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異世界の記憶:冴えない愛・輝く愛  作者: 田舎乃 爺
第二章 そうだ首都、行こう
30/264

23 いい湯だな

 ベヒーモスと遭遇するといった予想外の出来事があったものの、サクたちは夜のロメルへと到着した。眠ったままのハクを背負ったサクは、アイリスたちとともに以前泊まったホテルへと向かった。

 自宅で帰宅を待ち望む人のために帰宅を急ぐ男性や女性。通り過ぎていくその背を見ながら、サクたちは街の中を進んでいく。歩いていく中で、夕飯のものだと思われる良い香りがしてきた。それを嗅ぎ取ったサクの腹の音が鳴る。

 昼食をそれなりに食べたとはいえ、こうした臭い嗅ぐと腹が減ることがよくあった。それのせいか学校の帰り道で買い食いをした結果、小遣いがそれなりの勢いで消えていくのがサクの悩みの1つだった。

 そんなことを考えていると、故郷である田舎町の老舗の肉屋でよく買って食べたハムカツを思い出して再びサクは腹の音を鳴らした。結構大きかったそれを聞いたアイリスとカーラが隣で笑っていた。



「……サクぅ?」


「おう、起きたか。このままおぶったままの方がいいか?」


「ん……」



 目覚めたとはいえまだ寝ぼけているハクは、サクの問いかけに小さく頷くとともに返事をした。出来るだけ早くふかふかのベッドで眠らせてあげたいという己の中の父性がサクの足を速めていく。

 営業時間が過ぎて所々の店が閉まり始めた商店街を抜け、すぐ近くにあったホテルへとサクたちは到着した。受付で出迎えてくれたのは女性従業員。案の定アイリスとカーラを見た後にサクを一瞥し、一瞬顔をひきつらせた。もはや恒例行事になりつつある現象に、サクは突っ込む気すら失せ始めていた。

 時期的に旅行客も少なく、尚且つこの前のアージュの一件があったため、4人が一緒に泊まれる部屋はあるはずだと予想していたアイリス。そのために事前に予約はしていなかったが、それが裏目に出てしまった。



「……そうですか。分かりました。それで充分ですので、よろしくお願いします」


「かしこまりました」



 フロントから少し離れたところで様子を見守っていたサクたちのもとにアイリスがやってきた。その手の中には、鍵が2つあった。



「誤算だったわ。例の商会がこのホテルの大半にもう入ってたみたい」


「例の商会?」


「ブレーム商会よ」


「マジか。てことは今ブレームやガルムもいるってことか……」



 自らに救いの手を差し伸べてくれた存在が今このホテルにいる。早くも訪れた礼を言う機会にサクが嬉しさ半分驚き半分といった表情を浮かべていると、目の前でアイリスはため息をついた。



「まあ、仕方がないことね。大部屋は取れなかったけど、何とか2人部屋が2つとれたわ。夕食も、それぞれの部屋で食べることになりそうね」


「じゃあ別れる必要があるか。となると、組み合わせはどうする?」


「そうね、どうしましょ……」



 そういって悩み始めたサクとアイリス。だが、カーラはアイリスが少しそわそわしながらもサクを何度も横目で見ていたのを見逃さなかった。ここぞといったところで積極的になれないアイリスを後押しするために、カーラが先手を打った。



「じゃあ私とハクが一緒の部屋になりますね~。良い機会ですし、ここで2人っきりの夜を過ごすのもいいと思いますよ~」


「ちょ、わ、私がサクと一緒!? そんなの……」


「嫌なら私が一緒にさせていただきますよ~?」


「……分かったわ。私が一緒の部屋になる。サクはそれでいい?」


「お、おう」



 頬を染めたアイリスにサクは少しドキドキしながらも答えた。何だかんだいってアイリスと2人きりで過ごすのは初めてだった。

 寝ぼけているハクをカーラに預け、サクとアイリスは先に階段を上る。背にあった温かみを失ったことを残念に思いながらも、アイリスと二人きりになることに動揺して鼓動を高鳴らせながら一歩一歩進んでいった。

 もしかして、アイリスともそういうことになるのか。だが、昨夜の理性の早期帰宅を考えればそうはならないはず。そうであるはずなのに、アイリスとそういうことをすることを想像してしまったサクの体温は上昇し、股間部分は甘硬くなってしまっていた。

 何か。何でもいいから。気分を紛らわせたい。緊張と動揺でどうにかなってしまいそうなサクは、周囲に救いがないかすがるような思いで目を走らせる。その視界に救いとなる物は捉えられなかったが、代わりにとあるものが耳に入り込んできた。



「――ぉぉぉう!!」


「おぉーら、おらおら~。じゃんじゃん飲め飲め~」


「社長のおごりだ~! 盛大にかまそうぜー!」


「……この声は、ホールからか」


「そうみたい。商会が宴会でもやってるのかしら」



 3階まであと少しといったところで、大勢のうかれた騒ぎ声が聞こえてきた。時間からして夕食の頃合いだが、他にすれ違う人が全くいない。どうやらホールを貸し切って派手にやっているようだ。

 これ以降の動向を議論している活気のある声もあるが、大半は酔っぱらった者が気の向くのままに語り合っているようだった。やかましいことこの上ないが、その中にはブレームがいるはず。救いを得たサクは、気を紛らわすことも兼ねてアイリスに告げた。



「すまん、アイリス。ちょっとホールに行ってみていいか」


「いいけど、大丈夫? 変な絡まれ方とかしないかしら」


「例の件のお礼を言いたいんだ。パパっと済ませるから、ここで待っててくれ」


「そういうことね。分かった。ここで待ってるわ」


「それじゃ~、私とハクは先に行きますね~」


「おう。ハクをよろしくな、カーラ」


「はい~」



 先に部屋へ行くために階段を上るカーラと階段のところで待機してくれているアイリスに手を振り、サクは足早に廊下を進んでホールを目指した。

 お礼をするという目的のお陰で緊張を紛らわせることができたのは僥倖。このまま行けば落ち着いた心境で部屋へと行けるはず。進むサクの内心は、ブレームたちへの感謝で溢れそうになっていた。

 そしてサクは締め切られているホールの出入り口である扉近くまでやってきた。どうやって中へ入るかを模索し始めた直後、サクの眼前で勢いよく扉が開いた。



「うおぉっと!?」



 扉が鼻先を掠め、危うく強烈な一撃をくらいそうになったサクは驚きの声を上げてしまう。その間に扉を開けた誰かはふらふらとした心もとない足取りで壁へと向けて進んでいった。

 左手に酒が入っていると思われる瓶を重々しくぶら下げ、空いている右手を壁に当てて全体重を支える。少々苦しそうに見えるその誰かに、サクは見覚えがあった。



「……ガルムか?」



 恐る恐るサクが問いかけたことは当たっていたようで、呼ばれたガルムは背を向けたままゆっくりと頭を上げた。そのまま振り向くかと思ったが、左手の酒瓶を傾けてグイっとその中身を喉へと流し込んだところで下を向いてしまう。

 こいつは相当酔っているようだ。扉の向こう側のホールからも酒臭さは漂ってくるが、目の前のガルムからも相当な臭気が漂っている。声をかけるのは得策ではないと思えたサクは悩み、階段の方へとじりじりと逃げるように足が一人でに動いてしまっていた、その時だった。



「――どこもかしこも、酔っ払いばかりだ……」


「が、ガルム?」



 酒気を多分に含んだ吐息を漏らしながら告げたガルムは、ゆっくりと顔を上げて背後へと振り返る。真っ赤になっているガルムは今にも倒れそうな虚ろな目でサクを見据えた。



「……貴様も、どうせそうなるのだろう?」


「いや、俺未成年だから酒は飲めないんだが」


「匂い立つなぁ……」


「すごく酒臭いぞお前」


「堪らぬ酒で誘うものだ……」


「俺は酒類は持ってないぞガルムー」


「えづくじゃあないか……」


「え? マジで? 吐きそうなの? トイレ連れて行こうか?」


「ハッハッハ……。ハッ、ハハハっ……」


「……駄目だこりゃ。完全に悪酔いしてんな。大丈夫では……、ないよな。どうしたもんかね」



 サクの言い分に一切耳を貸さないガルムは、訳の分からないことを言い、楽しげに笑う。少々どころか結構不気味なその様にサクが心配しつつも慄いてしまっていると、背後からやかましい声が轟き渡った。



「おぉー!? おいおい、マジかよ! サクじゃあねえか! 奇遇だなオイ!!」


「この声はブレームぅっとぉ!?」



 耳がキンキンするほどの声量を発していたのはブレームだった。振り返って挨拶をしようとしたサクだったが、それを遮るような形で結構な勢いのままブレームは肩に手を回してきた。

 結構な体格差があるにもかかわらずブレームが全体重をかけてきたために、サクは大きくよろめいてしまう。すぐ真横にある赤い顔からは凄まじい酒気が放たれており、近くにいるだけで酔ってしまいそうになるほどだった。

 何とか踏ん張って倒れることだけは避けたものの、未だに体重をかけてきているためにバランスが取れずにサクはふらついてしまっていた。そんな状況を泥酔したブレームは楽しんでいるようだった。



「なんだよフラフラじゃねえか~! お前も結構飲んだ口か~?」


「いや、ブレームが寄り掛かってきてるだけだって!」


「ん~? そうか~? 俺そんなことしてる~?」


「だぁっ!? 酒臭ッ! どんだけ飲んだらこうなるんだよ!」


「持ち込んだ大樽1つ丸々空けたぐらいだから、まだまだこれからよ! お前も飲むかサク?」


「いや、俺未成年なんだけども」


「未成年? なぁに言ってんだよ。飲酒は15超えたら大丈夫だって法律でも定められてんだ。お前も見た目からしてもう15以上だろ?」


「マジかよ、ここの常識だと15から飲めんのか」


「そうそう、その通り! さぁ飲もうぜ~! ガルムもここにいる幸運を呼ぶ守護騎士様に何か言ってやれ~!」


「俺も昔はお前のような守護騎士だったが、膝に矢を受けてしまってな……」


「え゛!? ガルムって昔守護騎士だったのか!?」


「んなわけあるかーい。こいつは首都魔法大学卒業直後に俺が引き抜いたんだっての~! こいつ酔うと訳分からないこと言い出すんだよ。面白いだろ、サク?」


「いや、このレベルになるともう心配しちゃうって、ああぁもう酒臭いッ! それと重いっ! 一旦離れてくれないかブレーム!?」


「ええぇ~。そんなつれないこと言うなよ~。俺とお前の仲じゃあねえか~」


「そんなに密接な関係はまだ築けてないと記憶してるけど!? この前会ったばっかだよね!?」


「悲しいこと言うなよ~。おーい皆~! 例の守護騎士が祝いに駆けつけてくれたぞ~!」


「「「「「マジっすかぁ!?」」」」」


「やべえ!? 仲間呼ばれたぁ!?」



 決して衰えることのない怒涛の勢いに気圧されて受け身にしかなれないサク。そんな状態に追い打ちをかけるように、ブレームの呼びかけでホールの方から大勢の彼の部下たちがやってきてしまった。



「本当だ! 前見たあいつじゃん!」


「やっぱ冴えない顔してんな~!」


「あなたのお陰で私たちは大儲けよ~!」


「感謝してるぜ守護騎士様~!」


「あ、あはは。そ、そうっすか。あは、あはは……――」



 途切れることなく投げかけられる言葉の数々に、サクは苦笑いしながら答えることしかできない。多くの飲酒者に囲まれるこの状況は苦痛でしかなかった。

 普通の人間の人もいれば、モフモフな感じだったり、爬虫類っぽい人など、多種多様な見た目の人々が周囲でひしめき合っている。誰もが笑い合う様子からして人種や思想の壁などは微塵にも存在せず、非常に良い友好関係が築けているようだった。

 快活なブレームだからこそ構築できた絆重視の社風は多くの部下たちに充足感を与え、各々が有する熱量にも返還されているようだ。見ていて微笑ましく思えるのだが、現状としてはその熱が冷めてほしいとサクは願わずにはいられなかった。



「ほおぉら、大感謝サービスのハグをしたげるよ~」


「むごっ!?」



 シベリアンハスキーなモフモフおばさんが酔った勢いでサクをその胸の中へと引きずり込んだ。あばさんがちょっと太目な体故、顔だけでなく体全身が柔らかさと圧倒的なモフモフ感に包まれる。

 一瞬心地よく思えたサクだが、直後に鼻孔に入り込んだ凄まじい酒気は思考を歪ませるほどだった。おばさんの腕の中で思考停止状態に陥っていると、周囲から女性陣の笑い声が上がった。



「出たぁ! 『リラ』パイセンのお礼ハグだ!」


「止めときなよ~。美女にされるならまだしも、おばさんにハグしてもらうんじゃ嬉しくないよ~」


「馬鹿だねえアンタたち。思いは早めに伝えとかないと後で損することになるんだよ。特に若い女の子たち! 食いたいと思ったおとこは早めに食っちまいなぁ! アタシはそうして旦那を手に入れたからね!」


「肉食系発言も健在ィ! 聞いてたわね皆の衆! 私たちも頑張るわよ!」


「でも社内にはめぼしいのがいないんだけど~。そしたらどうすんのおばさん~」


「何言ってんだい。アタシらは仕事上世界を巡ってんだ。いくらでもイイおとこには巡り合えるさね!」


「それもそっかぁ~」



 ブレームに負けず劣らずな勢いを見せるリラという名のおばさんに女性陣は楽しそうな笑みを浮かべ、リラ自身も笑い返す。しかしながら、その腕の中にいるサクは笑顔どころか青ざめ始めていた。

 もはやこの状況からは抜け出すことができないと確信があるサク。最悪の場合明日の朝まで宴に付き合わされる可能性もあり。絶望にも似た感情を抱くサクを他所に、周囲の酔っ払いたちは大盛り上がりといった感じだった。

 お礼を一言告げて立ち去れると考えたつい先ほどの自分をサクが恨んでいると、ようやくおばさんは抱擁から解放してくれた。自由になった口元から多量に入り込んできた空気にむせてしまっていると、ブレームがその手に持ったグラスを差し出してきた。



「ほぉれサク。飲みかけで悪いが、一発決めて男になりな」


「いや、俺、酒はまだ……」


「固くなるなって。誰もが通る道さ。グイっといっちまいな」


「ぐ、ぐぬぬ……」



 酔っぱらっているとはいえ、ブレームの厚意を無下にする気になれずにサクは思い悩む。グラスとブレームの爽やかな笑みを視線が行ったり来たり繰り返した末、サクは恐る恐る飲みかけのグラスへと手を伸ばしていった。

 少なくとも、サクは今日まで酒は飲んだことがない。両親からも未成年の間は駄目だと禁止されている。だが、異世界ここの常識は故郷まえとは違う。郷に入っては郷に従うということで仕方ないと割り切って手を伸ばすが、内心は不安でいっぱいだった。

 苦いのだろうか。急性アルコール中毒だとかヤバいモノになったりしないだろうか。無事にいられるのだろうか。数秒すらかかっていなの僅かな時間の中でそういった疑問がいくつも浮かび上がり続けるサク。その手は、ついにグラスに触れようとしていた。



「はい。そこまで。見てられないから口出しさせてもらうわ」


「ん? 誰だ、この声?」


「社長。あそこです」


「あれは……?」



 サクの手がグラスに触れる直前で割って入ったのは、階段の方からいつの間にかここまで来ていたアイリス。非常に不機嫌そうな表情を浮かべる彼女は、サクを囲む商会の面々の外側で圧倒的な存在感を放っていた。

 ぴいりぴりとした雰囲気を撒き散らすアイリスに気圧され、皆がブレームとサクまでの道を無言で開いてしまう。その中を進んでいく間、アイリスを見た社員たちから声が上がった。



「可愛い……」


「お人形さんみたい。ヤバくない?」


「ヤバい。ちょー可愛いじゃん」


「おい。あれって、前首都行ったときに遭遇した騎士団で噂のあの例の子じゃないか」


「フォードゥン家の? なんでそんな子がここに……」



 そういった声に耳を貸すことなく、アイリスはブレームの眼前にまでたどり着いた。そしてすぐさま伸ばされていたサクの手を優しく握り、ゆっくりと下げさせる。その際に一瞬見せた柔らかな表情で、ブレームは2人の関係がどういったものかを理解するのだった。



「あんたは……、アイリス・フォードゥン少佐で良かったかな?」


「ええ。お久しぶりね、ブレームさん。お元気そうで何より」


「そいつはどうも。えっと、ちなみに何でここに?」


「ここに泊まるからよ。ここにいる守護騎士サクと一緒にね」


「ほほぉ……。ちなみにどういったご用件で?」


「とある作戦行動中の休息ってだけで、深い意味はないの。これ以上あなたたちにつき合わせてサクを消耗させたくないから、これで失礼させてもらうわ。行きましょ、サク」


「あ、ああ」



 自らの代わりにきっぱりとお断りの意志を伝えたアイリスは、毅然とした態度のまま来た道を戻っていく。可愛らしい見た目からは考えられない力強さに商会の男性陣は慄き、女性陣は尊敬と憧れの視線を向けていた。

 駄目だと言って自分から断れなかった不甲斐なさで一杯になりながらも、サクはアイリスの背を追い始める。多くの視線を浴びながら進む中、サクは危うく忘れそうになっていた最も重要なことを果たすため、振り返ってやれるだけの笑みを浮かべた。



「言語統制魔法に収納方陣、それとお金に衣類。どれも本当に役に立ったよブレーム。改めて、本当にありがとう」


「おう。また頼ってくれていいぞ。こっちもそれで儲かるからお相子様さ」


「ちなみに、何かデカい仕事でも入ったのか?」


「そりゃもう。結構な量の資材の注文が傘下の会社にあってな。明日はその会社の社長と俺たちで現地視察ってことでアルーセルに向かう予定さ」


「ああ……。なるほど。大変だろうけど、頑張ってな」


「ああ。サクも頑張れよ!」


「「「「「「頑張ってね~!」」」」」」



 アカベェでの一件がブレーム商会の役に立っていたことを知り、ありがたくとも、倒壊させたことへの申し訳なさで複雑な思いを抱くサク。そんな感情を押し殺して笑顔で手を振って去るサクに、ブレーム以下商会の面々全員が温かく送り出してくれた。

 頑張ってという声が大半だったが、中には「今夜が山だな!」、「男になれ少年!」、「女の子の勇気を踏みにじっちゃ駄目よ!」といった声もあった。自らとアイリスのその後のことを後押しする彼ら。やめてくれと本音を言いたいサクだが、その思いが酔っぱらった彼らにはとどかないことを理解していたために口出しすることはなかった。



「何者も。我らを捕らえ、止められぬのだぁ!」


「あっはっはっはっは! まぁたガルムが騒ぎながら飲み始めたぞ!」


「この酒を飲み干すのは赤子の手からスイートロールを盗むよりも簡単だ、ガボガボっ――」


「他の客の迷惑になるからホールに戻るぞお前らー! 飲み直しだー!!」


「「「「「「おおぉ~!!」」」」」」


 背後から聞こえてきた賑やかな声はホールの向こうへと消えていく。二日酔いにならないように気を付けてほしい、といった感じに心配するサクはアイリスに追い付くのだった。



「すまんアイリス。マジで助かった」


「どういたしまして。無事で何よりよ。予想通りの流れになったわね」


「厚意を無下には出来ない性質でさ」


「それでも、いやな時はきっぱり断る勇気も時には必要よ。今回は私がいたから良かったけど、次は自分で切り抜けられるようにしてね」


「ういっす。肝に銘じまっす」


「よろしい」



 先ほどまでの騒がしさが嘘のように思えるほど静かな階段を昇りながら会話を交える。あの状況から自らを救い出してくれたアイリスに、サクは頭が上がらなくなってしまっていた。

 その後、サクとアイリスは今夜止まる部屋がある階層へと到達した。ここまでくればホールの騒ぎ声は全く届いておらず、廊下は静けさに包まれていた。

 廊下を進み、ほどなくして部屋へと到着。先に中に入ったアイリスが部屋の奥へと進んでいくのを確認しつつ、サクは手前にある浴室と便所を見て回った。



「歯ブラシ有り。タオル有り。コップもあって、使い捨ての櫛も有りっと……」



 アメニティグッズに問題は無し。もちろんトイレにウォシュレットはないが、水洗式だ。ファンタジーなこの世界であれば十分な設備だ。最後に最も重要ともいえるトイレの紙の在庫があるかを確認した。公衆便所にて痛い目を見た経験のあるサクの目は特にそこに向けられていた。

 満足したサクは部屋の奥へと向かおうとしたが、その前をアイリスが遮るように立ちふさがる。一体何事かと思うと、その顔が真っ赤になっていることに気が付いた。



「こ、これは違うの! その、えっと、確認不足であって、そういうことを意識したわけじゃないから!」


「お、落ち着けアイリス。何が何だか俺にはさっぱりだぞ」


「うう……。わざとじゃないの……」


「何をそんなに……。ああ、そういうことか」



 視線を部屋の奥においてあるベッドへと移した。そこには、ベッドが2つ並んでいるのではなく、ダブルサイズといえる大きさのベッドが1つ置いてあった。

 2人部屋は2人部屋でも、こういった点を考慮して商会の人たちはこの部屋を借りなかったのかもしれない。しかしながら、今更変えてもらえる部屋もないのが現実だ。

 ハクと違ってアイリスと一緒に寝ると考えると、サクも鼓動が早くなっていく。そんなヘタレ心を押さえつけつつ、アイリスを安心させようと声をかけた。



「しょうがないって。それに、一緒に寝るって言っても別にそういうことするわけじゃないし、そこまで恥ずかしがる必要はないと思うぞ」


「……もし、したいと思ったらするの?」


「それは……、ええっと、その……」



 破壊力の高い上目遣いをくらい、サクの心臓がはち切れそうになる。昨晩もこれを見てしまい、初めて自分の理性が吹き飛んだことを思い出した。

 しかし、サクはぎりぎりでその心を抑え込む。好きであることを、愛していることを確かめるのは、お互いの体を重ねるだけではないと自らに言い聞かせる。実際、それは合っているはずだ。

 今にでも口から飛び出しそうな心臓を感じつつ、サクは真っ赤になるアイリスの頭を優しく撫でた。ハクと同じようなそれに対し、アイリス自身は嫌がるそぶりは見せない。それどころか、少し嬉しそうだった。



「するだけが愛の証拠じゃないだろ? 俺には勿体ないアイリスみたいな美少女をぞんざいに扱う気はないよ」


「……分かった。ありがと、サク」



 そういって満面の笑みを向けてくるアイリス。眩しいそれは、冴えない存在にとっては女神と称するほどに美しく思えた。

 これもあかん。破壊力高すぎるわ。気が動転した時に発生するいつもの似非関西弁を心の中でつぶやきながら、サクも笑顔になっていた。

 とりあえず一息ついたところで、サクは夕飯に関してはどうするのかとアイリスに問いかけた。すると先ほどフロントでもらった案内用紙を確認し始めた。

 前回は広いホールでのバイキング形式の食事だったが、先ほどの件の通り商会が貸し切っているために使えない。そのため、アルーセルのホテルと同様に、部屋においてある小さい鐘を鳴らせば食事を持ってきてくれるらしい。

 腹が減っていたため、手早く準備を済ませたサクとアイリスはすぐに鐘を鳴らす。少し経った後、部屋のドアがノックされた後に従業員が料理を運んできてくれた。



(あいつらではなかったか……)



 若干期待していたが、今回はあの4人組ではなかった。彼らの圧倒的な連携を目の当たりにしていたため、ここのホテルの準備の手順がかなり遅く見えてしまう。しかし、アイリス曰くあの4人組が早すぎるらしいので、これでも十分早いのだろう。

 作業を完了し、従業員は部屋を後にした。テーブルの上に並べられた温かい料理からは良い香りが漂ってくる。席に座った2人は、両手を合わせた。



「「いただきます」」



 行儀よく言ったのち、美味い料理の数々を口に運んでいく。正直に言ってアイリスおすすめの昼食と比べれば劣るが、それでも圧倒的に美味しかった。

 他愛のない話を交えながらの食事はあっという間に終わってしまう。楽しい時間が過ぎるのは早いというのをサクは今実感していた。

 エロ本を読んで自家発電をしているときの高揚感とは全く違う方向性の満足感。自らを愛してくれる存在とのひと時は格別なものだった。まだよく分からないことが多いが、自らをこの世界に能力を備えつつ送り込んでくれた存在に深く感謝した。

 鐘を鳴らし、片付けてもらっている間にサクは湯船の準備を始めた。やはり日本人であればシャワーだけでなく風呂にも入りたいと思うのは至極当然だった。

 準備が完了したところで片付けも終わって従業員が出ていった。バスルームから静かになった部屋へと戻ると、後頭部にまとめていた髪の毛をほどいたアイリスの姿があった。

 出会ったころから綺麗だと思い続けるその髪にサクが見惚れていると、アイリスは少し恥ずかしそうにしていた。



「何? 私の髪がどうかしたの?」


「前から綺麗だと思ってた。ちなみに親の遺伝なのか?」


「うん。両親のものね」


「ほー、そうなのか」


「サクの黒髪もそうなんでしょ?」


「ああ。生粋の日本人の黒髪だ。ちょっと天パーが入ってるが」


「にほん? そっか、異世界の国の名前ね」


「そういうこと。察しが良くて助かるわ」



 そんな感じで会話を続けているうちに、バスルームの方から水位が設定位置に到達したことを知らせるアラーム音が鳴った。お待ちかねのお風呂タイムである。



「風呂の準備出来たっぽいな。先に入ってきていいか、アイリス?」


「ええ。問題……」


「ん? どした?」


「あ、いや。ちょっと考え事をね。先に入って問題ないわよ」


「そっか。じゃあお先にー」



 少々頬を赤らめて思慮を巡らせるアイリスに先に入ることを告げ、サクは意気揚々とバスルームへと向かっていった。

 何だかんだでここへとやってきてから初の風呂。少しテンションが上がり気味なサクは手早く衣服を脱衣所で脱ぎ捨てる。踏み入れたバスルームでシャワーを駆使して体を洗った後、ゆっくりと湯船へとつかった。

 全身がじんわりと温まっていく。シャワーでは味わえきれないこの感じがサクは大好きだった。心身ともに癒される心地よい感覚に浸るサクは、無意識のうちにとあるものを口ずさんでいた。



「――ばばんばばんばんば~ん。は~びばのの~」



 父親がよく風呂に入っていた時に歌っていたフレーズ。一昔前の番組の歌だったが、サクにとってはお気に入りの歌の1つだった。

 気持ちよく小声で口ずさみながら入浴を楽しんでいると、バスルームの扉の向こうからアイリスが話しかけてきた。



「……サク?」


「んお? どうしたアイリス、俺の歌が嫌だったら止めるけど――」


「は、入るね」


「!?」



 震える声が聞こえた次の瞬間、扉が開いた。そこには体の前面をタオルで隠したアイリスの姿があった。

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