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第152話 ドキドキ♡ソロキャンナイト


御殿場たかね野キャンプ場は、ゆっくりと夜の色を深めていた。


詩音はローチェアに腰掛け、焚き火をじっと見つめている。


炎は、さっきよりも少しだけ落ち着いている。

勢いよく燃え上がるというより、

赤と橙のあいだを、ゆらゆらと呼吸するように揺れていた。


グゥ〜〜。


静かなサイトに、不意に響いた自分のお腹の音に、詩音は小さく笑う。


「そういえば、お昼……おにぎりとコロッケだけだったもんなぁ」


時計を見ると、まだ少し早いけれど、

詩音は夕ご飯を作ることに決めた。


テントの中からエコバッグを引っぱり出し、

昼間、エビディ・ビッグストアで買ってきた食材を並べていく。


その途中、ふと焚き火に視線をやる。


「……よし。大丈夫そう」


薪の位置を確かめてから、

今度は小さなローテーブルに目を落とした。


エビ、マッシュルーム、ミニトマト。

オリーブオイルに、にんにくチューブ。

それから、鷹の爪。


「アヒージョ、いきまーす」


誰に聞かせるでもなく、そう小さく宣言する。

ソロキャンプなのに、つい声に出してしまう。


クッカーにオリーブオイルを注ぐと、

焚き火とは違う、やわらかい熱の気配が生まれる。


にんにくを少しだけ絞ると、

じゅわ、と音を立てて、いい香りが立ちのぼった。

そこへ鷹の爪を落とす。


「……これだけで、もうおいしそう」


思わず鼻を近づけて、くん、とひとつ。

頬がゆるむ。


エビを入れ、マッシュルームを入れ、

最後にころころとミニトマトを落とす。


オイルの中で、具材が静かに揺れている。


その間にも、詩音は何度か焚き火のほうを見た。

火が消えていないか。

薪が崩れていないか。


「焚き火と料理、両立むずかしい……」


そう言いながらも、声はどこか楽しそうだ。


炎のゆらめきと、

クッカーの中で弾く小さな泡。


二つの火を行き来しながら、

詩音は少しずつ、この夜に馴染んでいった。


空はすっかり暗くなり、

焚き火の光が、テントの白い生地をやさしく照らしている。


「……キャンプの夜、始まったなぁ」


ぽつりと呟いて、

詩音はもう一度、クッカーに目を戻す。


「うーん、ちょっと暗いかも」


LEDランタンを灯すと、

オイルがぷつぷつと、小さな音を立て始めていた。


「お、いい感じ……」


塩をひとつまみ、ぱらり。

軽く混ぜて、もう一度火加減を確かめる。


「ちょっと味見を……」


ミニトマトをひとつ、割り箸でつまみ上げた。

ほどよくやわらかくなっている。


ぱく。


次の瞬間、


「熱っつ!」


思わず声が漏れた。

慌てて口元をぱたぱたと扇ぎながら、それでも噛むのをやめない。


「……あふいけど……おいひ〜……」


熱さと酸味に顔をくしゃっとさせて、

結局、くすっと笑ってしまう。


クッカーを覗き込むと、

エビはふっくらと色づき、

マッシュルームはオイルをたっぷり吸い込んでいる。

ミニトマトも皮が弾け、赤い果汁がじんわりにじんでいた。


「……できたっ!」


思わず、声が少し弾んだ。


クッカーを火から下ろして、

スマホを出すと、出来上がったアヒージョの写真を撮る。


——そして。


「いっただっきまーす!」


バケットをちぎって、

オイルにそっと浸す。


一口。


「……おいしい……」


小さく息を吐いて、頬がゆるむ。

ローチェアの背もたれに身を預け、

夜空に向かって両手を伸ばした。


「やっぱ外で食べるご飯、格別〜!」


もう一口。

今度はエビと一緒に頬張る。


「キャンプ飯、最高!」


あっという間に、クッカーは空っぽになった。


……が。


「……んー、でも、ちょっと足りないかも」


首をかしげて、テントの方を振り返る。

後室を覗き込み、思い出したように手を叩いた。


「あったあった」


家から念のために持ってきていた、

ハーフサイズのカレー麺。


お湯を注いで、しばし待つ。


「これで完璧でしょ」


アヒージョの余韻が残る中、

今度はスパイスの香りが立ちのぼる。


もぐもぐと食べ終えると、

詩音はお腹をさすった。


「……お腹いっぱい」


そう言いながら、

なぜか手は自然とポテチの袋へ。


ぱり。


「……別腹だよね」


誰に言うでもなく、そう呟いて、

ひとりで笑う。


火を見て、クッカーを見て、

また火を見る、ちょっと忙しい夕ご飯。


(ソロって、やることいっぱいだぁ)


焚き火の前で、

詩音はもう一枚、ぱりっとポテチをかじった。


ーーー


食べ終えたクッカーを、テーブルから下ろす。

バケットの袋をたたみ、空になった器をまとめる。


がちゃ、と鳴っていた音が、

ひとつ、またひとつと消えていった。


最後に残ったのは、

焚き火のぱちぱちという、小さな音だけ。


(……静かだな)


そんな思いを、追い払うように。


「よし。コーヒー、いれよ!」


ケトルに水を入れ、卓上コンロの火にかける。

お湯が沸くまでの、ほんの少しの時間。


焚き火の前にローチェアを引き寄せ、

マグカップを手に取る。


お湯を注ぐと、

立ちのぼるコーヒーの湯気が、夜の気配に溶けていった。


ひと口。


「……うーん。大人〜」


思わず、そんな言葉がこぼれる。

シチュエーションに、すっかり酔っている自分がおかしくて、ふぅっと息を吐いた。


ぱちっ、と焚き火が小さくはぜる。

赤い火の粉が、ふわりと舞って、すぐに夜に溶けて消えた。

炎はやさしく、詩音の顔を照らしている。


(メイちゃんや梓ちゃんに助けてもらって、

 いま、こうして焚き火ができてるんだよなぁ……)


ふたりの顔が、ふっと浮かぶ。


「メイちゃん、梓ちゃん、ありがとー!

 お土産、ちゃんと買ってくからね!」


ひとけのないキャンプ場に、

思ったよりも大きく、声が響いた。


「あ……」


慌てて口を押さえて、くすっと笑う。


焚き火の前で、マグカップを両手で包みながら、

詩音はもう一度、夜を見渡した。


ーーー


焚き火の炎が、すっかり落ち着いてきたころ。

詩音は、ふっと鼻を鳴らした。


「……くんくん。やっぱ、ちょっと煙くさいな」


髪やダウンに染みついた焚き火の匂いに気づいて、苦笑いする。

さっき、炊事場のそばで見かけた光景が、ふと思い出された。


「シャワー……あったよね」


詩音は焚き火台の前にしゃがみ込み、

まだ赤く残っている熾火を、じっと見つめる。


「……うん、ちゃんと消さないと」


ペットボトルの水を、少しずつ、慎重にかけていく。


じゅっ、という小さな音とともに、

赤かった光が、ゆっくりと闇に溶けていった。


手をかざしても、もう熱は残っていない。


「これで安心」


そう呟くと、テントの中へ入り、

タオルと着替えを小さな袋にまとめる。


「シャワー、行ってきます!」


誰に聞かせるでもなくそう言って、

ローテーブルに置いてあったランタンを手に取った。



炊事場の横にある、落ち着いた色合いの建物。

使用中ではないことを確認して、

詩音は女性用シャワー室の扉を開けた。


ぱっと、明るい空間が広がる。


「……やっぱ、きれい」


思わず、声がこぼれた。


床も壁も清潔で、

着替えスペースとシャワーブースがきちんと分かれている。

備え付けのシャンプーとボディソープまで揃っていて、

必要なものは何もなかった。


「ここだけ……完全に別世界だ」


服を脱ぎ、シャワーの栓をひねる。


ざあっと流れ落ちる、あたたかいお湯。


「はぁ〜〜……」


力の抜けた声が、自然と漏れた。


肩に、背中に、髪に。

一日の疲れと、焚き火の匂いが、

少しずつ、少しずつ流れていく。


「現代文明……ありがとう……」


鼻歌まじりに髪を洗いながら、

詩音は思わず、にんまりとする。


キャンプ場にいるのに、

こんなに快適だなんて、思っていなかった。


短い時間だけれど、

体だけじゃなく、心までほぐれていくようだった。


ーーー


「ほ〜〜……」


ほかほかの体でシャワー室を出ると、

外はすっかり、夜の空気に包まれていた。


ランタンの灯りと、遠くの街明かり。

完全な暗闇ではない。それでも、昼間とはまるで違う静けさが、そこにある。


詩音は、ふと足を止めた。


目の前に、どん、と構える黒い影。


「……富士山だ」


昼間よりも、ずっと静かで、

ずっと大きく感じる。


街の光を背に、夜空に浮かぶその姿は、

さっきまで見ていた富士山とは、まるで別物だった。


「霊峰・富士山って言われるのも、わかる気がするな……」


小さく呟いて、もう一度、深呼吸する。


冷えた空気と、洗い立ての髪。

なんだか、気持ちまで、しゃんとした。


詩音は、タオルで髪の水気を軽く拭きながら、

テントの方へと歩き出した。


ーーー


テントに戻ると、焚き火の消えたサイトは、思っていた以上に暗かった。

ランタンを点けていなければ、足元さえ心許ない。


一瞬、冷たい風が吹いて、頬をなでる。


「……さむっ」


詩音は小さく肩をすくめた。


「湯たんぽ、作らないと」


そう呟いて、ランタンを片手に、もう一度炊事場へ向かう。

湯たんぽと歯みがきセットをまとめて持っていくことにした。


炊事場で湯たんぽに水を満たし、歯みがきを始める。

シャワーで温まったはずの体が、少しずつ夜の冷気に冷やされていく。


しゃか、しゃか。


歯ブラシを動かしていると――


がさっ。


背後で、乾いた音がした。


「……っ」


一瞬、心臓が跳ねる。


振り向くと、ランタンの光の端で、雑草が風に揺れているだけだった。


「……なんだ。脅かさないでよ」


小さく息を吐いて、詩音は歯みがきを続ける。


炊事場を後にしてテントへ戻る道。

さっきよりも、空が暗くなった気がした。


「……あれ? なんか、さっきより暗くない?」


誰に聞かせるでもなく、ぽつり。


シャワーでほてっていた体も、すっかり落ち着いて、むしろ少し寒い。

詩音は歩く速度を、ほんの少しだけ早めた。


テントに帰ってくると、早速、湯たんぽ作りを始める。

テント入り口の外側に卓上コンロを寄せ、そっと湯たんぽを乗せて火にかける。


「テントの中で火、使うなって……梓ちゃん言ってたもんね」


ひとりごとを言いながら、慎重に準備を進める。


テントの中に入って、ランタンをフックに吊るすと、

白い幕の内側がぱっと明るくなった。


「……はぁ」


思わず、ほっと息が漏れる。


外は真っ暗なのに、

この小さな空間だけが切り取られたみたいだ。


でも、明るさとは裏腹に、

テントの中の空気はひんやりとしていた。


「ちょっと寒い……」


詩音はリュックから、激アツホカロンをふたつ取り出して、

ポケットに放り込む。


指先に、じんわりとした温もりが広がる。


そのころ、入口に置いていた湯たんぽも、

ちょうどよく温まったようだった。


カバーに入れて、ぎゅっと抱きしめる。


「……あったか」


そのまま、テントのジッパーを下ろして、ふぅ、とひと息。


「いっぱい歩いて、テント立てて、焚き火して、ご飯作って……」


スマホを手に取って、今日撮った写真を眺める。


「今日一日……まだ一日も経ってないけど、いろいろあったなぁ」


指先で画面をスクロールしながら、自然と口元がゆるんだ。


「……ソロキャンも、いいよね」


小さく笑った、その直後。


「ふぁぁ……」


大きなあくびが出る。


眠たいのに、まだ寝たくない。

詩音はランタンをフックから外して、手元に引き寄せた。


とりあえず、寝袋に潜り込んで、写真の続きを見ることにする。


――そのときは、まだ。

夜の静けさが、こんなふうに心細くなるなんて、思っていなかった。


ーーー


寝袋に入って、スマホの写真を眺めていると、

だんだんと瞼が重くなってきた。


スマホの時計は、まだ21時11分。


「……もう寝ちゃおうかな」


そう思った瞬間、反射的にランタンを消す。


暗闇。


寝袋の中に手を戻し、目を閉じる。


はぁ……と、小さく息を吐いた、そのとき。


ガサガサッ。


「ひっ!」


思わず目を見開き、身をすくめる。

暗闇の中で、耳だけを澄ます。


また、ガサガサッ。


どうやら、風が強くなってきたらしい。


「なーんだ……風だよ、風」


そう言い聞かせるように呟くけれど、

一度気になり始めると、もうダメだった。


テントを揺らす音が、やけに大きく感じる。


「きーーん……」


遠くで、なにかが鳴いた。


「ひっ!」


びくっと肩が跳ねる。


慌てて手探りでランタンを点けると、

手元だけが、ふわっと明るくなった。


「……はぁ」


少し、落ち着いた――そのはずなのに。


風の音に混じって、

テントの外に“なにか”がいるような気がしてしまう。


「……なんか、いるかも」


また、遠くで「きーーん」。


完全にビビりモード。


「熊……じゃないよね?

 鹿? 鹿だよね……?」


ガサガサッ、と一度大きく音がしたあと。


しーん。


嘘みたいに、静まり返った。


詩音は息を殺し、じっと耳を澄ます。

外を見る勇気は、ない。


――そのとき。


ピコン!


「うおぉぉー!!」


思わず声を上げて飛び起きる。


次の瞬間、スマホの画面が明るく光っていた。


「……なんだ」


画面を見て、脱力する。


「Rainか……」


胸をなで下ろしながら画面を見ると、凛々花からのメッセージだった。


『まだ起きてる?』


詩音は、ほとんど反射で打ち返す。


「起きてる!!」


すぐに既読がついて、返事が来る。


『ソロキャン楽しい?』


その文字を見た瞬間、詩音は思わず苦笑した。


「ソロキャンの夜、想像の三倍怖い」


少し間があって、凛々花からの返信。


『怖かったら映画見れば?』

『ゴーストバスターズとか』


「ゴースト!?」

「それはそれで怖いでしょ!!」


『じゃあ、ジュラシックパークは?』


「テント薄いんだよ!?」

「Tーレックス来たら終わりだから!!」


送信したあと、少し間があいて――

暗闇の中で、詩音はひとり、くすっと笑った。


さっきまで胸いっぱいだった怖さが、ほんの少しだけ、ほどけていた。



凛々花から返信が来る。


『いつも見るやつとか流せば?』

『音があると安心するから』


「あ、それ……いい!」


思わず声が出る。


「そうするね!」と返す。


『じゃあ、おやすみなさい』


凛々花が続けた。


『Tーレックスによろしくね』


「いないから!」


一応、ツッコミを入れてから、

「おやすみなさい」のスタンプを送った。


詩音はイヤホンを取り出し、耳に差し込む。

スマホの画面が、テントの内側をぼんやりと照らした。


『ゆるキャン△』。


メイに勧められて、

キャンプを始めるきっかけになったアニメ。


何度も見たはずの、ゆるいアニメ。


画面の向こうで、なでしこが元気に喋り出す。


「……あぁ……」


詩音の肩から、ふっと力が抜けた。


人の声がするだけで、世界がちゃんと戻ってくる。

さっきまで膨らんでいた不安が、少しずつしぼんでいくのがわかった。


(……凛々花ちゃんのおかげで、もう怖くないよ)


画面に集中しているうちに、風の音も、遠くの気配も、いつのまにか気にならなくなっていた。


しばらくして。


イヤホンの片方が、ぽろりと寝袋の中に落ちる。

スマホも、詩音の手からするりと滑り落ちた。


そのまま、詩音は静かに眠りに落ちていった。


ーーー


「……さむっ」


詩音は、ふいに目を覚ました。


寝袋の中で身じろぎすると、冷たい空気がすっと入り込んでくる。

湯たんぽのぬくもりは、まだほんのり残っているけれど——


「……トイレ……」


半分寝ぼけたまま、寝袋から抜け出した。


「寒っ!」


一気に目が覚める。


スマホを手探りでつかんで画面を見ると、

夜中の1時を少し回ったところだった。


「……完全に、寝落ちだ」


慌ててダウンを羽織り、ランタンを手に取る。

ジッパーを開けた瞬間、

夜の空気が容赦なく流れ込んできた。


ひと気のないキャンプサイト。

ランタンの光が、足元だけを照らしている。


トイレを済ませて、テントへ戻ろうとした、そのとき。


——ふと。


詩音は、顔を上げた。


「……え」


言葉が、そこで止まった。


頭上いっぱいに広がる、夜空。

数えきれないほどの星が、冷たいほど澄んだ闇に、ぎっしりと瞬いている。


息をするのも忘れて、ただ立ち尽くす。


さっきまでの怖さも、寒さも、

全部、どこかへ吹き飛んでいた。


夜のキャンプ場に、星だけがあった。


詩音は、小さく息を吸い込んだ。


——静かで、広くて、

とても、きれいだった。



ここまで読んでくださってありがとうございます!

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