17-4 アカベェ攻略戦④
『フウウゥゥゥッ……!』
ハクの問いかけが聞こえているかは分からないが、『何か』は低い唸り声を上げて鋭い眼光で睨み付けていた。敵意むき出しな様子の『何か』へと、ハクは少しずつ近づいていく。
空気だけでなく、城そのものが微細だが振動し続けていた。その震源はハク。無意識のうちに跳ね上げていた体中の魔力が体外にも作用していたのだ。
背びれは常に金色に発光し、煌びやかな稲光が迸っている。眼前の『何か』を排除すべく、その手足の爪や口元、武器となり得る身体の要所に膨大な量の魔力が集約され始めていた。大広間の一角が明るく照らされるほどの光源となったハクの表情は、恐ろしいほどに冷ややかなものだった。
サクが心越しに感じるのは激怒。大切な存在を、愛する存在を傷つけた『何か』に対するその激情はちょっとやそっとでは治まりそうにない。
『ハアアァァッ!!』
危険極まりないハクに慄くことなく、『何か』声を荒げて手にした長槍の投擲体制に入る。だが、僅かに遅かった。
『ガッ――』
その巨躯からは考えられない素早さで、ハクは巨大な右手を駆使して『何か』を躊躇なく押しつぶしたのだ。圧壊した床面は荒々しく隆起し、凄まじい衝撃波が大広間全体に広がっていく。
度肝を抜かれて硬直するサクを守るように、アイリスは強く抱き寄せる。その後結界を展開し、押し寄せる衝撃波から身を守った。少し強めな圧迫感を感じながらも、サクは身を任せることしかできなかった。
結界の外は舞い上がった塵で埋め尽くされ、何も見えない。結界外が安全であることをアイリスがその目と感覚で確認しようとした矢先、テンガが行使した風の魔法がサクたちを中心として塵を払っていった。
「――凄まじいな」
「そうとしか、いいようがないわね」
「うわぁお……」
飛び込んできた光景に3人は各々に驚愕の言葉を漏らした。大広間は完全崩壊に近い見るも無残な有様。要所要所を彩っていた装飾群は意味をなさない瓦礫と化し、床と壁面はとんでもない深さの亀裂が入っていた。
城そのものが崩壊しかねない惨状に、しばらく3人は言葉を失ってしまう。全体を見渡した彼らの目は、必然的に大破壊の中心部分の方へと戻っていく。そこには、未だに冷ややかな表情のハクが佇んでいた。
その心境は晴れていないようだった。その理由は、彼女の右手の下にあった。
『ギ、ギィイイ、ギイイィィィィッ!』
これほどの一撃を受けて尚、『何か』は健在だった。体表の鱗を軋むような音を上げて変形させ、強度を上げた腕部で圧をかけ続けているハクの手を持ち上げ始めていた。
(しつこい……!)
破格の生存能力を見せる『何か』に苛立ちを隠せないハクは、右手の上からさらに左手を重ねて圧壊させるために動き出す。その間に生じた追撃が下されるまでの空白の時間を『何か』は見逃さなかった。
『シャアアアアァァァァァァッ!!』
(ぐぅうあっつ!?)
密集し強度を上げていた鱗が一斉に棘へと変貌し、ハクの右手にいくつもの風穴を開けた。そこから鮮血と集約していた魔力の輝きが飛び散って宙を舞う中、『何か』は棘に変形させた鱗をそのままの状態で体表から引きはがし、自身は横跳びでハクの手の下から逃れるのだった。
自由の身となった『何か』の腕部の鱗は瞬く間に生え変わり、その内の一枚が音を上げて剥がれ飛ぶ。それに呼応するかのように、数枚の鱗が高い位置目がけてはじけ飛んでいった。
追撃を加えるために動かそうとした左手で突き刺さったままの棘をハクは無理矢理引き抜く。壮絶な痛みを必死にこらえる心境はサクにも伝わってくる。だが、ハクの痛みを感じ得たことで、ここまでに自分が受けた痛みをハクも感じ取っていたことをサクは知った。だからこそ、ハクはここまで怒っていたのだ。
怒れるハクの口元からは輝きが漏れ出し、背びれの発光が激しさを増していく。それが撃ち放たれる前に、ハクはサクを通して伝えるのだった。
(派手にやるから、皆逃げて!)
「りょ、了解! 皆、撤収! 急いで城から外に逃げるんだ!」
「何をやろうっての!?」
「派手にやるんだとさ!」
慌てふためくサクに問いかけたアイリス。即座にそれに答えたサクはふらつきながらも手招きをし、城外へ向けて駆けだした。
「無理しないの!」
「うおっと!?」
足元がおぼつかないサクを見かねたアイリスはサクをその腕の中に抱き上げた。逆お姫様抱っこの構図が出来上がる。嬉し恥ずかしといった感じのサクを一瞥した後、アイリスは他の面子に言い放った。
「聞こえてたわね! 城を出るわよ!」
「了解! ゲイリーさんは任せろ!」
「分かりました!」
カーラも駆け出し、テンガもゲイリーを抱き上げてアイリスの後を追い始めた。彼らが城内から退避していくのを『何か』は察しようだが、そちらへは動くそぶりを見せない。その目は狩るべき標的であるハクへと真っ直ぐに向けられていた。
そのまま『何か』を釘付けにし、あわよくば仕留める。決意を胸にハクはこちらを見据える『何か』に熱線を撃ち放とうと圧縮した魔力を口の方へと移動させていく。その最中、ハクの視線が『何か』が持つ鱗の変形物に向けられた。
『何か』が握っているのは弓だった。しかしながら、矢は存在していないようだ。何故弓だけなのかと疑問に思うハクの視界上部に、落ちながら変形する数枚の鱗が入り込む。それらは、細長い形状へと変化していた。
(しまっ――)
『シィアッ!! ハァッ! ヤァッ! ゼアッ!』
(ぐぅっ!?)
鱗が矢になっていくことを察知したハクだったが、間に合わなかった。順に落ちてきたそれらを『何か』は握る弓で射放つ。音速を遥かに超える速度で空中を走り抜けた矢は、深々とハクの顔面に突き刺さるのだった、
矢の全てが直撃。刺さった矢は、ハクを最大限に苦しめるように歪な棘を内側で生じさせていた。苦悶の声をハクは上げてしまい、口へと移動させ始めていた魔力が喉元の途中で止まってしまう。それを好機とし、『何か』は握っていた弓を大斧へと変形させ、飛び上がった。
『シイイイィィィィッッ!!』
ハクの頭部を叩き割るべく、『何か』は落下の速度を乗せながら大斧を振り下ろす。目前までその凶刃が迫ったところで、ハクは咆哮を轟かせた。
(なめるなぁっ!!)
『ギっ――!?』
喉元に留まっていた高圧縮魔力を一瞬にして全身に行き渡らせ、そのまま体外へと一気に放出した。放たれた魔力は純粋にして強力無比な衝撃波となり、迫る『何か』と一帯のありとあらゆるものを吹き飛ばしていった。
すでに耐久限界に達していたアカベェは、その衝撃に耐えきれずに大広間から端の方にかけて瓦解していく。崩壊していくアカベェの中へとハクと『何か』の姿は消え、ギリギリのところでサクたちは城からの脱出に成功したのだった。
城周辺の防壁付近まで全力疾走したアイリスたちは息を切らしながらも後ろを振り返る。その視線の先に広がるのは元は城だった瓦礫の山。グリールが誇る歴史的建造物は、見る影もなくなっていた。
こんだけやっちゃうって、もしかしなくともマズいのではないか。緊迫した状況であっても後のことを考えてしまったサクは冷や汗が止まらなくなってしまう。そんなサクに今現在の危機感を抱かせ直すように、瓦礫の山から勢いよく飛び出す存在があった。
『オオオオオォォォォォォッッ!!』
けたたましい雄たけびと共に瓦礫の山から飛び出したのは『何か』。
(逃がすか!!)
『ギィヤアァ!?』
そしてその後を追ってハクが飛び出し、『何か』を強烈な張り手で瓦礫の山へと叩き落とす。追撃で放った熱線は凄まじい熱量で瓦礫もろとも『何か』の表面を溶解させていった。
あらゆるものが蒸発して気化し、何とも言えない異臭が漂う。放たれ続ける熱線の威力はすさまじいものだが、サクの目には勢いが少し衰えて見えた。その見方はあっていたようで、ハクは心中で悔し気な思いを打ち明ける。
(くそっ! 溜め不足か!)
『シィィィィィィイイイイイイイイッ!!』
溶解した鱗はそのまま放棄され、すぐさま新たな鱗が生えて熱線を防ぐ。体表を覆う鱗を溶解させることは出来たが、その先の本体にまで届かなかった。つい先ほどの魔力放出直後ということもあり、単純な出力不足が原因でとどめを刺せなかったのだ。
やがて熱線は止み、自由となった『何か』は声を荒げてハクへと向かっていく。瓦礫の山を舞台とした攻防は激化の一途をたどるのだった。
ほんの僅か。ほんの僅かでいいから時間を稼げれば、ハクは全力の熱線を撃てる。その全力の威力であれば、あの『何か』を倒せるはず。であれば、自分自身はどうするかなど決まったようなものだ。思い至ったサクはアイリスの腕から離れ、迷うことなく進言した。
「アイリス。今すぐに、血を吸っても問題ない奴を用意できないか?」
「血を? まさかサク、吸血して力取り戻して戦うつもりなの!?」
「囮になるだけだよ。アイリスも見ただろ、ハクの熱線。あれを全力でぶっぱなしゃ勝てる。それには、時間が必要なんだ」
「かもしれないけど、もうサクが危険な目に遭う必要は……」
アイリスの脳裏には、大広間にて下腹部を刺し貫かれたサクの姿が焼き付いていた。二度とは見たくないそれが繰り返されるかもしれない恐怖が、アイリスの決断を鈍らせていたのである。
しかし、時は一刻を争う。いつまでハクが持ちこたえられるか分からないし、ハクを失えばあの『何か』を倒す方法が失われてしまう。奴が人口密集地で暴れるようなことがあれば、甚大な被害がでるはず。実際、そう遠くない位置にアルーセルがあることがサクを焦らせていた。
入り乱れる思いをサクは何とか統括し、冴えないなりの最適な説得内容を導き出した。しっかりとそれを伝えるため、緊張を押し殺しながらアイリスの目をサクは真っ直ぐに見つめる。
「騎士のアイリスなら分かるはずだろ。あんな危険な奴を野放しにしちゃいけない。ここで倒さなきゃいけないんだ。もし倒せなかったら、街に被害が及ぶ可能性がある。それは絶対に駄目だ。あそこには、人がいる。こんな争いのことなど知らず、幸せに過ごす人たちがいる。守るためにも、動かなきゃダメなんだ」
「……本気なんだね」
「ああ。本気だ。マジのマジだ」
「……分かったわ。でも、私も行く。テンガも、行けるかしら」
「ああ。問題ない」
「怖くないのか、アイリス」
「それはこっちのセリフよ。サクの体、震えてるわよ」
「ば、バレたか」
「バレバレよ」
大層なことを言っては見たが、体はやはり正直。サクは、震えが止まらなかった。どれだけ決意を固めても、あの腹を貫かれた痛みを忘れることなどできなかったのだ。
そんなサクの手をアイリスは優しく握ってくれた。サクの体温を確かめるように、指を絡めていく。思わずドキッとしてしまったサクに、アイリスは告げた。
「怖いのは当たり前。あんなのを体験して怖くないなんて、異常者か何か。そんな恐怖を知って尚進めるあなたは、素晴らしい人よ、サク」
「お、俺が素晴らしい人? ちょっと言い過ぎなんじゃ……」
「言い過ぎなんかじゃない。誰もが躊躇うことをあなたは成した。私を、救ってくれた。それも二度も。自信をもってサク。あなたは――」
そういって、アイリスは今一度深く息を吸う。そして、慈愛に満ちた笑みをサクに向けた。
「――本当に、素晴らしい人よ。だから、大丈夫」
「……ありがとう。アイリス」
その笑みに、サクも笑顔で返す。まだサクの震えは止まらないが、それでいいとサクは割り切った。こうして震えているからこそ、自分が自分であるように思えたからだった。
自らを鼓舞してくれたアイリスに心の底から感謝するサク。その柔らかな手を握り返し、持ちうる限りの想いを伝える。それにアイリスも応え、互いに手を握った。ほんの僅かな一時で、こんなにも緊迫した中なのにも関わらず、サクとアイリスは心身ともに満たされているのだった。
名残惜しいが、いつまでもこうしてはいられない。互いに見合わせ、了承するように頷いた2人は手を離す。ようやく割って入れるようになった所で、カーラが右手を上げて進言した。
「はいは~い。さっき、血を吸っても問題ない奴が欲しいって言いましたよね~?」
「ああ。もしかして、カーラの血を吸えってか? それはちょっと気が引けるような……」
「いえ~。”こいつ”なら、血を吸っても問題ない奴だと思いまして~」
「え……。まさかそいつは……」
「あの通り魔です~」
「マジか。連れてきてたのか」
「はい~。もしかしたらこんなゴミ屑野郎でも使いようがあると思いまして~」
「若干素が出てるぞカーラ」
少しピリピリしながらもいつものフワフワ口調で話すカーラの左手には、白目をむいて気絶している卓が握られていた。それも、がっつり髪の毛を掴んでいる。嫌々連れてきたというのがその様から滲み出ていた。
とはいえ、確かにこいつなら血を吸っても問題ない奴に違いない。これまでで散々多くの人を苦しませてきたツケのほんの一部をここで払わせても何も問題はないだろう。
汚いゴミを捨てるようにカーラが投げ捨てた卓に、サクは近づいていく。その首元まであと少しというところで、卓は奇跡的に目を覚ましてしまった。
「――んん? ここは……」
「おはようございます」
「根暗もやしっ!? てめえ、離せコラぁ!!」
「んじゃいただきます。しっかり痛み味わえ糞野郎」
「んがあああぁぁぁぁぁぁっ――!?」
がっつりと首元にかじりつき、血だとか精力だとかをありったけ吸い上げていく。干からびても気にしないほどに。その間、卓は悲鳴を上げて暴れ続けていた。
暴れる卓だが、その声が耳障りに思えたのかカーラの鉄拳が彼の頭部に炸裂したことで静かになった。気を失った卓からの吸血行動は、ほどなくして終了するのだった。
首元から口を放し、サクは立ち上がる。冴えないその体は、これまでに感じたことのないほど軽く思えていた。全力で行けることを確認したサクは、戦闘が続けられている瓦礫の山を見据え、口を開いた。
「さあ、決着つけようじゃねえの」




