嫁がない姫と気の毒じゃない犬
20
時間は止まらない。
一夜を越えて、私はアルの部屋から出た。ここから出たら私達は元通り「嫁げない姫と気の毒な犬」のままだ。でも、どうすればいいかも分からない。
「姫、セイに送り届けるよう手はずを取ってもらいます」
「うん」
アルはまだササーラに戻ってくるつもりはないらしい。
でも、アルがそう決めたのだから、私は頷くだけだ。
「あれ、早いね」
不意に声をかけてきたのは、セイだった。そしてその隣には
「ま、マスラ王」
「まったく、姫はお忍びが好きなのだな」
「そ、そんな訳では」
言いよどむ私にマスラ様は寄って立つと、おもむろに頭を撫でてくれた。こうされるのは久しぶりで思わず目を伏せる。前はこうされるのが子供扱いみたいで嫌だった。でも、今はなんだか心が落ち着く。
「こらこら、そんなに心を許した顔をすると、君の騎士に睨まれるんだがな」
「え?」
目を開けると、アルが慌てたように目をそらしているところだった。
「いえ、私はただの護衛騎士であり」
「ただの護衛騎士に会う為にわざわざお忍びで? 心配いらない、分かっている」
「わ、分かっているって、その何が」
マスラ様が片目を閉じて囁く。
「言っただろう。私も叶わない恋をしている。きっと姫と同じように立場の違いを抱いてな」
そう言ったマスラ王は、後ろに立っていたセイ様の腕を掴む。
「おい、何を」
「私はいずれ、このばかばかしい身分制度とやらを改革する。クーデター続きでそもそも貴族もほぼ壊滅状態のユカリナだからこそ、今が時期だと思っている。そうすれば、私達の想いを殺す事もない」
セイの腕を掴んだままでマスラ王が片目を閉じた。
「君達はどうする?」
「そ、そんな事できるなら、そうしたい、です」
「姫、そんな無茶です、マスラ王とは立場も違う」
「でも、ユカリナが先陣を切れば何らかの風は吹くかもしれない。私、私もそうしたい!」
「いや、そのような事、ササーラでは前例もなく」
「前例がないなら、私が前例になればいいのよね」
「え、いや、姫、そんな無茶な」
「いいじゃないか。できる限りの協力はするよ」
そうやって笑うマスラ王はやけに身近に感じて照れくさい。対照的にあたふたとしてるアルフレドは情けない程だけど、でも、やっぱり私は好きだなと思う。
「無茶かどうかなんて、やってみないと分からないわ。アル、力になって欲しい」
「私は――……っ、どうせ私が何を言ってもきかないのでしょう」
「わかってるじゃない」
にっこりと笑った私に、アルも諦めたように、けれど、微かな希望を乗せたような笑みをくれた。
結局、セイは忙しいからと私を送ってくれたのはアルだった。とんぼ返りになるけれど、少しでも一緒にいられるのが嬉しい。それに、帰ったら私はまた勉強だ。どうすれば身分差をなくす事ができるのか。それはとてつもない大きな山であり壁であるけれど、何もしないよりもずっと、私達の希望と成りうる。
「爺はびっくりするだろうけど」
「そうでしょうね。姫が勉強したいというと本当に喜ばれますから」
「そうだわ、びっくりと言えば、マスラ王ってセイ様と……お、男同士でも、その」
嫌悪はないけれど、本当に驚いた。
「姫、その、言いにくいのですが」
「何よ?」
「セイは、女ですよ?」
……?
は?
「え? え、女?」
「そうです。ユカリナは女が剣を持つ事が許されないので訳あって男の振りをしているとか」
「えええええ、そんなだって、セイはユカリナ一の剣士で騎士で、え、だって、アルだって勝てないじゃない!」
「……すみませんね。しかし、少しでも差を縮め、勝ってみせます」
そう言って前を見るアルはとても格好よかった。
「じゃあ、帰りますか」
「うん、帰ろ」
このまま姫と犬のままかもしれない。
でも、その言葉に惑わされる事は、もうない。
アルの腕にしがみついて、私はゆっくりとほほ笑んだ。
終