16 無邪気って怖い
「――んん」
最悪の寝心地の中で男性は目覚めた。体の至る所が痛みを訴えており、少しでも動かすだけで軋むような劣悪な感覚に陥っていた。
お世辞でも良いとは言えない簡素なベッドの上で男性は半身を上げる。手が届かない位置にある窓から入り込む陽の光だけが頼りの室内は、陰湿な雰囲気で満たされていた。
陽の光から視線を今自分がいる室内へと移す。仕切りも蓋も何もないプライベート筒抜けな洋風便器が1つ片隅にあり、それ以外に目に入ったのは鉄格子ぐらい。男性は、ここが留置所であることを即座に理解した。
衣服こそそのままだが、所々が擦り切れて汚れているところから、そのままぶち込まれたことも推測できた。人生初となる独房行きに男性は絶望こそしていないものの、悔し気な表情を浮かべていた。
「あーあ、”殺しそこなった”。挙句の果てに御用か。このままじゃ終われねえよな……。早くリベンジしたいとこだが……」
ぼそぼそとつぶやきながら男性はベッドから立ち上がる。痛みに慣れるために無理矢理体を動かし、いつでも素早く事を進められるように体の調整をし始めた。
凶器の類は全て没収。頼れるのは自身の体のみ。適当に騒いで看守を呼び、鍵でもなんでも使えそうなものを奪い取るか。それともかなり頑張れば手が届く天井近くの窓を目指すか。ここからの脱出方法を男性が模索していると、少し離れた所からの声が聞こえてきた。
「――え゛。ええ!? あ、す、すみません! ご苦労様です!!」
「……何だ。だいぶ慌ててるみたいだな」
男の看守だか、職員だかが現れた存在に慌てて対応しているようだった。裏返り、言葉に詰まってしまっている様子から上司か何かが突然姿を現したのだと男性は推測する。
「訪問の連絡は頂いておりませんでした。それがなくともこのような辺境に、ましてや帝国だのなんだの騒がしいときにいらっしゃるとは考えておりませんでした」
「驚かせて申し訳ない。私の独断で訪問したんだ。誰も知らなくて当然さ」
「独断、でございますか」
たじたじな感じの声に反応を返すのは、落ち着いた温かみのある声。その声だけでも、それを発する主が温厚な存在であることが分かるような温かさが感じられた。
正直に言ってそういった手合いがあまり男性は好みではなかった。もし得物が手元にあり、自由のみであったならば躊躇いなくその声の主を殺害していただろう。
とりあえずは自分には関係のないことだろうと考えた男性は再び脱出方法の模索へと戻る。独房の中をうろうろしながら頭を働かせる。
その最中のことだった。
「では、ご用件を承ります。どのような……――」
「……ん?」
温かな声の主を出迎える男の声が途中で途切れた。不自然なところで止まったことに疑問を抱いた男性は、話していた者たちの様子を窺おうと鉄格子へと近づいていく。
「――おはよう」
「うおおぉっ!? びっくりした!」
あともう少しで鉄格子。といったところで、突如男性の目の前に黒い礼服に身を包む緑髪の男が現れた。いきなりの登場に男性は驚き、声を上げてしまう。
そんな男性に向け、緑髪の男は微笑む。しかしながら、男性は違和感を感じていた。鉄格子越しにいる緑髪の男は微笑んでいるのだが、”異様な冷たさ”を放っていたからだ。
本能的に身の危険を感じた男性は、ゆっくりと後ずさる。そんな男性に、緑髪の男は右手のひらを向けながら口を開いた。
「――お前に力の一部を授ける。派手に暴れ、撹乱せよ」
◆
「はい、サク。あ~ん」
「あ、あー」
美女へと成長を遂げたハク。そんな彼女に口を開けるようにうながされたサクは、素直に応えると一口分の料理が口の中へ運ばれた。
起きてから朝食を食べている間、終始こんな感じでハクはサクのそばから全く離れようとしない。少し前にはトイレにまで一緒に行こうとしたところをアイリスに止められたりしていた。
夕食は各自の部屋でとったが、朝食は2階にある広いホールにて食べることになっていた。遊撃部隊の全員とサクたちが入っても余裕のあるその中心に近いテーブルで、ハクはサクにべったりだった。
ハクは全然気にしていないが、サクは周囲からの視線が気になってしょうがない。羨ましいだとか、今度は何やったんだという声もちらほら聞こえてくる。
特にその中でも圧倒的威圧感を放っているのは、対面の席に座って朝食を食べているアイリスだ。笑顔なのだが、笑っていない。そんな感じの様子のアイリスに、サクは身震いした。
「今度は何をやったんだか……」
「それは、まあ、色々と……」
「色々……、ねえ……」
そういってアイリスは静かにグラスに入っていた牛乳を飲み干し、結構な勢いでテーブルに叩き付ける。震えの止まらないサクは気分を紛らわすために水を口にした。
その様子からは、怒りや妬ましいといった感情が入り混じり、抑えられることなく溢れ出していた。アイリスの横に座るゲイリーは、とても居心地が悪そうな顔をしている。そんなぎすぎすした状況をカーラは気にすることなく、黙々と朝食を食べていた。
サクとアイリスがグラスの中のものを半分ほど飲み干したところで、ハクはその場にいる者たちに嬉しそうに報告した。
「昨日の夜、サクと性行為したんだ!」
「「ぶっふぉおう!?」」
不意打ちに近いその報告を聞き、サクとアイリスは口に含んでいたものを勢いよく噴き出した。目の前に座っていたためか、宙に飛び出したそれはテーブルの中央で綺麗に相殺された。一瞬テーブルの上に虹が形成され、その見事な連携噴き出しにカーラとゲイリーが感嘆の声を上げる。
「綺麗でしたね~」
「息ぴったりですな」
「げっほ、げほ。は、ハク、それは言わなくてもいいと思うんだが……」
器官に入ってしまった水が喉に違和感を残したが、サクはこれ以上昨晩のことを話さないようにと促す。
しかしながら、自らのその嬉しかった体験を話したくてたまらないハクが止まることはない。
「初めてだったけど、3回もするなんて思わなかった。やっぱりサクって変態さんなんだね」
そういってサクを見つめるハクは頬を染めた。その姿に心を射抜かれながらも、無邪気ってやっぱり恐ろしいと痛感していた。
んなこといったら、サクはこの場で最高だったと言いたかったサク。ハクとの夜は絶対に忘れることのできないものだったと。だが、そんなことをいう度胸は持っていないし、これ以上周囲からの視線を集めたくないサクには無理なことだった。
ようやく落ち着いてきた喉元だったが、代わりに胸を突き破りそうな鼓動がサクを追い込む。昨晩のことを思い出してしまったがために、股間もとても元気になっていた。
ふと、内股になりながらも対面に座るアイリスに視線がいった。
「サクと……3回……」
アイリスはすでに暴走状態を超え、限界に近い状態になっていた。真っ赤になった全身から湯気が上がり、先ほど知ったことをぶつぶつとつぶやいていた。
某海賊団のギアほにゃららにも似たその様子をサクが心配していると、ハクが笑顔でとんでもない提案を持ち掛けてきた。
「アイリスもサクと性行為したらいいんじゃない? 愛してるんでしょ?」
「……むーりぃーぃぃぃ――」
それを聞いたアイリスは限界を迎え、テーブルに突っ伏してしまった。ゲイリーが素早く食器をどかしたために、料理を枕にすることは回避された。
延々と煙を上げ続けるアイリス。その体は凄まじい高温だった。純粋な乙女は無邪気な少女の提案に耐えきることができなかった。というか誰だってそんなこと言われたら戸惑う。
お、お餅つけ、落ち着け自分。ハクと行為に及んだ当の本人がここでこんなに慌ててどうする。そうだ、某奇妙な冒険の神父のように、落ち着かせるために素数を数えよう。
そんな感じで数え始めようとしたが、混乱している頭でそんなことをするのは不可能だった。まともに数えられないサクは何故か頭の中で羊の数を数え始める。もはや自分でも何がしたいのか分からなくなっていた。
隣で真っ赤になって煙を上げ始めたサクに、カーラは止めともいえることを口にした。
「私はいつでも大丈夫ですよ~。したくなったら呼んでくださいね~」
「……あざーっすぅぅ――」
サクもアイリスと同じようにテーブルに突っ伏そうとしたが、ぎりぎりでハクが抱き寄せたことで料理の化粧をせずに済んだ。
向かい側ではゲイリーが心底羨ましそうな顔でこちらを見ている。すまんエロ爺。
ああ、温かい。柔らかい。いい匂い。満面の笑みのハクの胸の中で、サクは自らの意識が薄れていくのを感じた。
◆
サクは両頬を気合を入れるために勢いよく叩いた。冴えない顔に変化はないが、本人はこれまでにないくらいにやる気をみなぎらせていた。
朝食が終了してから約2時間。身支度を整えたサクとハクはホテルの屋上にいた。そこからは目標である城、アカベェが見える。あそこでの役目を終わらせ、自らの思い描く生活を送る。
元の世界を想う気持ちは今は封印しておくことにした。寂しい気もあるが、ここには自分を求めてくれる人がいる。そういった人の助けになることが、この異世界にいる十分すぎる理由だとサクは結論を出した。
太陽はすでに真上あたりにまで昇った。カーラを含んだアイリス率いる遊撃部隊はすでに陣形を整え、アルーセルの近辺に待機している。彼らが動かなくてもいいように、サクが頑張らなければいけない。
しかしながら、ここにきてサクは震えが止まらなかった。失敗したらどうしようという不安が募り、徐々に心に影ができ始めてしまったからだ。
そんなサクの右手を、ハクが握った。全ての指を絡ませるような手のつなぎ方。所謂恋人つなぎともいえるそれに、サクは少しドキッとしてしまう。
「大丈夫。絶対に上手くいくよ! 私も全力で力を貸すから!」
「最高に心強い。頼んだぞ、ハク!」
「うん!」
大好きな存在との掛け合いに、サクとハクはテンションを上げた。繋がる心は、ひたすらに前向きなものへと変化していった。
手を放したハクが、屋上から飛び降りた。その後光り輝き、その姿を竜へと変化させる。巨大な翼で一気に上昇していく彼女の全長は10mに達し、圧倒的な迫力だった。力強く感じられる勇ましいその姿は、とても美しくも感じられた。
ホテルの屋上に降り立ったハクの背にサクは乗った。しっかりと背びれに掴まり、準備を完了させる。飛び立つ際の羽ばたきによって発生した突風が、ホテルの看板を揺らす。滅多にお目にかかれない竜の姿に気づいた街の人々の視線が、サクとハクへと向けられた。
(行くよ、サク!)
「おう!」
快晴の空を、冴えない顔の男子高校生を乗せた白銀の竜が猛スピードで飛んでいく。
冴えない生活を送るためのサクの戦いの火蓋が切られた。
◆
「き、貴様……! 一体何者だ! 何故こんなことを!」
アカベェの大広間で、テンガが叫ぶ。その眼前にいる男性の手には、魔力によって形成された薄っすらと透ける赤いナイフが握られていた。
不気味に笑う男性は、そのナイフの切っ先をテンガと奥にいるトイズに向けた。
「よく分からんが、派手に暴れるだけの力を貰ったんだ。それと、ここに来れば守護騎士だとかいう殺しがいのある奴が来るって聞いてな」
「守護騎士だと……?」
「ああ。今でもこいつがそう言い続けてんだ。耳にタコが出来そうなぐらいにな」
そういって男性は自らの背後を指さす。しかしながらテンガには何も見えないし、何も聞こえてこない。
眼前の男性が精神異常者だとテンガは考え、事を荒立てぬために手早く鎮圧しようと剣を引き抜いて構える。踏み込むタイミングを窺っていたその時、背後にいた父のトイズが震えながら言った。
「ああ……! 何故! 何故そんな男に! 私はもう用済みなのですか!?」
「父上!? 一体どうしたのです!?」
「なんだ、ハゲ騎士様には見えてないのか」
困惑し、その場に膝をついて崩れ落ちるトイズ。その顔は、絶望に染まっていた。
何が何だか分からないが、この男が危険であることは間違いない。そう結論付けたテンガは迷うことなく剣を握る力を強め、精神を研ぎ澄まして戦闘態勢を整える。
その様子に満足したのか、男は笑う。そして、空いていた左手にもう一つナイフを形成した。
「俺は『金本 卓。趣味は”人殺し”。所謂通り魔ってやつだ。そんじゃ、派手にやろうか」
不気味な笑顔の卓は異常に強化された体と魔力のナイフを武器に、テンガへと迫る。
その体からは強大な真っ赤なオーラが溢れ出し続け、形をもったオーラが背後に無数の怒りに満ちた顔を生み出していた。




