3話
「平和だ……」
放課後、高等部の屋上で待つ。
志藤魁人はそう記したメモを、風見瑠惟へ渡していた。
教科書を揃えていない転校生と、魁人の教科書を一緒に見ていた際にコッソリと。
ホームルームが終わってからしばらく経つが、未だに風見瑠惟の姿は見えない。
屋上は少し前に自殺未遂騒動があって、立ち入り禁止となっている。
以来、機関の関係者が校内で落ち合う場所の一つとして利用されているのだった。
余った時間を活用だと、魁人は屋上手前の踊り場に置かれていた長机とパイプ椅子を引っ張り出した。
青空自習。
「いっそ乱れても良いくらい平和だ」
風は心地よいが、時折混じる砂埃がうっとうしい。
夜に機関の任務で動き回る魁人は、暇があれば宿題を下校前に済ませている。
機関のエージェントである前に、一人の学生だ。
学生の本分は勉学である。
福沢諭吉も、学問のすゝめに記していた。
『人は平等――なわけ無いから、勉強で周りに差をつけちゃおう♪』とか、そんな感じに。
宿題を見せてくれるような友達がいなくて、常に背水の陣でやらざるを得ないとか、そんな事は無い。
無いのだ。
「……核戦争でも起きないかなぁ」
しみじみと呟く。
世界よ滅べ。
苦痛を感じる間も無く、全て虚無へと還してくれ。
「朝から思ってたけど、典型的な根暗ねアンタ」
このコミュ障が――。
いつの間にか、風見瑠惟が傍らに立っていた。
後ろから、机の上をのぞき込んでいる。
……いやん。
「遅くないですか?」
誤魔化し混じりに、すこし咎める物言いになった。
「ごめんごめん。クラスのみんなが、教室でプチ歓迎会やってくれたから」
アンタは出なかったけど――。
冷ややかな眼差しが、思わぬカウンターだった。
「え、な、そうなんですか!?」
聞いてない。
同じクラスなのに聞いてない。
「ま、休み時間の度、教室の外に逃げ込むようじゃねぇ」
更に追い打ちを喰らった。
風見瑠惟に群がる有象無象の、『話に加わらないんだからお前邪魔なんだよ』的なオーラに圧倒され、戦略的撤退を選んだのは事実だった。
会話に混ざる選択肢は、端っから無かった。
「なんというか、虐められないだけマシなレベル?」
「でっ、出会ってそれほど経ってない相手に、そこまで言う!?」
「否定はしないのね」
むやみに相手の意見を否定してはならない。
コミュニケーションの基本に従ったのみである。
他意は無いし。
無いし。
「……この学校じゃ、いじめは、タブーですよ。そういう物を蔑視する風潮ですから」
視線は机のノートに落としたまま、魁人は言う。
声が震えたのに、理由はないから。
なぁ……。
――子供の心をケアをする。
――自立を支援する。
籠沼学園は、そういったコンセプトで設立される筈だった経緯がある。
機関関係者を遠方から一カ所に集める建前に過ぎないが。
地元の反対運動が展開されかけて、そのキャッチコピーを撤回したというオチが付く。
誰だって、異常者を近くに置きたくない。
世間は、一般的な道筋を外れて補助を求める落伍者もそのカテゴリに括るというだけの話。
――と、そのように魁人は説明した。
「でもまあ、その名残はありましてね。周囲も若干色眼鏡で見ます」
エージェントの特殊技能、すなわち能力は過度のストレスが切っ掛けで習得する物が多い。
更なる覚醒なんぞされたら面倒だと、教師陣も問題が起こらぬよう気を遣っているのだ。
「この学校に来たら、近所のおばさまにワケありだって思われると」
「陰口くらいは、覚悟してください」
「立地も微妙なわけだ」
得心がいったと、瑠惟の嘆息。
駅からはすこし遠く、町の端っこ。
比較的開発の進んでいる街区は、丘を下って暫く行った先、駅を挟んだ反対側。
周囲には畑やらも散見される、特徴も無い片田舎。
「……それで実際、私と組むというのは確かなのですか?」
本題に入るとする。
魁人――流露と組むのは、いろんな意味で問題がありすぎる。
上司も、そのことは重々承知の筈だ。
風見瑠惟のような人材を損なう事は、あってはならないのに。
「マネージャーの見山さんだっけ? 私は流露と組むのが一番良いってさ」
マネージャーとは、特殊技師関連の管理職を指す通称だ。
二次元アイドル系のソーシャルゲームにプロデューサーとして大金をぶち込む彼は、悪ふざけが多い事で知られている。
社会人やってられるのが不思議なレベルで。
機関の一員として有能ではあるらしいが、魁人的に殺意が芽生えるランキングで五位以内に入るのは確実だ。
「何を、考えているのか……」
思わず漏れる、嘆息混じりの呟き。
もしくは何も考えていないのかもしれない。
――ぶっちゃけ、一人が気楽なんですけどぉ。
小さく唸る魁人。
「――おほん」
そこで、風見瑠惟は仕切り直すように咳払い一つ。
「ねえ、あんた結構この業界長いんだって?」
「ええ、まあ、そこそこですわ」
封印されし龍で右腕が疼く十四歳の頃、魁人は機関への所属を決めた。
「なら、ちょっと聞きたいんだけど」
少し改まった様子。
そして、魁人へ言葉を投げかける。
「真田瑞月って知ってる?」
思わず、全身が強ばった。
目を剥いて、顔をあからさまにしかめてしまった。
魁人にとって唐突な、予想外の名前。
一瞬思考が止まり、不自然な間を生んだ。
「知ってますよ……」
漏れるような、うめき声。
魁人は、食いしばった奥歯の力を抜いた。
それから再度、嘆息気味に告げた。
「ええ、よく知ってますよ。有名な人ですから」
おそらく、風見瑠惟は彼女と直接の面識が無い。
そうであれば、昨夜の時点で問い詰められたはずだ。
そうでなくては、雪花を見て何の反応も示さないわけが、無い。
「――そうね。貴方、あの子にフラれたものね」
割って入る声。
いつの間に近づいたのか。
屋上の入り口に目をやれば、見知った少女。
三つ編みに、レンズの厚い眼鏡は銀の縁取り。
スカートの膝に届く様が野暮ったい、ステレオタイプな文学少女。
その手には、巾着袋を提げていた。
「ど、どうも、凪さん」
魁人は軽く会釈した。
――少女は機関所属、甲種二級技師、凪。
「この間も言ったけど、学校で銘を呼ばないでくれる? 貴方の同類に見られたくないの」
目を細め鼻を鳴らしながらの冷笑。
それを言うなら、その態度は普段学校でやってない筈では?
その態度、十分イタい。
けどまあ、飲み込んだ。
「それは、失礼」
頭を下げる。
――ヤバ、この人本名なんだっけ?
流露は内心の動揺を悟られぬよう、無表情を装った。
「何のご用でしょう?」
先を促す。
有耶無耶にして、誤魔化そう。
「ねえ、私の名前を言ってみなさい」
「えぇ、某暗殺拳の使い手さんでしょうか? 弟に劣等感を持った」
薄目で問いかけてくる凪に、魁人はネタで誤魔化す。
いやー、喉のここまで出かかってるんすよー、マジで。
いやマジで。
「いい加減、人の名前くらい覚えなさい。常識でしょう?」
目論見は看破されたようだ。
「しかも誤魔化そうとしたし」
更に、風見瑠惟が追随する。
そして凪は、風見瑠惟に向き直った。
「宜しくお願いね、転入生さん。私の名前は、石垣香奈恵」
凪――石垣香奈恵は、打って変わった穏やかさで風見瑠惟に手を差し出す。
「風見瑠惟でーす」
そして握手。
一瞬、こちらに目配せしつつ。
ちゃんと覚えます、ごめんなさい。
石垣香奈恵さん、石垣香奈恵さんっと。
凪は、またシニカルな表情で風見瑠惟に向き直る。
「同情するわ、コレと組まされるだなんて」
凪はそう付け加えて、薄く笑いを含んだ息を漏らす。
……どういう意味なんでしょうかね。
「なんたって、彼は機関が誇る英雄様だから。面倒事が多いの」
「英雄?」
「ええ、こう見えて凄いの、色々と」
この人、過去のあれこれを未だ根に持ってやがる。
そうに違いねぇ。
アタクシの切ない過去を暴露する気だ。
プライバシーの侵害だ。
風見瑠惟は、憤懣やるせない魁人を見て嘆息した。
「そう? 当てにならないみたいだけど」
「真田瑞月についての事?」
と、石垣香奈恵が返す。
「フラれたって話がホントなら、コイツじゃ連絡取れないでしょうね」
「それに関しては、どのみち無理」
「――彼女は、現在機関に所属していません」
魁人はそこでぴしゃりと割って入る。
これ以上、彼女について話していると、妙な事を口走ってしまう。
「また、彼女の所在に関しても、私は知りません」
「ストーカーはしてませんってさ、風見さん」
「本当?」
「いやもう、きっついなぁ、お二人さん!」
魁人は居たたまれない気持ちを隠しつつ、おどけた笑みで頭を叩く。
引きつった笑みだった。
そんな自覚があった。
「――とまあ冗談はこの辺で、本題と行きましょうか」
「そうしてください」
もっと事務的で良いんですよ?
「用件は二つ。それで、一つ目は先生からの預かり物」
そう言って、石垣香奈恵は巾着袋から取り出した物を投げ渡してきた。
取り落としそうになりながらキャッチ。
筒状の半透明ケースに詰まった、白い包帯。
「ありがとう。切らしてたんですよ、コレ」
風見瑠惟は、包帯を見て呆れ混じりに問うてきた。
「何、腕にでも巻くわけ?」
鋭い、やはり天才か――。
「ええ。コレが無ければ、右腕の龍と左手の魔剣が使いこなせないんですよ」
「どっちか一つにしとけば?」
設定は欲張りすぎない方が良いよ――。
色々と明後日な親切心は、涙ながらにスルーした。
いや必要なんすよマジに。
そこで石垣香奈恵が、コホンと咳払い一つ。
あ、もう一つありましたね、ご用件。
「もう一つ、マネージャーからの預かり物」
次の投げ渡される物は、黒くてゴツい二つ折り携帯電話。
ずっしり来たが、今度は危なげなく受け取れた。
古いが耐衝撃に優れた、機関御用達のモデル――少し前に壊してしまった分の再支給か。
「必要な番号は登録済みだって。こっちは風見さんの分」
同じ機種が、風見瑠惟にも渡された。
「コイツとお揃い?」
「私も同じ機種だから、我慢して」
なにやら女子共が苦い顔で言っているが、別に悲しくねーよ?
――と、そこで受け取ったばかりの携帯電話が鳴動する。
着メロは電波ソング。
若干躊躇いがちにパカッと開いた。
表示されている名前は、見山P。
ソシャゲが本業と言わんばかりだった。
とりあえず、通話ボタンを押す。
「もしもし」
『やーやー、元気してるかな?』
大人らしい落ち着きを感じさせない、軽薄な声だった。
「ほんの少し前までは、元気でしたよ」
お前のせいで気落ちしたと、あからさまな皮肉を返す。
あーでも、さっきまでも、元気かっつーと微妙かなー。
『そんな君にテンションの上がるお知らせだ』
新人研修も兼ねて、ミッションと行こうじゃないか――。
「宿題まだ、終わってないんですけどね」
そんな呟きは、当然スルーされた。
続く




