表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
153/185

第153話 またね♪ソロキャン・フィーネ


満天の星を見上げながら、

しばらくその場に立ち尽くしていた詩音。


けれど、

ふぁ、と大きなあくびがひとつ、ふたつ。


「……やっぱ、眠い」


名残惜しさを胸にしまいこんで、

テントへ戻る。


寝袋に潜り込むと、

さっきまで見ていた星の余韻が、まだまぶたの裏に残っていた。


——きれいだったな。


そんなことを考える間もなく、

詩音は、すとんと眠りに落ちた。


◇◇◇


ふと、目が覚めた。


寝袋の中で、もぞもぞと身じろぎしながら、

スマホに手を伸ばす。


画面に表示された時刻は、

朝の6時半を少し過ぎたところだった。


「……よく寝たぁ」


小さく伸びをして、ひと息。


あたりは静かで、

外からは、小鳥のさえずりがかすかに聞こえてくる。


寝袋を抜け出し、

テントのジッパーに手をかける。


ゆっくりと下ろした、その先に——


朝焼けの富士山が、

どん、と視界いっぱいに飛び込んできた。


「……うぁ……」


思わず声が漏れる。


勢いのまま外へ出ると、

すぐに肩をすくめた。


「寒っ……」


慌ててテントに戻り、

ニット帽とダウン、さらにブランケットを手に取る。


もう一度、外へ。


澄んだ空気。

朝の光。

静かに色づく、富士山。


昨日と同じ場所のはずなのに、

まるで別の世界みたいだった。


麓高原で見た景色とも、

また違う感動。


詩音は、ゆっくりと息を吸い込んで、

大きく吐いた。


「……来て、よかったよ」


ぽつりと漏れた声は、吐く息と一緒に白くほどけていった。


外に出しっぱなしにしていたチェアに、そっと腰を下ろす。


「……冷たっ!」


夜露でひんやりした座面に、思わずお尻を浮かせた。


「もう……」


慌てて立ち上がり、くすっと笑う。


「麓高原でも、同じことしたっけ……学習ゼロじゃん」


タオルで座面を拭きながら、デュオキャンのことを思い出す。

自分で言っておいて、なんだかおかしくなった。


ふと、手が止まる。


「……そうだ。モーニングコーヒー」


小さく呟いて、ケトルを手に取る。

お湯を沸かし、ゆっくりとコーヒーを淹れると、朝の澄んだ空気に、ほのかな香りが溶け込んでいった。


もう一度チェアに座り、ブランケットを膝にかける。

マグカップを両手で包み込み、目の前の富士山を見上げた。


湯気が、ふわりと立ちのぼる。


冷たい空気と、あたたかなコーヒー。

そのコントラストが、心地いい。


詩音はしばらく、何もせず、ただそこに座っていた。


富士山を眺めながら、

朝の静けさに、そっと身を預けて。


ーーー


炊事場で顔を洗い、歯を磨く。

この時期、炊事場でお湯が使えるのは本当にありがたい。

気持ちもスッキリして顔を上げると、こんな寒い朝もありだなって思えるから不思議だ。


テントに戻ると、まだ時間は7時半。

詩音はブランケットを肩に掛け直して、場内を少し歩いてみることにした。


広いキャンプ場のフリーサイト。

遠くに、ぽつぽつとテントが見えるだけで、人の気配はほとんどない。


吐く息が白い。

足元では、霜を踏むたびに、きゅっと小さな音が鳴る。

どこからか鳥の声がして、その向こうで、富士山が静かに見守っている。


詩音は何度も足を止めて、写真を撮った。


(同じ場所なのに、時間が変わるだけで、こんなにも表情が違うんだ…)


なんだか得した気分になって、にこっと笑った。



ひと回りして、テントに戻ってきた詩音。


朝ごはんは簡単にと、

レトルトの、野菜がたっぷり入ったポトフを湯煎で温める。


クッカーから立ちのぼる湯気に、思わず手を伸ばす。


出来上がったポトフは、レトルトとは思えないおいしさだった。


「……あったまるなぁ」


冷えた体に、じんわりとしみ込む温かさ。

それだけで、なんだか満たされた気持ちになった。


ーーー


楽しかった時間にも、やがて終わりはやってくる。


朝の空気が、少しずつやわらいできたころ。

身支度を整えた詩音は、名残惜しそうにテントをぐるりと見回した。


「……よし、撤収しよっか」


そう口にした瞬間までは、気楽だった。


まずは寝袋。

ぎゅっ、ぎゅっと空気を抜きながら丸めて、収納袋へ。


「……うん、これは余裕」


続いてインフレーターマット。

同じように空気を抜いて、くるくると巻いていく。


――が。


「あれ? 入らない……?」


収納袋に押し込んでみるけれど、どうしても端がはみ出る。

力を込めて、ぎゅうっと押してみても、状況は変わらなかった。


「……まあ、いいっか」


マットは少し顔を出したまま。でも、見なかったことにする。


テントの撤収も進める。

ペグを抜き、生地を外し、ポールを畳む。

前よりも少し手慣れた手つきで、小さな収納袋に収めた。


ブランケットを畳み、

チェアとテーブルを分解して袋に入れる。

卓上コンロに焚き火台――

ひとつひとつ、順番にまとめていった。


そうして並んだギアたちを前に、詩音は小さく息をつく。


「まずは……リュックから」


着替えやお風呂セットを詰め込み、

その上に、少しはみ出したマットをくくりつける。


「……なんかカッコ悪……」


一瞬だけ眉をひそめてから、


「でも、まあいいか」


そう言って、レジャーシートの端にリュックを置いた。



——問題は、キャリーバッグだった。


寝袋を入れる。

卓上コンロを入れる。

テントを入れる。

テーブルとチェアの袋を入れる。


……パンパン。


「え? ちょっと待って」


一度、全部出す。


今度は順番を変えて、

テントを先に入れて、

その上に焚き火台。

隙間に寝袋を押し込み、

チェアとテーブルを……。


……入らない。


「……おかしいな」


昨日は、確かに全部入っていたはずなのに。


もう一度、全部出す。


レジャーシートの上に広がったギアたちを前に、

詩音は腕を組んだ。


「……え。君たち、増えた?」


もちろん、増えていない。


でも、どう見ても容量オーバーだった。


「……キャンプ道具ってさ、家出るときより増えるんだね」


ぽつりと呟いて、苦笑い。


麓高原のときは、メイの車のトランクにぽんぽん放り込めた。

でも今回は、自分で運ばなければならない。


しばらく悩んだ末、

詩音はひとつの結論に辿り着いた。


「……テント、外だな」


あきらめたように頷き、

キャリーバッグの外側にテントをベルトで固定する。


横から見ると、

ちょっと……いや、だいぶ情けない見た目だ。


それでも。


「……ソロキャン、やり切った感!」


そう言い放つと、

少し誇らしげに、にやりと笑った。



サイトを、ぐるりと見回す。


昨夜までは、ここに焚き火があって。

慌てたり、笑ったり、眠ったりしていた場所。


今はもう、何もない芝生が広がっているだけだ。


朝の光を受けて、少しだけきらきらして見えるその景色に、詩音はしばらく目を留めた。


「……お世話になりました」


小さくそう言って、ぺこりと頭を下げる。


それからキャリーバッグを引き、ゆっくりと歩き出した。


ーーー


クラブハウスの受付で、薪の精算を済ませる。


「ありがとうございました」


受付のお姉さんが、にこやかに微笑んだ。


「こちらこそ!お世話になりましたー!」


大きな声でそう返して、詩音は建物を出る。


外に出たところで、ふと足を止めた。


振り返ると——

朝の光をまとった富士山が、どん、と構えている。


昨日と同じ山。

でも、胸に残る感じは、ほんの少し違っていた。


「……バイバイ、富士山」


小さく手を振って、にこっと笑うと、

詩音は前を向いた。



昨日、胸を弾ませながら登ってきた坂道を、今度はゆっくりと下っていく。


「……ほんとに、終わっちゃうんだなぁ」


ぽつりと漏れた声は、朝の空気にすっと溶けた。

足取りはどこか名残惜しく、何度も無意識に後ろを振り返ってしまう。


視線の先には、昨日ドキドキしながら足を踏み入れた受付のクラブハウス。


ついさっきのことのような、ずっと前の出来事のような……


胸の奥が、きゅっと小さく締めつけられる。


――そのとき。


バキッ。


「……え?」


間の抜けた声が出た、次の瞬間。


カランカラン……。


乾いた音を立てて、キャリーバッグの手前のタイヤが転がった。


「……うおっ!?」


思わず足を止め、詩音はキャリーバッグと、地面を転がるタイヤを交互に見比べる。


「え、ちょ、壊れた!? 今!?」


慌てて拾い上げてみるけれど、軸はぽっきりと折れていて、どうやっても元には戻りそうにない。


「……マジか」


一瞬、遠い目になる。


でもすぐに、肩をすくめて、ふっと息を吐いた。


「……仕方ないか」


トラブルも、きっとキャンプのうち。

そう思うことにして、外れたタイヤをポケットにしまい込む。


今度はキャリーバッグを、ずるずると引きずりながら歩き出した。

アスファルトに擦れる音が、やけに大きく響く。


「……バス停まで、二十五分、だよね」


スマホをちらりと確認してから、ひとつ深呼吸。


「よーし……」


小さく拳を握って、


「頑張って、歩くぞー! おー!」


誰もいない坂道で、ひとりエール。

不思議と、さっきより足取りが軽くなった気がした。


詩音はにこっと笑いながら、

ガラガラと荷物を引きずって、坂を下っていった。


ーーー


キャンプ場を出て、十分ほど。


キャリーバッグは、もはや「転がす」ものではなくなっていた。

片側だけになったタイヤのせいで、ずるずる、がらがらと、情けない音を立てている。


外にぶら下げたテントは、歩くたびにぶらぶら揺れて、

まるで「私、頑張ってるでしょ?」と主張しているみたいだった。


「……はぁ〜〜……」


思わず、大きく息が漏れる。


昨日ここを歩いてきたときは、

これから始まるソロキャンに胸がいっぱいで、

この林道さえ、ちょっとした冒険みたいに感じていたのに。


いまは、ただただ、重い。


(バス停まで……あと十五分? 二十分?)


そう思った、そのとき。


ポケットの中で、ぶるっとスマホが震えた。


「……え?」


立ち止まって取り出し、画面を見る。


――〈お父さん〉


「……えっ?」


一瞬、目を疑ってから、慌てて通話ボタンを押す。


「もしもし?」


『ああ、詩音か。今、近くまで来てるんだけどさ』


聞き慣れた、落ち着いた声。


『昼飯でも一緒にどうかな、と思って』


「……おぉ……」


思わず、変な声が出た。


「あなたは……救世主さま、ですか?」


一拍おいて、電話の向こうから返ってきたのは、


『いや、父親だけど』


あまりにもいつも通りの、淡々とした返事。


それがなんだか可笑しくて、

詩音はキャリーバッグを引きずったまま、くすっと笑った。


「……助かる。ほんとに」


心の底から、そう思った。


ーーー


林の脇、少しだけ道幅が広くなった路肩。


詩音はキャリーバッグのそばにしゃがみ込み、道の向こうをぼんやりと見つめていた。

外側にぶら下げたテントが、風に揺れて、かさり、と小さな音を立てる。


——ぶおん。


低く、太いエンジン音が近づいてくる。


「あ……」


カーブの向こうから白い車体が現れた瞬間、

詩音はぱっと立ち上がり、大きく手を振った。


「来たっ!」


アウディSQ5は静かに減速し、そのまま目の前で止まる。

助手席のウィンドウが下がり、見慣れた横顔がのぞいた。


「お待たせ」


「ううん、全然!」


詩音は駆け寄りながら、にっと笑う。


「ありがとう、お父さん!

 実はさ……キャリーバッグ、壊れちゃって大変だったんだよ」


後輪を失ったバッグを指さすと、

壮太は一瞬だけ目を細め、それから肩をすくめた。


「それ、ずいぶん使ったからな。

 ほら、荷物、後ろに入れて」


「はーい」


テントもバッグもまとめてトランクへ。

助手席に乗り込んだ詩音は、深く息を吐いた。


「……ふぅ〜〜」


シートに背中を預けると、ようやく体の力が抜けていく。


「キャンプ、どうだった?」


「うん。楽しかった。

 ……けど、めっちゃ歩いた」


エンジンが再び低く唸り、車はゆっくりと走り出す。


「何、食べようか?」


「美味しいもの!!」


即答だった。


「そうだな……

 御殿場に、鰻のうまい店があるけど。そこにするか」


「えっ!」


詩音の顔がぱっと明るくなる。


「ウナギ!? やったー!!」


はしゃぐ声に、壮太は小さく笑った。


車は右に曲がり、国道へ出る。

サイドウィンドウの向こうで、さっきまで見上げていた富士山が、少しずつ遠ざかっていく。


「お父さん」


「ん?」


「帰りにさ、道の駅、寄ってもいい?」


「……道の駅?」


「うん。

 みんなに、お土産、買っていきたいんだぁ」


「あぁ……」


短くうなずく。


「わかった」


少し間があいて。


「あとね……」


詩音は前を見たまま、続けた。


「私も……車の運転、練習しようかなって……」


「えっ?」


壮太は思わず助手席を見る。


詩音は、まっすぐ前を向いたまま、

小さく、でもはっきりと笑っていた。


「……まあ」


視線を道路に戻し、ハンドルを握り直す。


「いいんじゃないか」


そう言って、ほんの少しだけ、口元を緩めた。




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

第10章「それぞれの一歩」、これにて一区切りです。


クリスマスや年末年始といった季節の中で、

四人の距離が少しずつ縮まり、それぞれが自分の場所で前に進んでいく。

ありふれた時間の中でも、人はちゃんと迷い、悩み、息づいていて——

第10章は、そんな「静かな成長」を描いた章でした。


詩音のソロキャンプは、そのひとつの象徴です。

楽しくて、不安で、それでも一歩踏み出してみたこと。

それは、ひとりでは決して辿り着けなかった経験であり、

たくさんの人に支えられて生まれた、小さな成長だったと思います。


次の第11章では、物語が大きく動き始めます。

よろしければ、もう少しだけお付き合いください。


——ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ