元婚約者さま
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結婚の話は進みそうにないと父上に報告したら、やっぱりがっくりしたみたいだった。マスラ様は結婚無しでも同盟関係は変わらないと言ってくれるけれど、口約束など信頼できないというのが父上の言だ。だからこその政略結婚だったのだけれど。でも、きっとマスラ様は本当に誰とも結婚するつもりはない。
私だけに教えてくれた秘密『好きなひとがいる』あれはきっと嘘じゃないと思う。
とにかく、私は嫁げない呪い姫のままだ。
その点は哀れと思われているのか、父上も母上も、それから城の皆も、やたら優しかった。元々自由に振舞える第三姫という立場ではあるけれど、ユカリナから戻ってからというものの、本当に何も言われなくなった。
「こうも静かだと、逆に困るわ」
「気分転換に散策にでも行きませんか? 今日は天気もいいし、風が気持ちいいし、千年樹の花もそろそろ開く頃ですし」
「そうね」
ササーラが小国ながらも他国に侵攻されず従属も強いられていないのは、この千年樹があるおかげだった。この世界の信仰の象徴が千年樹、それからその下に眠ると言われている千年竜を恐れてか、ササーラは侵攻されない。ユカリナのような大国と同等扱いで同盟を組めているのも、ユカリナにとって、ササーラを抱きこめば他国から手を出されにくくなるからだ、と父上からは教わった。
とは言っても、私達にとっては見慣れた大木って感じでしかない。竜なんて見た事もないし。その千年樹の花は一年に一度だけ開花するのだけれど、それがそろそろなのは確かだった。
「レン、アルは?」
「さっきまでいたんですけど。兄さまが戻ってきたら散策に行きましょうね」
「じゃあ、準備してまってましょ」
ユカリナから戻ってきてから、アルは妙に元気がなかった。結局アルの「気の毒な犬」の汚名もそそげてないのだから仕方がないか。少しでも元気を出してほしくて、アルにも千年樹の花を見せたかったのだけれど。
「姫はお優しいです。ああ、本当にもう、何故……いえ、嘆くのはやめましょう。マスラ王との婚姻話が消えたのなら、姫はどうなるのでしょう」
「父上は好きにすればいいって言ったわ」
「他国に嫁ぐ事はないと?」
「今の所はね。大方、貴族の息子でもあてがわれるのではないかしらね」
「国内の殿方では姫とつり合うお方はなかなか……」
「もう、その話は今度にしてアルを探しにいきましょ?」
レンをせき立てて部屋から出ると、ちょうど足早にこちらに向かってきたアルと顔を合わせた。
「アル、これから散策に出かけようと思うの」
「ああ、それはちょうど良い。少しお話があるのですが」
「話? 何」
「いえ……散策はどちらへ?」
「千年樹の花を見に行こうと思って」
「ああ、それはいい」
「じゃあ、私はお茶の準備をしてきますね」
外で飲食をする事はあまり良い顔をされないのだけれど、これだけ天気がよければせっかくなんだから千年樹の木陰でお茶でも飲みたい。
「レン、少し多めに準備してくれ」
「何、兄さまお腹すいてるの?」
「なんでもいいから、早めに頼む」
はーい、と手をあげたレンが廊下の向こうに姿を消すと、アルは少し固い表情で私を見つめた。
「なに?」
「いえ。お元気になられたかと」
「私は元気よ。貴方の方がしおれてるじゃない。何で元気ないの」
「そうですか? ユカリナではセイと打ち合っていたので、戻ってからというものの手加減せぬ相手がいなくて少し窮屈なのかもしれません」
ユカリナに居る時に少し耳にはさんだ話では、セイはユカリナ一の剣士らしかった。王のクーデター時にもつき従い、唯一寝室にも無許可で入る事を許されているとかなんとか。
そんな人とアルは互角に剣を交える事ができるなんて、鼻が高い。誰が気の毒な犬なもんか。
「っていうか、呼び捨てできるくらい仲良しになったのね」
「セイが、そうで良いとおっしゃって下さったので」
「変わった方ね」
「けれど、強い。私などまだまだです」
そうやって謙虚に自分を見つめるアルだから強いんだろう。なのにほとんどの仕事は私の護衛なんだから勿体無さ過ぎる。もっと別の職にとりたててもらう事もできるのにと言った事はあるけど、断られた。
「ねえ、やっぱりアルは私の護衛やめて、せめて父様の護衛とか騎士団とか、そういう所の方がいいと思うんだけど」
「以前も申しましたが、私は姫を守る事に誇りを感じておりますので」
「私はもっと見せびらかしたいのになあ。アルは本当はササーラで一番の剣士なのに」
「言いすぎですよ、でも、ありがとうございます」
どこか緊張気味だったアルの空気が少し緩んでちょっとホッとした。
そのうちレンが手荷物と共に戻ってきて、私達は散策に出た。
千年樹までは馬車で半刻程だ。城が少し遠ざかった所で、不意にアルフレドが口を開いた。
「実は姫にお会いしたいと言う方がいらっしゃいまして」
「私に? いいけど、誰」
「あまり声高に口にできる名ではなく、その、今は千年樹側の森に潜んでいられます」
「だから、誰」
私に会うのにアルを介してこっそり密会なんて相手、まったく一つも、何にも心当たりがない。でもアルがここまで口をつぐむのは何らかの訳ありに違いない。少し緊張しながら千年樹にたどりつくと、アルが森に姿を消す。と、すぐに黒いケープ姿の者を伴って戻ってきた。
「姫、こちらが」
アルの前に歩み出たその人はケープのフードをはずしてから、ゆっくりと私を呼んだ。
「エリーザ姫、お久しぶりです」
「え、えっ、ドルトラル様!?」
肩にかかる髪は軽く波打っていてその額には銀の額当て、何より私の好きな空色の青い瞳。鋭さを含まない優しい顔立ちと同じ優しい声が、もう一度私を呼んだ。
「エリーザ、元気そうで何よりだ」
「それはこちらの言葉です! 亡命されたと聞いてます、大丈夫なのですか?」
「いやまあ、ユカリナではお尋ね者かな?」
ドルトラル様はマスラ王クーデター以前の私の婚約者だった。たくさん優しくしていただいた。兄のように、慕っていた。お会いするのは一年ぶりだろうか。
「どうしたのですか、急に」
「ん、ちょっと近くまで来たから元気か気になってね、アルに無理言ってしまった、すまない」
「いえ」
亡命中のドル様が何故ササーラの近くにいるのか、どきりとしたが聞いてはいけない事のような気がした。
「マスラには会っているかい? 奴は元気そうだが」
「ドルトラルさまっ、今その名は禁句です」
「え? 何、あいつ何かしたの」
マスラ様とは友人だったというドル様の口調は随分と柔らかい。マスラ王を「あいつ」呼びする人など、他にいるだろうか。
あ、だったら、もしかしたら、マスラ様の「好きなひと」の事も、知っているだろうか。
口にしたのは、半ば無意識だった。
「あの、ドル様。マスラ様の好きな方って、ご存じですか?」
私の急な問いかけにドル様は微かに眉を寄せてからアルを見た。アルが何かを耳打ちして、ドル様は驚いたように私を見つめ直す。
大方、私がマスラ様と結婚できない事を喋ったのだろう。あ、でも自分の口から言うよりはましかもしれない、そう思うとアルには感謝だ。
「んー、そっか、何、あいつ好きなひとがいるって?」
そういえば、これは私との秘密だった。軽々しく口にしてしまった事に今更後悔して口を押さえる私に、ドル様はそっと教えてくれる。
「あいつの想いは叶わないよ」
「何故ですか?」
何も口にすまいと決めたはずなのに、またつい問うてしまった。私って、馬鹿かもしれない。でも、気になって仕方がないのだ。
「まあ、色々だ。あえて言うなら、あいつが王だからかな」
そういえば「私達には枷がある」と言っていた。やはり訳ありの想い人なのだろう。途端に胸が苦しくなる。マスラ様を想うとドキドキして嬉しくなっていたはずなのに、最近は想うと苦しくて泣きそうになる。
「あの、どんな方でしょうか」
「強い人、かな」
強い? 考えてみたが、強いという言葉の合うのは男性ばかりで女性では想像ができない。
「ちょっと喋りすぎたな。とにかく元気そうでよかった。エリーザ、何かあったら連絡でもくれ。じゃあ、また」
ドル様はまるでマスラ様が私にするように私の頭を撫で、アルと一緒にどこかへ行ってしまった。残された私とレンで木陰に敷物をしいてお茶にする。
「ねえ、レン。強い女性ってどういう事かしら」
「さあ、ササーラでは女が武器を持つ事は禁じられていますし、ちょっと考えられないです。でも、それでいいのです、姫は強くなどならなくとも、そのままで優しく美しく、それが姫というのもですよ」
私もそう思っていたし、小さな頃からそう教えられてきた。でも、それではマスラ王に届かないんだろうか。
「あ、兄さま」
アルが一人で戻ってくる。ドル様を安全な場所まで送ってきたのだろうけれど、何も言わない。私も聞かない。それがアルの仕事だから。でも。
「ねえアル」
「はい」
私達の側に身をかがめて膝をついたアルは、きっと強い人だ。
「どうして、強いの?」
「守りたいと思っている、それだけですよ」
守りたい。それが強さなのだろうか。
私は? 私にもマスラ様の何かを守れるのだろうか。そうすれば、少しはマスラ様の目に映る事ができるのだろうか。
あんなにはっきりと断られたのに、私はあれからこうやってずっとマスラ様の事を考えている。
「振られたのに、私馬鹿かな」
「そんな事ありませんわ」
「私にも、何かできるかな」
「それはもちろん、沢山できますよ」
レンが朗らかに笑い、アルがどこか痛いのか眉を寄せてうつむいた。その苦しそうな表情はしばらく心の隅に棘のように残った。




