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風の日生まれの子

 先刻まで、空は確かに晴れていたはずなのに。

 雲一つない空が突然かき曇ったかと思うと、次の瞬間、冷たい大粒の雨が容赦なく禎理ていりの華奢な体を襲い始めた。

「……あちゃー」

 慌ててマントを被りながら、禎理は内心舌打ちした。

 神官帝国フビニの首都エルミから南西へ少し下がった山の中。一冬の予定でエルミの幽霊神官ボルツァーノ付の神殿武官となった禎理は、彼の命令でこの辺鄙な場所へ神官候補生となりうる子供を探しに来ていた。が、しかし、ボルツァーノの余りにも曖昧な命令と大雑把な地図の為、禎理はあろうことか山の中で迷子になってしまった。そこへこの雨である。

「……全く」

 一人なのをいいことに散々毒づく。

「何が『某村に賢い子がいるから連れて来い』だ」

 しかし一冬だけの予定とはいえ、雇われていることは確かである。寒い冬の間だけでも、野宿をしなくても良い職に就いておきたかった。

 と。

 不意に、禎理の前に手頃な洞窟が現れる。

「助かった」

 禎理はろくに確かめもせずにその洞窟に飛び込んだ。

「……ふうっ」

 一息入れてから辺りを見回す。

 洞窟の中は乾いており、雨宿りには最高の場所のようだった。が。

〈……ん?〉

 人の気配にはっとする。

 秋も深まり、採取する山の幸が殆どなくなったこんな山の中の洞窟に、禎理の他に誰か居るのだろうか?

 ゆっくりと顔を上げる。洞窟の奥の岩陰に、小さな影が、確かに、あった。

「……え?」

 その影は、禎理のほうをその大きな瞳でじっと見詰めている。

「……えっと」

 戸惑いながらも、禎理はその影をじっと見返した。

 よく見ると、痩せこけてはいるが、四、五歳くらいの人間の男の子のようだ。しかし。禎理は思わず首を傾げた。何故、こんなところにこんな小さな子が? 見たところ、妖精ではなさそうだが。

「雨が止むまで、ここに居て良いか?」

 警戒を解いてもらうために、男の子に向かってそう訊ねてみる。

 しかしながら、彼は禎理に向かって微かに頷いてみせただけだった。

〈……まあ、いいか〉

 禎理はふっと肩を竦めると、洞窟の入り口からゆっくりと外を見やった。

 雨の所為か、外はだいぶん暗くなってきている。しかも、雨の降る前には日は既に西に傾き始めていたから、これから雨が止んだとしても、目的の村につく前に真っ暗になってしまうだろう。

〈……仕方がない、今日はここに野宿だ〉

 濡れたマントと神殿武官用の黒いチュニックを手早く脱いで手近な岩に引っ掛けると、禎理は洞窟内に落ちていた枝切れと枯葉で小さな焚き火を作った。

 小さな炎だったが、濡れて冷たくなった身体には心地良い。禎理は火の傍に座り込むと、持っていた背負い袋をごそごそと掻き回して食べられそうなものを探った。幸い、出かける前にボルツァーノ学寮の庶務担当、フレネーに詰めてもらった袋には食料品がまだたくさん入っている。お腹が空いていた禎理は、袋から干し肉を出すと、軽く炙ってから口の中にぽいっと放り込んだ。

 その匂いにつられて、いつものごとくポーチで惰眠をむさぼっていたキイロダルマウサギの模糊もこがのそのそと起きだして来る。その模糊にもう一切れ炙った干し肉をやってから、袋から今度は小麦粉をこねた団子を取り出した。

「……食べるか?」

 団子を炙ってから、男の子にそう声をかける。

 禎理の言葉に、男の子はきょとんとした顔を禎理に見せた。

「……お兄さん、は、僕が、怖くないの?」

 細いが、しっかりした声が洞窟内に響く。

「何故?」

 禎理は男の子にそう問い返した。

「だって、僕は『風の日生まれの子』なんだもん」

 男の子の答えは、禎理を瞠目させるに十分だった。

 マース大陸で大昔から使われている嶺家れいか暦は、春分の日を年の初めとし、一年三六五日を一週十三日×二十八週+初日(春分の日)としている太陽暦である。その暦には、週内のそれぞれの日に「この世界」の神々の名前がついており、日々を守護していると信じられている。しかし、「この世界」の古い神である「風神」だけは、昔は居たが今は「いない」ことになっており、この神の名前の付いた「風の日」は、神の守護のない、何をやってもうまくいかない日とされていた。そしてその日に生まれた子は皆、災いをもたらす子供である、とも。

「だから、僕は、いらない子、なんだ」

 そう呟いた男の子に、禎理の胸は強く締め付けられた。

 焚き火の為に明るくなったので、少年の様子がさっきよりも良く見える。男の子の破れかけた服や、顔や腕に走る蚯蚓腫れに、禎理の憤りはますます深まった。

 おそらく彼は、『風の日生まれ』だというだけで理不尽な虐待を受けている。禎理にはそれが、自分のことのようにつらかった。

「……別に」

 しかし禎理は、そんな内心は隠してそっけなく言い放った。

「俺に危害を加える気、無いだろ」

 そして男の子が頷くのを見て更に一言付け加えた。

「俺も、『風の日生まれの子』なんだ」

 禎理の言葉に、今度は男の子の目が大きく見開かれる。

「食べるか?」

 団子に擦り寄ってきた模糊を軽くかわしてから、禎理は男の子に向かってもう一度そう訊ねた。

 男の子は今度は、ゆっくりと立ち上がると禎理のそばまで来、団子を受け取ると禎理の傍に座ってむしゃむしゃと食べ始めた。

「名前は?」

 そんな男の子にゆっくりと話しかける。

 禎理の問いに、男の子は少し困った顔で答えた。

「ない、です」

 やはりここでも理不尽な扱いを受けている。禎理は何度目かの溜息をついた。

「……あの」

 そんな禎理に、今度は男の子が声をかける。

「お兄さん、は、フビニの神官戦士、なんですか?」

「臨時の、な」

「僕も、いつか、神官戦士になって、みんなの役に立ちたいんです」

 少年の口から出た思いがけない言葉に、今度は禎理が驚いた。

「災いの子、でも、神官戦士になったら、きっと、みんなの役に立てる、と」

 不意にいとおしさがこみ上げてくる。

 禎理は思わず男の子の頭を撫でた。

「なれるさ、きっとなれる」

 こうなったら目的の子供と一緒にこの子もエルミに連れて帰って、ボルツァーノに頼んで神官にしてもらおう。

 心の奥底で、禎理はそう決心した。


 おなかが一杯になった所為なのか、男の子は禎理が横になるように勧めると、禎理の背負い袋を枕にあっという間に眠ってしまった。

 その傍では模糊が男の子の落とした食べ物の屑を拾っている。

 安らかな顔をして眠る男の子を見て、禎理の口からは自然と溜息が漏れた。

 風の日に生まれたからといって、禎理の家族は祝福こそすれ禎理を蔑んだことは一度も無かったし、なにより禎理自身、風の日に生まれたことを誇りに思っている。

 しかし、風の日にまつわる迷信には、うんざりさせられることが多い。

 風神の真意を知っている禎理としては、本当にやりきれないこと、だった。


 夜が明けてから、禎理は男の子を背中に負うと、彼の案内で村へと向かった。

「まず、村の神官の所に案内してくれないか?」

 手順としては、まず教養があり、神殿のことを知っている人に話を通す必要がある。

 村の神官は、禎理が差し出したボルツァーノの書状に目を丸くした。

「『賢い子』と言われましても……」

 神官は困ったように顎の髭を撫でた。

「私が見たところ、この村には、神官候補生になれるような子はおりません、が」

「じゃあこの子を連れて行きます」

 間髪を入れず背中の男の子を指差す。

「この子の両親に会わせてください」

「しかし……」

 禎理の言葉に、神官の困惑顔が更に歪んだ。

「その子は、風の……」

「それは別に問題ありませんからっ!」

 予想した言葉が出る前に、禎理は神官に詰め寄り、その口を黙らせた。


 神官の案内で向かった先は、村の中でも裕福な部類に入りそうな家だった。

「この子を、神官候補生として神殿に連れて行きたいのですが」

 神官の立会いの下、男の子の両親の前ではっきりとそう言ってから、禎理は二人の顔色を窺った。

 母親は渋り気味、だったが、父親のほうは厄介払いができたと明らかに喜んでいるように見える。その態度が、禎理の怒りに油を注ぎこんだ。

「……しかし」

 母親のほうがゆっくりと口を開く。

「その子は、私の子……」

「こんなにぼろぼろになるまで放っておいてもですか」

 禎理は辛辣な言葉を吐かずにはいられなかった。

「しかし、風の日の……」

「風の日に生まれたからって、あなた達の子であることには変わりないでしょう」

 廊下に続く扉から、何人かの子供が何事かと顔を突き出している。

 禎理が手を握っている男の子とは似ても似つかぬほど丸々と太って幸福そうな彼らに、禎理の怒りはますます募った。

「でも、私は、その子を愛して」

「風の日に生まれたからって名前も付けなかった子を、あなたは『愛している』というのですか?」

 禎理の言葉に黙る二人。

 結局、神官の説得もあり、禎理は男の子の神殿行きを両親に承諾させることに成功した。


 しかし。

 エルミの神殿に向かう間中、禎理はずっと考え込んでいた。

 あの時は怒りのままに行動してしまったから余り深く考えてはいなかったのだが、今冷静になって考えてみると、やはり、彼を両親から引き離すべきではなかったのかもしれない、と思ってしまう。『災いの子』だと言って蔑んでいるが、一応、彼らは少年の両親であり、子供にとって、その両親は『絶対的』なもの、なのだから。

「……なあ」

 だから、というわけではないが、禎理は少年に訊ねてみることにした。

「やっぱり、両親のところに居たほうが良かったか?」

「ううん」

 禎理が神殿から預かったお金を使ってこざっぱりとさせた少年は、禎理の問いに首を横に振った。

「神官に、なれるんだから、僕、がんばります」

 少年の答えは、禎理の心の靄を晴らすのには十分だった。

「それなら、いいんだ。……えーっと」

 名前を呼ぼうとした禎理の舌が空回る。

 やはり、少年に名前のないのは不便だ。

「名前を付ける必要があるな」

 神殿に着く前に、禎理は自分が持っているのと同じ御守を男の子の為に作ってやった。

 その御守に刻んだ名は『玄理』。


 幸いなことに、禎理の報告にボルツァーノは文句一つ言わなかった。

「ま、こちらとしては、優秀な神官が一人でも増えればいいんでね」

 神官見習い用の服に着替えた『玄理』を見て、ボルツァーノが笑う。

 ボルツァーノが何を考えているかは分からないが、とにかく禎理としては、玄理がその夢の第一歩を踏み出したことが、我が事のようにとても嬉しかった。

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