名付け親
「……えっ、俺が?」
そう言って、その茶色の瞳を見開いた禎理を目の前にして、須臾は彼を訪ねた理由をもう一度、口にした。
「そう。禎理に頼みたいんだ。俺の子の『名付け親』を」
つい今朝方、須臾の妻が子供を産んだ。夫妻にとって初めての子で、しかも男の子だ。その子供に名前を付ける役を、須臾は禎理に頼みに来たのだ。
もちろん、ある目的を持って。
「でも、何故?」
思った通り、須臾の頼みに禎理は首を傾げた。
「俺以外にも適任者はいるだろう? たくさん」
禎理の質問も尤もだ。貴族の嫡男の名付け親という重要な役を、よりによって冒険者の、しかも身分で考えると最低ランクに属する『流浪の民』出身の禎理なんかに頼みに来るのはおかしすぎる。禎理の口調には、その疑問がありありと浮かんでいた。
だが。
「後輩の息子の名前を、先輩が付けるのは当然だろう」
内心の思惑を隠して、考えてきた答えを口にする。
「それに、禎理は天楚大学の金衡教授の直弟子だし」
「むー」
須臾の言葉に、禎理は唇を真一文字にして黙りこんだ。
実際に、禎理と須臾は天楚市内にある道場で共に武術を学んだ仲である。その時の寮の部屋も同室だった。更に、未成年時の禎理の後見人である金衡教授は天楚大学でも有名な言語学教授であり、その弟子扱いされている禎理が、古代の文字であり、天楚では現在でもその一部が実際に使われている『嶺家文字』に通じていることは、天楚市では周知の事実である。
だから確かに、須臾の言葉は妥当な理由となるのだ。
――禎理を『名付け親』にする。
「……分かった」
禎理がこの言葉を口にするまで、かなりの時間がかかったような気がする。しかし、それでも何とか、禎理の了承を得ることができた。須臾はほっと胸を撫で下ろした。
だが、しかし。
「でも、……本当の目的は何、須臾?」
禎理の鋭さに、心が躍る。
そうなのだ。禎理に『名付け親』を頼む本当の理由は、別にある。禎理を、『この世界』に縛り付けておきたい。それが、その理由である。
この、禎理という人物は、『冷静に無茶をする』人物であった。端的に言えば『自分の命を大切にしていない人物』なのである。困っている人や弱い人を見かけると、自分の生命を顧みずがむしゃらに突っ走る。禎理のその行動のおかげで助かった命も多い。そのことは、須臾も良く知っていたし、評価もしていた。
だか一方で、禎理自身も自分の命を大切にして欲しいと須臾は心から願っていた。禎理の『無謀』な行動を見聞きする度に、そう思わずにはいられないのだ。――禎理の友人の一人として。
しかし、須臾が何度諭しても、禎理の行動は改まる気配すら見せない。
ならば、搦め手から攻めるまで。
「ふっ」
そんな須臾の心を知ってか知らずか、禎理は須臾の目をじっと見てから不意に相好を崩した。
「別に良いよ」
良かった。再びほっと胸を撫で下ろす。
後は。
「じゃ、じゃあ、七日後に。必要なものは後で持ってこさせるから」
企みが禎理に知られる前に、須臾はさっさと禎理のもとを辞した。
そして、七日後。
赤ん坊の『名付けの日』に、禎理はきちんと須臾の邸宅に現れた。
――赤ん坊の名前と、その赤ん坊の為に作ったという歌を携えて。
特別に誂えて渡した濃い緑色のチュニックとなめし革のチョッキがぴったりと決まっている。須臾は三度、胸を撫で下ろした。
だから。
「ありがとう」
歌を披露した後の禎理に近づき、そっとお礼の言葉を述べる。
そんな須臾に、禎理は軽く手を振り、小声で言った。
「いや、……お礼を言うのは、こっちの方」
やはり、見透かされている。少しだけ、肩を竦める。だが、禎理の表情から、怒ってはいないことだけはしっかりと、分かった。
これで、禎理の品行が改まってくれればよいのだが。妻に赤ん坊を見せてもらう禎理の背中を見つめながら、須臾は心からそう、願った。




