16章……夫婦茶碗
12月の下旬に入り、この地域にもようやく粉雪が舞い散る時節となった。
柳川家の居間にも、12月初頭には早々とこたつが出され、みながこたつに足を入れ、朝食を囲っていた。
家の所々の隙間から、寒風が容赦なく入り込んでくる。その寒風を背中に受けた幸永が少し身震いすると、思い出したように口を開く。
「そういえば今日、俺と友江さんの帰りが遅くなります」
「まぁまぁ、何かあるの?」
江里は箸を置いて、菩薩のような表情で訊いた。
進平が、鮭の身と小骨を噛み砕いて飲み込む。
「お、まさかデートか! 若いもんは寒いのに元気だな! 俺なんか、寒くて全然動きたくないってのに」
幸永は苦笑して受け流した。
幸永の隣に座っており、鮭の小骨を取り除いていた友江が、助け舟を出す。
「お父さん、ちょっと違うよ~。幸永くんが私に、1日早い誕生日プレゼントを買ってくれるんだよ。私は遠慮したんだけど、幸永くんがどうしてもって言うから、お言葉に甘えようかな~と」
進平が箸を落としそうになりつつ、両目を見開いた。
「なぬっ!? 今日はもう12月22日なのかっ? いやー、1年ってのは早いもんだな! 幸永くん! 俺と母さんのクリスマスプレゼントも頼んだぞっ!」
言い終えると、進平は愉快そうに大笑する。
「お父さん」
隣に座っていた江里が、進平の太ももの肉を親指と人差し指で掴み、つねった。
その瞬間、進平の大笑がぴたっと止んだ。顔は笑っているが、想像し難いほど痛いらしく、眼で向かいに座っている幸永に助けを求めた。
幸永は苦笑しつつ、眼で「無理です」という合図を送った。
「私たちの事は気にせず、ふたりで楽しんでらっしゃい。ね、お父さん」
同意をするように、江里はより一層力強く指先に力を込めた。
痛みで飛び上がりそうになりながらも、進平は哄笑する事で何とかごまかした。
「そ、そうだな! やっぱり俺たちの事は気にせんでくれ! 余計な事を言ってすまなかったな!」
江里がぱっと太ももから指を離した。
痛みから解放され、小さく安堵の息をつく進平。
「わ、分かりました」
幸永は謝意を含んだ眼で、再度進平の双眸を見た。
進平が「できれば酒を頼む」と頼むような眼をした。
「ぐぬっ!?」
しかし、それを眼の端で察知した江里が、同じ所をつねった。
幸永は、苦悶の表情を浮かべかけた進平を直視できず、意識的に眼を逸らし、味噌汁に眼を移した。
結局、進平は要望を言えずに、ただ笑っているしかなかった。
壁掛け時計の針が6時を指す。
偶然時計の方を見ていた執行が、18時になったことを認めると、幸永と友江に声をかけた。
「雨森さん、柳川さん。18時になりました。今日はもうあがって下さい」
「あ、はーい。お疲れ様でした」
「お疲れ様でした~」
ふたりがエプロンを取って談笑していると、執行がいつものように柔和な顔をしながら、近付いてきた。
「ふたりともお疲れ様でした。今日もよく働いて下さいましたね。有難う御座いました。時に柳川さん、明日はお誕生日だそうですね。おめでとう御座います。1日早いですが、私からのプレゼントです」
執行がチケットのような紙を友江に渡した。そこには「ケーキ無料券(どれでもお好きなのをどうぞ)」と書かれていた。
「そんなぁ……執行さん、悪いですよぉ……」
友江は、困惑しつつチケットを返そうとする。
執行はそれをやんわりと手で制した。
「いえいえ。それほどまでに、ご活躍をなさったという事ですよ。柳川さんのおかげで、ここまで繁盛できたんですから。勿論、雨森さんのおかげでもありますよ。貴方が副店長に就いてから、私の負担が減って大助かりです。雨森さんにも来年の5月になったら、それ相応のプレゼントを渡すので楽しみにしていて下さい」
幸永は、満面の笑みをたたえつつ一礼する。
「有難う御座います! これからも頑張りますので、宜しくお願いします!」
「そう仰って下さるのなら、喜んで頂きますねぇ。私も微力ながら、頑張ります」
友江は、目を細めて笑うと、チケットを大事そうに鞄にしまった。
「はい。宜しくお願い致します」
執行も笑みを浮かべながら、一礼をして見せた。
「では、そろそろ自分たちは失礼致します」
「はい。雪も降り始めてきたので、気をつけて下さいね」
「分かりました。友江さん、行こっか」
「は~い」
友江は、手を軽く上げて賛意を示した。
ふたりが店から出て行くのを見届けると、執行は己の頭を撫でながら、ひとりつぶやいた。
「いやあ、若いっていいですね」
そうつぶやいた執行であったが、自身もまだ24歳であり、若者と言える部類に入る人間だった。
空から無数の雪が、地上に向かってゆっくりと舞い降りる中、イルミネーションが街路樹を彩り、街のそこかしこを華やかに見せていた。
沢山の人たちが街にあふれ、迷子になるまいと、手をつないでいる家族連れやカップルが、仲良さげに歩いている。
その中に手こそつないでいないものの、幸永と友江は寄り添うようにして歩いていた。
友江の手には透明なビニール袋が握られており、何10秒に1回はその袋の中身を顔を輝かせながら、覗きこんでいた。
「幸永くん、本当に有難う。そして御免ねぇ、こんな高いデジカメをプレゼントしてくれて」
友江は、顔こそ精一杯申し訳なさそうな顔を作ってみたが、それとは裏腹に声の調子が嬉々としていた。
友江を顔を綻ばせながら見ていた幸永は、軽く首を横に振る。
「どう致しまして。今年は友江さんに、お世話になりっぱなしだったからね。これでも足りないくらいだよ」
「そうなんだぁ……。私も明日になったら、幸永くんにプレゼントを買って帰るから、楽しみにしていてねぇ」
幸永は、夢想だにしていなかった一言に目を丸くする。
「えっ、俺にプレゼント……?」
「そうだよ~。幸永くんがそう言うなら、私も散々なったからねぇ。そのお礼に意味も込めて、買ってくるよ~」
友江が蕩けるような笑顔を見せた。
幸永は苦笑しながら、頭を掻く。
「何か悪いなぁ……」
友江が幸永の背中を軽く叩く。
「だーめっ。遠慮しちゃ駄目だよぉ」
「うん、分かった。楽しみにしてるよ。そういえば、進平さんたちのプレゼントはどうしようっか?」
たちまち思案顔になり、友江は、人差し指で自分の頬を小刻みに軽く衝き始める。
「うぅん……そうだねぇ……。あ、私は参考までに去年までは、肩叩き券とケーキをあげてたよ~」
幸永は、何だか無性に頭を撫でたくなる気持ちを抑え、友江の双眸を見つめ、目を細める。
「肩叩き券か~……何か友江さんらしいなあ」
「そうかなぁ? 有難う」
友江は照れくさく笑いつつ、後頭部を撫でた。
「そうだっ。友江さん、あそこのデパートの行こう!」
友江の手を引き、幸永はいきなり走り出した。
「えっ? ええっ?」
友江は、とりあえず転ぶまいと、懸命について行く。
人ごみを掻き分け、大通りの横断歩道を駆け抜け、幸永は友江を連れて夢中で走った。やがて、割と遠目にあったデパートに到着した。しかし、幸永は走るのを止めない。その勢いのまま、1階の食器売り場まで急行し、茶碗が陳列してある所でようやく止まった。
「ど、どうしたのぉ……い、いきなり走り始めて……」
友江は喘ぎながら、少し不機嫌な声で訊ねた。
幸永が、火の出るような荒い息を吐きつつ、答える。
「ご、御免。いや、進平さんと江里さんにはこれがいいかなと思ってさ」
友江が顔を上げ、幸永の言う"これ"に目を注いだ。
「これって……夫婦茶碗?」
「そう、夫婦茶碗。仲の良いふたりにぴったりだと思うんだけど……友江さんはどう思う?」
幸永の問いに友江は、緩やかに相好を崩した。
「良い。とても良いと思うよ。幸永くんっ」
友江は思わず、手を伸ばして幸永の頭を撫でた。
「いやあ、照れるなぁ……」
頭を撫でられて満更でもなさそうな幸永は、頬を指でぽりぽりと掻いた。
その後幸永と友江は、お互いにお金を出し合って夫婦茶碗を購入した。少々値は張ったが、進平と江里の喜ぶ顔を思えば、何てない事だった。
デパートから出てもと来た道を辿り、幸永と友江は自宅へ向かって歩みを進める。
「俺たちもいつか……進平さんと江里さんみたいな夫婦になりたいね」
突然、告白にも似た言葉を切り出された友江は、しばしびっくりした顔をしていたが、にっこりと微笑みながら言った。
「そうだねぇ」
ふたりはそれっきり一言も言葉を交わさずに、帰路を歩いた。
ふたりが家に着いた頃には、既に20時を少し回っていた。
早速、ふたり揃って進平と江里にプレゼントの夫婦茶碗を渡した。進平と江里は、甚く喜び、何度も何度もお礼を言っていた。
少し遅い夕食を終えた後は、いつものように幸永と進平は、酒を飲み交わそうとした。すると、珍しく友江と江里も一緒に飲みたいと頼み、4人で飲むこととなった。この日は友江と江里が加わったおかげか、飲む速度が一定で進んだ。結果、誰も飲み潰れる事もなく、0時前には各々部屋に戻って床に就いた。
翌日。12月23日、朝。
幸永の部屋のドアを、しきりにノックする音が聞こえる。ノックがやっと止んだかと思いきや、今度は友江の間延びした声が幸永を起こそうと、ドアに向かって発せられた。
「幸永く~ん。朝だよ~、遅れちゃうよ~」
しかし、全く返事がない。この状態が15分ほど続いていた。
「もぅ……」
流石の友江も我慢の限界だったのだろう、ドアを勢いよく開くと珍しく大声を張り上げた。
「幸永くん! 遅刻するよっ!」
至近距離の怒声。大抵の人間だったら、十人十色の反応を示して目を覚ますものだが、どうしたことかうんともすんとも反応がない。仰向けの状態のまま、まるで死人のように。
ふと友江の胸中に、言うに言われぬ不安が去来した。掛布団を剥ぐって、心臓に手を当ててみた。
「……動いて……いない……?」
心臓が動いていないことが分かった友江は、茫然自失となった。幸長の顔を見つめたまま全く動かない。
しばし経って、友江が顔を小刻み震わせ、しゃくりをひとつ挙げた。それが契機となったのか目から止めどなく涙があふれ、幾筋も頬を伝って顎を伝って、幸永の仰臥している布団に落ちていく。一旦双眸を閉じると、火がついたように幼子のように大声を挙げて、泣き始めた。
しかし、布団に仰臥している幸永は、全く反応しなかった。




