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2話

 自分からアクションを起こさねば、変わらない。

 信念を持って動けば、良い方向に物事が転がってくれる。

 風見瑠惟は、そう信じて行動に移った。

 リスクを承知で、曖昧な根拠だけれど。

 それに賭けるしか、無かった。

 


 その夜、月の光がやけに鮮明に感じられた。

 疎らな街灯は、夜道を照らすには少し不安で、けれど天の光を曇らせるには十分すぎるほどだったのに。

 心が、月と引き合っている――。

 日に日に、月を気にすることが多くなっていった。

 寂しさを誤魔化すように毎夜町を徘徊し、焦りを募らせる日々だった。

 妄想が理性を侵食しているのではないかとも感じ、より焦燥は増していく。

 ぽっかり空いた土地に柵を飛び越えて進入したその夜。

 見上げた先の月光は、まるでこちらを癒やすように柔らかだった。

 そんな、何処か乙女じみた心が自分に残っていた事実が、少し可笑しかった。

 

「月が、綺麗ですね」


 不意に、声を投げかけられた。

 大人の重みを感じさせない、悪戯めいた少年の声。

 古い作家が『I love you』をそう訳したと教えてくれたのは、行方の知れぬ親友だった。


「遠くて、届かないから?」


 あんた好みじゃないのよ――。

 そんな嫌みを込めて、振り向きざまに返してやった。


「手厳しい」


 声の主は、楽しげだった。

 言葉とはまた別の、『何か』が同時に自分へ投げかけられている確信が過ぎった。

 驚きとはまた別の、不思議な心の動きを自覚した。


「――私は風見瑠惟。貴方は?」


 この違和感だ。

 自分が探していたのは。

 これからだ。

 一世一代の賭け事が始まるのは。


「初めまして。機関所属、甲種三級技師の流露と申します」




 流露の魔眼がこれほどまでに疼いたのは、久々だった。

 本日のミッションは、機関が補足した能力者勧誘――最悪、武力行使をも視野に入れて臨む、普段通りの流れ。

 対峙した相手は、滅多に見ないレベルの大物だった。

 根元の色から見て染めた感じがしない金髪ポニーテール美少女とか、漫画のヒロインか。

 切れ長の瞳はちょっと怖い。

 生のセーラー服とか見たの久々だ。

 記憶力には自信ないが、脳内保存したい。

 ……そういう意味の大物というわけではない。

 魂と、それに付随し共鳴する運命力場が凄まじい。

 彼女は、こちらを待ち受けていたかのような落ち着き払った様子で、不敵な笑み。

 理想の王子様とか待ち受ける系の、男あさりなのだろうか?

 流露はバッサリだったが。

 

「待ってたわ」


 いや別に、あんたが好みとか口説いてるってワケじゃ無いけど――。

 そんな駄目押しが付け加えられたが、流露は別に悔しくなかった。

 ホントに悔しくないと、大事な事だから続けて脳内で唱えた。

 これが、流露の行く末に大きく関わる出会いだったのだ。

 眼前の少女が掛け替えのない存在になるだなんて、この時は思いもよらなかった。

 ――などと、脳内ナレーションで希望を捏造した。

 虚しくない、虚しくない。




「では、おさらいといきましょう」


 流露はそう前置きして、歩を進めながらも語る。

 風見瑠惟は、その横を少し遅れ気味について行く。

 郊外の工業地帯、敷地内の少し開けた空間。

 流露の幼さ抜けきらないアルトボイスや、互いのブーツが鳴らす硬質な音も、高く広がっていくように思えた。

 温い夜風は吹き荒び、瑠惟とさして変わらない中背に少し裾の余る黒いジャケットがはためいているのを見た。

 それでも、短く整えられたその髪は大人しいものだ。

 こちらのポニーテールはパタパタと忙しないというのに。

 時折こちらに向けられる流露の視線。

 彼女には、薄く色づいたフレームレスのグラス越しにも、少年の宿す力強さのような物が窺えた。

 それが職業意識の表れなのかは定かではないが。

 流露は点在する電灯柱、その一つの下で足を止めた。


「まず前提として、私たちが用いる技能は、魂という存在に依存します」


 魂。

 未だ不信感を拭いきれない単語だったが、それを飲み込まなくては話にならないと、頷いて先を促した。

 流露は、不承不承と言わんばかりな瑠惟の内心を読み取ったのか、苦笑しつつ言葉を連ねる。


「精神子――未だ謎の多い素粒子で構成された脳と相互に干渉し合う物体、とでも言えば少しは胡散臭さも解消できますか?」


「マイナスイオンといい勝負ね。下手なオカルトよりも信用出来ない」


「これは手厳しい」


 思わず瑠惟の口をついて出た悪態。

 流露は口の端を小さくつり上げて、自らの額を軽く叩いていた。


「まあ、学者の見識も先ほど述べた程度の理解でして、実際のところ」


 やはり怪しいだけの代物ですがご容赦を――。

 そう告げてから、流露は改めて前へ向き直り、歩みを止める。

 その直後だ。

 瑠惟が、微かな不快を伴う違和感を覚えたのは。

 明らかに、何かが変わった。

 辺り一帯に何かが奔り広がっていく確信。

 この場から距離を置きたいという、落ち着かない気持ちも僅かながら。

 警戒心が疼き、思わず身構えた。

 瑠惟はこれ以上の不快感を経験し、それこそが此所にいる切欠になったのだから。


「これは――」


「パーソナルスペース、というものについては説明がまだ不十分でしたね」


 流露は特に動じた風も無く、説明を続ける。


「元々は心理学用語なのですが……。簡単に言ってしまえば、親しくも無い人間とは物理的に距離を置きたくなる。つまり、そういった拒絶の範囲を差す訳です」


「説明が分かり難い。まあ、人はパーソナルスペースとやらの範囲内に他人を近づけたくないってことでしょう?」


「その認識で十分です。――さて、誰かが近くにいるという事をどのようにして知覚するか。これは言うまでも無く五感――その内の視覚、聴覚、触覚、嗅覚といった所でしょう」


 味覚でというのは、さすがにレベルが高過ぎる――。

 笑いを漏らしつつ、流露は言う。

 瑠惟は、汗の味で嘘をついているか判別できる強者を思い出した。

 言うまでも無く、漫画のキャラクターだ。

 流露はそこで、思わせぶりに指を立てた。


「我々は、更に六つ目の感覚を用います」


 それが魂です――。

 一瞬の間を置いて告げられた。


「身の内に宿る魂によって、他者のパーソナルスペースを感じる。そして、あたかも手を伸ばすように魂を広げ、自分のパーソナルスペースを拡大することも可能なわけです」


「この違和感の正体が、それだってワケね。広がったパーソナルスペースに入り込んでいる、と」


「まあ、漫画に出てくるオーラ的な物だと思えば――」


「止めろよ身も蓋もない」


 ツッコミながら、瑠惟は一歩踏み出した。

 前方に見据えるのは、屋根は高くトタンの外壁が頼りない倉庫。

 学校の体育館よりもかなり広そうだ。

 搬入用の大扉は左右に開け放たれたまま、その奥に暗闇を覗かせる。

 月夜だけでは、その中をうかがい知ることは出来ない。

 それでも、パーソナルスペースを拡大した何かがそこにいるという確信があった。

 魂の感覚。

 実感している今になっても、信じ切れないものがあったが。

 ふと気づけば、にじむ手の汗。

 瑠惟は握ってごまかした。


「まあ、厳密に心理学的なパーソナルスペースと同じ物ではありませんし、その時々で呼び方がコロコロ変わります」


 結界とか、瘴気とか――。

 瑠惟の緊張とは裏腹に、流露の口調は興が乗ってきたと言わんばかりだった。

 そして流露は、右腕の時計を確かめている。


「そろそろ定刻ですが、改めて本試験の内容を確認しましょうか?」


「倉庫の中に居るターゲットにペイントボールを当てる。ターゲットは動いてる」


 瑠惟はジャケットのポケットから、ビー玉くらいの小さなボールを取り出して眺めた。

 黒いボールは柔らかく、強く握れば潰せそうだった。


「そのペイントボールを使い切った時点で試験は終了です。障害物は出来る限り除いていますが、転ばないよう気をつけてください」


「はいよ。じゃあ、合図とかお願い」


「――ヘイ! アーユーレディ?」


 弾むような口調だった。

 その両手をくねくね動かしながら、こちらを指で指し示している。

 指ぬきグローブだった。

 瑠惟もだが。


「もうちょい真面目にやって」


 だだ滑りだ。

 控えめに言って、うざい。


「す、すんません。失礼しました」


 かしこまった様子で一礼する流露。

 そのまま、しゃっちょこばった風に続けた。


「はい、では、本題に移らせていただきます」


 ……こんな茶番で自分の緊張をほぐしたつもりなのだろうか。

 内心でぼやきながら頷いて、先を促す。


「これより、私こと流露立ち会いの下、風見瑠惟研修生の甲種技能審査に移ります」


 始めてください。

 静かに、だが確かに響く声。それを契機に、瑠惟は歩を進める。


「――Realization」


 呟いた英単語の意味は、実現。

 そこに、妄想じみた現象を起こすという意味を込めた。

 目的を達成しようとする意思表示でもあった。

 それは起動コード――自らの魂を崩壊させ、その質量をエネルギーに変換するための切欠。

 スムーズにそうなるよう、自己暗示で設定した単語だ。

 精神起動状態、崩壊のイメージが脳裏を過ぎる。

 瞬く流星が無数に駆け抜ける様を幻視した。 

 そして、地に足がつかないような不安がこみ上げる。


「あーやだやだ、この胃が持ち上がる感じ」


 魂が壊れる現象は不健全。

 ストレスが溜まるのは当然だと、知ってはいても慣れない物だ。

 逆に、ほどよい高揚感が生まれる事も多いらしいが。

 嘆息して、倉庫の中へ踏み入った。

 監督役の流露は、入り口付近でこちらを伺っている。

 試験の合否くらいは、そこからでも分かるのだろう。

 それでは見せつけてやろうか、やる気と実力を。

 暗闇の中、蠢く存在へ向かって進む。

 その存在もこちらに応じて動こうとするのを、瑠惟は察する事が出来た。


 ――鬼さん、こっちらーってか?


 閉ざされた視界で、微かな手がかりを頼りに進む。

 元ネタの芸者遊びそのままだ。

 倉庫の中は意図して暗くしたのだろうか。

 壁の窓を、板などで塞いでいるらしく、その隙間から差し込む光は少なかった。

 ターゲットらしき何かを遠くにボンヤリ捉えたが、今にも見失いそうだ。

 コツコツと、瑠惟の足音が響く。

 コンクリートで固められたらしい床は殆ど見えないが、躓きやすい起伏は無さそうだ。

 続いて、瑠惟の物より小さな足音が響く。

 その音は遠ざかっていく。

 今度は少し足早で進むと、相手もまた足を早める。

 こちらの足音に反応して動いているようにも思えた。

 このまま普通に近づこうとしても、向こうは付かず離れずのままだろう。

 ここは相手のパーソナルスペースの中で、瑠惟は自らの魂を活動的な崩壊状態で留めている。

 視界が利かない不安はあるが、互いの位置はおおよそ判別がつく。

 ペイントボールは、ポケットの中に五個程度。

 適当に投げるというのは、論外だろう。

 そもそも、それで受かっては意味が無いだろう。

 魂による知覚を試されているはずなのだから。

 それ以上のモノも、求められているはずだ。

 そうするよう誘導されているとも思えた。

 だから、やる事は一つだ。


「ん、やろうか」


 意気込んで呟いて、首を小さく縦に振り、丹田――体の重心を意識する。

 腕を組み、全身の力をそこへ集める感覚。

 ――波動が、全身を巡った。

 五感とはまた別の、言いようのない確信。

 そして軽く地を蹴れば、瑠惟の体は宙に浮いた。

 ふわり。

 地に足が着かない不安感は、現実となる。

 重力操作。

 瑠惟の特殊技能だ。

 同時に、魂の感覚がより鮮明になっていく。

 ターゲットへ、照準が定まった。




「動き出しましたか」


 流露は、解説キャラよろしく独りごちた。

 倉庫の中、強大な魂が二つ。

 片方――風見瑠惟の魂が、緩やかだった崩壊を加速させた。

 その気配を押さえ込んでもいない。

 呼応し、流露の魂が揺れる。

 本能的な忌避感や重圧すらあったが、これくらいは慣れた物だ。

 能力とか呼ばれたりする特殊技能は魂崩壊を呼び水とし、世界に満ちる運命力場から相性の良い力を引き出す事が求められる。

 魂の密度や大小が、技能の強さにイコールで結びつくわけでは無い。

 しかし、これだけ大きければ話は別だ。

 こやつら持ってるわー。

 試験前の短期訓練過程を書類で見たが、風見さんは能力が凄い上に、上下の向きがコロコロ変わっても酔ったり方向感覚を狂わす事も無い。

 殆ど視界が利かない筈の状態でも、精神が大きく怯んだ様子も無い。

 恐ろしい後輩を持っちまったもんだぜ、と手の甲で顎に伝う汗を拭った。

 まあ、片方のターゲット役はアレだけど。

 何かもう、アレだけど。

 さっさとアレは負けていい。

 ――と、そこで風見瑠惟がターゲットへ迫っていくのを感じとった。

 その滑らかな加速は、重力操作によるモノか。

 魔眼を使えば、もう少し詳しく把握できるだろう。

 流露の両目は、運命を見通す力を持っている。

 具体的には、幼馴染みであった二人の少年少女が、赤い糸で結ばれているのを看破した実績を持つ。

 ……そこで過去のトラウマが過ぎったので、やっぱし使うのを止めた。


「コホン」


 ざーとらしい咳払いをし、試験へ意識を向け直す。

 ペイントボールの塗料は流露が能力で掌握しているので、命中させたかぐらいは分かる。

 結果如何に問わず、風見瑠惟の甲種合格は確実だが。

 こう、持っとるし。

 機関の技師として所属する能力者は、甲、乙、丙の三種に分類される。

 その内、実際に活動するのは甲種と乙種。

 甲種は実働要員として駆り出され、乙種はその後方支援をする。

 風見瑠惟の技能は幅広い応用が期待され、ましてや本人が甲種登録を希望しているのだ。

 あえて遊ばせるような理由は無いだろう。

 それでも、緊張を強いられるシチュエーションでのパフォーマンスを把握する必要があるのだとか、なんとか。

 流露が立ち会わずとも、これだけの才能は『詮裏眼』とか、知覚と解析に優れた技能の持ち主がコッソリ見ているだろうに。

 仕事中という事務的な距離感があるとは言え、長時間に渡り人と接するのは流露にとって拷問に等しい。

 金髪美少女と関われる貴重な時間だが、ささっと終わって欲しいものだ。

 そんなんだから人と関係を築けないのだという事は自覚しつつも、流露はその性格を積極的に改善する気が無かった。

 まさにクズ。


「お、ボールが――」


 投げ放たれるのを知覚した。




「……外した」


 ペイントボールの中身は発光塗料だった。

 相手には悠々躱され、薄緑にボンヤリ光る塗料は床にぶちまけられている。

 加速する前に狙った場所であり、瑠惟はそこへ着地した。

 塗料を踏んづけてしまい、ターゲットがこちらを見やすくなってしまったかも知れない。

 その地点を外したら何かにぶつかるのでは無いかという恐れが、無意識にブレーキをかけたのだろうと自己分析。

 着地時点での衝撃も、膝に負担が来ない程度だった。

 ターゲットは、ある程度の距離を置きながらこちらの様子を窺っているようだ。

 闇になれつつある目だが、未だ不鮮明で頼りない。

 それでも間合いを詰めた際に、遠ざかっていく女性的な細身のシルエットが窺えた。

 微かな影と足音が、その軽快な動きを想起させる。

 どうやって追いつくか。


「……いやいや、他にもあるじゃん」


 アイデアが浮かんだ。

 むしろ、最初に思いつくべきだったレベル。

 先ほどの、自分が重力の流れに乗る感覚を変革する。

 瑠惟の技能は、重力操作。

 万有引力――全ての物体が引き合うイメージで周囲の空間へ干渉する。

 瑠惟を中心として球体状に、自身の意志によって歪んだ世界が広がっていき、相手がその中に取り込まれた。

 そして、こうする。

 ――グイッと。

 球体を圧縮するように、力を働かせた。

 瑠惟へ向かって、周囲を引き寄せる。

 近づけないなら、こちらに近づいてもらえば良い。


「――ッ!」


 遠くのターゲットが息を呑むのを感じた。

 引っ張られるのに気付いたようだ。

 きっと、思わず踏ん張ってしまうだろう。

 引き寄せる力を緩めて、こちらからペイントボールを投げた。

 

 ――惜しい!


 相手はギリギリで飛び退いていたのが分かった。

 着地の隙を狙って、再度引く。

 体勢は整っていないはずだと考えて。

 そして期待通りになった。


 ――来る!


 瑠惟はペイントボールを取り出す。

 ボールを投げだそうと腕を引きつつ、近づいてきた相手とぶつかってはと思い減速させようとして――。

 パコンと当たった。

 横合いから、板状の何かが瑠惟の頭に。

 窓を塞いでいたらしい板の一つが、引き寄せられたのだろう。

 あちゃー。

 瑠惟の思考が一瞬停滞し、続けざまにターゲットが迫り来る。

 他ならぬ瑠惟の力で。

 慌てて減速させるも、勢いが殺しきれず正面衝突。

 柔らかい衝撃は、けれどしっかりとした重さを宿していた。

 ターゲットと瑠惟は勢いのまま、もつれ合って転がった。

 ごろんごろんぺたん。

 ……気付くと、相手を組み敷いた姿勢。

 板が外れた窓の一つから外にある灯りの光が差し込み、そこで初めて瑠惟は相手を視認した。

 息を呑んだ。

 ゾッとするほど綺麗な人形――。

 そんな印象を抱くほど整った容姿だった。

 無表情な童顔の黒い瞳には引き込まれそうで、腰くらいまで長く伸びた黒髪はハラハラと広がっている。

 そして一見して華奢だと分かる肢体を包む、飾り気の無い黒一色のドレスは喪服じみていた。

 その胸の辺りには薄い緑の塗料がベッタリと。

 ぶつかった際に、手の中にあったはずのペイントボールを挟んでつぶしていた――。

 残りのボールをと、ポケットに手をつっこっめば、その中は濡れた感触。

 うへぇ。

 この結果をどう判断すれば良いのか。


「合格、おめでとうございます」


 いつの間にか、近くから流露の声。

 

「ペイントボールがターゲットへ命中したのを確認しました」


 頭を声のした方へ向けると、流露はハンドライトを携えて近づいてくる。

 ライトの光はこちらに直接当てないよう、少し離れた方の床へ向けられていた。

 それでも、少し目にキツいまぶしさ。

 周囲に舞う砂埃が視界にちらちらと。

 

「しかしこの状況、どう判断すればいいのやら……」


 流露の含みを持たせた声。

 そこで、瑠惟が未だに少女を組み伏せたままだと気付き、慌てて退いた。


「――ええと、立てる?」


 少女に手を差し出し、起き上がらせようとした。


「お気遣い無く」


 少女は瑠惟の手を取らず、すっくと淀みない動作で立ち上がった。

 その身長は、瑠惟よりも頭半個ぶんくらい低かった。


「動作に支障はありません、マスター」


 淡々とそう告げて、少女は流露の傍らに立つ。

 瑠惟の存在を無視したかのような振る舞い。


「あのー、ごめん、怒ってる? 服とか汚しちゃったし」


「いいえ。あなたの取った行動は、試験の趣旨から外れない正当な物です。私から申し上げる事はございません」


 そこで、流露が少女の頭を小突いた。


「その、つれない態度のせいでしょうが。風見さんが不安がってるのは」


 ほら、自己紹介くらいしなさい――。

 流露に促され、少女はこちらに向き直った。


「私の名称は雪花と申します。マスターをお慰めするための、奉仕人形です」


 お見知りおきを、と深いお辞儀をした。

 ……お慰めって、人形って、何それ脳内設定?

 綺麗なのに残念だうわぁと、瑠惟は退き気味になった。


「このポンコツに関しては気にしない事です。精神衛生的に考えて」


「これだけは確認したい。――あんた、犯罪に手を染めてない?」


「……言っときますが、機関の意志でもあるんですよ。一言では表せない複雑な事情があります」


「事情、ねぇ」


「そちらが目的のために機関へ接触したように、私にも色々あります。それが何なのか、軽々に余所様へ話すつもりはございません」


「別に、私の目的は話したって構わないけど? 手を借りる事もあるかも知れないし」


「ぶっちゃけ、あなたは期待の新人ですからね。最低ランクである三級止まりの私と関わる事は、無さそうですよ。手伝える事も」


 ですから、はい終わり、終わりだから――。

 流露はそう言って強引に話を打ち切った。

 追加の手続きがあるんで、そう告げて流露は倉庫を足早に出て行く。

 雪花も静かに続いていく。

 瑠惟は嘆息し、それから駆け足で二人を追いかけた。


「汚した倉庫の掃除とか、しなくて良いの?」


「あー、平気です平気です。元々壊れてもいいボロ倉庫ですし、塗料は空気に触れて暫くすると、勝手に分解されますから」


 だが、衣服に染みついたものに関しては、さすがに落ちないらしい。

 自前の服でなくて良かった。

 合格後の諸手続と同時に、支給品追加の申請が必要になった。




 転校生が来るらしい。

 舞い込んだ知らせで、にわかに教室が騒がしくなった。

 ふ、その程度で騒ぐなんてくだらないぜ。

 会話へ混ざれない負け惜しみを、ニヒルぶってぼそりと呟いた。

 ボッチがニュートラルの志藤魁人は、そこからは普段通りに妄想へ逃げ込むばかりだ。

 突っ伏して、寝たふりをしつつ。

 今日の妄想は、テロリストが学校に攻めてきたときにやれやれって言いながら闘う、実に王道的な流れだった。

 クラスメートの中でも苦手な人物が、数名貴い犠牲になったところで、担任が教室に入ってきたようだ。

 さすがに魁人はそこで頭を上げた。

 担任――数学担当のバーコードヘッドで機関の関係者――は、前置きしてから転校生を招き入れた。

 どんな人が入ってくるか、やはりちょっぴり気になった。


「初めまして。風見瑠惟って言います。よろしくお願いしまーす」


 ……ふーん転校してきたんだー。

 その程度の感想しか浮かばなかった。

 容姿が優れているし、日常生活の魁人はコミュ障だし、そうそう関わる事もあるまいと思って。


「じゃあ、風見さんの席は後ろの空いてるところで――」


「あ、ごめんなさい。私、最近視力が落ちたので、出来れば前の方が……」


「じゃあ私代わってあげまーす」


 そう言い出したのは、魁人の隣の少女だった。

 窓際だが、最前列ではある。

 しかし、やっかいな席から解放された感でノリノリに見えるのは気のせいだろうか。

 あっさりとそのまま決まり、風見瑠惟は志藤魁人の隣席となった。


「ど、ども、志藤です。よろしく」


 機関の事はあまり公にする事でも無いので、初対面を装った。

 そもそも、仕事中のフレームレスが黒縁眼鏡に変わって、気付いていない恐れもある。


「よろしくね、色々と」


 握手を要求され、恐る恐る握った。

 その際に、小さな紙切れを渡された。

 休み時間になってから、トイレの中でそれを確認して、魁人は首を傾げた。


「なんですか、これ」


『OJT担当さんへ

 放課後、色々お話がありますので、お時間ください。

 風見瑠惟』


 OJTとは、オンザジョブトレーニング――つまり、習うより慣れろと仕事をさせるアレの事か。

 魁人が――つまり流露が、彼女を世話すると。

 いやいやいやいや。


「荷が重い……」


 美少女と仕事が出来る喜びよりも、魁人にのし掛かるプレッシャーは遥かに大きかった。


 続く

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