白き手の乙女
〈……寒い〉
石造りの小部屋に設えられたベッドの上で、禎理は何度目かの寝返りを打った。
薄い色の硝子がはめられた小さな天窓から、月の光が静かに降ってくる。
ここは、天楚市の西側、六角郷にある領主館の一室。その厚い石壁は隙間風一つ通さないほど頑丈だし、禎理の上にある布団も、いつも使っているものより格段に厚い筈なのに、この寒さは何だろうか?
〈風邪、かな……?〉
もう一度寝返りを打ちながらそう考える。
禎理が尊敬する天楚の貴族、六角公真の見舞いに来て、彼の風邪を貰ってしまったのか。はたまた、日が沈むまで六角公の一族の子供達と雪遊びに興じていたのがいけなかったのか。そこまで考えて苦笑した禎理の頭を、いきなりの痛みが襲った。
〈……これは〉
もう一度寝返りを打った力を利用して、ベッドの柱に掛けてある自分の鞄に手を伸ばす。その中に薬草が幾つか入っている筈だと期待したのだが、鞄を探っても手に触れるのは布の感触ばかり。見舞いの時に、薬草は全部六角公にあげてしまったと禎理が思い出したのはずいぶん経ってから、だった。
しかしながら、例え薬草が鞄の中に有ったとしても、そのままでは到底飲めたものではない。しかも、今禎理の枕元に置いてある水差しには、水が一滴も入っていなかった。
〈……仕方ない〉
幸運なことに、この屋敷には多くの騎士がいて、夜中でも不寝番としてその誰かが屋敷内を周っている。その人が近くを通りかかった時に声を掛けて何とかしてもらおう。禎理はそう決心し、廊下の物音に耳を澄ました。
と。
不意に、部屋の戸が音もなく開く。
〈……?〉
首を傾げた禎理の視線の先には、ふわりと広がった青いスカートと、それより薄い色をしたエプロンが、あった。
〈女の、人……?〉
何故今時分こんなところに? 禎理がそう感じるよりも速く。
いきなり、白い手が視界を塞ぐ。熱い額に当てられたその手は、程好い冷たさを持っていた。その気持ち良さに、緊張していた心が思わずほぐれる。
しかし、次の瞬間。
〈……え?〉
一瞬にして、上半身が起こされる。
思いもかけない力に戸惑う禎理の口元に、冷たい金属がそっとあてられた。そしてそのまま、口の中に苦いものが流し込まれる。
〈毒? ……いや、薬、だ〉
微かに漂う匂いから、そう判断する。が、そう思った時には既に、禎理の身体は再びベッドの上に横たえられていた。
手拭を持った手が、禎理の額を優しく撫でていく。その、月の光を反射して白く光る手を、禎理は美しいと感じながら、熱でぼうっとしたその瞳でいつまでも見つめて、いた。
「……禎理、おい、禎理」
六角公の甥、須臾の声に、禎理ははっと我に返った。
天窓から漏れる光は、いつの間にか太陽のそれに変わっている。
「朝食の鐘が鳴ったっていうのに起きてこないと思ったら、風邪でも引いたのか?」
いつもの通りの口調で、須臾が尋ねる。
「ああ……」
その問いに生返事で答えながら、禎理はすっとベッドから滑り降りた。
身体はまだ少しだるいが、動けないほどではない。だからそのまま、禎理は須臾と一緒に階下の食堂へと降りて行った。
その途中で、この屋敷の主人、六角公と出会う。
公の顔は、昨日見舞った時よりも明らかに血色が良かった。
「おはようございます、六角公様」
これまたいつも通りの優雅なしぐさで、須臾が公に頭を下げる。
「もう、お起きになって大丈夫なのですか?」
「ああ」
須臾の問いに、六角公は鷹揚に笑うと、廊下のとある一点を指差した。
「『白き手の乙女』が来てくれたからな」
あっという言葉を、慌てて飲み込む。
口を押さえながら、禎理は六角公の指の先を見つめた。
その指が指していたのは、昨夜月の光で見た婦人そっくりの小さな肖像画。
「今でも、館に病人が出ると看病しにくるんだよ、彼女は」
彼女は、その昔、この館を診療所として開放し、多くの病人をその奇跡の技で癒したという。
〈……幽霊、だったのか〉
笑いながら話す六角公のその言葉を聞きながら、禎理は何故か心の中が温かくなるのを感じた。
〈でも、そんな幽霊なら、何人出てきても良いかも〉
禎理はそう思い、心の中でくすりと微笑った。




