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異世界の記憶:冴えない愛・輝く愛  作者: 田舎乃 爺
第一部 第一章 冴えてる三日間
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17-3 アカベェ攻略戦③

 夜の闇以上に深い漆黒の体。隆々とした筋肉は逞しく、一切の無駄が感じられない。膝立ちの体勢で無言のまま佇んでいるのにも関わらず、異様な圧を周囲に撒き散らしていた。

 身体的に見れば男性。しかしながら性的特徴は見られない。そもそも、この『何か』が”生物”であるようには誰もが思えなかった。あの歪な赤いオーラから現れたという視覚的要因が原因ではない。理由には相応しくないが、人としての”本能”が『何か』への拒否感を覚えていたのだ。

 放置してはならない。野放しにしてはいけない。思うがままにさせてはいけない。使命感ではなく、押し寄せる恐怖心が全員の心にそう思い浮かばせていた。



『――ハアアァァァ……』



 開いた口から、声と熱気が漏れ出す。その排気行動の後、『何か』の体表に変化が表れ始めた。

 


『フウゥゥ……』



 ゆっくりと立ち上がった『何か』は深く息を吸い込む。それに呼応するかのようにざわめいた体表。

 その刹那、



「少佐ぁ!!」


「分かってる!!」



 テンガとアイリスによる魔法攻撃が『何か』に対して同時に繰り出された。風の刃と氷の矢、そして先ほど卓を鎮圧した雷が変化を遂げている『何か』に直撃する。

 しかし、



「なっ……!」


「当たってんのに!?」



 間違いなく直撃。一切の手加減なし。何の防御策もなしに当たれば無事ではすまない攻撃の雨を『何か』は全て受けきって見せた。その体表には、傷1つついていない。

 大広間は『何か』を中心として派手に崩壊していた。さらなる魔法攻撃を放つためにテンガとアイリスが魔力を練り上げる中、『何か』が再び口を開く。



『――シィィィィイアアアアアアアアアァァァァァァァァ!!』



 人を、城を、何もかもを揺らす咆哮。『何か』は開眼し、足先から頭にかけてびっしりと灰褐色の鱗のようなものが生えていった。

 隙間なく黒い体を覆いつくした鱗は体の至る所で隆起して押し固まり、まるで鎧のような見た目を形どっていく。その変化の間、鎧のような体表から覗く縦に長い瞳孔の白い瞳は真正面を見据え続けていた。

 ほどなくして変化は終わった。『何か』は直立したまま動く気配を見せない。その動向にその場にいる全員が全神経を張り巡らせ、警戒し続ける。

 やがて、『何か』は目だけを動かして大広間にいる者たちを確認していく。その視線は冷ややかなもので、向けられた者は背筋を凍らせてしまう。その確認作業後、『何か』は左足を上げ、目を見開いた。



『レエエエエェェイワアアアアアアァァ、ラァァアア!!』



 上げた左足を振り下ろして今度は右足を上げ、それも同様に振り下ろす。



『ガアァァァラァァァ、ジョォォォォオオオ!!』



 その動作を、叫ぶのと同時に繰り返す。



『リィィィィイイジュゥゥゥウウウ!!』



 何度も。



『ジイィィィィカアアァッセ!!』



 何度も何度も。



『デオズダァッック!!』



 何度も何度も何度も。



『レエエエエェェイワアアアアアアァァ、ラァァアア!!』



 大広間の床面を割り砕くそれは、足踏みだった。



『アラ、ガミ!!』



 その咆哮の後、『何か』は直立状態へと戻る。一瞬にして静まり返った大広間。『何か』が発した言語は未知のもので、意味も全く分からなかった。

 攻撃を繰り出そうとしたテンガとアイリスだが、その手は止まってしまっていた。ただ立っているようにしか見えない『何か』だが、先ほど攻撃を仕掛けた2人に凄まじい闘気を向けていたからだ。

 攻めるだけに全力を注げばやられる。2人は練り上げた魔力を防御へも回せるように戦法を転換し、注意深く『何か』の様子を窺い続けることにした。



 ――それが間違いだった。



 バチンっ、といった甲高い音を上げ、『何か』の左腕部分の鱗が一枚、体表から剥がれ飛んだ。その一枚が剥がれて空いた部分はすぐさま鱗が生え変わり、体表を埋める。

 宙を舞う灰褐色の鱗は、まばたきをするよりも早く”槍”へと姿を変えた。それを逆手で掴んだ『何か』は、間髪入れずに投擲体制に入る。すでにその白い眼の中心には、穿つ存在が捉えられていた。

 一瞬の出来事だった。それでも『何か』が狙う標的が、自らとテンガから変わったことにアイリスは気づく。警戒度合い下がったことで、”本来”の標的に攻撃目標を変更したのだ。だが、気づいただけでは遅かった。



『ハアアァッ!!』



 アイリスが声を発するよりも早く、『何か』は声を上げて槍を放った。小銃から撃ち放たれる弾丸を優に超える尋常ではない速度のそれは、真っ直ぐに標的目がけて突き進んでいく。



「がっ――」



 ――その槍が貫いたのは、サクの下腹部だった。



「サクッ!!!」



 遅れて響いたのはアイリスの悲痛な叫び。それがサクの耳に届いた時には、彼は大広間の壁面へと叩き付けられていた。



「あっ――、あぁ――?」

 


 状況が飲み込めず、サクは疑問の声を漏らしていた。視界は激しく揺らぎ、舞った塵で覆われて何も見ることができない。

 混乱。困惑。動揺。脳内は錯綜し、まともに思考することすらままならない。誰かが叫んでいるような気がするが、それらも掠れて聞こえ、どんなことを言っているのか判断することは出来なかった。

 腹の底から込み上げ、喉元を駆け上ってきたものをサクは口から勢いよく吐き出した。継続的に昇ってくるそれらをせき止めようとしても、量が量ゆえに口を閉ざすことすら不可能だった。

 呼吸ができずに苦しみ悶える中、ようやく舞っていた塵が晴れ始めた。気を抜けば飛びそうな意識が作用し、視界は大きくブレる。そんな状態でも必死に自らを繋ぎとめたサクの目に、下腹部を刺し貫いた槍が映りこんだ。



「――マジ、かよ」


「しゃべらないでください! サク!!」



 信じ難い光景に表情を歪めながらつぶやいたサク。そんな彼の下に血の気が引いた様子のカーラが駆け寄ってきた。



「意識を! 意識を保ってください! 遠くへ行ってはいけませんよ!!」


「わかっ――、てるけど――」



 カーラに従って意識を保とうとするサクだが、再びこみあげてきたものを派手に吐き出したところで大きく揺さぶられてしまう。今すぐにでも気を失ってもおかしくない状態だった。

 サクが吐き出したものがカーラの埃まみれの衣服を赤く濡らした。ここにきてサクはようやく込み上げていたものが自らの血であることに気づいたのだった。

 槍が貫通している部分から漏れ出す血と、吐き出した血の量は十二分に危険な量だった。普通であれば意識を失うかショック死してもおかしくない現状だが、吸血鬼化していることがサクを繋ぎとめていた。



「これは……! サク、まずは槍を引き抜きます! 堪えてください!」


「マジか――」



 下腹部の穴を治癒魔法で埋めるため、槍を引き抜こうと試みるカーラ。サクの血に濡れたその手で槍を握った時だった。



「っつぁっ!?」


「カーラ――!?」



 槍の表面が棘状に逆立ち、カーラの手を刺し貫いた。鋭い痛みに思わずカーラは槍から手を放し、表情を歪めてしまう。

 使用者である『何か』以外が触れるのを拒否するような反応だった。それでも諦めようとしないカーラは、数カ所空いた穴を治癒魔法で埋め、再び槍を握ろうとしていた。

 見ていられないサクは、思わず目をつぶろうとしてしまう。だが、そんなサクをカーラは叱咤するのだった。



「目を閉じず、しっかりと見てください! その方がまだ意識を保てます!」


「わ――、かった――!」



 そんなカーラにサクは声を絞り出して応える。その後カーラ手は再び槍へと近づいていく。その手は、激しく震えていた。強気な口調でサクに対応するカーラも、現状が恐ろしくて仕方がないのがその手から伝わってきた。

 感覚が麻痺して痛覚を感じない今がチャンス。少しでも早く、そして少しでも楽に終わることを願いながらサクは抜き放たれるのを涙を垂れ流しながら待った。

 カーラの手が槍に触れようとしたとき、思わずサクは視線をそらしてしまう。その視線の先に想定外の存在をサクは捉えてしまった。



「か、カーラ!」


「大丈夫ですサク! すぐに――」


「後ろぉ――!!」


「!!」



 口に残る血潮を散らしながらもひねり出したサクの訴えを聞き、すぐさまカーラはその身を反転させる。そしてその赤い瞳に、”敵”が映りこんだ。



「がら空きなんだよなぁ!!」



 いつの間にか意識を取り戻した卓がカーラの背後にいたのだ。その手に持ったナイフを逆手に持ち替え、カーラへと振り下ろす。



「っ!」


「があっっ!?」



 その刃先が触れるよりも早く、カーラの強烈な蹴りがタクの脇腹に炸裂し、その身を弾き飛ばした。何回転の転がるも起き上がった卓は、非常に楽しそうに頬を歪める。



「っつつ……。はは。やっぱやるなあ、お姉さん」


「こんな時に……!」


「あん時言ったじゃねえか。絶ッッ対に”殺してやる”ってさあ!!」


「邪魔をするな通り魔ァ!!」



 本気の怒号を届かせたカーラは、臆することなく向かって来る卓の迎撃を行い始めた。その凶刃がカーラを傷つけることは出来なくとも、邪悪な存在の力で強化された身体を駆使して卓はカーラに向かい続けていた。

 こうしてカーラを釘付けにすることで治癒魔法を使わせず、サクを出血多量で殺そうというのが卓の魂胆。それをカーラも察しているから可能な限り早期の決着をつけようとするが、卓は全く引き下がる様子を見せなかった。



「がはっ!? っは、はははははッ! どうしたよお姉さん! 早く俺をどうにかしねえとそこの根暗もやしがくたばっちまうぞお!!」


「だから邪魔をするなと言っているっ!!」


「ぐがっ!? っひ、ひは、あっはっはっはっは!」



 嗤いながら卓は向かい、カーラはそれを蹴散らす。延々と続く攻防。その間にも、確実にサクの身心は追いつめられているのだった。

 カーラの助けを借りることは出来ない。ではハクを呼ぶか。しかしながら間に合うとは限らない。だとしたら、もう状況を好転させるのは自分しかいないという結論に至ったサクは、恐る恐る槍へと手を近づけていった。

 握った瞬間、先ほどのカーラの時と同じで反撃をしてくるはず。その際に感じる痛みに耐えられるように息を止め、サクは槍に触れた。



「っあぁあっ――!?」



 握った手をいくつもの棘が刺し貫く。それだけでなく、下腹部を貫通している部分からも棘が発生し、サクの内部の傷をさらに拡大させたのだった。

 手と腹部内側。想像を絶する痛みに耐えかね、サクは手を放してしまった。そして最悪なことに、麻痺していた痛覚が元に戻ってしまう。



「ぅうっ、あぁあ!? があぁっ、あああァァっ!?」



 ほんのわずかでも戻り始めていた思考が痛み一色で染め上がる。こうなればもう完全にパニック状態。サクは悲痛な叫びを上げ続けるだけの肉塊も同然となってしまった。



「っだいい!? いだい、いだいぃぃぃぃぃぃ!!」



 ただひたすらに、真っ赤に染まった感情を吐露し続ける。その意識が失われるのは、時間の問題だった。

 そんなサクを勇気づけるように卓をあしらいながらカーラが呼びかけ続けるが、それは届きそうになかった。目と鼻から体液を垂れ流すサクは、絶叫し続ける。



 ――痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。



 ――死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。



 脳内を埋め尽くす苦痛の言葉は途切れない。絶望に歪むサクの口からは言葉かどうか判別不可能な声が発せられ続けていた。

 荒ぶる感情とは裏腹に、サクの意識は掠れ始めた。そのことに恐怖しても、もはや逃れられない現実が押し寄せてくる。抗う様に断末魔を上げるサク。



「あっ――」


「――え?」



 だが、その断末魔は途中で止まった。代わりに出たのは、目に飛び込んだ光景に対する疑問の一声だ。

 鱗を剣へと変形させた『何か』がアイリスに袈裟切りを繰り出す。それを棍棒で受け止めようとしたのだが、容易く棍棒を断ち切った『何か』の剣は、アイリスの左肩から右脇腹にかけてを切り裂いたのだ。



「うあっ――」


「――ええ?」



 再びサクは似たような声を漏らす。その目は、しっかりと受け入れがたい光景を捉えていた。捉えてしまっていた。

 裂傷から血潮が飛ぶアイリス。そんな彼女の腹部をもう一方の手に持っていた剣で『何か』は刺し貫き、引き抜いた。短い悲鳴を上げたアイリスは、そのまま床へと仰向けに崩れ落ちた。

 そう。アイリスが切られ、刺された。そして、倒れた。絶望一色だったサクだったが、その光景は鮮明に焼き付いてしまっていた。

 崩れ落ちたアイリスは動く気配がない。そんな彼女に声をかけようとしたサクだが、それを遮るように凄まじい怒声が響き渡った。



「貴様ぁぁぁぁぁぁぁああアアアアアア!!」



 鬼すら可愛く思えるほどの憤怒の表情のゲイリーは全身全霊をもって『何か』に剣を振り下ろす。その一撃で『何か』の剣を粉砕することに成功したゲイリーは、すぐさま追撃の一撃を放とうとした。



「くたば――」


『ゼエェイ、ヤァッ!!』


「ごあッ――」



 その追撃の一手よりも早く、『何か』はゲイリーの頭を鷲掴みにし、床へと勢いよく叩き付けた。強烈な反撃をまともにくらってしまい、そのままゲイリーは気を失ってしまう。

 今度は、ゲイリーが。次々と大切な存在が屠られていくのをサクは呆然と見ていることしかできない。思考停止してしまっている彼の視界に新たな人影が入り込んだ。



「うううぅぅぅおおおおおォォォォっ!!」


『アアアアアアァァァァァァァアッ!!』



 目にも止まらぬ剣技をすでに体中傷だらけのテンガが『何か』に繰り出し続ける。対する『何か』は吠え、鱗から作り出した剣でそれに対抗してみせていた。

 激しい攻防は徐々に場所を移動しながらも続く。負傷者から『何か』を少しでも遠ざけているようにも見えた。実際そうなのだろうが、それもいつまで持つかは分からない。事実、テンガは『何か』に押され始めていた。

 テンガは実力で勝る『何か』を相手にしても、諦めることなく死力を尽くしていた。そんな様を見たサクの目には光が戻り始め、輝き始めたその中心には力なく横たわるアイリスがあった。

 おびただしい量の血が、床を赤く染め上げていく。それは自分も同じこと。だが、違う。そんなことはサクは重要に思えなかった。好きになってくれた子が、好きになった子が死にかけている。あってはならないその惨状を打開すべく、サクは冴えない自らを鼓舞して腹部を貫いている槍を握りしめた。



「っくう!? こぉおんのぉおお……!」



 

 手を貫かれ、腹の内側をズタズタにされながらも、サクは確実に槍を下腹部から引き抜いていく。尋常ではなく痛い。止めたくて仕方がない。だとしても、ここが正念場だと自らに言い聞かせて手を動かし続けた。

 棘に引っ張られ、臓物の一部が削れて外に出てしまっている。溢れ出す血はもう限界近くまで流れでた。それでも、サクは手を止めなかった。



「やらないときはやらない……! やるべき時は徹底的にやるぅ……!!」



 父がよく言っていた信念を涙声でつぶやきながら少しずつサクは槍を抜いていく。その言葉の通りサクはこれまで生きてきたつもりであり、これからもそうだからだ。

 ここでやらなければ、こんな自分を好きになってくれた子が死んでしまう。これをやるべき時でないとしたら、この世にやるべきことなどないとサクは思えていた。

 家族から愛されて生きてきたからこそ、向けられた愛にはしっかり応えたい。それが恩返しでもあり、人としてあるべき道のはず。そうあってほしいと願う。

 


「あと……、あと少し……!」



 思いを巡らせるサクの腹を貫く槍は、後半部分に差し掛かっていた。先端部分は壁から抜け、残す厄介な部分は腹部内側のみ。意を決したサクは、その手に全力を注ぎこんだ。



「……ぅうおらあああぁぁぁぁぁぁぁああああ!?」



 勢いに任せて槍を引き抜き、放り投げる。色々な物が一緒に持っていかれたが、これでようやく解放された。激痛に呻きながら崩れ落ちたサクは、ボロボロの体を引きずりながらアイリスの下へと急ぐのだった。

 そんなサクの行く手を阻もうと卓が動き出そうとするが、カーラがそれを完璧に防いでくれていた。赤々とした痛ましい血の跡を残しながら進むサクに向け、カーラは叫ぶ。



「頑張ってください! サク!」


「ぁいよぉ……!!」



 カーラの声援を糧に、サクは体を引きずっていく。吸血鬼化による急速再生で出血こそ止まったが、手と腹の穴は埋まりそうにない。サク自身が弱り過ぎているのが能力を衰えさせているようだった。

 進んでこそいるが、サクの視界はほとんど霞んで見えていない状態だった。槍を引き抜く直前に見ておいた床の状態を頼りに、手探りで進んでいるのである。そうであっても、その距離は確実に詰まりつつあった。

 


「待ってろ……、待ってろ……」



 進む先にいるアイリスに語り掛けるように、そして自らを繋ぎとめるために、サクはぼそぼそとうわごとのようにつぶやきながら進んでいく。異様にまで長く感じられた進行は、穴だらけの手が柔らかな手に触れたことで終わりを告げた。



「! あ、アイリスっ……!」



 最後の力を振り絞り、サクは真っ赤な手をアイリスの傷へと伸ばす。間を置かずにサクの手から展開された治癒魔法が、アイリスの傷を癒していった。

 裂傷を治し、次は刺し傷を。全て傷が塞がったのを手の感覚で確認したサクは、やり切ったことによって広がった安堵で全身から力が抜けてしまうのだった。

 これで、大丈夫なはず。出来れば目覚めて元気な声が聞きたいと願ったサクの耳に、念願の声が入り込んできた。



「さ、サクっ!? 嘘!? どうやってあそこから……!」


「へ、へへ……。めっちゃ頑張った……。めっちゃ……、痛かった……」



 アイリスを心配させないため、全力の強がりを見せるサク。その返答で全てを使い切ったサクの体は、何とも言えない浮遊感を感じ始めてしまう。

 今度こそ本当に死んじゃうかも。そう思えたサクが心の中から大切な人へのメッセージを述べようとしたとき、突然体に力が行きわたり始めた。

 痛々しい腹の穴はアイリスが治癒魔法で埋めてくれたようだ。次に手の穴も全て。これで大量放出した血も元通りになればよかったがそうもいかないようで、眩暈のようなくらくらとした感覚が続いてしまっていた。

 


「ごめんね……! ごめんね……! ありがとう、助けてくれて……!!」


「……っはは。どう、いたしまして」



 泣きながら抱きしめてくれたアイリスに、力ない笑いを交えながらサクは返した。こうして密着することで感じる互いの体温が、生きていることを実感させてくれた。

 本当に良かった。これで万事解決。そうあってほしいものだが、残念なことに解決には程遠いのが現状。そんな絶望を突き付けるように、剣戟に競り負けたテンガがすぐそばに弾き飛ばされてきた。



「ぐううぅっ……!」


「テンガ……!」


「秀才でも歯が経たないって……。もうどうにもならないじゃないのよ……!」


『シイイィィィィィアアアァァ……――』



 さらなる追撃を行うべく、『何か』は唸り声をあげて近づいてきた。打つ手のないサクたちは、灰褐色の禍々しいその姿をただただ見つめることしかできなかった。

 まだ色々とやり残したことはあるが、最後にやれるだけのことはやれてよかった。その成果であるアイリスの顔を見て、サクはこんな状況でも笑ってしまう。そんなサクに、アイリスは悲しそうな笑みを向けるのだった。



「……もう、駄目みたいね」


「っぽいな」


「最後は一緒だから、安心してね、サク」


「……おう」



 自らの死を予感したアイリスは、腕の中のサクをさらに強く抱きしめる。その様子を横から見たテンガも、諦めるように目を閉じるのだった。

 


『シイイイィィィヤアアアアァァァァァアアア!!』



 勝ち誇ったような『何か』の雄たけびが響く。だが、サクに響いたのはそれだけではなかった。



(ねえ、お前何したの)


「!?」


「さ、サク? どうしたの」


「こ、この直接脳内に響くのは……!」



 抱きしめていたサクが仰天し、アイリスもつられて仰天してしまう。心の中に響いたその声は、間違いなく外で暴れているはずの”彼女”のものだった。

 声の主は、凄まじい突進で大広間の扉を周りの壁面ごと吹き飛ばして侵入してきた。飛来してきた壁の破片や扉を『何か』はすぐさま反転して体術で弾き飛ばしていく。



「がはっ!?――」


「あら」



 『何か』が弾き飛ばした破片が運悪く卓の後頭部に直撃した。不意打ちに近い形で受けた衝撃に耐えられず、カーラの目の前で卓は白目をむいて倒れてしまった。

 視界を覆いつくした塵を『何か』は鱗から作った長槍を振り回し、その風圧で振り払う。視界良好になった大広間の中で、『何か』は現れた白銀の巨躯に最大の警戒を行っていた。

 にらみ合う両者。張り詰めた空気の中、サクが恐ろしいと感じるほどの怒気を放つハクが、心越しに『何か』へと言い放った。



(ねえ、お前何したの)

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