狙われた花嫁
人里離れた山間を流れる小川。その岸辺にそぐわぬものを見つけ、禎理は思わずその足を止めた。
石ころだらけの川縁に立っていたのは、白い影。その影の細さから、その『人間』は女の人だと見当がついた。だが、裾が地面に掛かるほどの長いスカートに、夏の夕日を浴びてキラキラと輝く上着は、こんな山深い場所には不釣合いだ。
それでは何故、彼女はこんな所に佇んでいるのだろう。なにやら危ないものを感じ、禎理は大急ぎで川原へと降りた。
急斜面と、ごろごろと転がる石に足を取られながらも、早足で近づく。かなり汚れてはいるが、やはりここでは違和感を覚える整った顔立ちが、禎理の視界に入ってきた。
「……あのう」
そんな女の人に、恐る恐る声をかける。
「こんなところで、一体、何を……?」
しかし、禎理の言葉は、途中で途切れた。声をかけると同時に、今まで辛うじて立っていたという感じの影が、揺らいだのだ。
大慌てで倒れる身体を支える。見えた影の細さの通り、小柄な禎理の負担にならないほど、その身体は軽いものだった。しかし、禎理の腕に掛かる存在の『確かさ』から考えると、彼女は絶対に『妖精』の類ではない。好むと好まざるとに拘らず、これまで『異界』に深くかかわってきた禎理には、それだけはすぐに確証できた。それでは、この『人間』の女の人は、どこからこんな場所までやってきたのだろうか? 一人で? それとも『誰か』に連れられて?
禎理は女の人を抱えたまま首を捻ったが、こればかりは推理のしようがない。
とにかく、ぐったりしているこの女の人を介抱しなくてはならない。禎理はえいっと力を込めて女の人の身体を抱き上げ、急な川原の土手を足だけで上がると、小道すぐ傍の柔らかい草の上にその身体をそっと横たえた。
幸い、酷い怪我をしている様子はない。裸足の足に擦り傷がある程度だ。
胸が見えないように、用心して上着を緩める。そうしてから、禎理は彼女の肩に優しく触れた。
「……あ」
ゆっくりと、女性の目が開く。
「……あの、ここ、は?」
殊更ゆっくりと瞳を動かしてから、禎理を見据え、尋ねる女性。その女の人に、禎理はおもむろに質問を返した。
「あなたこそ、一体、どこから『来た』のですか?」
その後聞いた話は、驚愕に値するものだった。
彼女は、ここから見える山の向こうにある城に嫁いできたばかりの姫君。その婚礼の最中、不意に通り過ぎた『風』を感じると同時に、意識を失ってしまったらしい。その時からこの川原に佇むまでのことは、一切何も覚えていないようだ。
〈……なるほどね〉
おそらく彼女は、この近くに住む精霊の類によって城から引き離されたに違いない。彼女の話から、禎理にはすぐにピンときた。
自然のあちこちに『居る』といわれる『妖精』や『精霊』なら、どんな場所からでも簡単に人を攫うことができる。しかし、その『目的』は? 精霊たちは、目的もなく『悪戯』を行わないはずだ。禎理は再び首を傾げた。
それはともかく。彼女を、城に送り届ける必要がある。それだけは禎理にもはっきりと分かった。だが、既に太陽が半分以上山に隠れてしまった今からでは、山越えをするにしろ麓の村に戻るにしろ、暗い夜道は危険すぎる。姫様には悪いが、今日はここで野宿をしよう。禎理はそう決め、姫君に同意を求めた。
「私は、大丈夫です」
はっきりとそう口にする姫君の肩が、はっきりと分かるほど震えている。訳の分からないものに再び攫われるのが怖いのか、それとも胡散臭い冒険者と外で寝るのが恐ろしいのか。
まあ、それはどちらでも構わないか。禎理はぱっと気持ちを切り替えると、腰から短剣を抜き、抜き身のまま姫君と自分の間に置いた。
悪しきモノを退けると同時に、姫君の貞操が守られていることを示す為に。
その意味が通じたのであろう、姫君は初めて、禎理にその華のような笑顔を向けた。
次の日。
姫君を乗せる為に麓の村で驢馬を一頭借り、その驢馬の手綱を禎理が引いて山を越える。
夏の朝は清々しく、森はいつもどおりの静寂に満ち溢れていた。だが、進むにつれて、微妙に重苦しい空気が確かに、禎理たちの周りに集まって、来た。
〈これは、いけない……〉
悪意がひしひしと迫って来る。気持ちが悪くなるほど粘ついた汗が、禎理の背を流れた。
『精霊』が再び姫君を攫おうとしている。禎理にはそれがはっきりと分かった。だがしかし、精霊側にどんな理由があるにせよ、自分が『守る』者を攫わせるわけにはいかない。だから禎理はつと立ち止まり、毅然とした声で叫んだ。
「彼女は、貴方達とは違う! 諦めて去れ!」
次の瞬間。
幸いなことに、禎理たちを包んでいた『悪意』は跡形も無く消え去って、いった。
〈……よかったぁ〉
万が一、『精霊』と真剣勝負になれば、人間である禎理に勝ち目はない。しかし彼らは、人間側が自分の意思をしっかり持っている限り、こちらには手出しができないことを、禎理はちゃんと知っていた。
とりあえず、精霊側が諦めてくれて良かった。禎理はほっと息を吐いた。
そうして何とか山を越え、その先にある城まで姫君を送り届ける。
花嫁が戻った城は、一気に活気を取り戻した。
無事に『元の場所』に戻った姫君も、花嫁を取り戻した髭面の城主も、満面の笑みを浮かべて禎理の感謝の言葉を述べる。お礼にと金貨も何枚か頂いたが、それよりも城に着いてからの姫君の表情が明るくなったという事実に、禎理は内心喜びを感じていた。
しかしながら。
「……何か、『精霊達に害をなすこと』を、最近されませんでしたか?」
ふと思いつき、城主にそう、問うてみる。
禎理の言葉に、城主は見る見るうちにその顔色を変えた。
その変化を見届けてから、おもむろに城を去る禎理。
〈……やはり、ね〉
理由も無く、『妖精』や『精霊』は人に害をなさない。
この事件を教訓に、城主が彼らに対する態度を改めてくれればいい。姫君の為に、禎理は心からそう、願った。




