夜這います
7
こんな事が許されるはずがない。はずがないのに、私は深夜に王の寝室前で立ち尽くしている。なんで部屋の前に護衛がいないの、こんなんじゃ簡単に入れちゃうじゃない? いえ、でも鍵がかかって――無いじゃない、マスラ王は一体何を考えているのでしょうか。
「ちょ、入れちゃうじゃない」
「入りに来たんでしょう」
そうだった。レンに目配せしてドアに手を掛ける。アルは大反対だったから目を盗んでここまできたのだ。もう、これしかないと。
私は花嫁になるのだ。もう、これしか。
ドアに手を掛け、そっと寝室に足を踏み入れる。室内は薄明りがついていてマスラ様はまだ起きている。というか、ドアを開けた私に気付いたのか私は今、怖い顔をしたマスラ様に剣をつきつけられている。
「姫?」
「あ、ああ、あ、の、すみま、せ」
「ああ、すまない、つい癖で。しかし、何故ここに? 何かありましたか?」
マスラ様は私を離すと、ようやく見覚えのある優しい笑みを浮かべた。
「こんな夜更けに出歩いてはいけませんよ、姫」
「あっ、すみません……」
「部屋まで送らせます。護衛の――ああ、今夜はいないんだったな、姫の護衛はどうしました?」
「こっそり……」
「まったく、いけない姫だ」
呆れたような声で囁かれて、顔が熱くなる。私だって本当はこんなはしたないことするつもりなんてなかった。でも。
「だって、マスラ様が」
「ん、私が?」
「私を、子供、扱い、するから」
こんな事言って、益々子供扱いされるに決まってる。レンとの打ち合わせではもっと妖艶に誘う手はずだった。――できるかは別だけど。
でも、もう駄目だ、ああ。
「マスラ様は私を見て下さらない。私はもう小さな子供ではないのです。どうしても私じゃ駄目ですか? 呪いの姫など、嫌、ですよね?」
勝手に涙があふれてくる。勝手に押し掛けて勝手に泣くなんて子供そのものではないか。でももう止まらない。
「私がお嫌いですか? そんなに魅力もないですか?」
べそべそと子供のように泣く私にマスラ様は困ったように名を呼んでくれる。
「エリーザ姫、落ち着いて」
大きな手で髪を撫でられて、もっと涙があふれてくる。大きな手は優しい。マスラ様は昔から優しかった。形ばかりの婚約ではお互いの事など何も知らないに等しいけれど、マスラ様が優しい事だけは知っている。まるで妹のように可愛がってくれた事も。
「エリーザ姫はとても素晴らしい姫です、それは間違いない事だ。私が姫との結婚を進めないのは姫に問題がある訳ではない、私の問題なんだ」
長い指で頬の涙を拭われる。なめらかな陶磁のような肌に見えていたけれど、その指先は荒れているのかざらざらした。
「マスラ様の?」
「ここだけの秘密だ。いいかい? 誰にも言ってない事だ」
真剣な目の迫力に押されて頷くと、マスラ様は酷く辛そうに呟いた。
「好きなひとがいるんだ」
――好きなひと……。
「その、お方と、結婚されるのですか?」
「いや、結婚はしない。だから誰ともするつもりはない」
「え? でも、好きな方がおられるんですよね?」
マスラ様に求婚されて断れる姫がいるはずがない。でも。一国の王だからこその事情が邪魔をしているのだろうか。ユカリナ国はクーデター明けで情勢が安定していないという事は知っている。その事なんかが影響してくるのかもしれない。
「敵対する国の姫、なのですか?」
「はは、そんな顔をしないで。そう込み入った事情という訳ではない。ただ、私達には立場という枷があるだろう?」
軽く片目を閉じて柔らかく微笑んだマスラ様はぼんやり見惚れてしまうくらいに綺麗だった。端正な顔立ち、というだけではこんなに見惚れない。城を追われるなんていう辛い思いをしているのに、こんな風に微笑む事ができる美しさに見惚れてしまうんだ。
「私は、マスラ様を、お慕いしています」
「ありがとう。ササーラとの同盟は結婚なくとも続いている。姫は幸せになって欲しい」
「……どうしても私とは結婚できないと」
「滑稽だろう。王などと担がれても好きなひとと結婚する事さえできない。私はこの国を変える。今はそれだけに全てを掛けるつもりでいる」
そんな事を言われてどうしてこれ以上私の子供じみた想いを語る事ができるだろう。私は頷くしかできなかった。涙が止まらないのは自分ではどうしようもない。
「従者を呼んでくる。しばらく休んでいなさい」
マスラ様は絹の肩掛けを私の頭にかけ、部屋から出ていった。と思ったらすぐに人の気配がする。外で待っていたレンだろう。
「レン、ごめんなさい、上手くできなかった」
顔もあげずに、ただそういう事しかできなかった。近づいてきた気配がそっと私の背中を撫でる。優しいけど力強い。レンったらいつの間にこんなに大きな手に……。って、そんな訳ない。
思わず顔をあげると、そこにいたのは何故かアルフレドだった。この計画に大反対していたアルには黙ってここに来たのに。
「アル……」
「――っ、部屋に戻りましょう」
肩を支えられて訳も分からず立ち上がると、マスラ様の姿が見えた。薄暗い明かりの下ではとても疲れているように見える。
って、それはそうか。本来お休みの時間を私が邪魔したんだから。
「本当に、申し訳、ありません、マスラ様、私」
「いいから、ゆっくりお休み」
また子供のように頭を撫でられて、額に優しいキスが降りてくる。完全に妹に与えるそれだった。でも、嬉しかったし、それから恥ずかしかった。
「姫っ、早く戻りますよ」
余韻に浸る間もなくアルフレドに手を引かれ、寝室を出ると、しゅんと肩を落としたレンが待っていた。
「姫さま……」
「ごめんね、上手くいかなかった」
「いいえ、姫さまにそんな事言わせるなんて、私は本当に馬鹿でした。申し訳ありません」
「いいの、レンは私の為にいっぱい考えてくれたんだから。それに、マスラ様は私がお嫌いな訳ではないと。誰とも結婚するつもりがないのだとおっしゃったわ。だからどの道駄目なものは駄目だったのよ」
それでも頑張った方だと思う。だからもう、心配を掛ける訳にはいかない。
「二人とも私の為にありがとう。これ以上マスラ様に迷惑を掛けられないから、明日にでも帰国手続きをしましょう」
そうして私達は失意の中、五日の滞在を終えてササーラに帰る事になったんだ。




