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NISA貧乏株式会社 ~元銀行員の俺。NISA貧乏の美人経理を金融知識で救ったら、妙に懐かれた~  作者: くまひこ


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第2話 恋も遊びも我慢したのに、たった三年違うだけだった

 白鳥を連れて来たのは駅前の古い居酒屋。


 赤提灯に手書きのメニュー。昭和から時間が止まったような店だ。


「……ここ、本当に大丈夫なお店ですか?」


 白鳥が不安そうに暖簾を見上げる。


「お前が安い店でいいって言ったんだろ」


「それはそうですけど……」


「安心しろ。元行員はこういう店も詳しい」


「……なんか嫌な説得力ですね」




 カウンター席に座ると、店員がおしぼりと水を置いた。


「とりあえず、焼き鳥盛り合わせと唐揚げ」


「えっ?」


「あとポテサラ」


「ええっ!?」


「それとだし巻き」


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 白鳥が慌ててメニューを覗き込む。


「こんなに頼むんですか!?」


「飯食いに来たんだから当たり前だろ」


「どれも数百円はしますよ!?」


「居酒屋なら安い方だ」


「安くありません! それでオルカンが何口買えると思ってるんですか!」


「投資信託で換算するのはやめろ」


 焼き鳥とオルカンを比較するヤツは初めてだが、白鳥は本気で心配しているようだ。


「それで、だ」


 俺は箸袋を折りながら話を始めた。


「お前、全力でNISAに突っ込む意味、本当にあると思ってるのか?」


「思ってます」


 即答だった。


「若いうちに積み立てを始めた方がたくさん増えるんです。複利って、時間が長いほど効果がありますから」


「それは確かに正しいけど」


「だったら――!」


「それで、何年得すると思う?」


 白鳥が止まる。


「……何円ではなく、何年?」


 質問の意味が分からず、首を傾げる白鳥。


 だがNISAの本質を暴くには、あえて『年』で示す必要があるのだ。




「例えば、お前みたいに20代から生活を削って全力投資する奴と、余裕資金だけを積み立てて今の生活を大切にする奴がいたとする」


「はい」


「じゃあ、老後資金7200万を目標にシミュレーションしてみようか」


「7200万円! そんなに必要なんですか?」


「お前らみたいな悲観論者なら、年金なんか当てにせずに自力で暮らせるだけのお金を貯めよう。そう思ってるだろ?」


「ええまあ、確かに……」


「それに今は長いデフレがやっと終わって、今度はインフレが始まったところ」


「そう、それ! お米や食料品が急に高くなって、この先どうなるのか不安で……」


「では、インフレ率を2%と仮定しよう」


「え? 2%って、食料品とかすごく上がってるし、今はもっと物価が上昇して……」


「今のインフレ率をそのまま適用したら大変なことになるぞ。だって年2%のインフレが40年間続いた場合でも、俺らが老後になる頃には物価が2倍以上になるし」


「に、2倍!」


「この2%という数字は、物価の番人『日本銀行』が目標としているもので、国民経済にとって適切とされている物価上昇率だ」


「物価が2倍に上がることの、どこが適切なんですか!」


「デフレしか知らない日本人ならそう思うかもしれないが、世界では普通のことなんだ。日本は物価が安くて海外からの観光客が押し寄せて爆買いしているが、見方を変えれば日本が発展途上国並みの物価になってしまったということだ」


「日本が発展途上国並み……まさか」


「それだけ購買力に差が出てしまったから、国力回復のためにも物価を欧米レベルにまで戻さなければならない。そのためには長期に安定したインフレが必要で、少なくとも日銀はその方向を目指している」


「じゃあこの先ずっとインフレが続くと」


「それが日銀の仕事だからな。でだ。今年の新入社員が65歳の年金受給年齢になるまでの43年間、ずっと2%の物価上昇が続いた場合、物価は2.34倍に跳ね上がる」


「2.34倍……」


「一方、少子高齢化のさらなる進行で年金が急ピッチに減額され、俺らが65歳になる頃には年金なんかほぼ当てにならず、老後3000万円問題が発生していたとする」


「老後3000万円問題……普通にありそうで恐いですね」


「この3000万は今の金銭感覚の話で、43年後の物価だとインフレ分も見込まなければならない。つまり3000万円×2.4=7200万円だ」


「だから7200万円なんだ……これは目標額の上方修正が必要ね!」


 真剣にメモを取る白鳥の目の前に、店員が焼き鳥の皿を置く。


 ぐうぅぅぅぅ……


「く、食っていいぞ」


「……で、では一本だけ」


「遠慮するな、好きなだけ食え」


 白鳥は恐る恐る、ねぎまを口へ運ぶ。


 その瞬間。


「……おいしい」


 声が小さく漏れる。


 よほど腹を空かしていたのか、幸せそうな笑みを浮かべていた。





「で、話の続きな」


 俺はパソコンを取り出し、表計算ソフトでシミュレーションを開始。


「22歳手取り20万円からスタート。定年60歳までベースアップ率1%、40歳までの定期昇給率は追加で2%な」


「はい」


「余裕資金組は、余裕資金だけで積み立て。家賃、光熱費、食費と交際費を除くと1年目の新人くんは月4万くらい」


「たったそれだけ……」


「一方、お前タイプ」


「お前タイプってなんですか!」


「じゃあ全力投資組とする。コイツは交際費ゼロ、趣味ゼロ、食費削って全力投資」


「実に合理的です」


「結果、新人ながら月8万積み立てに成功」


「うんうん!」


 白鳥が少し誇らしげに頷く。


「で、期待リターン5%とする」


「妥当な水準ですね」


「さて、この二人は今後どうなるか」


「アリとキリギリス! 全力投資した人が報われる未来が!」


「全力投資組は、NISA枠上限1800万円に35歳で到達する。入社からたったの13年だ」


「ほらあ!」


「一方、余裕資金組は40歳で上限に到達」


「え……40歳?」


「このシミュレーションは昇給も想定している。25歳で手取り22万。余裕資金は5万程度。30歳で手取り26万、余裕資金は7万5千円だ」


「なるほど、妙にリアルな数字ですね……」


「こんな風に40歳まで順調に給料も上がり、この時点で手取り37万、余裕資金14万」


「余裕資金が14万も……」


「独身ならこんなもんだ。つまり余裕投資組は36歳から40歳までの5年間で、全力投資組が若い頃に節約した金額に追いついてしまう」


「……そんな」




「二人はその後、どうなったと思う?」


「その後って?」


「だって、NISA枠はもう埋まってるんだぞ」


「あっ! 何もすることがない……」


 白鳥が固まる。


「そう、何もすることがない。40歳の時点で余裕資金組と全力投資組の資産額はそれぞれ約2700万と約3200万。目標額にはまだ足りないが、あとは老後まで放置するしかない」


「でも、その間に複利が――」


「もちろん増えるよ。普通に」


「よかった!」


「で、結局どちらも目標額に到達する」


「どちらも到達……」


「ちなみに余裕投資組は、60歳で目標の7200万円を超える」


 白鳥の動きが止まる。


「一方の全力投資組は57歳だ」


「……57歳」


「その差、たった3年」


「……たった3年」


「お前が必死に削って来た20代の価値が、この3年の差となって現れる」


「…………」


「恋愛も、旅行も、趣味も、友達との飯も削って得られるのが、その程度なんだ」


 白鳥の串が完全に止まった。


 店内の雑音だけが響く。


「しかもな」


 俺は続ける。


「65歳時点の資産はそれぞれ9300万円と1億900万円。たった1600万円しか差が出ない」


「たったって……1600万円もあれば十分差が出たじゃないですか!」


「でもこれってインフレ込みの金額だから、デカく見えているだけ」


「……え?」


「物価は2.4倍。つまり老後の1億900万円は、今の感覚だと4500万円の価値しかない」


「たった4500万円……」


「余裕投資組との差額1600万を今の価値に直すと約700万。つまりお前は20代の楽しみを全部を削って、実質700万円上乗せしただけ」


「その700万円って……まさか」


「そう。必死に節約して追加で積み上げた金額が約700万円。それと同額だ」


「そんな……」


「若い自分が本来使えたはずのお金を、老後の自分へそのまま送金していたにすぎなかった。つまり仕送りさ」


 白鳥が、静かにうつむいた。


「どうしてこんなことが……複利は正しいはずなのに、なぜ!」


「これが新NISAの本質。上限1800万円。そこに到達するまでの13年より、老後までの人生の方がはるかに長い。増えた金額の大半は、NISA枠を埋めた後に放置していた期間に生み出されたもの。だからこういう『切ない』現象が起こってしまう」


「……つまり私がやってた努力は、年老いた自分への仕送りに過ぎなかったと」


 ガックリ項垂れる白鳥に、俺はやさしく声をかける。


「だがな。老後資金を今から積み立てること自体は間違っていない。ただやり方を間違えてただけなんだ」


「やり方を……間違えてた?」


「NISAは本来、結婚や住宅購入、独立、子育てなど、人生の大きなイベントに使える自由な制度。それをすべて老後専用に固定してしまうのは、正直勿体ないよ」


「老後専用に……固定……」


「お前、将来が怖くて必死に戦ってたんだろ」


「……はい。でもNISAは」


「NISAは切り札。今を生きるために使え」


「……今を生きるために」


 白鳥は黙ったまま焼き鳥を見つめている。


 やがて、小さく呟いた。


「私……」


「ん?」


「ずっと、今を我慢すれば救われるって思ってました」


 その声は、少し震えていた。


「お父さんもお母さんも、いつもお金のことで揉めていて……だから将来困らないようにしないとって」


 白鳥が、ぽつりぽつりと話し始める。


「でも……」


 彼女はテーブルの上の唐揚げを見る。


 湯気の立つ、揚げたての唐揚げ。


「普通にご飯食べてるだけなのに、こんなに幸せを感じるの、おかしいですよね」


「おかしくなんかないさ」


「……」


「人間は飯を食って旨いと感じるのが自然。だって生き物なんだからさ」


「人間が生き物って……うふふふ」


 白鳥が少しだけ笑った。


 初めて見る、肩の力が抜けた笑顔だった。


「……積み立て、少し減らそうかな」


「やっと人間に戻る気になったか」


「失礼ですね! 私は人間です!」


「じゃあ、NISA女だ」


「もうっ!」


 俺がからかうと、白鳥が悔しそうに頬を膨らませる。


「でも……」


 彼女はおそるおそる俺の顔を見る。


「積み立てを減らした分、何に使えばいいんでしょうか」


 その質問に、俺は言葉に詰まった。


 たぶんこいつは、『今を生きる』ことを全部後回しにしてきたんだ。


 だから、お金の使い方を知らない。


「まずは」


 俺は苦笑しながら言った。


「ちゃんと飯を食うとこから始めようか」


 白鳥は数秒きょとんとして――そして、小さく吹き出した。


「……じゃあ」


「ん?」


「こういう店、また連れて来てくださいね」


「焼き鳥ぐらいで大げさだな」


「だって……」


 白鳥は満面の笑みで答えた。


「今日はすごく楽しかったので」


「そうか。金の使い方だったら、いくらでも教えてやるぞ」


「はい! もちろん、老後の備え方もお願いしますね!」


「そこはブレねえな!」

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