑みが浮かんでいた。地獄から救い出してくれただけでなく、日常の苦しみからも解放してくれる。ニーアとって、サクは救世主ともいえる存在だった。
ニーアがそういったことを考えているなど知らないサクは、夕飯のために歩を進めていく。元気なその様子を横から微笑みながら見守るニーアは、心弾ませながら進んでいった。
ほどなくして、2人はホテル近くへと到着した。部屋へ行くために切り株が来てくれる場所へと向かっていく。最後にもう一度ここからの景色を目に焼き付けようとおもむろに上空を見上げた、その時だった。
「……?」
一陣の風が吹いた。それに乗り、キラキラと輝く小さな何かが飛ばされてくる。ひらひらと舞い落ちてくる何かは木の葉のようだった。発光する不思議な木の葉にサクは目を奪われてしまう。
進む2人を追うような軌道で落下してくる木の葉。輝きを散らしながら木の葉は、何とニーアの頭に奇跡的に乗っかるのだった。
「――あ」
「ん? どうしたの、サク?」
「ニーアの頭に光る葉っぱが落っこちた」
「葉っぱ? 頭に?」
「うん。頭に」
「どれどれ……。ん~……? 何にもないっぽいけど」
「あれ? じゃあどっかに落っこちたのかな?」
「じゃないかしら。それか、木から出る光の一部と見間違えたんじゃない?」
「そっか。まあ、いいか。ニーアに異常がないなら、気にするほどのことでもないかもしれないしな」
「そういうことね。さ、早くお夕飯食べに行きましょー」
「そうだなー」
大事ではないと結論を下したサクは、気にすることなくニーアと共にやってきた切り株へと乗り込む。2人を乗せた切り株はゆっくりと目的の階層目がけて上昇していった。
2人の姿が上階へと消えていく中、ホテルの入り口付近に息を切らしたものが数人たどり着いた。双眼鏡を首に下げた彼らは全員同じ制服を着こんでおり、何処かの職員のようだった。
「――はぁ、はぁ。どうだ、見つかったか」
「だ、駄目です。やっぱり、見当たりません」
「この様子だと、落ちちゃったんじゃないですかね」
「悔しいっすね、『会長』」
「そうだな。歴史的瞬間だったが、まさかこんな形で終わってしまうとは……」
数人の中でも一番年齢を重ねていると思われる初老の男性は、非常に悔しそうな顔で上空を見上げる。その姿を見て、周りの者たちも同様に落胆していった。
行き交う人たちの中でも目立つ彼らは、多くの者から視線を集めていた。不思議そうに見る者が大半であることから、彼らは街の人々にとって見慣れた存在であり、不審者ではないのが分かる。
初老の男性は沈み切った思いにけじめをつけるべく、暗い思いをため息に乗せて吐き出す。気を持ち直した彼が周囲の者たちに声をかけようとしたところで、異変に気付いて駆け付けたホテル従業員の1人が声をかけた。
「どうされたのですか? 何か事件でも?」
「ああ、お騒がして申し訳ありません。ちょっと色々ありまして……」
「『神木保全会』の会長様と皆様が何故このようなところに?」
「実は、数刻前に突如神木に『輝葉』が発生したんです」
「『輝葉』が!? 毎年春の一日にしか発生しないもののはずですよね!?』
「ご存じのとおりです。記録上その日以外に発生したことがないため、観察を進めていたのですが……」
「……まさか」
「ご想像の通りです。風にあおられて飛んで行ってしまったんです」
「そう、でしたか……」
「すぐに追いかけましたが見失ってしまい、落下先だと思われるここまで来たのですが、手遅れだったようです。無念です」
悔し気な表情を浮かべる会長は、自分たちがやってきた後方へと視線を移す。そこにあるのは、サクが気になって仕方がなかった街一番の巨木の姿があった。
『輝葉』と称される特異で希少な物。それが流れ流れてニーアの頭に落ちて消えたことなど、彼らは知る由もないのだった。
「設定に関して」
サクが以前にいた世界においてはスマホが早い段階で世界に普及しています。
かといって少し技術が進んでいるだけで、現実世界とほとんど表面上で変わった所はありません。




