激怒
その女の顔を見た瞬間から、嫌な予感はしていた。
場所は騎士団支部の玄関前。
夜も更けた深夜。
アストレアの攻撃から辛くも生き延び、帰還した私を出迎えたのは騎士装束に身を包んだ若い女だった。
名前はたしか……ミリアリアといったか。
「……エヴァーフレイム卿」
「彼は、どこ?」
女の言葉を遮り、開口一番にそう訊ねる。
自分で言うのもなんだが、今の私は酷い有様だった。
服はところどころ破れて、体中には大小無数の生々しい傷が刻まれている。
特に右腕は重症だ。
指先から肩の付け根に至るまで重度の火傷を負ったように焼け爛れ、感覚が麻痺しかかっている。
髪も恰好もボロボロで、こんな姿とても兄様に見せられたものじゃない。
でも、駄目だ。
今は無性に兄様に会いたくて仕方がない。
兄様の無事な姿を見て、安心したかった。
「……さっさと答えなさい。彼は今、どこにいる?」
殺気を籠めて睨みつけてやると、ミリアリアは表情を強張らせる。
それから彼女はようやく、「……こちらへ」と私を先導し始めた。
「…………」
平静を装ってはいたが、女の声には微かに震えが混じっていた。
彼女が震えているのは私への恐怖……?
それとも、私の有様を見て動揺したから?
分からないけど、女の態度はどうしようもなく私を不安にさせた。
「………っ」
背筋を這い上がる悪寒を、焼け爛れた右腕をきつく握りしめることでなんとか耐える。
……大丈夫。大丈夫だ。
こんなの、ただの思い過ごしだ。
兄様は絶対に無事でいる。
けれど、心のどこかで違和感を感じている自分も確かに存在していた。
無事でいるならどうしてこの女が私を出迎える?
何故この女は先ほどから重苦しいまでに沈黙を保っている?
動けないほどの大怪我を兄様が負っているから?
いいや、それこそあり得ない。
ここは仮にもラルクスの治安を維持する騎士団の詰所だ。
いくら聖天教の暗部だってそんな場所を襲撃するほど馬鹿ではないだろう。
……そうだ。
きっと待ちくたびれて眠ってしまったのだろう。
中身はどうあれ、今の兄様は幼い子供だから。
私が死にかけていた時に、呑気に寝入っていたのだとしたら少しだけ気に食わないけど。
だから、その分くらいは甘えてもいいだろう。
大変だったなって。
頑張ったなって言って頭を撫でてもらうのだ。
それだけで、私は何度だって立ち上がれるから。
エレベーターを昇り、廊下を進んでいく。
夜警の者たちが困惑の眼差しを私に向けてきたが、普段なら不快に思うそれに気をやる余裕もなく足早に通り過ぎる。
長い通路の先でミリアリアはようやく足を止めた。
けど、どうしてなんだろう?
扉のプレートには『医務室』と、そう書かれていた。
「………………ぇ?」
地面が揺れて吐き気がした。
呼吸が乱れる。
……違う。違う。違う。
兄様の姿を見るまでは認めない。
だけど、どうしてだか自分はまた『あの』光景を目にするのだという確信があった。
いいや、違う。
やめろ。
そんなはずはない。
女は止まらない。
中にいる人間を気遣ったのか、静かにドアを開ける。
それに続いて私も恐る恐る室内に入った。
そうして中に入った瞬間。
――思考が、停止した。
「ぇぁ――――――?」
声にならない声が喉の奥でつっかえる。
室内のベッドで兄様は意識を失い、寝かされていた。
血の気の引いた青白い顔。
全身に巻かれた包帯と大量の治癒符が傷の深さを物語っている。
「…………にぃ、さま?」
信じられない。
目の前の光景が信じられない。
だって、今朝は全然普通だった。
一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って。
気をつけて行ってこいって、送り出されて。
だから、帰ったら笑顔で出迎えてくれるはずだったんだ。
なのに、どうして………?
「ぁ……あぁ…っ!」
――どくん、どくん、と。
鼓動がうるさいくらい全身に響く。
どす黒い何かが胸の中を埋めつくした。
どうして私はほんの一時でも兄様の傍を離れた?
どうして頭を擦り付けてでも、兄様の命令を拒絶しなかった?
ラルクスの安寧も、『聖剣』の契約者としての義務も、私にとっては些末なこと。
貴方が傷つくことに比べれば、そんなことはどうでも―――
「―――あ、あぁっ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!!!」
獣みたいな絶叫が鳴り響いた。
目を覆い、その場に蹲る。
ああ、違う。
何をしているんだ、この間抜けめ。
お前が今すべきはそんなことじゃないだろう。
叫んでいる暇があったら、さっさと兄様の元へ駆けつけろ―――!!
「……いゃだっ、やだっ……。にぃさま……兄さま……っ!」
だというのに手足はブルブルと震えて、まともに動かない。
腰が抜けて力が入らない。
立ち上がることもできなくて、赤ん坊のように無様に床を這っていく。
背後で息を呑む気配がした。
どうでもいい。
兄様以外の人間にどんなふうに見られようが、心底どうでもいい。
そんなことより一秒でも早く兄様の傍へ。
早く早く早く―――!!
「うぁっ……あぁ、やぁぁああああああっ………!!」
ボロボロと涙が零れ落ちて床を濡らした。
兄様が眠るベッドにようやく辿り着く。
どうして……?
こんなのってないよ。
貴方のためにこの命を使うと決めたのに。
今度こそ護り抜くと心に誓ったのに。
「いやだ、やだよっ……。にぃさま……にいさまっ……!」
ベッドの脇にしがみつき、泣きじゃくりながら兄様の胸元に手を置いた。
目元には泣き腫らしたような跡。
掌から伝わる体温は冷たく、およそ熱というものが感じられなかった。
それでも、心臓の鼓動は確かに脈打っている。
呼吸も止まっていない。
――生きている。
「ひぐっ……!! ゔぅぅぅぅぅぅぅううううううううううう……っ!!」
安堵と後悔で頭がおかしくなりそうだった。
なんで私はこんなにも愚鈍なんだろう。
一体何度、同じことを繰り返せば気が済むんだろう。
浮かれていたんだ。
兄様と再会できて。
この10年、積み上げたものなんて何一つないくせに、今度こそ大丈夫なんて馬鹿みたいな勘違いをして。
「ごめ……さい……ごめん、なさい……っ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……っ!!」
「エヴァーフレイム卿………」
泣き喚く私に女が声をかけてくる。
「どうか落ち着いてください。彼の……ソラ君の容態は命に関わるものではありません」
「………っ!!」
反射的に女を睨みつける。
……落ち着けって、この女は一体何を言っているの?
命に関わるものではないですって……?
それがどうした。
たとえ命に別状がなかろうとも、兄様がこんなにも傷ついているという事実は変わらない。
下手したら兄様は死んでいたかもしれないというのに……!!
バキッ、と。
嚙み過ぎて、奥歯が砕けた。
「どうしてっ……誰が……こんな………っ!」
…………。
誰が……?
……そうだ。
自分で言ってようやく気づいた。
だって、おかしいじゃない。
この建物に外部から襲撃を受けたような形跡は見られない。
だとするなら、必然的に兄様を傷つけたのは内部の人間ということになる。
……まさか。
騎士団の誰かが兄様を………?
それに、この女。
ミリアリア。
この子のことは私にお任せてくださいと、そう言ってきたのはお前じゃなかったか……?
「おま、え―――」
「……繰り返しますが、ソラ君の容態は少なくとも命に関わるものではありません。彼は私の部下と決闘を行い、身の丈を越えた魔術を行使しました。その結果、肉体がその負荷に耐えきれず、このような状態に」
「………は?」
決闘……?
わけが分からない。
貴女は、任せてって私に言ったよね……?
私は、くれぐれも頼むって念押ししたよね?
お前は兄様の傍に控えていたんじゃないの?
決闘の相手がお前の部下だというのなら、お前はその時、何をしていた……?
どうして兄様を護らなかった―――!?
「―――ッ!?」
気づけば私は女の首を締め上げ、壁に叩きつけていた。
吊し上げられた女は私の腕を掴んで、苦しげに呻く。
よほど必死なのだろう。
感覚がほとんど麻痺していてわからないが、女の爪が私の右腕に喰い込んでいた。
「―――ッ!? エヴァ…フレ……きょ……っ、おち、つ―――」
「黙れ」
この期に及んで不快な言葉を吐こうとする口を噤ませるために、さらに腕に力を入れる。
女は酸素を求めて口をぱくぱくと魚みたい。
「決闘……決闘ですって……? 一体何をどうしたら、そんな事態になるていうの? しかも、よりにもよって相手はお前の部下?」
「………ッ!!」
「なら、そいつはどうしたの? ちゃんと責任を持って息の根は止めたんでしょうね? ねぇ……ねぇ、ねぇ!?」
このまま首をへし折ってしまいたかったけど、なんとか踏みとどまる。
代わりに怒りと殺意を籠めてを問いただした。
女の瞳が微かに揺れ、それから弱々しく首を横に振る。
殺してはいない。
生きているということだろう。
「……そう。なら、今すぐそいつを連れてきなさい。八つ裂きにしてやるわ」
手を緩めると、女の体が床に滑り落ちる。
ゴホッゴホッと激しく咳き込みながら女は怯えきった眼差しを私に向け―――
「………でき、ません……っ」
「は……?」
私の要求に対して、否をつきつけてきた。
「……恐れながら、此度の決闘の勝者は……ソラ君です。勝者である彼が言うのであれば……そうしましょう。……ですが、ソラ君がそんなことを望むとは、私には……どうしても思えません」
「お前ごときに―――」
兄様の何が分かる―――ッッ!!
――――ドゴンッッ!!!!
と、腹の底に響く破砕音とともに、女の体が建物の外へと放り出される。
怒鳴るより先に身体が勝手に動いていた。
感情のままに振るった蹴りは女の腹を打ちのめし、壁をぶち抜く。
パラパラと塵芥が降る壁の穴から私は地上を見下ろした。
落下地点で女はうずくまり、瀕死の虫のように地面を藻掻いている。
……ちっ、生意気な。
蹴りを受ける直前に、咄嗟に魔力を纏うことで即死だけは避けてみせたのか。
止めを刺してやりたいところだったけど、今はあの女にかかずらっている場合じゃない。
問いたださねばならない相手は他にもいる。
「……ごめんなさい、兄様。もう少しだけ待っていてくださいね」
いまだ眠り続けている兄様の額に口づけを落とす。
この落とし前は責任者にきっちりつけてもらわないといけないから……ね?
†
第十七団支部の最上階にある団長室。
月明かりが柔らかく差し込む室内にて、キース=アウグスト=ヴァイルシュタインはとある映像を観ていた。
部屋の中央に置かれた投影装置が映し出すそれは昼間に行われたという『決闘』の映像だ。
決闘の当事者は、団員であるアラン=ローヌ=ウェルズリーとアウローラの弟子を名乗る異邦の少年の二人。
ウェルズリーは今期に入団した新米の騎士だ。
若い貴族にありがちな傲慢な性格で、周囲とも頻繁にトラブルを起こす問題児。
特に彼の直属の上司に当たるミリアリアに対し強い不満を抱いており、常日頃から反発を露わにしていた。
今回の決闘も、少年とミリアリアが親しげにしていたところに遭遇したウェルズリーが言いがかりをつけたことが始まりだったという。
何ともはや幼稚でくだらない理由だとヴァイルシュタインは思う。
とはいえ、『聖剣』の契約者であるアウローラは一応は国家の要人だ。
その弟子を団員が傷つけ、しかも非が騎士団側にある以上、長である自分がアウローラに対し弁明を図る必要がある。
そのための資料の一つとして決闘の記録映像を確認していたのだが―――
「……おぉ、お……」
映像を観終わった後、ヴァイルシュタインは己の内から溢れ出る感情を抑えきれず、顔を両手で覆った。
深い紫色の瞳が、少年の体から迸る黄金の魔力を捉えた瞬間、ヴァイルシュタインは焼けつくような痛みを覚えた。
ああ、憶えている。
それは主君であり戦友でもあった男が纏っていた光。
かの『聖王』カイラードがその身に宿す奇蹟の証だ。
かつて人魔大戦という地獄を駆け抜け、戦乱の闇を祓い照らした一騎の雄姿。
たとえ、どれほどの時が経とうとも、一人の騎士として思い馳せたあの輝きを見間違うことなどありえない。
「……カイラード陛下」
滂沱の涙が頬を伝い落ちる。
理屈の上では、それこそありえない。
だが、ヴァイルシュタインにはあの少年こそが『彼』だという確信があった。
「アークレイ伯爵。君は、知っていたのか……?」
視線を部屋の隅に向ける。
そこには二人の女性が控えていた。
一人はラルクス領の統治者であるセリア=クルス=アークレイ伯爵。
もう一人は彼女の侍女であるフェリシアだ。
問われたセリアはゆったりと煙草を燻らせ、はっきりと答える。
「ああ、知っていたとも」
「―――」
悪びれる様子もないその言いぐさにヴァイルシュタインの眦が吊り上がる。
「……何故、黙っていた?」
「言っていれば、貴方はどうしていた? 彼を再び王に祀り上げでもしていたか?」
激情が籠められたヴァイルシュタインの視線を彼女は泰然と受け止める。
そして煙草を銜え、淡泊な口調で続けた。
「あの少年には確かに『聖王』カイラードとしての記憶がある。だが、あの少年とカイラード陛下は別の存在だ。彼にはもはや王としての責任もなければ義務もない。ならば、彼の正体をあえて伝える必要もなかろうよ」
「……諦めろというのか? ラルクスや聖王国、この世界を取り巻く問題を解決するための糸口が目の前にあるというのにっ……?」
ヴァイルシュタインの声がもどかしさに震える。
彼が歩み続けた道。
その先にあるはずの理想。
つまるところは未練だ。
もう一度彼と同じ道を歩み、今度こそ栄光と勝利を分かち合いたいという未練。
「あの少年の人生に口出しする権利は我らにはないよ、ヴァイルシュタイン卿」
セリアは紫煙を吐く。
その瞳は遠い何かを見つめているようだった。
「『聖王』カイラードの功罪はその死によってすべて清算されている。この世界に問題があるというのなら、それは過去の英雄ではなく、今を担う私たちが負うべき責任だ。違うか?」
「…………っ」
眉一つ動かさず、滔々と語るセリアにヴァイルシュタインは黙りこむ。
彼女の言うことは正論だ。
ヴァイルシュタインとてその理屈は理解している。
けれど、どうしても諦めきれない。
事は自分の未練だけの話ではない。
『聖剣』の加護が弱まり、『魔の森』の瘴気量は年々増え続けている。
このまま何もせず傍観していては、いずれ『魔王』の封印は解かれるだろう。
そうなれば、待ち受ける未来は『人魔大戦』の再来だ。
あの地獄をこの世に再び具現させないための鍵は間違いなくあの少年が握っている。
「アークレイ伯爵。それでも、私は―――」
「―――ッ!? セリア様――!!」
なおも言い募ろうとするヴァイルシュタインの言葉を遮るように、セリアの後ろに控えていたフェリシアが突如として叫んだ。
フェリシアの視線の先、窓の外へと振り返る。
「――――――」
果たしてそこには修羅の如き形相で佇むアウローラの姿があった。
地上二百メートルの上空。
浮遊する剣を足場にしたアウローラは底なしの狂気を憎悪を秘めた眼差しで室内を見据える。
そして肉食獣よろしく身をかがめ、
「ガアぁァァ―――ッッ!!」
夜気を震わせる咆哮とともに、ヴァイルシュタインへと襲い掛かった。




