13章……温かい人々に囲まれて
「兄は……即死でした……」
幸永は、うつむきつつ腹の底から絞り出すように、唇を小刻みに震わせながら言った。
「今思えば、凄く立派な兄だったと思います……。頭も良いし運動もできて、誰に対しても優しく、面倒見がよくて……。自分に対してもそうでした……。何かと自分を立ててくれて、何かあるとすぐにかばってくれて……」
「優しい兄ちゃんだったんだな」
進平が、腕を組んで空を見上げている。幸永からだと進平の顔が、丁度太陽と重なっている為に表情を窺い知ることができない。
「はい……」
「その後、幸永さんはどうなったの?」
江里が全て聞いて受け止めてあげようと、幸永に続きを促す。
「その後の自分は、親戚の家に預けられました……。しかし、両親が存命していた頃はあれほど優しかった叔父夫婦が、手の平を返したように、冷たくなっていったのです……。冷たい仕打ちに何度死のうと思ったか……。でも、死の恐怖が大きく、その時は自殺なんかできませんでした……。因みに、自分は大学に行きたかったんです……。そこで、両親が残してくれた遺産を使おうかと思ったんですが、既に叔父夫婦に食い潰されていました……。自分たちはお金を出したくないのでしょう、高校を出たら働いて出て行けと毎日連呼していました……。自分は、高校を卒業すると同時に、逃げるようにして叔父夫婦の家から飛び出し、ひとり暮らしを始めたんです……」
「まぁ、酷い……。本当に辛かったのねぇ……。それから連絡は取っているの?」
「取ってません……。近辺に唯一の親族なんですけどね……沢山嫌な思いをしましたし、今後一切関わりたくもありませんから……」
「そうよね……。私も幸永さんの立場だったら、許さないかもしれないわ」
「でも……」
幸永が唐突に顔を上げる。その顔は不器用ながらも、若干の微笑が湛えられていた。
「でも、柳川さんたちに会えて良かったと思います。記憶が失っていた頃はお世話になっていたようですし、記憶がなかった自分は、きっと15年振りに家族というものが温かいものなんだなと、思っていたことでしょう……。友江さんから2度までも救ってもらった命、大事にします。あと4ヶ月半以上、友江さんや柳川さんには多謝しつつ、命尽きるその日まで、ひとりで生きて行こうかと思います。兄や両親には悪いとは思いますが、自分があの世に逝ってからいくらでも逢えますしね……。その時に精一杯謝ろうかと思います。では、自分はそろそろ失礼させて頂きます……」
すくっと立ち上がり、幸永はいずかたもなく去ろうとする。
あまりに卒然のことで呆然とした表情で、声をかけられない進平と江里。しかし、幸永がすくっと立った瞬間、ずっとうつむいていた友江が顔を上げた。泣き過ぎたのだろう、目が早くも充血していた。その友江が眉を八の字にし、すがるような目で幸永の双眸を見る。
「幸永さんは……住む所はあるんですか?」
友江の困惑顔に戸惑いながら、幸永はしどろもどろになる。
「す、住む所ですか……住む所は社員寮ですよ。って……あっ……」
幸永は何か気づいたのか、言ったきり少し黙った。そして、先ほど友江が言ったことを思い出したらしく、口を開いた。
「そういえば……さっき友江さんは、自分は仕事を辞めたと言ってましたけど、あれって……本当なんですか?」
友江は、一旦幸永の双眸から目を離した。青空を見上げ、人差し指で自分の頬を小刻みに軽く衝きながら、思い起こそうとする。
「さっきも言ったように本当ですよぉ。その日の夜、晩御飯を食べながら愉快そうに話していたじゃないですかぁ。『あまもりゆきながとか言う、俺と名前の同じ人物の上司がとんでもない卑劣漢だったので、そいつの代わりにクビにするもんなら、してみやがれって言ってやりましたよ!』って」
「ええっ!? じゃ、じゃあっ……」
ぎょっとなり、次の句が告げずに口をぱくぱくとさせる幸永。
「あと、幸永さんは……」
幸永は、割り込むつもりはなかったのだが、自然と口に出た。
「ええ、免許証とかクレジットカードとかその他諸々の物を、棄ててしまいました……」
糸が切れたように幸永は、その場にへたり込んだ。
友江は再び幸永の双眸を注視し、幼子をあやすように微笑む。
「だからと言っては何ですが、また一緒に住みせんかぁ?」
この言葉に幸永は、申し訳なさそうな顔をしながら、首を何度か横に振った。
「いや、でも、これ以上ご迷惑をかける訳には……」
しかし、すぐに進平が大声で同調する。
「幸永くんなら、俺たちが看取ってやる! なあっ、母さん!」
江里も菩薩なような笑顔で頷く。
「ええ。そうですねぇ。こんなにも立派な好青年が路頭に迷い、4ヶ月後にはひとりで逝くのはかわいそう過ぎますから」
幸永は、好意的な眼差しを受け、どうしていいのか分からなくなった。
「し、しかし……。どんな振る舞いをしていたのか皆目見当がつきませんが、自分はみなさんが思っているほど、決して明るい性格じゃないんですよ……。もしも柳川さんの家に住んだとしても、始終暗い空気になると思いますし……」
友江が目を細める。
「幸永さん、人は環境で変わっていくこともあるんですよぉ。性格も人間的にも。だから性格が暗くても明るくても、幸永さんは幸永さんなんです。だけど、心根はそう変化しません。その心根が良いってことは、約1ヶ月間一緒に暮らして、既に証明されていますからぁ」
「そ、そうなんですか。そこまで仰って下さって有難う御座います。お世辞でも嬉しいです」
友江は頬をもちのように膨らませる。
「もぉ、お世辞なんかじゃないですよ。私は事実を言ったまでですっ」
「あ、すいません……」
幸永が、苦笑を浮かべながらこうべを垂れた。
友江が一笑しつつ、すぐに顔を喜に戻す。
「いいんですよぉ」
垂れたこうべを戻しつつ、幸永は真顔となった。
「……では、今回もみなさんのご厚意に甘えさせて頂こうかと思います。色々とご迷惑をかけた上に、またご迷惑をかけることとなって申し訳なく存じます。あと、住まわせて頂く身なので、遠慮なく何なりと申しつけて下さい。不束者ですが、宜しくお願い致します」
幸永は、他家へ嫁に行く花嫁のように、正座に直ってその姿勢のまま三つ指をついて、深々と叩頭するように上体を折り曲げた。
「はっはっは! また宜しくな!」
「まぁまぁ、やっぱり記憶が戻ってもご丁寧なんですねぇ。宜しくお願いします」
「ふふふ、幸永さんったら、それって病院で私にしたのと同じですよ~」
友江が、あまりにも所作が似ていたらしく抑えていたのだが、耐え切れず声を挙げて笑った。しかも涙まで流して。
「そ、そうなんですかっ!?」
「まあまあ、細かいことはいいじゃねえか! よーし、家に帰ってから色々とゆっくり話してやるから!」
進平が、幸永の近くに歩み寄り、いつもの調子で幸永の背中をぶっ叩いた。
幸永は、不思議と懐かしい思い出が去来した。しかし、それは気のせいだと思いつつ、快哉を叫ぶようにして返事をした。
「はい!」
4人は横並びとなってロープウェイ乗り場に向かった。笑い声を周囲に響かせながら――。
その夜。
進平に散々酒を飲まされて、酔い潰れて座布団を枕に寝てしまった幸永は、夢を見ていた。
眼前に広がる白い世界。上下左右を見渡しても、誰かが白い色の絵の具で塗り潰しているようであった。
幸永は気がつけばそこにいた。先ほどから何が起こったか分からず、そこにぽつねんと立ち尽くしている。
その幸永の背中を2回、叩く音が聞こえた。幸永は、何ごとかと振り返る。
「あっ……」
言ったきり、幸永は口を開けたまま仰天して固まってしまった。
「よお、久し振りだな。元気でやっているみたいで何よりだ」
少年が、声変わりしかけの独特の声を発しながら、幸永に笑いかける。
「に、兄ちゃん……?」
幸永のやっと出てきた言葉に、利幸は、にかっと歯を見せておかしそうに笑う。
「ああ、そうだよ。もっとも今は背丈年齢ともに、幸永の方が上だけどな」
「そうだけど……それは何でなんだろう?」
首をひねる幸永を後目に、利幸は淡々と説明を始める。
「死者は歳も取らないし、老いないし、背も伸びない。つまり、死んだ当時のまんまってことだよ」
不思議なことを言う利幸に、幸永は難しい顔をしつつ尚更首をひねった。
「そうなんだ……。あ、それよりも元気にしてたって……俺のせいで死んじゃったんだよね……」
沈鬱な表情になった幸永に、利幸は優しく諭すように言った。
「いいや、幸永は悪くない。あれはたまたま僕の運が悪かっただけなんだ。もしかしたら、天命だったのかもしれないしね」
「そ、そうなのかな……」
未だに顔を曇らせている幸永。
にこやかな顔だった利幸の顔が真剣なものとなる。
「それよりも幸永。昨日僕が夢に出てきたことを、どうやら勘違いして自殺しかけたようだね。それ以前にも自殺を図った。これは赦し難いことなんだよ」
利幸の声音は、先ほどとは打って変わって低かった。幸永を見る目も何処となく険を帯びているようにも見える。
「父ちゃんも母ちゃんも、それに僕も幸永にはまだこっちに来て欲しくはないと思っている。そりゃ、こっちに来れば僕たちにも逢えるし、ずっと一緒だ。でも、幸永には新しい家族ができただろ」
利幸は、無言で頷きながら話を聞いている幸永に、優しい声音で問いかけた。
幸永が嬉々とした顔になる。
「あっ、うん。柳川さんって言う人の家に、居候させてもらうことになったんだ。みんな良い人で、記憶を失っていた時もお世話になっていたみたい。今の俺が生きているのも、みなさんのおかげだから、精一杯奉公しようと思う」
力強く言い切った幸永に、利幸は満面の笑みを浮かべた。
「よーし、それでこそ僕の弟だ。……ごめん、言ってみたかっただけだよ。それにしても、友江ちゃん……いや、友江さんか……実年齢では僕が年上だけど、死んでるし。……おほん、とにかく友江さんって人は可愛いね。清楚だし性格も良いし僕の好みのタイプだなぁ。幸永はどうなんだ?」
腹を肘で軽く小突く利幸に、失礼と思いながらも幸永は、右手で軽く額を掴んだ。
「さあ……どうだろ。まだ会ったばかりだしね。でも、あんな人が嫁さんになってくれれば、幸せ過ぎて昇天するかもね」
利幸は額から両手を使って、幸永の手を突き放すように放した。
「そうか……一緒に過ごしてた期間の記憶が消えたんだよな。1からやり直しか~……辛いね、幸永」
「そうだね……。でも、兄ちゃんなら憶えているんじゃないの?」
幸永が期待に満ちた眼差しで利幸を見つめた。
利幸は首を横に振った。
「いんや。先月は一度も幸永の夢に現れてないからね。その期間の記憶は、僕にもさっぱりなんだ。まあ、そのうち何かの拍子で、思い出すんじゃないのかな」
「そうなんだ……有難う。無茶言って御免ね」
その時、遠くから鈴が鳴る音が響いた。音量は丁度よく、小さくも大きくもないほどだった。
「よし、そろそろ僕は行くよ。最後にひとつ言っておく。もう金輪際自殺なんて考えちゃ駄目だ。名誉もなく望まれなくただ自分だけの為の自殺は、死者への冒涜だからな。そんな奴は、僕たちがいる所へ来なくてもいいから」
幸永は、神妙な顔つきで首を縦に振る。
「うん、分かった」
きびすを返してその場を去ろうとした利幸が、何かを思い出したのか、素早く振り返った。
「あ、そうだ。明日病院に行ってきなよ。友江さんと一緒に。宗像先生だっけ? 凄く心配していると思うぞ。じゃ、友江さんと幸せになることを願っているよ。それじゃ、頑張れよ!」
「分かった! 父ちゃんや母ちゃんにも宜しく伝えといて!」
幸永がその直後にまばたきをした時には、利幸の姿は既になかった。
そして目が覚めた。
辺りはまだ暗く、どうやらまだ夜中らしい。
幸永はしみじみと独語する。
「夢の中の兄ちゃん、ちっちゃかったな……。15年前までは逆だったのに。悲しいやら嬉しいやらだったなぁ」
ひとつ大きな伸びをすると、ゆっくりとした所作で立ち上がった。
(また、出てきてくれるといいな。今度は色々と話したいし)
赤褐色の電球をひもを引っ張って消すと、居間を出た。
(さてと、部屋で寝ようかな。明日は友江さんに付き添ってもらって、病院に行くし。……宗像さん、心配しているだろうな……)
階段を静かに上りながら、明日のことを考える。そのことを考えるとやはり幸永は、一抹の不安を感じずにはいられなかった。




