25 長風呂には注意しよう
「駄目だろハク。風呂に入る前に体を洗わなくちゃ」
「あ、そうだった!」
「仕方ないわね。私が洗ってあげるわ」
「洗ってくれるの?」
「そうよ。だからこっちにいらっしゃい」
「わ~い!」
サクの腕の中から離れたハクは笑顔のまま湯船から上がり、アイリスの前に座った。ワクワクしながら待っているその姿はとても可愛らしい。
どうやら姿が変わるとそれに応じて精神年齢も大きく変わるようだ。今のハクの言動からは、サクよりも大きくなった時の艶めかしさが全く感じられなかった。
一度しまった入浴用品を取り出し、アイリスは丁寧な手つきでハクの髪を洗い始める。まるで子に接する愛情たっぷりの母のような雰囲気を醸し出していた。微笑ましいその光景をサクは湯船から見守る。
「アイリス、じゃなかった、ママ!」
「もう私たちしかいないからアイリスでいいわよ」
「分かった! アイリス髪の毛洗うの上手~!」
「ありがと。どこか痒いところはある?」
「んー、ほっぺ!」
「あ、ごめんね。頭で痒いところはある?」
「ないよ~」
「分かった。……よし、流すから目と口を閉じておいて」
「うん!」
元気な返事の後、ハクは目と口をしっかりと閉じた。アイリスは綺麗な銀髪についた泡をシャワーで洗い流していく。
そのほとんどを流し終えたところで、浴室の扉が僅かに開いた。その隙間から、カーラが申し訳なさそうな表情で顔を入れてきた。
「ごめんなさいサク~、アイリス~。止めようとしたときにはもう遅かったの~」
「まあしょうがないわ。来るとは思ってたから。はい、終わったわよハク」
「ん! ありがとうアイリス!」
「次はコンディショナーね。その後体もパパッと洗っちゃうから、もう少しの間大人しくしてくれる?」
「分かった!」
「あらあら~。本当にお母さんみたいですね~。私も洗ってもらおうかな~」
「ストップだカーラ。これ以上増えたら狭くなるし、俺の精神と体がもたなくなる」
「そうですか~、残念です~。それじゃあ私は飲み物でも用意しておきますね~」
フワフワとした笑顔を浮かべたカーラは、顔をひっこめると浴室の扉を閉める。その足音は飲み物を用意するために部屋の奥へと向かっていった。
それなりの長風呂になっているし、興奮の連続のためかすでにサクの体はかなり温まっていた。風呂から出たらキンキンに冷えた氷水か瓶詰の牛乳あたりが飲みたいと思いながら、目の前の和やかな光景が終わるのを十分すぎるほどに火照った体で待ち続けていた。
カップラーメンが2つぐらい出来上がるのと同じくらいの時間で、アイリスは手早くハクの残っていた部分を洗い上げた。見事な手際にサクは湯船から拍手を送った。
「サク! 終わった!」
「よし、じゃあゆっくりと入っておいで」
「うん!」
嬉しそうにしながらハクは言われた通りにサクの隣に入った。楽しそうにサクの腕に抱き着くハクを見たアイリスは、入浴用品をしまい終えると立ち上がる。
「それじゃ、私は先に出るわ」
「おう。ハクのこと、ありがとうな」
「ありがと~!」
「どういたしまして」
そういってバスルームの扉を開いたアイリス。その表情は笑顔だったが、どこか残念そうな感じを漂わせていた。最後にサクとキスができなかったのが心残りのようだった。
無邪気にじゃれるハクをなだめながら、申し訳ないといった感じの視線を送るサク。それを見たアイリスは静かに頷いてバスルームを後にした。
「サク~!」
「ん? どうしわっぷぁ」
「そーれ、そ~れ!」
「うわっぷぁ。やったなハク。お返しだオラオラぁ!」
「きゃ~!」
互いの顔めがけてお湯を掛け合う。これから先のハクの勢いはすさまじかった。寝ていたためにエネルギーが全回復したようで、全力全開、元気溌剌といった感じで湯船の中でサクと戯れた。
お湯をかけあったり、どちらが長く湯の中で息を止めていられるか、手を使った水鉄砲を教えてどちらが壁の高いところまで湯を飛ばせるか等々、サク自身もとても楽しんでいた。一通り遊んだところでハクが何か話をしてほしいといったので、子供向けの童話としては鉄板であろう『桃太郎』の話をしてあげた。
サクの口から語られる異世界に伝わる未知の物語に、興味津々な様子でハクは耳を傾けていた。その姿を見て、子供の頃父親と一緒に風呂に入ったときにこれを話してくれた情景がサクの脳内に浮かぶ。父親もこんな幸せを感じながら話してくれていたのだろう。そうしみじみと考えながらも、サクは精一杯面白おかしく話を進めていく。
こちらの動きに対し、楽しそうに反応してくれるハクが可愛くて可愛くてしょうがない。気付けば話はあっという間に終わり、めでたしめでたしとなったところでハクは嬉しそうに拍手していた。
「面白かった! 強いねモモタロー!」
「楽しんでくれて何よりだ」
「ねえ、他にはどんなお話があるの? 聞いてみたい!」
「そうだな、となると一寸法師とか――」
「サクー? もう結構時間経ってるよ。そろそろ出たらー?」
「おおっと、マジか」
心配したアイリスが脱衣所の方から扉越しに話しかけてきた。体感的には全然時間は経っていないように感じていたサクは、ハクに話しかける。
「んじゃ、そろそろ出るかハク」
「えー。お話はー」
不満げに唇を尖らせ、頬を膨らませるハク。可愛らしいその姿に心を奪われながらも、サクは優しく頭を撫でてあげた。
「また今度にしよう。これからも一緒にいるんだから、話す機会はいつでもあるだろうしな」
「……うん。分かった」
渋々ながらも納得してくれたハクは、先に湯船から出ると扉を開けた。その先でバスタオルを広げて待ち構えていた寝間着姿のアイリスが、優しくハクを包み込んで髪の毛を拭いてあげている。
もう完全にお母さんである。アイリス自身もそれにノリノリであることにサクも気づいていた。和やかなな光景を目の当たりにしていると、冴えない顔にも笑顔が浮かぶ。
湯船から出て、独特の浮遊力から解放されたその足を床につけた。その時、サクの体を異変が襲った。
「んおおっとおぉ?」
視界が揺らいでいる。いや、正確には体がまともに立っていることが出来なくなっていた。ふらふらになりながらも、何とか脱衣所の方へと歩を進めるために前を見据えようとするが、焦点が定まらない。
どうやら、のぼせてしまったようだ。竜であるハクに合わせて風呂に入り続けていたのが間違いだった。限界を超えていた体に鞭打ちながら、必死に歩こうとする。
「サク!?」
「サク、無理はしないで。声のする方に倒れて」
「お、おおう。だけどその声が四方八方から聞こえてくるんだけど、どうすればいい?」
驚きの声を上げるハク。それとは違ってアイリスが冷静に指示を出してくれるが、2人の声がのぼせたサクにはどこから聞こえてくるのか分からなくなっていた。
真っ赤になってふら付くサクは今にも倒れてしまいそうだった。もうバランスが保てないと確信したところで、アイリスの力強い声が響き渡る。
「前に倒れて!」
「ふぁ、ふぁ~い」
気の抜けた返事をしながらも、サクは前方だと思われる方向に倒れた。すると、その体をアイリスが広げたバスタオルで受け止めてくれた。
柔らかなそれに包まれながら、耳元でハクが心配そうに何度も呼びかけてくるのを聞きつつ、サクはゆっくりと気を失っていった。
◆
「――んん? どこだ、ここ?」
真っ白な空間にサクは立っていた。見渡す限り真っ白で何もない。殺風景極まりないここにいるのは、サク1人だけ。
のぼせて気を失ったことは覚えている。ともなればこれは夢か。だが、前と違って交差点で立っているわけではない。一体ここは自分にとって何を意味しているのか。
様々な疑問が生まれたが、それに応えてくれる者はいそうにない。とりあえずサクはその場から動いてみることにし、静かに一歩を踏み出した。
「!」
その一歩が地面に着いたとともに、真っ白な空間が一瞬にして変化を遂げた。サクは、とある大きな教会の大聖堂のような場所に立っていた。
突然の変化にビビって動きを止めるサク。周囲を見渡してみるが、たくさんいる人たちがこちらに気づいている様子はしなかった。全ての人が、奥にある祭壇の方へと頭を下げている。
祭壇ではクリーム色の髪の毛が特徴的なスーツに似た礼服姿の男女と、純白のローブを着た少女がいた。その少女の頭には、『狐』のような”大きな耳が生えていた”。
狐耳の少女が巨大なステンドグラスの方へと向いた。そのステンドグラスには、神様的な何かが中心に存在している。少女が手をかざすと、ステングラスから伸びた光が少女のみを照らしあげた。
何がなんだか分からないが、カルト的な恐怖を感じたサク。この先がどうなるか気になりはしたが、畏れからこの場から逃げようと一歩後ろへと下がってしまう。
その直後、再び空間に変化が起こる。
「あれ? ここって……」
再び一変した空間。そこに広がっていたのは、親の顔と同等に見慣れた風景だった。
「『高天望町』……だよな。銀杏臭くなるこの道ってことは、商店街の近くか」
サクが以前住んでいた元の世界であり、故郷。北関東の北端の山沿いに存在するすごいド田舎な町だ。よく東北と間違われることもしばしばある。
少し前にはいたはずのそこがとても懐かしく感じられたサクは、ゆっくりと周囲を見渡す。何も変わっていないそれを見て、安堵のため息を漏らした。
しかしながらまた何でこんなところに。そう思っていたサクの体を通り抜けて、仲良さげに2人の下校途中の男子中学生が歩いていく。通り抜けていったことに驚くサクだが、そのうち一人には見覚えがある。近所に住んでいてたまに話すことがあった。
確かエロ本を貸し出していたはずで、某最強の決闘者の声優を務めた芸能人と同じ苗字だったはず。だが、名前が思い出すことができない。確か某テレビ局の刑事ドラマの紅茶が好きな登場人物と似ていたはずだ。
中々名前が出てこないもどかしさに悶々とするサク。そうする間にも男子中学生は離れていってしまう。完全に思い出せていない状態だったが、サクは思い切って声を出すことにした。
「『風間』……、そうだ、『雨京』! 『風間 雨京』! 『初回限定版DVD付き・コスプレ乱れ裂き総集編』返してくれ!」
夢の中であるのにも関わらず、返してほしかった秘蔵の本の名を叫びながらサクはその背に追い付こうと走り出した。
その手を遠ざかっていく背に向かて伸ばす。しかしながら、それが届くことはなかった。
「あ」
数歩踏み出したところで景色が変わり、走り出したことによってすさまじい勢いで空間が歪んでいく。驚いたサクがその足を止める。ぐちゃぐちゃに混ざり合う空間は、とても気持ちが悪かった。しばらくしてようやく安定してきた空間は、賑やかな空間へと様変わりした。
サンバを踊る派手な衣装に身を包む美女たち。サクを取り囲むようにして踊る彼女たちに戸惑いつつも、揺れ動くその大きな胸に視線がいってしまう。
よく分からない状況ではあるが、これは中々にイイ。眼福、眼福。そう思いながらサクが鼻の下を伸ばしていると、彼女たちの間からタキシード姿の男性が近づいてきた。
「ようこそ夢の中へ! 楽しんでいるかな、サク君!」
「うわあ。夢の中で夢楽しんでるとか言っちゃっていいのかよ」
「もちろん! これは君の夢だからね!」
鼻下のちょび髭がトレードマークっぽい男性はそういって高らかに笑う。明るい様子は見ていて面白いが、これと話続けるとなると冴えないサクには苦痛としか思えなかった。
周りは最高だが、この男と一緒にいたくはない。そう思っていると、必要のない自己紹介を男は始めた。
「私は『エロ=ボウォン・ズッキー』! よろしく!」
「ちょっと、名前酷すぎない?」
「この名を考えたのは中学2年生の時の君だぞ♪」
「中2の俺ェ……」
雑すぎる名を考えた中学2年生の自らを心の中で呪うサク。あの時に考えていなければこんな奴が夢で出てくることもなかっただろうに。
過去の自分と目の前のズッキーに嫌気がさしたサクが後方を振り向いて走り出そうとしたとき、それを突然現れた男が遮る。
「やあ! 性生活をエンジョイしているかい? サク君!」
「同じ顔!?」
「来てくれたかエロ=ボウォン・ズッキー『二世』!」
「二世!? ちょっと待った、もしかしていっぱいいる系か!?」
「その通り!」
こんなのがさらに増えるとか地獄でしかない。本格的に中2の自分を呪い殺したくなってきていると、美女をかき分けて3人目が現れる。
「お~れはエロ=ボウォ~ン・ズッキー『三世』。よろしくな~サク~」
「その某パンチ先生の天才怪盗っぽいしゃべり方止めろぉ! 失礼だろうが!」
容姿もどことなくそれに似せてきた三世にたいして突っ込みを入れるサク。息を切らしていると、凄まじい嫌な予感がサクを襲う。
美女の間から、まだ離れてはいるがタキシード姿の存在がこちらに向けて近づいてきている。これに周囲を囲まれることを想像したサクは顔をひきつらせた。
どうすればいい。どうすればこの悪夢は覚める。一体何をすれば。
「君が大好きな巨乳美女とともに、この夢の中で私たちと一緒に楽しく過ごそう!」
「なんなら一生ここにいてもいいんだゾ♪」
「大勢の美女と君が思い描いた”私たち”! これほどに愉快なことはないはずサ!」
「「「「「「「「「「さあ、心地よい夢の中でしゃべり明かし、楽しく踊り続けよう!」」」」」」」」」」
「嫌だぁぁあああ! 早く起きろ俺えええぇぇぇ! 助けてくれええぇぇ、ハクううぅぅ!!」
のぼせて気を失った結果がこれ。まるでこれまで冴えてる生活を送っていたことを罰するかのような状況だった。
多くのズッキーと美女に囲まれるというわけの分からない悪夢の中で、サクは現実の誰にも届かない女々しい絶叫を轟かせるのだった。




