第5話 オルカンが趣味のNISA女、会社の飲み会に挑む
ある日の昼休み。
女子社員たちが社員食堂の一角で盛り上がっていた。
「えっ、そのコスメもう買ったの!?」
「買った買った! めちゃくちゃ肌ツヤ良くなるってバズってて」
「いいなぁ〜。私も今度の連休、韓国旅行に行くから見てこようかな」
「ライブ遠征のついで?」
「そう! 推しがイベントするの!」
キャッキャと盛り上がる女子社員たち。
推し、ネイル、コスメ、旅行。
だが――
「…………」
その輪の中で、白鳥だけが浮いていた。
愛想笑いはしているものの、会話に一ミリも参加できていない。
なぜなら、彼女の頭の中ではきっと、
(韓国旅行:2泊3日10万円=オルカン3万口)
(ネイル:毎月1万円=オルカン3千口)
(ライブ遠征? 一体いくら?)
――と、全部『オルカン何口分』に変換されているはずだからだ。
そして結論は、いつも同じ。
(お金の無駄では……?)
そんな女子のテーブルに営業部の軽井沢レンが近づき、気軽に声をかける。
「そういえばさあ、白鳥ちゃんの趣味って何だっけ?」
さすがはチャラ男。
女子の会話に自然に入り込んで、自分に注目を集める。俺には真似できない芸当だ。
だが、白鳥はすかさず真顔で答えた。
「オルカンです」
その瞬間、女子社員たちは意味が分からず首を傾げ、軽井沢はギョッと目を見開いた。
「白鳥ちゃん……オルカンって、まさか」
「はい。オール・カントリーの略で、世界の時価総額に――」
「言われなくても知ってるし! ていうかそれ趣味じゃなくね?」
軽井沢が盛大にツッコむ。
一方、女子社員たちはやはり分かっていないらしく、
「えっと……ピアノじゃなくてオルガン? 美月ってもしかして、幼稚園の先生に転職とか考えてる?」
「オルガンじゃなくオルカン。投資信託です」
「とうししんたく? それって趣味なの?」
「はい。資産が増えると安心できます」
真顔。一切ブレない。
……ダメだこの子。
少し離れたテーブルで様子を見ていた俺だったが、後輩のチャラ男たちも完全にドン引きして、俺のテーブルに避難してくる。
「……鷹城さん、『鉄壁の白鳥さん』ってあんな変わった子だったんすね……」
「……みんな、知らなかったのか?」
「知らないっすよ! 声をかけてもいつも塩対応だし、まさかNISAガチ勢だったなんて」
「……俺も最初は『そんなに老後が不安なのか』と同情していたけど、その正体は筋金入りのNISA女だった」
「NISA女って……ククク……」
チャラ男たちが肩を震わせていると、別の女子社員が白鳥へ質問をする。
「私たち美月のことをよく分かってなかったみたい。ねえ、休日は何してるの?」
「休日ですか? お掃除して、食事を作って、家計簿をつけて……あとは証券口座の確認ですね。評価益を愛でてる瞬間が一番幸せ」
「評価益? それって何だっけ?」
「ひいいいいっ!」
総務部女子がポカンとする中、再び軽井沢が悲鳴を上げた。慌てて俺のテーブルに避難してくると、
「何とかしてくださいよ、あの子!」
「すぐには無理。現在リハビリ中。これでもだいぶ改善した方だぞ」
「これで改善した!? ウソ……だろ」
軽井沢が白目を剥くと、こちらを見た白鳥が頬を膨らませて怒りだした。
「軽井沢さんだけには言われたくないです」
「え……?」
「年初一括を勘違いして、銀行にせっせと貯金してたくせに」
「それは俺の黒歴史っ!」
「しかも親からお金を借りてまでNISAをしようとしてたくせに」
「それも言わないでくれよおおお!」
テーブルに突っ伏して叫ぶ軽井沢をよそに、総務部女子の一人がぽつりと言った。
「美月って、本当に勿体ないよね。女子の私から見てもすごく綺麗だし、絶対もっと楽しめるのに」
「え……?」
白鳥がきょとんと首を傾げる。
「髪とか長くて、めっちゃ綺麗だし」
「これ、カットに行かないから伸びただけなんだけど」
「肌も白いし」
「休日、部屋から一歩も出ないからかな」
「スタイルいいし」
「お昼、無料の味噌汁だけだったから?」
「オシャレしたら絶対モテるのに!」
「おしゃれってお金かかるし……正直、無駄だよね」
女子たちが完全に静まるが、さらに追撃。
「そんなのにお金使うくらいなら老後に備えた方がいいよ。全世界株式がおすすめ」
「「「ズコーーーーッ!!」」」
全員が綺麗にズッコケた。
◇
「お前、マジで趣味ないのか?」
会社帰り。
夕暮れの歩道を並んで歩きながら、俺は半ば呆れながら質問した。
白鳥は少し悩んでから、
「……オルカン以外、特にないですね」
「お、おう……」
無趣味を素直に認めた白鳥。
なぜなら、オルカンは趣味じゃないから。
「漫画とか映画とか見ないのか?」
「サブスク代が無駄なので即解約しました」
「友達と遊びに行ったりは?」
「付き合い程度に留めています」
「旅行は?」
「お金がかかりすぎます。勿体ない」
「ブランド品は?」
「買った瞬間に価値が大暴落で投資不適格。100均で十分です」
「恋愛は?」
「えっ!?」
白鳥の顔が一瞬で真っ赤になる。
「恋愛は、その……」
「まさか経験……ゼロ?」
「はい……」
勢いで聞いてしまったものの、顔を真っ赤にする白鳥になぜかホッとする俺。
「じゃあ学生時代は何してたんだよ」
「勉強とアルバイトですね」
「お前の青春はどこ行った?」
「老後の自分への仕送りに変わってしまいました……うううう」
「ど……ドンマイ」
涙目の白鳥が、小さく肩をすくめる。
「……でも、仕方なかったんです」
「仕方なかった?」
「子供の頃から、節約するのがいいことだと思ってましたので」
「普通はいいことだけど、お前はやり過ぎ」
「ううう……旅行なんて贅沢だと思ってましたし、服も着られれば十分。友達と遊ぶのも、お金を使うのが怖くなってしまって、あまり楽しめなかったというか……」
白鳥の部屋を思い出す。
物がほとんどない古びた六畳一間。
モノトーンのカーテンと食器。地味な洋服と着古した部屋着。
必要最低限の家電だけ。
「お前の部屋、物なさすぎだろ」
「節約すると、自然とそうなります」
白鳥が少しうつむく。
「老後のためには必要ないので」
「なあお前、NISA貧乏をやめたんじゃなかったのか?」
「それはやめましたが、老後の不安は解消されてません。だって7200万円ですよ!」
「悪かった! あれは悲観シナリオだ! さすがにそこまでは――」
「だって鷹城さんが言った金額でしょ! ちゃんと責任取ってください!」
「責任って……お前」
白鳥が頬を大きく膨らませる。
「でも無駄遣いするより、いいでしょ」
「お前の場合、問題はそこじゃない」
「え……?」
「お前は、金を貯める理由は知ってても、使う理由を知らないんだ」
白鳥の足が止まった。
夕焼けの中、長い黒髪がふわりと揺れる。
「使う理由……ですか?」
「ああ。趣味でも旅行でも恋愛でも、別に無理してやれって話じゃない」
俺は続けた。
「普通の奴は、楽しいから金を使うんだ」
「楽しいから……使う」
「お前は、必要かどうかで全て判断してる」
白鳥は黙り込む。
たぶん、そんなこと一度も考えたことがなかったんだろう。
金は減るもの。
だから必要な物以外に使っちゃいけない。
そんな風に生きてきた。
「じゃあ……」
しばらくして、白鳥が恐る恐る聞いてきた。
「お金を使って楽しいことって、どうやって見つければいいんでしょうか」
その質問は、あまりにも直球だった。
「それはお前にしか分からんが……まずは金額を気にせず、コンビニでアイス買ってみろ」
「コンビニでアイス! そんな贅沢な……」
「いいから、お前はそこからだ」
白鳥は数秒ぽかんとしたあと、
「……じゃ、じゃあハーゲンダッツを食べようかな?」
「そう、その意気だ! やってみろ」
「はいっ!」
白鳥が覚悟を決めると、目の前のコンビニへ突撃した。
◇
「おーい!」
コンビニ前で二人、ハーゲンダッツを食べていると、遠くの方から声が飛んできた。
見ると、営業部の軽井沢レンが手を振りながらこちらに走って来る。
「軽井沢じゃないか。どうした?」
俺が尋ねると、
「何してんすかこんな所で。まさかいい年してコンビニデート?」
「違いますっ!」
やや食い気味に白鳥に否定されて、ちょっとだけ傷ついた俺。
「まさか、それを言うためにわざわざ追いかけて来たのか?」
「んな訳ねえじゃないすか。今度、営業部と総務部で合同飲み会やるんだけど、経理部の二人も誘おうと思って」
「合同飲み会……?」
白鳥が固まる。
「駅前の居酒屋で、二時間飲み放題」
「……ちなみに、おいくらですか?」
「4000円くらい?」
瞬間、白鳥がフリーズした。
(4000円……)
(オルカン4000円を期待リターン5%で40年間運用した場合……)
たぶんそんな計算をしているのだろう。
顔を見れば分かる。
そして結論は――
「行きません」
「即答かよ!」
軽井沢がズッコケた。
「いやいや、たかが4000円だよ?」
「4000円あれば鶏むね肉をたくさん――」
「オルカン換算も大概だけど、タンパク質換算もやめろ! お前はアスリートか!」
俺は思わずツッコんだものの、白鳥の目は真剣そのもの。
「飲み会って、お酒飲んで騒ぐだけですよね? 忘年会がそうでしたし、正直無駄でした」
「いやまあ……そうだけど」
「家で水道の水を飲んでた方がマシです」
「お前は水呑み百姓か!」
俺のツッコミに軽井沢がゲラゲラ笑う。
「面白えこの二人……うひゃひゃひゃ」
一方の白鳥は、今にも証券アプリを開きそうな顔をしている。
「一食4000円……4000円かぁ……」
どうやら飲み会に4000円の価値を見出していないようなので、視点を変えさせてみる。
「なあ白鳥。その4000円を人間関係への投資と考えればどうだ?」
白鳥の動きが止まる。
「……人間関係に投資する?」
「そうだ。会社ってのは、書類仕事だけしてりゃいいわけじゃない」
俺は続ける。
「雑談したり、飯食ったり、どうでもいい話をしたり。そういう積み重ねで人間関係ができていって、仕事がやりやすくなる」
「でも、それって無駄では……」
「無駄かどうかは、すぐには分からない」
白鳥は黙った。
軽井沢も、珍しく茶化さない。
「人間関係ってのはな」
「……はい」
「困った時に助けてくれる大切な資産だ」
白鳥の表情が、少しだけ変わった。
「人間関係が……資産」
「投資ってのは、株や投信にお金を入れるだけじゃないってことだ」
夕暮れの風が吹く。
白鳥の黒髪が、ふわりと揺れた。
「……じゃあ」
彼女はおそるおそる顔を上げる。
「参加した方が、長期的にリターンが高いですか?」
「その可能性は高い」
そう答えた瞬間、軽井沢が腹を抱えて笑い出した。
「い、息できねえ……! この二人の会話が特殊すぎて、腹痛えええ!」
◇
数日後。
白鳥美月は、人生初の会社の飲み会に参加していた。
「かんぱーい!」
ジョッキがぶつかる音。
居酒屋の喧騒。熱気。笑い声。
白鳥は緊張した様子で押し黙っていたが、そんな彼女に軽井沢が声をかける。
「白鳥ちゃんって、外食とかしないんだ?」
「はい。基本、自炊なので」
「俺なんか一人暮らし始めてから、ほぼ毎日コンビニ飯だわ」
「コンビニなんて私にはとてもとても……」
顔を青くして拒否反応を示す白鳥。
すると、彼女と話したかったのか、チャラ男後輩たちも会話に参戦する。
「軽井沢さん、それ分かるっす! コンビニ飯うまいっすよね」
「外食より手軽だし、つい買っちまうぜ」
「ちな、営業の外回りの昼飯高すぎ問題」
「それな!」
「家でお弁当を作ればいいのでは?」
白鳥が不思議そうに尋ねると、
「じゃあ白鳥ちゃんが作ってよ」
「お断りします」
「フラれたーーっ!」
「そりゃ無理っすよ軽井沢さん。白鳥ちゃんは鷹城さんと付き合ってるし」
「つつつつ、付き合ってません!」
即答だった。
すると今度は、総務部女子が参戦。
「いつもお昼一緒に食べてるし、ホントは付き合ってるんでしょ、美月」
「だから違います! 経理部で社食を使ってるの、鷹城さんしかいないからですっ!」
「え? 白鳥さんって社食が好きなの?」
「はい。お味噌汁が一杯無料なので」
「「「好きな理由、そこ!?」」」
その後もみんな白鳥をからかいながら、賑やかに飲み会は進んだ。
でも話を聞いていると、チャラ男も総務部女子たちも、それぞれ悩みを抱えながら働いていた。
将来への不安がある。
貯金の話もするし、仕事の愚痴もこぼす。
推しの話で盛り上がる奴だっている。
だけど――誰も、白鳥みたいに老後の不安だけを軸に生きているわけじゃなかった。
「白鳥ちゃんって、真面目すぎるんだよ」
軽井沢が枝豆をつまみながら笑った。
「もっと遊んだ方がいいって」
「遊ぶって言われても……」
「じゃあ今度、みんなで海でも行く?」
「海……ですか?」
「夏だし、ビーチでBBQとか!」
その瞬間、白鳥の動きが止まった。
「海かぁ……そう言えば水着、まだ残ってるかなあ」
「おおっ、好感触! でも『残ってるかな』ってどういうこと? まさか水着を一着も持ってないとか?」
「捨ててなければ実家にあるはず」
「へぇ、どんな水着? まさか大胆なビキニとか!」
チャラ男たちがゴクリとつばを飲み込んで、白鳥の水着姿を想像する。
だが彼女は事も無げに、
「どんなって、みんなも持ってるでしょ。授業で使ったはずだし」
「授業って……まさかスク水!?」
チャラ男たちが悶々と想像を巡らし、総務部女子たちが慌てて白鳥を取り囲む。
「ダメダメ! 新しい水着を買いなよ!」
「……でも、水着って高いですよね?」
「ダメだよ美月! スク水はヤバいって!」
全員が目を白黒させる中、白鳥だけが真顔でスマホ検索を始める。
「ええっ!? 最近の水着って、一万円近くするんですか!?」
そう叫ぶと、真っ青な顔で俺のところへ駆け寄ってきた。
思いきり肩を揺さぶられ、何とか答える。
「そ、そのくらいはするかもな……」
「布面積少ないのに?」
「いきなり原価計算かよ!」
「高校の水着は、もっと安かったです」
「その年でスクール水着は絶対やめろ!」
真夏の海なんて、暑いし絶対に行くつもりはないが、だからと言って白鳥が恥をかくのは普通にかわいそうだ。
そんな親心からの忠告だったが、軽井沢の余計な一言に俺たちは撃沈した。
「みんな始まったぞ、二人の夫婦漫才が」
「いつもの社食のあれでしょ。やっぱりこの二人怪しいよね……♡」
「「「ニヤニヤニヤ」」」
「怪しくなんかありませんっ!」
◇
その帰り。
駅までの道を、白鳥と並んで歩いていた。
「……4000円、なくなっちゃいましたね」
白鳥がぽつりと呟く。
「だな。それで後悔してる?」
「…………」
白鳥は少し考えて、ゆっくり首を振った。
「意外でした」
「何が?」
「みんな、ちゃんと将来を考えてるのに、今を楽しんでるというか……」
「うん」
「軽井沢さんたちも、見た目はアレなのに思ったよりいい人でした」
「そこは俺も意外だったな」
「失礼だな、お前ら!」
どうやらすぐ後ろを歩いていたらしく、本人のツッコミが即座に飛んできた。
「くすっ」
白鳥が小さく吹き出す。その笑顔は、前よりずっと自然だった。
「……でも」
「ん?」
「後悔はしてないです。来てよかった」
その言葉に、少しホッとした。
「なら、4000円の価値はあったな」
「はい!」
そして白鳥は、しばらく考え込んだあと――小さく付け加えた。
「水着の積み立てもしないと、ですね」
「水着の積み立てって……お前の中ではもう参加は決定なのか?」
「はい。もちろん、鷹城さんも参加ということで」
「俺もかよ!」




