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堕天使とうちに帰るまで!

「まさか、サインなんてお願いされるとは思わなかった」


 ぐったりと肩を落としたあたしの目の前、すっかり元通りの黒衣を着た堕天使様は、以前より顔色が良いくらいだ。


「まあ、真子も有名になってしまったからな。当然だが」

「う……芸能人に初めて同情したよ」


 共に医療施設を出れば、その場にいたひと達に即座に取り囲まれてしまったのだ。治療生活の最中と同様かそれ以上の祝福の嵐は有り難かったものの、恥ずかしさが天元突破して頭が真っ白になった。堕天使長様はさすがに慣れたものだったけど、一挙一動に声の上がる状況は、平凡な女子高生には荷が重い。あたし如きのサインって! もうちょっと考える時間が欲しかった……単に名前を書いただけになっちゃったよ。


 やっとのことで抜け出して、今は路地裏のカフェで一息をついたところだ。地獄製のアップルパイもなかなか悪くない。みんなの憧れルシフェル様を前にして、きれいに食べるのが難しいパイを躊躇なく頼めるあたしも大概なんだろうけど。この程度で緊張してたら、一緒に生活するなんて無理無理。

 ずっと病院食ばかりだったルシフェルも、嬉しそうにチョコケーキを口に運んでいる。それなりに、お見舞い品でお菓子を貰っていた気がするんだけどなあ……。


***


 面会を許可されてすぐ、あたしに限らずそれはもう多くのひと達が部屋を訪れるようになっていた。


 意外なことに、最初に物を送って寄越したのはベルフェゴールさん。何ともお高そうな箱に入った果物には、律儀に請求書が添えられていた。もちろん果物のではなく、今回の街の修繕費用などなど。容赦がなくて笑ってしまう。


 初めて直接お見舞いにやってきたのは、やっぱりアシュタロスさんとベルゼブブさんだった。


「よォ。元気そうじゃねえか、さすが」


 ケラケラと手を挙げたベルゼブブさん、そして隣でいつもの笑顔で会釈したアシュタロスさん。ふたりの姿を見たルシフェルは、初めこそ少し気まずそうにしていたけど、会話するうちに、段々と時折は声を上げて笑うようになっていた。毎回思うけど、彼らは本当に親友なんだなって。堕天使長がリラックスしている様子も珍しいのかもしれない。


「……ありがとうございました。真子さん」


 去り際、銀髪の堕天使に耳打ちされたことには。


「あの方の居場所でいてくれて。僕も嬉しいです」

「ううん、こちらこそ本当に感謝してるよ。みんなに守ってもらってばかりで迷惑もかけて……でも、少しでも力になれたなら良かった、かな」

「これから大変ですねぇ。彼のファンクラブを黙らせるまで、僕も結構苦労しましたから」

「え?!」


 黙らせるって、絶対に『物理』なんだけど……コツを教えてください師匠! できれば穏便に済むやつ!


 それからやってきたのは、ルシフェルの従者さんであるアルベルトさんとラケルさん。大人数で押し掛ける訳にもいかず、まずはふたりが代表して様子を確認しに来たのだとか。

 ベッドから起き上がった主君の姿を見るなり、ラケルさんは口元を覆って涙ぐんだまま戸口で立ち尽くしてしまった。あのアルベルトさんでさえ、あたしに分かるくらい顔を真っ赤にしていた。

 手招かれた彼らが恐る恐る側に近付くと、ルシフェルはふたりの従者を両腕で抱き締めて。「ありがとう」と零された言葉は、きっと最高の褒賞となったに違いない。堰を切ったように溢れたラケルさんの泣き声にはこちらまで泣きそうになった。


 アスモデウスさんは、見たことのない黒髪の少女を伴って現れた。

 これまた平常運転でルシフェルに抱きつこうとした悪魔さんだったけど、それを瞬時に彼女がドロップキックで防いでいたのでびっくりどころではない。


「あんた怪我人相手に何やってんの?!」

「いったぁ~! 酷いよリリム、僕は愛しのルシフェルを早く回復させるため、お見舞い代わりの熱い口付けを……」

「余計悪化するわ!」


 幹部が足蹴にされる図に思わず絶句してたけど、声を聞いて思い出した。まさか、あの時に助けてくれた子?!


「あっあの! この間もしかして……」

「貴女、マコって言うのよね! はじめまして、わたしのことはリリムって呼んで。うちの馬鹿がほんっとーにごめんね!」


 リリムもお偉いさんなのかと訊いたら、肩書き上は単なる従者だと全力で否定していた。アスモデウスさんとは腐れ縁なのだそうだ。こっちの世界にもそういう幼馴染のような存在っているんだ……。

 いかにも快活な彼女は、ルシフェルにお礼を言われると、別人かのようにしどろもどろになってしまっていたが。うーん、ここにも恋する少女が。

 その後またルシフェルを襲おうとしたアスモデウスさんは、従者に引き摺られて部屋を後にしていった。施設内に響き渡る、「愛してるよルシフェルと仔猫ちゃん!」という台詞を残して。他の患者さん達の迷惑になってないといいけど……!


 つい最近だと、ウァラク君も来てくれていたな。愛らしい少年はどこかの悪魔さんほどではなかったけど、遠慮がちに、でも本当に嬉しそうにルシフェルに甘えていた。そうだよね、大好きなルシフェル様が無事でいてくれたんだもんね。

 言うことには、メフィさんが来られないことを大層残念がっていたと。容易に想像がつく……特に理由は聞かなかったけど、忙しいのかな? 代わりに、お茶会の招待状を貰った。


「それと、あの、これはメフィストフェレス様からというか、その……」


 ウァラク君が置いて帰ったもう一通の手紙。かなり渡すのを躊躇っているようだったけど、横で見る限り特段変わったところはない。でも、ルシフェルは封の印を見て一瞬固まり、それからやけに緊張した様子で取り出した紙に目を落としていた。


「来て、いたのか。地獄に」


 暫くして呟かれた言葉も、随分と震えていて。内容を噛み締めるようにゆっくり瞬かせた瞳は、いつになく潤んで見えた。


「真子」

「ん?」

「後で、焼き菓子の作り方を教えてくれないか」


 ひとりにした方がいいのかと迷っていたら、意外にも声を掛けられ。続けられた言葉はもっと意外だったけど、なんてことのない中身からは掛け離れた様子で、彼はとても幸せそうに顔を歪ませていた。


***


「ああ、やっと真子のご飯が食べられる。夕飯が楽しみだ」

「ありがとう。退院祝いって何が良いんだろう……お赤飯とか……?」

「なんだ、それは?」


 長い足を優雅に組み、彫刻のような手でカップの取っ手を摘まむ。いつ見ても美しい青年が超絶食いしん坊であること、万魔殿の住民は知っているのだろうか。冷蔵庫の中身を思い浮かべると、自然と眉が寄ってしまう。ついでに、赤い米を前にしてわあわあ慌てる様も目に浮かぶ。

 カップを皿に置く音が聞こえてふと顔を上げると、そうだ、という呟き。


「帰る前に寄りたい場所があるんだが」


 どちらにせよ、彼に着いていかないと帰れないわけで。断るなんて選択肢はない。ルシフェルは静かに目を伏せ、染み入るような声で言った。


「墓地へ。私が巻き込んでしまった彼らに、誓いを。そして願わくは、また廻り会えるよう」


 過去の話をするようになったのも変化のひとつ。先日の騒動では、幸いなことに誰の命も失われなかったそうだけど。

 ベルゼブブさんが言っていた話、彼はきっと片時も忘れたことはなかったのだろう。無礼かもしれないとは思ったけど、勇気を出して口にする。


「あの。あたしも、お祈りしてもいいかな?」

「もちろん」


 思いの外あっさりと許可される。と、不意に彼は立ち上がり身を乗り出してきた。そのまま自然な流れで……キスを。こんな外で。何の前触れも脈絡もなく。思考、停止。


「ななっ、なーっ?!」


 椅子ごとひっくり返りこそしなかったものの、顔から湯気でも出てしまいそう! さっと腰を落ち着け直した彼は平然と、どころか、くすくす笑ってこちらを眺めている。なに?!


「な、や、恥ずかしいから控えて! 誰が見てるかわかんないのに!」

「ふたりきりなら良いのか?」

「ば!」

「ふふ、こうした方が早く魔力が馴染むからな。本当は血を飲ませるのが手っ取り早いのだが」

「え!」

「お前を私のものにすると言ったはずだが?」


 危うくバカって言うところだった! 見惚れるほど自信に満ちた表情で唇を歪める姿は、悪魔と言うにはあまりに魅惑的だ。

 というか、血を飲むって?!


「あたし人外になるとは言ってない! 約束が違う!」


 思わず喚くと、今度こそルシフェルは理解出来ないとでも言いたげに首を傾げ。


「私は約束を守っているよ? お前を守る、それと、お前を幸せにすると」

「いや……! うん、そうだね! そう! だけど!」


 紛れもなく幸せだけど!


「ルシフェルも、その、幸せじゃなきゃ嫌だからね! 一緒がいい……!」


 深く考えたのではない。でもその言葉にルシフェルは驚いた顔を見せて、それから返事の代わりに笑った。それが如何にも幸福そうに見えてあたしも嬉しくなる。彼がこうして笑顔でいてくれればもう、何だってゆるしてあげようという気になってしまう。それで漸く落ち着けるかと思ったわけだけど。


「そういえばレヴィに聞いたのだがな、人間は親に結婚の挨拶をするのだろう? 今日このあと行こう」

「ぶふっ!」


 これまた急な単語に、今度こそ気絶するかと思った。ちょっとレヴィ! 確かにお見舞いに来てくれてたけど、そんな話をしてたの?!


「だから結婚ってそんなまだ年齢的に! あ、いや大丈夫なのか……って違うそういうことじゃなくて!」

「両親の居場所ならすぐにわかるが」

「いやまず墓参りからの結婚の挨拶って何?!」


 これだけの大騒ぎ、周りから注目されないはずはないのだが。住民達に微笑ましく……あるいは生暖かく見守られていることは、あたし達だけが気付いていない話。


「ああ、だが。ひとまずは手紙ぐらい出してやるといい」

「手紙?」


 不意に思い付いたように、しかしどこか自信無さげに彼は頷いてみせた。


「生きていると。子から伝えられれば嬉しかろう」


 そうか、そうだった。事の発端はうちの親と言っても過言ではないのだ。今度会ったら問い質したいことが多すぎるけども、ルシフェルの言う通り、まずは安心させてあげたほうが良いのかもしれない。


「あの人間、この私が僅かな血で契約を成したことを知れば相当驚くだろうな。いい気味だ」


 鼻を鳴らす堕天使長様。地獄の最高権力者が求める対価としては確かに緩い印象はある。割引価格?


「その……お父さんの片目でこの歳までの命だったでしょ? これから先に対価を要求されるとかってある? リボ払いみたいな……」

「りぼん? 薔薇?」

「ええと、じゃなくて何て言うか、あれであたしからルシフェルに払うものって足りたのかなって」

「頼まれはしたが、最終的には私が好きでやったことだ。それなりの形をとらねば《世界》が煩いというだけの話。それにこの先の生き方を制限するのだから、お前にとって犠牲が皆無という訳でもあるまい」


 並べ立て、紅茶で唇を濡らす。どことなく不機嫌……というか、たぶん、ルシフェルはお父さんのことを好く思っていないのが伝わってくる。前に会った時は好青年を演じてすっかり気に入られていたけれど、もう正体を隠す必要もないし、この感じで接せられると板挟みになる娘としては困るなぁ……いや、ずっと先の話ですけどね?!


「真子も、私の故郷に来るだろう?」


 彼の故郷……天界。あたしの緊張には気付かず、堕天使長は穏やかな顔で続けた。


「私の育った場所を、友を、知って欲しい」


 柔らかな風が黒髪を揺らす。見慣れているはずの彼の姿に、何故かいつもよりドキリとした。眩しくて切ない光景。眼前の美しいひとは確かに天使だったのだ。そしてきっと今でも、神様に愛されている。

 入院中、彼は少しずつ天界の話をしてくれた。本人もどこか戸惑っているようで、最初はぽつりぽつりとだったけど、それでも苦しそうな素振りは見せたことがなかった。仲間の天使さんのこと、地上に生き物が増えていく様、白亜の宮殿の美しさ。どれもおとぎ話みたいでわくわくした。


「弟にも会って欲しいから」


 ……あ、これは。


「ミカエルはな、本当に、最高に可愛らしいんだ。抱き締めると蕩けるような日だまりの香りがしてな、ふわふわの髪はずっと触っていても飽きないくらいだ。あのベルフェゴールでさえ――」

「す、ストップストップ!」


 ベルゼブブさんに教えてもらった。兄馬鹿スイッチが入ったらすぐ止めたほうが良い、本気で延々と喋り続けるぞ、と。

 この自慢を聞くのはかれこれ数度目だけど、延々とというのが誇張じゃないことだけは理解した。ベルフェゴールさんとのエピソードは気にはなるけど……というか、本当に兄弟なんだよね? 嬉しそうに褒めちぎる様は、まるで恋人か伴侶について語るみたい。……なんかちょっと妬ける。ルシフェル本人は、どうして制止されたかわかっていないきょとん顔だったけど。


 人間の身で天界へ行っても良いのかな、とは思ったけど、地獄にこれだけ慣れてしまうと少し抵抗感は薄い。天使さんも地獄でよく見かけるから、その逆も問題ないのかもしれない。幾ら堕天使だったとしても。

 先へ進むためにも、墓地へ行きたいと言う彼の気持ちは何となく頷ける。堕天した時のことをこれから彼が忘れることは絶対にないのだろう。でも、犠牲になってしまったひと達が、どこかで新しく生まれ変わっていてくれたらいいなと心から思う。


「そろそろ行くか」

「うん」


 立ち上がる。差し出された手はやっぱり作り物みたいに冷たいけど、そこにあたたかな優しさが流れていること、あたしだけじゃなく皆がちゃんと知っている。堕ちた天使であることも悪魔のような側面も、心から誇れるようになった彼はもっと強くなった。こんなに頼もしい手はない。

 未来のことはまだわからないけど。一緒なら、どんなに険しい道でも笑って進んで行けるはず。

 あたし達の非日常な日常は、そうであろうと望む限り、きっとこれからも続くのだから。

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