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銀剣の魔導師

 周囲から、わっと歓声が上がる。

 その声に気付くと同時に、禎理ていりは荒い息を少しずつ整え、地面で呻いている男の傍をそっと離れた。

 気を抜くと崩れてしまいそうなほどに、身体中が疲れている。

 しかし、ここで倒れるわけにはいかない。

 ――まだ、『四人目』なのだから。


 禎理が今いる場所は、マース大陸南方に位置する帝国フビニの首都、エルミ。

 『神官国家』であるフビニを支える神殿群『エルミの丘』の一角にある武官用の練習闘技場に、禎理は、居た。


 持ち前の好奇心から、長年暮らした大陸東部の街天楚てんそを飛び出したのが、十九の春。それからおよそ一年半の間、禎理は大陸西部を北から南へ彷徨った。

 そして今、大陸を2/3周してこの場所にいる。エルミの神殿群にて常時募集している『臨時』神殿武官の採用試験を受ける為、に。

 もうすぐ、季節は冬。幾ら生来の冒険者で、野宿には慣れている禎理でも、雪が降っている中での野宿はあまり好まない。だから、なるべく雪が降る前に、一冬を暖かく過ごせる場所を確保しておきたかった。それが、この職に応募した理由である。

 その採用試験の内容は、同じく臨時武官の職を得ようとここに集まってきた人々と対戦する、勝ち抜き勝負。禎理は今、四人目の相手を倒したところだった。

 五回勝てば、臨時武官に採用される。あと、一人だ。禎理は殊更ゆっくりと息を吐くと、静かに目を閉じ、体力の温存に努めた。

 小柄な身体には、体力は既に残っていない。五人目は、気力だけで何とかするしかない。暖かいねぐらの為にも、大陸をもう半周して天楚に帰る旅費を稼ぐ為にも、あと一人、頑張らなければ。

 と。

 不意に、大きなどよめきが禎理の耳に入ってくる。

 何があったのか? 禎理ははっと目を見開いた。

 倒れていた四人目の対戦相手は既に運び出されており、禎理の真向かいにある選手入場用の扉が大きく開いている。

 その前に立っている人物の姿に、禎理は思わず首を傾げた。

〈……あれが、対戦相手?〉

 だが、禎理がいぶかしんでいる間に、その人物は静かに禎理に向かって歩いてくる。と、すると、やはり『彼』が、五人目の対戦相手なのだろう。

 だが。

〈あれって……〉

 丈の長い黒のローブに灰色の肩布を身につけたその姿は、間違いなく、フビニの上級神官。神殿武官より位が上で、しかも、神を信仰することによって得ることのできる『法力』に長けた人物である。間違っても、こんな所に来るような身分の人ではない。だから禎理は思わず、こちらに向かってくる人物をまじまじと見つめた。

 上級神官にしては、まだ若い。禎理と同じくらいの歳にしか見えない。無機的に整った顔立ちは青白く、その顔を縁取る黒髪は、細身の背中で無造作に揺れていた。

 そして、無彩色に彩られた姿の中で、瞳だけが、鮮やかな瑠璃色に輝いて、いた。

〈……厄介だな〉

 神官の腰に吊られた、銀色の細い剣を見て、軽く唇を噛む。

 禎理の武器は短剣と手斧。どちらも間合いの短い武器だ。間合いの長さは敏捷さでカバーできる。現に、これまでの相手も、すばやく相手の懐に入り込むことによって倒してきた。だが、優雅な形をした細身の剣は、熟練者の手にかかるとしなやかに動く。その動き方の予測が、つき難いのだ。

〈えい、ままよ〉

 禎理の五歩前に立った神官が、腰の剣をすらりと抜く。

 次の瞬間、禎理の身体は素早く、動いた。

 体力が尽きているので、攻撃は『一撃』が限度。神官の準備が整う前に決着をつける。その腹積もりだった。

 だが。

「……え?」

 いきなり、禎理の鼻先を切っ先が掠める。

 いつの間にか、神官は禎理の横に、いた。

「何でっ!」

 しかし、戸惑ってばかりはいられない。

 相手の位置を気配だけで確認すると、次の瞬間、禎理はありったけの力で飛び上がり、神官に向かって頭上から必殺の一撃を浴びせた。

 しかし、禎理の攻撃はすんでのところでかわされる。

「あっ!」

 着地のことを全く考えてなかった禎理は、腹から地面に落ちてしまった。

 そこを、切っ先が狙う。

 気が付くと、うつ伏せになった禎理の左首筋ギリギリに、鋭い刃が、有った。

「……ふん」

 鼻を鳴らす声が、耳を揺らす。

 刃に触れないように、恐る恐る顔を上げると、無表情な瑠璃色の瞳が禎理を見つめていた。

「まあ、こんなもんか」

 無造作に剣を鞘に収め、すたすたと闘技場を後にする神官。

 その後姿を、禎理はただ呆然と見送るほか、なかった。


 結局五人抜きはできなかったので、禎理はとぼとぼと闘技場を後にした。

 臨時武官の試験は、もちろん何度でも受けることができる。だが、五人目に対戦した神官の『強さ』が、禎理の気持ちを萎えさせて、いた。

 世の中には、自分が逆立ちしても敵わないほどの『強さ』を持つ者が大勢いる。そのことは、これまでの経験上身に染みて分かってはいた。だが、これだけ完全に打ちのめされてしまうとは。禎理の気持ちは最低レベルにまで落ち込んで、いた。

 痛む足を引きずり、神殿と外の世界を繋ぐ大門へ向かう。

 宿に帰ったら、湿布をしないといけないな。おぼろげな頭でそう考えた、丁度その時。

「……あ、いたっ!」

 不意に、左腕を強く掴まれる。

 顔を上げると、臨時武官採用試験の受付に座っていた若い男が、禎理の腕を引っ張っていた。

「早く! 門が閉まる!」

 神殿文官の、丈が長く袖の短いチュニックに身を包んだその男はそう言って、禎理をぐいぐい引っ張りその足を急かす。それに釣られて、疲れているはずの禎理の足も、いつの間にか早足になっていた。

 何が何だかという感じで、気持ちの方は混乱したままだったのだが。

 しかしながら。

 これまた全く唐突に、右腕が進行方向とは反対側にかなり強く引かれる。力の不均衡にバランスを崩し、禎理は不様にも地面に尻餅をついてしまった。

「神殿の門は何時でも開いているのではなかったのかな、ヴィエート君」

 微かに聞き知った声が、禎理の耳を打つ。

 振り向くと、不敵な笑みが、禎理の目の前にあった。

 ……五人目に出てきた神官! 禎理は息を呑んだ。

「それに、これは私の武官だ。勝手に連れて行くな」

 そんな禎理の腕を強く引く神官。それに対抗して、文官も禎理の左腕をぐいっと自分の方へ引っ張った。

 災難なのは禎理である。両方から腕を引っ張られて、ただでさえ疲れている身体は悲鳴を上げていた。

「お言葉ですが、ボルツァーノ師匠」

 ヴィエートと呼ばれた文官が、鋭い声を発する。

「もうこれ以上あなたに武官を紹介しないことにしたんです、私は」

「何故?」

 対して、ボルツァーノと呼ばれた神官の方は、その秀麗な外見に似合わずどこか飄々とした声を出した。

「私が何をしたというのだ」

「気に入らないからといって、こちらが差し向ける武官を次々と首にしたでしょう、ボルツァーノ師匠」

「実際気に入らないのだから仕方あるまい。……簡単な仕事すらできない奴ばかりだったしな」

「それはあなたがこき使うからでしょう」

 ヴィエートの言は核心を突いていたらしい。ボルツァーノはうっと言葉に詰まり、口をへの字に曲げた。

 そして新しい理由を探し出す。

「第一、フレネー一人を動かすわけにもいかんだろう。奴は文官だぞ」

「そうです、が」

 そんな二人の会話を、禎理は訳も分からず聞いていた。

 いや、唯一つ、分かったことがある。ボルツァーノと呼ばれるこの神官が何故か禎理のことを気に入っており、武官として雇いたい、ということ。

「……あの」

 禎理はそっと、ヴィエートとボルツァーノ双方の手から自分の腕を外すと、二人の会話に割って入った。

「俺は、別に構いませんが。……雇ってもらえるのなら」

 こき使われることには、慣れている。今は、それよりも、一冬のねぐらを確保することの方が禎理にとっては大切だった。第一、これで雇ってもらえるのなら、また明日から五人抜きに挑戦する必要が無くなるのだ。

「本当かっ!」

 禎理の言葉に、ボルツァーノが素早く反応する。

 全く唐突に禎理の肩を軽く掴むと、その細い腕に似合わぬ強い力で自分の方へ引き寄せたのだ。

 当然、禎理の身体はボルツァーノのすぐ前に運ばれる。胸の前に回されたボルツァーノの両腕に、禎理は正直戸惑った。

 だが、ヴィエートの方も負けてはいない。禎理の身体に回されたボルツァーノの腕を素早く引き剥がすと、禎理を自分のすぐ傍まで戻しその耳元で囁いた。

「それ本気で言ってるのか? 本人の前で言っちゃあ悪いが、こいつ本当にこき使うぞ」

「え、ええ……」

 文官の言葉に、俄かに不安になる。しかし、それでも、『雇ってもらえる』という期待の方が強かった。

「上官をそこまで悪く言うかね。あまつさえ『こいつ』などと」

 そのヴィエートの言はボルツァーノまで聞こえていたらしい。皮肉に満ちた声が禎理の耳に響く。

「本当のことを教えたまで、です」

 しかしヴィエートはしばらく押し黙ったあと、禎理の方をじっと見つめてから少しだけ口の端を上げた。

「分かりました。……では、こうしましょう」

 そして急に事務口調に戻る。

「試用期間を設けます。……確か、昨日が新月でしたから、次の満月まで、ということで」

 禎理に、というより自分に言い聞かせるように、ヴィエートの言葉は続く。

「満月を過ぎたら、ボルツァーノ師匠のところでずっと働きたいかどうかもう一度聞きますので、その時に正式に返事をしてくださいね」

 別に、嫌だと言っても誰も文句は言いませんからね。逃げたくなったらすぐに『水の神殿』の自分の所に来てくださいね。そう、禎理に念を押すと、ヴィエートはボルツァーノを軽く睨みつけ、その場を去って行った。

 後に残ったのは、禎理と、ボルツァーノという名の高飛車な神官だけ。

「……さて、これで煩いのはいなくなった」

 ヴィエートの姿が消えた瞬間、ボルツァーノは再び禎理の肩を掴み、そして誇らしげにこう、言った。

「改めて言おう。ようこそ、『エルミの丘』へ」


「ここが、私の学寮だ」

 そう言われて、禎理は目の前の建物を見上げた。

 このあたりで産出される石を無造作に積み上げたような建物は、ここへくる途中横目で見たどの神殿や寮よりもみずぼらしく、威厳に欠けているように禎理には思えた。

「まあ、『学寮』と言っても、教官はいないし、生徒も二人しかいないから、こんなもんさ」

 対してボルツァーノは、自分の『城』の姿については何とも思っていないらしい。

「問題なのは建物ではない、からな」

 確かに、そうだ。ボルツァーノに指摘されて、禎理は初めて外見を気にしている自分の間違いに気が付いた。大切なのは、中身、だ。

「……おい、フレネー」

 禎理が反省している間に、ボルツァーノは玄関の扉を開け、先ほどのヴィエートとのやり取りで出てきた文官の名を呼ぶ。そう待たないうちに、ボルツァーノより背の高い、細身の人物が玄関ホールに現れた。

「フレネー、新しい臨時武官だ。色々教えてやってくれ」

 現れた人物にそれだけ言うと、ボルツァーノはホール左手の扉を開け、その中へ入る。

「俺は疲れた。夕飯になったら起こしてくれ」

「はい。師匠」

 じゃ、また後で。そう言って禎理に軽く手を振ると、ボルツァーノは自室のドアをパタンと閉めた。それを見守ってから、フレネーは禎理に向かってにこっと笑いかけ、その右手を差し出した。

「初めまして、フレネーと申します」

「あ、禎理、です」

 穏やかな緑色の瞳に、好感が持てる。

 まあ、これくらい穏やかじゃないと、あのボルツァーノとはやっていけないだろう。心の底で、禎理はそう感じた。

「早速ですが、学寮を案内します。夕食の支度がありますので」

 そういうが早いか、ホール横の階段を指し示すフレネー。

 早足で階段を上がるフレネーに続き、禎理も早足で階段を上がった。


 用意してもらった一人用の部屋も、フレネーが作る温かい夕食も、悉く満足のいくものだった。

 やはり、自分の判断は間違っていなかったな。禎理は内心にっこりとほくそえんだ。

 だが、夕食を食べながら、禎理は不思議なことを発見した。

 夕食は、禎理とフレネー、ブラヴェとルドルフという二人の寄宿学生、そしてボルツァーノが揃って食べているのだが、上手に座ったボルツァーノの前にはスープとお茶の皿しか置かれていないのだ。他の者の目の前には、パンと副菜が置かれているというのに。

 やはり上級神官は、食物に禁忌があるのだろうか? でも、主食ぐらいは食べないと体力が持たないだろう。そう思った禎理は夕食後、食堂の下にある地下の台所で後片付けを手伝いながらフレネーに少し訊ねてみた。

 だが。

 予想に反し、禎理のその問いに、フレネーは困った顔を禎理に見せる。一体どうしたというのだろうか?

「そうですね。……実は、私にも良く分からないのですが」

 首を傾げてしばらく考え込むフレネー。

 その後でフレネーが口にした答えは、禎理を驚かせるに十分だった。

「ボルツァーノ師匠は既に、『この世の人』ではないと聞きます」

「……つまり、『死者』ってこと?」

「そう、ですね。……『魂』だけの存在ですから、そういうことになるのかもしれません」

 フレネーの言葉に、耳を疑う。

 一般に、人は死ぬと、魂だけがその肉体を離れて『冥界』に向かうという。その冥界に向かうべき魂が地上を徘徊している。のみならず、冥界以外の場所で生活する為に必要不可欠な『肉体』まで持っているとは。

 これは、この世界を支配する『自然の理』に反することではないのか。禎理の背に悪寒が走った。

 『自然の理』に反する生は、悲しみしか生まない。禎理はそれを身に染みて知っている。

 ……しかし、何故?

 思いのままに、その疑問をフレネーにぶつけてみる。

 だが。

「さあ、そこまでは私にも……」

 師匠は誰にもその理由を話さないので。

 フレネーの困りきった顔とその言葉に、さすがの禎理も黙り込むほか、なかった。


 そして、次の日。

 ふかふかの布団に満足して眠っていた禎理は、いきなりの大音声で文字通り叩き起こされた。

「……なっ」

 目を擦りながら窓を見ると、外はまだ薄暗い。

 こんな時間に何なんだ。寒さに震えながら、禎理は大急ぎで辺りを見回した。

 だが、大音声を発するようなものは、禎理の周りにはない。そしてベッドの傍らでは、音など全く何も聞こえなかったかのように、禎理の相棒、キイロダルマウサギの模糊もこが安らかに寝こけていた。

 気のせいか。禎理は大きなあくびをすると、寝直すために再び温かい布団に入り込んだ。

 が。

「起きろ、禎理」

 今度は間違いない。ボルツァーノの声だ。

 しかし、声はすれども姿は見えず。一体どうなっているんだ? 禎理は思わず叫びたくなった。

 フビニの神官は、人間が魔力を操れなくなった『魔法革命』以降も、古い魔法を使うことができるという。おそらくその『力』を使っているのだろうが、夜明け前からこれでは先が思いやられる。

「第一時課(午前6時)の鐘と同時に、俺のところに熱いお茶を持って来い。砂糖はたっぷり入れるんだぞ」

 少しでも遅れたら許さないからな。凄みを利かせた声が部屋中に響く。

 その声で寝直す気力をなくした禎理は、しぶしぶ布団から起き上がり、昨日フレネーが持って来てくれた神殿武官用の丈が短いぶかぶかのチュニックに袖を通した。

 すやすやと惰眠をむさぼっている模糊の黄色い毛皮を軽く撫でてから、眠い目のまま階段を降りて台所に向かう。前夜フレネーに食材の収納場所を全て教えてもらっていたおかげで、ボルツァーノの要求通り、第一時課の鐘までに甘いお茶を沸かすことだけは、何とかできた。

 だが、仕事がこれで終わったわけではない。

「朝飯が終わったら、次は掃除な」

 禎理が持って来たお茶を啜りながら、そう指示を出すボルツァーノ。

 掃除が終わったら薪割り、水汲み、他の神殿へのお使い、丘の麓に広がる街への買い物、ボルツァーノの執務の手伝い。息つく暇もないほど次々と用事を言いつけられた。

 なるほど、これではどの武官も逃げ出すわけだ。

 与えられた用事を何とか片付けながら、これまでここに雇われた顔も知らぬ武官達に、禎理は内心同情した。

 しかし本当に、ボルツァーノのこき使いっぷりは異常である。十八の歳まで天楚の武術道場にて内弟子となり、稽古の傍ら掃除や洗濯などをこなしていた禎理でさえ三日で音を上げた。

「……やっぱり無理だ」

 やっと仕事が終わった真夜中に、倒れこむようにベッドに身を投げる。疲労の溜まった身体は、関節を中心に既にあちこちで悲鳴を上げていた。

「断ろう、か」

 だからだろうか。何時にない弱気が口をついて出る。

 だが、禎理がここで辞めると、おそらく、今禎理が行っている仕事全てがフレネーの方へ行ってしまう。

「禎理が来てから仕事が減ったんですよ」

 今朝、感謝の言葉と共にフレネーが言った台詞。

 ボルツァーノは本当に、体力の限界など全く気にせずどんな人間もこき使ってきているらしい。そんな状態なのに、ここで辞めてしまっても果たして本当に良いのであろうか?

 不安な点は、まだある。ここを辞めて、出て行ったとして、果たして冬が越せるのであろうか? 幾ら温暖な大陸南側とはいえ、雪はもちろん降るし、夜は寒い。野宿だけで乗り切れるとは思えない。冬のことを考えると、この職を放棄するのは得策とは思えなかった。

「……うーむ」

 考えがまとまらないまま、禎理は苦しげに寝返りを打った。


 実はもう一つ、とても気になることが、ある、のだが。


「……君の心配も分かるよ、禎理君」

 その翌日、『水の神殿』を訪れた禎理に疑問をぶつけられたヴィエートは、考え込むようにその両腕を組んだ。

「でも、問題は、ボルツァーノ師匠の我儘だけ、なんだ」

 それさえ無視すれば、負担は軽減する。ヴィエートは殊更ゆっくりと、そう口にした。

「通いで武官を入れれば、フレネーの負担は減る。君は……案外腕が立つから、帝国内の地方長官の所にもぐりこむことぐらい幾らでもできると思うよ。こちらからも紹介状は書くし」

 これまでだって、方法を編み出して何とかやってきた。だから、心置きなく辞めてもらって構わない。ボルツァーノだって、自分だけで学寮内の細々とした用事を全てこなすのは嫌だろうから、結局折れるさ。ヴィエートは柄にもなく不敵な笑みを浮かべた。

「そう、ですか」

 だが、心配事が解決したにも関わらず、禎理の心は何故か重く沈んでいた。

 『自然の理』の外で生きているボルツァーノのことが、どうしても気になって仕方ないのだ。

 それに。

 何故、ボルツァーノは禎理を『気に入った』のだろうか?

「まあ、満月まではまだ時間があるし、じっくり考えてくれても構わないよ」

 そんな禎理の内心を察したのか、ヴィエートは辞めることを特に勧めもしなかった。


 結局、ヴィエートに「辞める」とは言わず、禎理は『水の神殿』を後にした。

 疑問と葛藤を、抱えたまま。


 そして、満月の日。

 その日も一生懸命食堂の掃除をしていた禎理は、突然眼前に立ったボルツァーノにはっと息を詰めた。

「武術の相手をしろ」

 そんな禎理にボルツァーノはそう言い放つと、有無を言う暇を与えず禎理を中庭に引っ張って行く。その強引さに、禎理は正直呆れた。

 幸い、激務に慣れたのか、関節も筋肉も前ほどは痛くない。禎理は雑草だらけの中庭に立つと、腰の銀剣を抜いたボルツァーノに対峙した。

 ゆっくりと、腰の短剣に手を掛ける。次の瞬間、禎理の身体は潜るようにボルツァーノの足元へと向かった。

 前回は飛び上がって駄目だったから、今度は足を狙う。

 だが、やはり、というべきか。禎理の思いつきはいとも簡単に一蹴された。禎理の攻撃より先に、ボルツァーノが飛び上がったのだ。

 目標を見失い、地面に手をつく禎理。その背後を、ボルツァーノの剣が襲った。

 その攻撃を、何とか避ける。だが気がつくと、禎理は中庭の端まで追い詰められてしまって、いた。

 食堂の外壁にぶち当たり、背中に衝撃が走る。それと同時に、禎理の咽喉に細剣の切っ先が突きつけられた。

 また、勝てなかった。禎理はがっくりと膝を落とした。

 と。

「……やはりお前は、あいつとは違う」

 剣を鞘に収めながら、不可解な台詞を吐くボルツァーノ。

「まあ、当たり前、か」

 そして一人頷くと、くるりと禎理に背を向け、去って行った。

「あ、神殿の掃除もしとけよ」

 更なる用事を言い残して。


「……ふぅっ」

 月明かりの中、額の汗を拭く。

 学寮とは不釣合いに広い神殿を禎理は一人で掃除していた。

「大丈夫ですか? 手伝いましょうか?」

 フレネーが手伝いを申し出たが、禎理はそれを断った。食事の準備をしなければならないフレネーの手を煩わせたくはなかったのがその理由だが、もう一つ、自分の弱さを反省する時間が、欲しかったのだ。

 強く、ならなければ、守りたい者も守れない。古い傷が、禎理を責め苛んだ。

 と。

「……おや」

 説教台の下を拭いていた時のこと。

 床にある、不自然な凹凸に、禎理は気付いた。

 その凹凸に手を掛けて、そのまま上に引くと、床の一部が動き、禎理の目の前に下へ続く階段が現れた。

 これは、一体……? 好奇心に誘われるまま、禎理は使っていた小さめの松明を持って階下へ降りた。

 階段は、地下の小部屋へと続いている。その部屋をぐるりと見回した禎理は、壁に掛かっていた絵にはっとして思わず松明を取り落とした。

 石畳の地面に落ちた炎が、明るく輝く。その光が、絵の内容をはっきりと映し出した。

 そこに描かれていたのは、この世界を支配する神々の姿。それだけなら、この神殿にあって不思議ではない。

 だが。その絵を見た禎理ははっとして描かれている神々の数をもう一度、数えた。

 その絵の中に描かれた神々は確かに十三人。しかも、その中心に描かれているのは、老人の姿で描かれることの多い天空神ではなく、中性的な少年の姿。これは、『この世界』に居ないといわれている『風神』の姿だ。間違いなくこの絵は、マース大陸で異端とされている『十三神派』の絵。『十三神派』を信仰する『流浪の民』出身の禎理にはそれがすぐに分かった。

 それに、禎理自身、『風神』とは奇妙な因縁がある。

 しかし何故、異端である『十三神派』の絵がここにあるのだろうか? マース大陸には複数の神々を信仰する幾つかの『神派』が存在するが、フビニ帝国の主信仰は天空神を中心とする十二人の神々を信仰する『十二神派』の筈だ。第一、『異端』と蔑まれている絵なんかを、地下とはいえ神殿内に飾っているなんて色々と危険すぎる。悪くすると命がない。

「……ここは、あいつの為の場所だ」

 不意に、沈んだ声が耳を打つ。

 振り向くと、いつもより暗い顔のボルツァーノが、そこに、居た。

「そう、あいつ、風理ふうりの為の」

 それは、今からおよそ二百年ほど前のこと。

 『この世界』では使えないはずの『風の魔法』を使い、大陸中を巡る一人の青年が、いた。

 彼の名は、風理。

 その風理と、初めは敵として、そしていつしか味方として行動を共にするようなボルツァーノは、この世の始原から続く大陸史の『裏側』を見ることになる。

 そこにあったのは、『世界』と『力ある石』との攻防。全ての命の源である『無』の神から生まれた『力ある石』は『この世界』を憎み、この世界を滅ぼそうとその機会を狙っていた。その『力ある石』から『この世界』を守るために、ただ一人『石』を滅ぼす力を持つ『風神』は神としての地位を捨て、この世界を転生し続けている。そして風理こそ、風神の子孫であり、風神の魂と、風神の力を最大限に発揮できる『器』を持つ『担い手』だったのだ。

 風理は『石』を見つけると、自分の身を危険に晒してまでその『石』と戦い、『石』を滅ぼしていく。その戦いの中で、身も心もぼろぼろになっていく風理を、ボルツァーノは正視することができなかった。

 その想いが、この世界の魔力の源であり、『力ある石』内で最大の力を持つ『黒の石』と戦っている時に爆発する。

 風理の力になる為に、禁断の呪法を解いたのだ。

 この呪法によりボルツァーノは、この世界の神の一人である『魔界の大王』の力を得た。そして禁忌を犯したが故に、ボルツァーノの魂は、肉体の死後千年間『この世界』を彷徨うことになったのだった。

 結局、風理は『黒の石』を自分の内に取り込み、石の力を減じることに成功したが、それと同時に、『この世界』から『魔力』を消し、『風理』としての肉体も滅びた。

「俺がした勝手なのに、あいつは自分を責めた」

 ボルツァーノはその死後、『風神』の力によって、『エルミの丘』内では肉体を持つことができるようになった。

 風神は多分、ボルツァーノに対する『すまなさ』からそうしたのだろう。ボルツァーノはそう言って、軽く苦笑した。

「あいつはなんでも一人で抱え込む奴だった。……お前も、そうだろ?」

 確かに、ボルツァーノの言うとおりである。性格の核心を見抜かれ、禎理は思わず胸に手を当てた。

 だがしかし、心の奥底から沸き起こる衝動は、どう足掻いても止めることができない。禎理自身、風神の子孫であり、風神と同等な力を持つという『担い手の素質を持つ者』、なのだから。そして、それゆえに、風神のことも、『石』のことも、痛いほどよく知って、いた。

 禎理はもう一度、壁の絵を見つめた。

 自分に良く似ている『風神』の姿、を。


 次の日。

 第一時課の鐘が鳴る前に、禎理はボルツァーノの寝室を急襲した。

「勝負しましょう、ボルツァーノ」

 寝ぼけ眼のボルツァーノを、銀色の剣と共に中庭へと引っ張っていく。そして、ボルツァーノが剣を鞘から抜く前に、禎理はボルツァーノに肉薄し、その右手から剣を叩き落した。

「……卑怯だぞ」

 まだ半分ぼけっとしている瑠璃色の瞳が、禎理を睨む。

 毎朝甘いお茶を運んでいる禎理は、ボルツァーノが朝に弱いことを見抜いていた。それゆえ、朝の早い時間に勝負を申し込んだのだが、その読みは当たっていたようだ。

「……禎理さん!」

「何してんの?」

 この騒ぎで目が覚めたらしい、ブラヴェとルドルフが学寮の窓から揃って顔を出す。

 禎理はその二人に手を振ると、地面に座り込んでいるボルツァーノを放っておいて真っ直ぐ玄関へと向かった。


「本当に、いいのか?」

 禎理の目の前で、ヴィエートがそう、念を押す。

「はい」

 頷く禎理に、迷いはなかった。


 たとえ一冬だけでも、ボルツァーノという人と一緒にいたい。

 禎理は本心から、そう、思った。

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