弱いところは、ここに置いていく
5(4)弱いところは、ここに置いていく 澪弱音 投稿済
澪が「今日は行けないかも」とメッセージを送ってきたのは、珍しいことだった。
いつもなら、どんなに疲れていても「少しだけでも行きます」と言う子だ。だから、その一言を見たとき、私は少しだけ胸がざわついた。
「無理しなくていいよ。大丈夫?」
そう返すと、少し間が空いてから、
「……大丈夫、じゃないかもです」
と返ってきた。
結局、澪は少し遅れて、私の部屋に来た。
インターホンが鳴って、ドアを開けると、そこにはいつもより元気のない澪が立っていた。
「……こんばんは、白石先輩」
声はいつも通り丁寧なのに、目が少しだけ疲れている。
「入って」
そう言うと、澪は小さく頷いて、靴を脱いだ。
部屋に入っても、すぐにはソファに座らず、少しだけ立ったまま、どうしていいか分からないみたいにしている。
「どうしたの?」
「……いえ、その……」
言いかけて、黙る。
私はキッチンに行って、温かいお茶を用意してから、澪の前に置いた。
「とりあえず、座りな」
「……はい」
ソファに座った澪は、カップを両手で持ったまま、しばらく何も言わなかった。
「……学校で、何かあった?」
そう聞くと、澪は一瞬だけ、視線を逸らした。
「……テスト、返ってきて」
「悪かった?」
「……思ってたより」
それだけなら、いつもの澪なら「次は頑張ります」で終わる話だ。
でも今日は、続きが来ない。
私は、無理に急かさずに待った。
しばらくして、澪は小さく息を吐いて、ぽつりと言った。
「……私、頑張ってるつもりだったんです」
「うん」
「ちゃんとやってるって……思ってたのに」
カップの縁を、ぎゅっと指で握る。
「……全然、足りなくて」
声が、少しだけ震えている。
「……クラスの子は、みんなもっとできてて。私だけ、置いていかれてるみたいで」
それでも、まだ敬語のまま。
でも、いつもの澪より、ずっと弱い声だった。
「……白石先輩は、すごいじゃないですか。ちゃんと結果出してて」
「そんなこと――」
「あります」
少しだけ、強く言ってから、すぐに弱くなる。
「……私、追いつけてない」
そのあと、澪は、急に黙ってしまった。
顔を伏せたまま、肩が、ほんの少しだけ揺れている。
私は、何と言えばいいか分からなくて、ただ隣に座った。
「……澪」
名前を呼ぶと、澪は少しだけ顔を上げた。
その目は、少しだけ赤い。
「……ねえ、紬」
呼び方が変わる。
声も、いつもよりずっと小さい。
「……私さ」
一度、言葉を切ってから、
「……もう、ちょっと、疲れた」
その一言で、何かがほどけたみたいだった。
「……ずっと、ちゃんとしてなきゃって思ってて」
「……弱いとこ、見せたら、嫌われるかなって」
私は、思わず首を振った。
「そんなわけないでしょ」
澪は、少しだけ困ったように笑う。
「……でも、先輩の前では、ちゃんとしてたいって……思って」
「……恋人なんだから、ちゃんとしてなくてもいい日くらい、あっていい」
そう言うと、澪は、少しだけ目を見開いて、それから――
ゆっくり、私のほうに寄ってきた。
「……じゃあ」
小さな声で。
「……今日は、甘えてもいい?」
私は、少しだけ迷ってから、頷いた。
「……いいよ」
その瞬間、澪は、思っていたよりずっと分かりやすく、力を抜いた。
ソファの背にもたれて、私の袖を、きゅっと掴む。
「……つかれた……」
「うん」
「……ちょっとだけ、一緒にいて」
「いるよ」
それだけでいいみたいに、澪は小さく息を吐いた。
しばらく、何も話さずに、ただ同じ空間にいる。
やがて、澪は小さく言った。
「……ねえ、紬」
「なに?」
「……私、弱くても……ここにいていい?」
私は、少しだけ考えてから、ちゃんと答えた。
「……澪は、強くても弱くても、ここにいていい」
澪は、しばらく黙ってから、
「……それ、ずるい」
と、小さく笑った。
「……安心する」
その日、澪は帰るまで、ずっと「澪」のままだった。
敬語も使わず、無理に背筋も伸ばさず、ただ、少し甘えた声で話していた。
たぶん、これが――この子の、本当の「甘え方」なんだと思った。
弱いところは、外では見せなくていい。
ここに来たときだけ、置いていけばいい。
私は、そういう場所でいたいと思った。




