7 早朝~イーラス視点~
「……なにもこんなに早く起こさなくても」
老齢の執事ことセバスチャンに叩き起こされたイーラスは赤茶の髪をかきながら庭へ出た。
ボサボサだった髪は整える程度とはいえ、かなりバッサリと切られたため顔の周囲がスースーする。それでも、目を隠すための前髪と襟足から伸びる髪は死守したので視界と首筋は前と変わらず。
そんな長い前髪に隠れた黄金の瞳はどこか眠たげで半分しか開いておらず、だらしなく開いた胸元からは滑らかな鎖骨と鍛えられた胸筋が覗く。そのため、怠惰な色気を垂れ流し状態だが、誰も注目する人はいない。
そんなイーラスは襟足から伸びた赤茶の髪をなびかせて庭へ踏み出した。
芝生の上を大股で歩いていたのだが、ふと足を止めて空を見上げる。その視線の先には大きな翼を広げて悠然と飛ぶ一羽の鷲。
その光景に黄金の瞳が鋭くなると同時に、イーラスの脳裏に上空から屋敷を見下ろす光景が映った。
ぐるりと屋敷を囲った外壁の周辺で素早く動く影。
「……どこかの密偵か、それとも第三王子がこちらの様子を見るために放ったか。どちらにせよ、しばらくは警戒が必要かな」
そう呟いたイーラスが右腕を空へ掲げると、飛んでいた鷲が優雅に着地した。
「教えてくれて、ありがとう」
こうして鷲と簡単な会話を済ませたイーラスは右腕に鷲をのせたまま庭にある小屋まで移動した……のだが、そこで目に入ったのは予想外の光景だった。
「えっと……これは、どういうことかな」
「あ、おはようございます」
白銀の髪を一つにまとめ、腕まくりをしてホウキと雑巾を手にしたティリアが振り返る。そして、そのまま大きな紫の瞳をパチパチと瞬いた。
無表情だが目だけをキョトンとさせた顔はどことなく可愛らしさが漂う。
ただ、ティリアがなぜそんな表情になったのかわからないイーラスはふむと考えるように首を捻った。それから自分の右腕にいる鷲に気づく。
「あぁ、この子については気にしないでくれ。ちょうど朝の飛行をして帰ってきたところだから」
そう説明しながらイーラスが鷲を鳥小屋へ入れる。
だが、ティリアは小さく白銀の髪を左右に振った。
「あ、いえ。そうではなくて、その、昨日より髪が短いので……」
「あぁ、久しぶりに街へ行くからサッパリしておこうと思ってね。どうかな?」
実際は一緒にでかけるティリアに恥をかかせないためだが、それを伝えたら心根の優しい少女は自責の念に駆られるだろう。自分の怠惰のせいでそんな思いはさせたくない。
そんなイーラスの気遣いを知る由もないティリアがしっかりと頷く。
「お似合いだと思います」
その表情は昨日より少しだけ明るく見える……が、今はそれよりも場所が問題だった。
ここは屋敷の庭にある動物小屋。
主に犬と鷲を飼育している。
その小屋の掃除をティリアがしているという報告で起こされたイーラスは本題を口にした。
「それで、君はどうしたの? ここの掃除は使用人の仕事のはずなんだけど」
「あの、私の実家の領地にも家畜がいまして。動物の世話には慣れていますので少しでもお手伝いをと」
たしかに報告では使用人より手つきがよく、動物たちの扱いに慣れていたため強く止ることができなかったという。
「でも、ここの動物たちは初対面の人には警戒心が強いんだけどねぇ」
そう言いながら黄金の瞳が小屋の中を眺める。
しかし、ティリアは無表情のまま不思議そうに首を傾げた。
「そのようなことはありませんけど。あ、でも最初に犬たちが跳びかかってきた時は驚きました」
その発言にイーラスがハッとしたように慌てて視線を戻してティリアとの距離を詰めながら全身を確認する。
「犬たちが!? 怪我は!?」
「じゃれついただけですので、怪我はありません」
ティリアが反射的にキュッとほうきの柄を握って半歩さがった。
その様子に我に返ったイーラスがスッと身を引く。
「大きな声を出して、すまない。夜は防犯のために犬たちを庭に放しているから、まだ小屋に戻っていなかったんだね。昨日のうちに説明しておけばよかった」
その説明にティリアが平然と頭を横に振った。
「いえ、大丈夫です。犬たちは一緒に遊びたかっただけみたいでしたし」
「わふっ! わふっ!」
その通りと言わんばかりに嬉しそうにティリアの足下で跳ねながら可愛らしく吠える大型犬たち。
番犬である犬たちは体が大きく目つきも鋭いため一見するとかなり威圧的で怖い。
だが、今はそんな気配は微塵もなく尻尾を振ってティリアの足下をウロウロしており、隙あらば体を擦りつけて明らかに懐いている……というか全力で甘えている。
というか、じゃれる子犬に等しい。
そして、普段なら侵入者や見知らぬ者にはけたたましい鳴き声をあげて襲い掛かろうとする鷲も小屋の中で平然と羽繕いをして、警戒心のけの字もない。
「……おまえたちまで、どういうつもりだ?」
ここの動物たちは警戒心が強いため、世話をするには数年がかりで信頼関係を築く必要がある。そのため、世話ができる使用人は限られており、ここの動物の世話ができる人材はかなり助かるのだが……
イーラスの問いにティリアの足下で甘えていた犬たちがツンと顔を逸らす。
まるで言葉を理解しているような動きだが、そのことに気づいていないティリアが無表情のままフンッと胸の前で両手を握った。
「それに働かざる者食うべからずです。これなら私でもできますので、精一杯動物たちのお世話をさせていただきます」
自分の仕事を見つけて紫の瞳を輝かすティリア。
思っていたより逞しい伯爵令嬢の姿にイーラスは苦笑した。
「でも、犬たちは力が強いし、鷲は嘴や爪が鋭いから危ないよ」
「実家にいる白虎より力は弱いですし、扱いやすいので大丈夫です」
「……家で虎を飼っているの?」
「はい。真っ白な虎で可愛いですよ」
「……そうなんだ」
虎を飼っているなんてどんな実家? という疑問を呑み込みながら琥珀の瞳で犬たちを見る。
(ここの犬たちは番犬として厳つい顔をしている犬種が多いけど、虎と比べたら子犬みたいなものか)
妙な納得をしながらイーラスはティリアへ声をかけた。
「じゃあ、私は出かける準備をするから。君もキリが良いところで屋敷に戻っておいで。料理長が朝食を作っているよ」
「あ、そうですね。わかりました。ここを片付けたら戻ります」
昨日より活気のある声にイーラスがホッとする。
足元にじゃれつく犬たちを軽く相手にしながら手際よく動物小屋の掃除をしていくティリア。その動きは手慣れており、動物の世話に慣れているというのは嘘ではないらしい。
王都にいる貴族の令嬢ではありえないことだが。
「普通の伯爵令嬢ではなさそうだね」
常識で考えればティリアがしていることは使用人の真似事でみっともないことと言われ、侮蔑の視線と陰口を叩かれる行為。
だが、イーラスは目元のシワを深くして楽しげに揺れる白銀の髪を見つめる。
そこにセバスチャンが音もなくやって近づいてきた。
「よろしいのですか?」
「彼女はやることがあった方が良さそうだからね」
その言葉にセバスチャンが犬たちと鷲に視線をむける。
「すっかり懐いておりますね」
「心根がまっすぐな子だから懐きやすいんだと思うよ」
そう言ってイーラスが赤茶の髪を翻しながら踵を返す。
そこにセバスチャンがフッと口元を緩めた。
「まったく。動物たちはあんなに素直なのに肝心の主がコレとは」
その呟きに黄金の瞳が訝しげに振り返る。
「……どういう意味かな?」
「さて。ご自身のお心にお聞きになられてはいかがでしょう? 少なくとも悪い感情はないと認められたらよろしいのに」
その言葉に目を伏せたイーラスが赤茶の髪を風になびかせる。
「あの子の境遇に同情しているだけだよ。犬たちはその心を癒そうとしているだけだ」
そう言って屋敷へと歩きだした。
そんな主にセバスチャンがフッと微笑む。
「では、そういうことにしておきましょう」
老齢の執事は朝食の準備ができたことを伝えるためにティリアのところへ足を進めた。




