黒鎧の騎士
まだ夜明け前だというのに、野原に設えられたテント群は異様なほどの活気に満ちていた。
テント群の片隅にいるだけの禎理にも、その騒々しさがひしひしと、迫るように感じられる。
〈馬上槍試合の初日って、いつもこんな感じなのかなぁ……〉
先ほどの朝食時に使った食器類を海綿を使って丁寧に片付けながら、禎理はふっと溜息をついた。
騒がしいのは嫌いではないが、こんな殺気立った雰囲気は好きではない。
〈やっぱり、他の仕事にしておくんだったかな〉
ここは、マース大陸の西部地方。冒険者として大陸中を旅している禎理は、路銀稼ぎの為、この場所でとある大身の騎士の『臨時の従者』をしているのだった。
不意に、禎理の背後で金属音が高くなる。禎理の雇い主である騎士が馬上槍試合用の鎧を着け始めたのだ。
禎理は手を動かしながら少しだけ体勢を変え、騎士が鎧を着ける様子をちらちらと観察した。
最近の騎士たちが着ける鎧は殆ど、その騎士の体型に合わせて作られた板金の鎧になっている。もちろん雇い主もそれを身に着けるつもりなのだろう。皮と鎖帷子で作られている下鎧の上に、重厚で大層な感じのする板金製の胸甲や手甲を、正規の従者達が次々と着けていっている。もちろん、足元もがっちりとした板金製の脚甲だ。そして鎧の色は全部黒。強度を増す為か、それとも雇い主の趣味なのか、鎧には全て黒の彩色が施してあった。
〈黒、ねぇ……〉
華やかさがないので、馬上槍試合の会場では目立たないのでは?
人事ながら、禎理はそう心配せずにはいられなかった。
雇い主が全ての鎧部品を着け終える前に禎理はその様子から目をそらした。
黒ずくめの偉丈夫を見ると、ある人の事を思い出してつらくなるのだ。
「……おい、食器は片付いたか?」
不意に上から大声が降ってきて、禎理ははっと物思いから覚めた。
声のした方を見上げると、金髪の美丈夫がこちらをじっと見つめていた。従者の中でもリーダー格の青年だ。
「あ、はい、もう少しです」
ちらちらとよそ見をしながら手を動かす事に慣れている禎理は、桶の中にあるまだ洗っていない食器の数を確かめてにっと笑った。
「そうか」
金髪の青年は禎理の横にしゃがみ込むと汚れた皿と海綿を取った。どうやら食器の片付けを手伝ってくれるらしい。だが、快活な周りとは裏腹に、青年の顔には憂いの影があった。
〈どうしたのだろう……?〉
雇い主の騎士も、その周りにいる従者達も高飛車な感じがしてあまり好きになれない禎理だったが、結構気さくなこの青年にだけは好意を持っていた。
だから、心の中の疑問をそのまま口にする。
「どうしたんですか、顔色が悪いですよ」
「そう、か……?」
青年は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに真顔に戻った。
「うん、まあ、ちょっと、な」
一瞬だけ、言い澱む。しかし、誰かに聞いてもらいたかったのだろう。海綿で食器を擦りながら、青年はぼそぼそとした声で呟いた。
「お館様が、黒の鎧を着ることが、不安なんだ」
青年の話によると、最近この地方で、黒い鎧を着た騎士が何の前触れもなく突然発狂し、散々暴れた挙句最後には狂い死ぬという事件が頻発しているそうだ。原因は不明。狂い死んだ騎士達にも『黒い鎧を着ていた』という以外に共通点がなく、みな病気も悩みも何一つない者ばかりだったという。
「でも、そういう話をしてもお館様は『迷信だ』って取り合ってくれないんだ」
黒い鎧を着た自分のお館様が狂ってしまわないかと心配でたまらないと青年は言った。
「そう……」
禎理は騎士の方をちらっと見た。黒い鎧をつけた騎士には確かに威圧感があったが、そばにいる従者に話し掛ける様子にはどこも変わったところは見られない。
「大丈夫、なんじゃないの?」
禎理は青年にそう囁いた。
第一、黒い鎧を着けただけで気が狂うなんて俄かには信じられない。
と、その時。
「おい、俺の馬の準備はできたのか?」
背後から騎士の大音声が飛んできた。
「はい、今すぐ」
さきほどまで禎理と話していた青年がさっと立ち上がって外に向かう。
片付けはあらかた終わっていたので、禎理も使った水を棄てようと立ち上がり、汚れた水が入った桶を持って外に出ようとした。
と。
不意に禎理の背後で大きな金属音が響く。同時に感じたのは、とてつもない不安感。
突然の事に驚き振り向いた禎理は、目に入った光景に更に瞠目した。禎理の背後に、きらりと光るランスを構えた騎士が立っていたのだ。
馬上槍試合用の木製の模擬ランスではない、実践用の金属製ランスの切っ先は確実に禎理の方を向いていた。
次の瞬間。騎士は不意に腕を伸ばし、ランスが禎理の方へと飛んできた。
〈えっ……!〉
逃げる暇なんてない。ランスは、突然の事に思考が止まっている禎理の左肩を直撃した。
「う……」
余りの痛さに左肩をおさえ、地面に膝をつく。
「お館様……!」
先ほどまで朗らかに話していた主人のあまりにも唐突な豹変に驚いた従者達が、なおも禎理に掴みかかろうとする騎士を止めようとする。だが、騎士の腕の一振りで、従者達はあっという間に伸びてしまった。
騎士はそのまま腕を振りつづけ、テント内にある調度類が無残に壊れる。
『この世にあるもの全てを壊したがっている』。そんな感じに禎理には見えた。
しかし、こんなところにいてはこの身が危ない。騎士を見つめながら、禎理は肩の痛みをこらえてゆっくりと後ずさった。目標はテントの外。だが、肩の痛みと、黒鎧の騎士から発せられる異様なほどの威圧感と殺気で思うように動く事ができない。
そうこうしているうちに、騎士が禎理に近づいてきた。逃げる間もなく騎士の黒い左腕が禎理の首を無造作に掴みあげる。
「うっ……」
利き手ではない筈なのに、どうもがいても外れない。
禎理の視界がだんだんと暗くなって、いった。
と。
「……はい、り……」
突然、耳に聞き覚えのある言葉が飛び込んでくる。禎理ははっとして顔を上げた。
その声は確かに、無限の悲しみに満ちていた。
次の瞬間、禎理の首にかかっていた力がすうっと抜ける。窒息の危機から逃れた禎理は地面に尻餅をつくと、思いっきりむせた。
むせながら上を見上げる。先ほどまで禎理の首を絞めていた騎士の虚ろな視線にぶつかった。
そして、次の瞬間。騎士の身体がゆっくりと禎理に向かって崩れ落ちてきた。
「うわっ!」
無理矢理後ずさりして、今度は何とかよけきる。
「お館様!」
馬の様子を見に行った青年が驚いた顔でテントの中に入って来、倒れている騎士に近づいてそっと様子を窺う。
「……死ん、でる」
一瞬だけ静まり返ったテント内は再び騒動の渦に巻き込まれた。
怪我をしているからと寝かされた従者用のベッドの上で時々襲ってくる肩の痛みにうめきながら、禎理はある疑問に頭を悩ませていた。
あの時、騎士は何故『珮理』の名を呟いたのだろう。それも、あんな風に。
『珮理』とは、禎理がいつまでも忘れたくない女の人の名前。
そして、禎理の知る限り、珮理の名をあんな風に呟けるのは一人しかいない。魔界の大王で、珮理の夫だった数だけだ。
人のような気配に、禎理は痛みの為に閉じていた目をぱっと開いた。
目の前に、大きな黒犬がいる。
この犬、は。
「九七一……?」
禎理の言葉に、黒犬は尻尾を一回振ってから頷いた。やはり、そうだ。
九七一は『エミリプ』という、地上界で魔王数の手助けをする一団に所属する魔物だが、ちょくちょく禎理の許に来ては行動を共にしている。禎理にとっては『親友』とも言える存在だった。
思わぬ再会に、禎理の唇がほころぶ。
「久しぶりだな、禎理」
しかし、九七一の声には元気がなかった。
「大変だったようだな」
「うん……」
どうやら九七一は禎理に逢いに来たわけではないらしい。では、何の為にここにいるのだろう? 禎理がそう思っていると、不意に沈んだ声が聞こえてきた。
「悪かったな」
「えっ……?」
何故九七一が謝る? そう聞こうとした禎理の胸が不意に答えを掴んだ。
〈まさか……!〉
しかし、それだったら合点がいく。あそこで『珮理』の名が出た理由も、あんな風に呟かれた理由も。
ゆっくりと息を吸ってから、禎理は九七一に尋ねた。
「まさか、騎士達が狂い死んだのは……」
「そうだ」
禎理の問いに、九七一は苦渋に満ちた顔で首を縦に振った。
「お館様の、所為さ」
『この世界』を構成する天界、地上界、冥界、魔界は、それぞれがそれぞれに影響を及ぼしあっている。だから、魔界の大王である数の心が大きな悲しみで膨れ上がると、その感情が地上界に流れだしてしまい、数に似た格好をした人に伝染してしまうのだ。そう九七一は言った。
そして、その『悲しみ』に囚われた人を狂い死にさせてしまうと。
九七一の言葉で、思い出したくもない事を思い出す。
禎理は知っていた。
魔王数が悲嘆にくれている理由を。
それは、禎理がまだ十二歳だった頃の事。
吸血鬼騒動の真っ只中にあった天楚市で使い走りの仕事をしていた禎理の前に突如現れたのが、数と珮理だった。
彼らの目的は、その吸血鬼騒動の原因であった『力ある石』の一つ、『吸血石』を探し出す事。
そして見つけ出した吸血石を滅する為に、禎理が珮理を『殺した』のだ。
遠くで、馬上槍試合の歓声が聞こえる。
まるで、今朝の事も今までの事も全て『嘘』だったかのように。
『その時』の事を思い出して、禎理の目から涙が溢れた。
「……禎理」
九七一の前足が禎理の頬にかかる。その九七一の目にも涙が溜まっていた。
「禎理、泣くんじゃない。……俺だって泣きたいんだ」
悲しいという感情をぐっとこらえた九七一の言葉に、禎理はこくんと頷いた。
それは、分かっている。珮理を失ってつらいのは自分だけじゃない。
だが。
九七一が去って一人になると、やはり禎理の目からは涙が次々と流れ落ちていった。
あの頃の自分は弱かった。そして、今も……。
あまりのやるせなさに、禎理の涙はいつまでも止まらなかった。




