代理
夏のきつい日差しが、天楚市の通りという通りを容赦なく焙っている。
通りに生えている草も、とぼとぼと歩いている動物達も、そして人間も、その暑さにやられてかいまいち生気が無い。
そんな中を、須臾はいつも通り悠々とした調子で歩いていた。
……ただ少し、肩の辺りが軽すぎるのが気に掛かってはいたが。
肩、いや身体全体がいつもより軽いのは、ごてごてした飾りのついた騎士服ではなく、普通の布上着を一枚着ているだけだから。しかし、その服の、肩は凝らないけれども重みが微妙に足りないのが、須臾の心をいつもより少しだけ不安にさせていた。
背が高く、ひょろひょろっとした身体に布上着一枚まとっただけ。その格好がいかに自分を貧弱に見せているかは、誰に指摘されなくとも須臾自身が嫌になるほど自覚していた。現に、いつもなら貴族騎士の格好を見て感嘆の視線を須臾に向ける街の人々も、今日は全く無視を決め込んでいるように思える。
自分は天楚の貴族騎士、しかも、由緒正しき六角公家の出だ。しかし、そこに集約された自信が心の中でどんどん崩壊してゆくのを、止めることができない。
〈……仕方ないじゃないか〉
そんな心をなんとか叱咤する。
今須臾が歩いているところは、天楚市の歓楽街一柳町。いつも歩いている大通りや市庁舎通りとは違い、下町のこんな雑然としたところでは、騎士の格好で歩く方が目立つのだから。
そんなことを考えているうちに、目的地に着く。
屋根裏も入れて四階建の、どのようなバランスで建っているのか分からない家屋の正面扉を、須臾は何の躊躇いもなく開けると、手摺が所々落ちている階段を使って一気に最上階まで駆け上がった。
足を床に下ろすたびに階段全体がギーギーと軋む。それでも足を止めることなく一番上まで上がり終えると、須臾は道路側の扉をノックもせずに開いた。
「……誰?」
すぐに、須臾より少しだけ背の低い女性が須臾の前に立ち塞がる。三叉亭の二階で診療所を開いている老人弦の弟子、七生だ。
禎理と七生は、姉弟のように仲が良い。それは分かっているのだが、自分の仕事を放り出して禎理の世話をする七生には、違和感を隠せない。
それはともかく。
「禎理の具合は、七生?」
そう訊ねながら、七生とドア枠の間の隙間から禎理の部屋を覗き込む。
重たい薬草の匂いが鼻を突く。傾いた天井の真下にある、たった一間の部屋の奥に設えられた箱形ベッドの上に、小柄な身体が横たわっているのが、須臾の目にもはっきりと映った。
ベッドに横たわる禎理の身体は、いつもより更に小さく縮んでいるように見える。
「昨夜より、熱は下がったんだ、けど」
そんな禎理の方を難しそうな顔で見やってから、首を横に振る七生。
確かに、今は静かに眠っているようだが、僅かに息をするだけで、その青白い顔が微妙に歪むのが須臾の位置からも良く分かった。
「……これじゃあ、無理だな」
禎理のその様子に、須臾は一人頷くと、七生に軽く手を振って再びぼろぼろの階段に足を下ろした。
三日ほど前のことである。
下町で、貴族階級の青年数人が一人の庶民階級の女の子にちょっかいを出した。
もちろん、公道でのことなので、青年達の行為をとがめようとした人達も何人かいた。だが、相手は貴族であり、その上剣を帯びている。武器を持たない町人では全く歯が立たない。それを承知で止めに入ったのが禎理である。互いに剣まで抜いた喧嘩になってしまったが、それでも禎理は少女を庇い、青年達を退けた。
しかしながら、その時に受けた傷が、この暑さで化膿してしまったのだ。
更に悪いことに、禎理にボコにされた貴族の馬鹿息子達は、自分たちのしたことを棚にあげ、禎理に罪を着せようと画策したのだ。その結果として、明日、『天楚市で喧嘩沙汰を起こした原因』がどちらであるかを審判する為の『神聖なる一騎打ち』が行われることになった。
しかし、禎理のあの状態では、とても明日試合に出られるとは思えない。いや、起き上がることさえ無理だろう。
それに、いくら禎理の剣捌きがうまいとはいえ、そこには『徒歩による戦いで』という条件がつく。馬上槍試合に関して言えば、経験ゼロの禎理に勝ち目は無い。
馬上槍試合には、経験と訓練で身に付くある程度のカンとコツが必要であることは、貴族騎士として何度もそれを経験している須臾には良く分かって、いた。第一、今回の相手は、先の大会で準優勝している奴である。生半可な奴ではあっという間に叩きのめされてしまうことは火を見るより明らかだ。そしてそうなってしまうと、禎理の『罪』が確定してしまい、禎理が殺されてしまう。それは一番避けねばならない。
と、すると。
〈やはり、これしかないな〉
須臾は立ち止まり、一瞬だけ目を瞑った。
……あとは。
須臾が次に向かった先は、冒険者宿三叉亭。
天楚市内に幾つか有る冒険者宿の中でも、この『三叉亭』は、美味しい料理と冒険成功率の良さで定評があり、冒険者禎理の『登録先』でもあった。
三叉の矛が描かれた扉の取っ手に手をかける前に、中の喧騒に気付く。おそらくここでも、明日の『馬上槍試合』について喧々諤々の議論が交わされているに違いない。その音を聞きながら、須臾はことさらゆっくりと両開きの扉を押し開けた。
「……やっぱり、誰かが代理で出るべきだよ」
酒場に入ると同時に、甲高い声が須臾の耳に入ってくる。
その声の方に目を向けると、黒いローブの袖を肘の上までたくし上げた小柄な青年が、カウンターの机に座り、他の人間に向かって怒鳴っているのが見えた。華奢な肩に羽織った灰色の肩布が、彼が南の神官帝国フビニの神官であることを示している。その名は確かエクサだと禎理から聞いた覚えがあった。
「じゃあ、お前が出るか、エクサ?」
その声に反応して、カウンターの奥から『三叉亭』の主人、六徳の声が返ってくる。
「そ、それは……」
六徳の言葉で、途端に元気を無くすエクサ。
それまで散々騒いでいた他の冒険者達も、六徳の声に一様に押し黙ってしまった。
やはり、馬上槍試合は普通の冒険者にとってはかなりの重荷なのだろう。それに、『三叉亭』には貴族出身の冒険者は何故か一人も所属していなかった。
そんな冒険者達を入り口に佇んだまま一人一人見てから、須臾は再び視線をエクサに戻した。
そして心の奥底でそっと微笑む。彼なら、須臾の『目的』にぴったりだ。
「……禎理の代理なら、僕が出るよ」
須臾はカウンターに近づくと、殊更大きなそう言った。
「なにっ!」
その言葉に、冒険者宿にいた全員の視線が須臾に集まる。
「お前、が?」
さっきまで大声でまくしたてていた神官エクサが、きょとんとした声をあげた。
彼らの視線に意外さと不審さと胡散臭さが入っているように思えたのは、須臾の格好や物言いが『騎士』に見えなかったからだろうか。それとも、布上着一枚の格好から『か弱い』という印象を受けたからだろうか? どちらにしろ、須臾にとっては低評価過ぎる。これだったら、一度貴族騎士服に着替えてからここに来ればよかったかもしれない。須臾は内心大きな溜息をついた。
「お前、相手がどういう奴か知ってるのか?」
エクサの訊ね声にも多少の侮蔑と驚きが入っている。
「もちろん」
そんなエクサに一瞥をくれてから、須臾は六徳に声をかけた。
「で、その為にこの神官を雇いたいんだけど、いいかな?」
「俺、を?」
「そう」
突然指名されて素っ頓狂な声をあげるエクサ。
そんな彼に、須臾はにんまりとした笑みを浮かべた。
そして、次の日。
甲冑に身を包んだ須臾は、試合が行われる天楚市の中央広場に立っていた。
今日も昨日以上に暑かったが、重たい甲冑の下で須臾は汗一つかいていない。
もうすぐ、大切な試合が始まる。気持ちの高ぶりが、かえって須臾の身体を冷ましてくれていた。
「……おい、大丈夫だろうな」
須臾の傍で心配そうな声が響く。この暑い中、頭から大きな布をひき被った人物が須臾の傍らに座っていた。
この人物は、昨日須臾に禎理の代わりにと雇われたエクサである。馬上槍試合の代理には須臾が出るとしても、訴えられた張本人――この場合は禎理だが――もその場にいなければいけないことになっている。だから須臾は動けない禎理の代わりとしてエクサを雇ったわけだが、もちろん、『彼』には、代理人が負けたときには即座に死刑になるという運命が待っている。エクサが怯えているのも無理はない。
しかし、顔が隠れる兜を被った須臾には、エクサに安心しろと話しかける術は無い。いや、自分を侮蔑した神官に、須臾はわざと『安心材料』を話さなかったのだ。
その代わり、とでもいうように、須臾はエクサに軽く手を振ると、すばやく自分の馬に乗り上がった。
「……大丈夫だよ、エクサ」
神官の傍についた『三叉亭』の料理人、リューロートがエクサにそう声をかけているのが須臾の背後で聞こえる。
「この前の馬上槍試合の大会で、誰が優勝したか知ってるか?」
この言葉に、須臾は馬上でにやりと笑ってから、今日闘うべき相手の方を見た。
相手の馬鹿貴族も、既に馬に乗ってこちらを睨んでいる。
二人の周りには、渦巻く歓声。そして須臾の胸にある、いつもと違う高揚した空気。
須臾は、先の槍試合での光景をまざまざと思い出した。
確か、決勝戦の相手もこいつだった。
「始め!」
審判の声が広場にこだまする。
それと同時に、相手は間髪を入れずランスで攻めかかってきた。
その攻撃を腰の捻りでうまくかわす。そして、遠ざかった相手が体勢を立て直す前に、須臾は勢いよく馬腹を蹴って相手の前に飛び出した。
馬上槍試合では、速さと勢いがものをいう。
そして、怯んだら負けだ。
相手の行動に構わず、勢いのまま、須臾は持っていたランスを相手の首に差し込む。声も立てず、相手はあっけないほど簡単に馬から落ちた。
一瞬、広場全体が静まり返る。続いて、割れんばかりの歓声と拍手が須臾を包んだ。
〈……やった!〉
瞬時に、全身の力が抜ける。
これで、禎理の『無罪』は証明された。公共の場での公明正大な審判だから、あの馬鹿どもも何も言えまい。
ゆっくりと、笑いがこみ上げてくる。
大会で優勝したときとは違う、暖かな想いが、須臾の全身に漲って、いた。




