17章……麦藁帽子とワンピースと通行人
口元に笑みを浮かべた女性がひとり、たたずんでいる。
梅雨の合間に訪れた突然の快晴。しかし、既に中天を過ぎ去った日輪は、徐々に西に傾きつつあった。一番暑い時間帯あるのにも関わらず、日輪は今年も苦戦していた。かれこれ30分ほど目を潰さんばかりの直射日光と、四体を溶かし尽くさんばかりの灼熱で攻撃しているのだが、相変わらず効果がなく、日輪が望む苦痛に悶える姿にはほど遠い。
久々の清々しさあふれる日本晴れに彼女は、笑みを絶やさずにはいられなかった。格好はあの年から毎年変わらない。薄桃色のワンピース姿である。頭には麦藁帽子を浅く被り、一応は日射病対策はしているようであった。
彼女の背中には、自由に歩き回りたいのであろうか、四肢を一生懸命ばたつかせている幼児が負ぶさっていた。どうやら彼女に似たのであろう、顔が幼いながらも顔が整っていて、将来はさぞ美形になる事が予測される。
その時、毎年無様にやられる太陽に同情したのであろう、一陣の風が音をたてて彼女を見舞った。あっと言う間に彼女の被っていた麦藁帽子が、遥か後方に飛ばされてしまったのである。
麦藁帽子は、通りかかっていた通行人の足元に落下した。
通行人が麦藁帽子を拾うと、彼女に向かって歩き出した。
彼女は、始めこそは走っていたが、幼子を背負っているのですぐに息切れした。拾ってもらったお礼は手渡されてから言おうと、心中で誓い、途中から喘ぎ喘ぎ歩いていると、通行人の顔が段々と判明してきた。
「もしかして……幸永くん……!?」
友江は幸永だと確信すると、それらしき人物に向かって最後の力を振り絞り。懸命に走った。
一方、幸永も友江に気づいた。全然変わっていない。端正ながらも童顔で、日輪の光りを浴びて艶やかに光り肩にかかる黒髪、細くて白皙の手足――。
嬉しくなった幸永も走り出そうと思ったが、何ぶんこちらは上り坂である。友江の方は下り坂なので、無理して走らずこの場に留まり、友江を受け止ようと考えた。
そして友江が、腕を広げて待つ幸永の胸の中に飛び込んだ。
友江をひしと抱きしめた幸永は、久々に人の温かみを感じた。頭を優しく撫でると友江は、たちどころに万感の思いが胸にこみ上げ、赤ん坊のように声を張り上げて涙を滂沱のごとく流した。
幸永は、己の胸の中で泣く友江を見て、泣くに泣けなくなった。泣き止むまでしばらく時間がかかると感じ、友江の頭を優しく撫で続けた。
しばらく泣いていた友江だったが、いつまでも泣いていられないと、涙を腕で拭き取って、破顔一笑した。
「お帰りなさい。幸永くん」
幸永も笑みを浮かべる。
「ただいま。友江さん」
「あの日から2年半経ったんだねぇ……。本当に目が覚めて良かったぁ……」
友江が心からほっとした顔になっている。
幸永が苦笑しながら麦藁帽子を渡す。
「本人は2年半寝てた実感はないけどね。ところで、その間起こったことを教えてもらってもいい?」
友江が、受け取った麦藁帽子を被って微笑んだ。
「うん、勿論」
友江が幸永に分かるように、幸永の心臓が止まっていて大変だったところから話し始めた。
あの時は泣きながら心臓マッサージをした事、その結果心肺が動いて安心したが、その後病院に運ばれて医者からは、いつ目が覚ますかは分からないと、言われて絶望に打ちひしがれた事、主な世話は自分や江里が行っていた事などをまずは話した。
次に、執行や多久と言った喫茶店や草野球チーム関係の人たちが、幸永の帰りをいつでも待っていると、言っていた事を話した。
最後に、幸永が意識不明で、いつ目を覚ますか分からない眠りについてから3ヶ月ほど経った時、妊娠が発覚して子供が生まれた事を話した。
「それがこの子だよ~」
友江が背中で縛っていた幼児を幸永に手渡す。
「この子が……俺の……いや、俺と友江さんの子供……!?」
手渡された幸永は、信じられないといった表情で口を開けたまま固まった。しかし幼児が、ばたつかせていた手で幸永の頬を叩くと、幸永はすぐに正気に戻った。
「へえ……それにしても可愛いなあ。この子は男の子? それとも女の子?」
「男の子だよ~。名前は私が勝手に決めちゃったんだけど、『友幸』って言うんだよ」
「おお、良い名前だね。そっか友幸か~」
幸永は試しに高い高いをしてやった。すると、友幸はきゃっきゃっと声を挙げ、天使のように笑って見せた。
友江は、その様子を微笑ましそうに母の目で見ていた。
我が子を抱いて父親の喜びを実感していた幸永だったが、先にせねばならない事を思い出した。
「……色々と謝らなきゃいけないな……。特に進平さんと江里さんには」
友幸を友江に預けつつ、幸永はつぶやくように言った。
「そうかもねぇ……。まあ、とりあえず帰ろっか。……あ、そうだっ。幸永くんは、どうして私がここにいるって分かったの?」
「うん、実を言うと、兄さんが夢に出てきて教えてくれたんだよ」
「そうなんだぁ。私のところにも出ないのかなぁ……幸永くんのお兄さん」
羨望の眼差しで幸永を見る友江。
「勘だけど多分、そのうち出るんじゃないかな。友江さんに会いたいって言ってたし」
笑いながら答えていると、幸永ははたとある事を思い出し、一気に気分が下がった。
「進平さんにはボッコボコにされるんだろうな……。でも、順序が違った訳だ。俺も男だ! 潔く受けねばな!」
己の顔を両手で3発叩いた幸永は、気合を入れた。
「父ちゃん頑張れ~、僕も応援してるよ~」
友江が自分の顔辺りまで友幸を持ち上げ、わざわざ声色を変えてエールを送った。
「ははは、有難う友幸。よーし、これからも頑張って生きていくぞ!」
拳を突き上げ叫ぶ幸永の声が、いつまでもそこに響き渡っている気がした。
終




