25 花開いた氷の令嬢~イーラス視点~
この度のガフタによる婚約破棄騒動。
その始まりは、ゼフ王の父である先代の王が帝国へ支援を求めたことだった。
先代の王の時代よりこの国の内政は混乱しており王家の権力は低下。このままでは他の有力貴族に国を乗っ取られる状況にまで追い詰められていた。
その打開策として、先代の王は強大な帝国の支援を要請。その結果、自身の子であるゼフに王位を継がすことに成功した。
こうして王位を継いだゼフ王は帝国の協力の下、反勢力の貴族を裏で排除しつつ政治を掌握。
あとは、戦略的にも重要な土地であるシィーク領主の娘であるティリアと息子を結婚させ、帝国とともに王家の力を盤石なものにする……はずだったのだが。
それがガフタの暴走により計画は破綻。ゼフ王は宣言通りガフタとクランの爵位を剥奪し、平民として国外追放。その行方は誰も知らないという。
そして、学園の関係者はイーラスの報告書をもとに処罰され、全員が解雇となり新しい陣営によって再建している。また、ティリアを冷遇していたガフタ派の生徒とその家も漏れなく処分が下された。
それから、しばらくして——————
イーラスは王都にある屋敷の書斎で書類仕事をしていた。
「静かですね」
「そうかい?」
「動物たちに活気がないように思われますが」
「……前の生活に戻っただけだよ」
「さようでございますか」
老齢の執事が紅茶を淹れたカップを主人へ差し出す。
「……本当によろしかったのですか?」
「なにがだい?」
「ティリア様のことです」
ケフローグとの勝負のあと、自由になったティリアは領地へ戻ることを選んだ。
そして、イーラスはケフローグとの約束通り、ティリアの婚約者として有望な貴族の子息を選び、まとめて記載したものを送った。今頃、ケフローグがティリアと相談をしながら婚約者を選んでいるだろう。
心の奥底でチリッと弾ける感覚を無視したイーラスはカップへ手を伸ばした。
「自由になった彼女が決めたことだ。私は約束通り支援するだけだよ」
努めて平静に言葉にしながら紅茶を口につける。
ティリアがいた頃はこの時間になると犬たちを庭で遊ばせる声が響いていた。だが、ティリアが実家に戻ってから犬たちは拗ねたように小屋から出なくなり、世話係の使用人が頭を抱えている。
鷲たちも一見すると変わりはないが、食べる餌の量が減っているとか。書斎にいる蛇も顔を背けて目を合わさない。
そして、使用人たちもどことなく活気がない。
「あれだけ気立ての良い令嬢はなかなかおりませんからね。たまに空回りしておりましたが」
懐かしむような呟きにイーラスはティリアの姿を思い出した。
白銀の髪に紫の瞳を持つ可愛らしい顔立ちだが、常に無表情な美少女。
そのため一見すると冷徹な印象が先立つが、よく見ていれば微かな表情の変化があり、声音は穏やかで、温かな心を持っていた。
太陽のように強い陽射しでもなく、火のような熱さでもないが、穏やかな陽だまりのような明るさとぬくもりで屋敷を照らしていた。
イーラスは味がしない紅茶を置くと沈むように椅子へ体を預けた。
「……彼女なら、どこでも大丈夫だよ」
ティリアが領地へ戻ると言ったとき、イーラスは何も言わなかった。黙ったまま引き留めることもせず、いつもの笑顔で淡々と見送った。
(たった一言でよかったんだけどね……)
その一言が出なかった。
いや、その一言を拒絶されることが怖かった。
カップの水面に揺れる自分の顔。血気盛んだった頃より渋みと落ち着きが増しているが……
「ダメだね。年を重ねると臆病になる。最後の最後で勇気がでなくて決断を彼女に委ねた。そんな私が招いた愚かな結果だよ」
自嘲気味に笑うイーラスにセバスチャンが声をかけた。
「それなら、今からでもやり直せばよろしいのではありませんか?」
「やり直す?」
首を捻る主に老齢の執事がゆったりと諭すように話す。
「今のお気持ちを伝えるのに遅すぎるということはございません」
その提案にイーラスは苦笑した。
「婚約者候補の名を連ねた書簡を送っておきながら、今さらかい? ちょっと図々しくないかな? それに彼女も呆れるよ」
その言葉に対して、セバスチャンはゆっくりと首を横に振った。
「ティリア様のお気持ちは関係ありません。重要なのはイーラス様がどうされたいか、です」
赤茶色の髪が揺れて椅子から体を起こす。
「……私が、か」
帝国は代々、女子が帝位を継ぐため男子であるイーラスには継承権がなかった。
そのためイーラスは若い頃から身分を隠して自由に周辺諸国を旅して様々な情報を集め、帝国へ提供していた。そのせいか、いつからか帝国の番犬と呼ばれるようになり、ここ数年は同盟国になったこの国の情勢を探るためこの屋敷で生活をしていた。
「私は争いごとの種は作りたくないし、この平和を維持したいだけなんだよね」
皇族の男子は稀に動物を眷属として従えることができる血を持つ者が生まれる。それは呪われた血として疎まれており、男子が帝位を継承できない理由でもあった。
だが、それは公にはされておらず、貴族の中には古い習慣は破棄して男子に帝位を継がせようとする者もいる。そして、己の娘を嫁がせて皇族になろうとするのだが、イーラスはその争いを避けてきた。
「それは婿入りという形であれば問題ないと存じますか」
「まあ、そうなんだけどね」
そう呟きながら視線を落とす。
その先にあるのは無骨で大きな手。
自分の身は自分で守れるように鍛えてきたが、皮膚は固くシワも目立ち、お世辞にも綺麗とは言えない。
しかし、この手で触れた少女の髪は滑らかで、肌は柔らかく、瑞々しかった。
どうしても比べてしまう。考えてしまう。
こんな年上の自分ではなく、年齢が近く若い男の方が良いのではないか、と。
だが、他の男がティリアと並ぶ光景を想像するだけでチリッと怒りが湧き上がる。それが嫉妬という感情だということに最近、気が付いた。
そんなイーラスの思考を読んだようにセバスチャンが話す。
「ティリア様の婚約者候補の名前を書いている最中も何枚、便箋をダメにしたか。インクを滲ませたり、穴をあけたりするなど、普段なら決してありませんのに」
「うっ……」
反論できず赤茶色の髪が気まずそうに顔を隠す。
「それで、いかがされます?」
少しの沈黙のあと、大きく息を吐いたイーラスが立ち上がった。
「しばらく屋敷をあけても大丈夫かな?」
「荷物はまとめております」
長年仕えている老齢の執事の手際の良さに苦笑する。
「準備が良すぎだよ」
そこに書斎へ近づいてくる気配を感じた。
コン、コン。
聞きなれない軽いノックの音にイーラスが少しだけ眉間にシワを寄せる。
それから警戒混じりに言葉をかけた。
「開けていいよ」
「失礼します」
鈴を転がすような軽やかな声とともに部屋に爽やかな風が吹き抜ける。
白銀の髪が風になびき、整った美しい顔を持つ少女が書斎に入ってきた。
「お久しぶりです」
ぱっちりとした大きな紫の瞳に唖然としている黄金の瞳が映る。
予想外すぎる人物の登場にイーラスの反応が遅れた。
「……どうして、ここに? 領地に戻ったんじゃあ……」
その問いに大きなかばんを持ったティリアがハッキリと答えた。
「はい。領地に戻って自分の荷物をまとめて持ってきました」
状況が理解できないイーラスが混乱したまま訊ねる。
「荷物をまとめて? いや、婚約者候補の名前を書いた書簡を送ったよね? それはどうなったの?」
「その書簡は父が面白そうに読んでいました」
「じゃあ、その中から婚約者を決めたのかい? ここには、その婚約者のところへ嫁ぐための中継地点として?」
その問いに白銀の髪が不思議そうに揺れる。
「いえ、婚約者は決めておりません」
ますます状況がわからないイーラスが再び訊ねた。
「どういうことだい? シィーク辺境伯は書簡を読んだんだろう?」
「はい。今後どの貴族とどう付き合っていくかの参考になると楽しそうに言っておりました」
その言葉にイーラスが額を押さえて俯く。
「そういうつもりで送ったわけじゃないんだけどなぁ。だとしたら、君はどうしてここに来たんだい?」
その問いに白銀の髪が恥ずかしそうに顔を隠す。
それから、戸惑うように少しだけ揺れたあと、しっかりと顔をあげて宣言した。
「私はここに居たいので、ここに来ました」
予想外のことに目を丸くしたまま絶句するイーラスにティリアが言葉を続ける。
「あ、あの、領地へ戻ったのは、ここで生活するために私の荷物をまとめて持ってくるためで……」
自由にしていい、そのための支援はする、と言われたので、ここに居たいと言えば追い出されることはない。
そう考えての行動だった。
「……そういうことか」
ようやく状況を理解したイーラスだが、このような反応をされると思っていなかったティリアは恐る恐る探るように訊ねた。
「あの、ここに居てもいいですか? 前のように動物たちの世話をさせていただけたら嬉しいのですが……」
無表情だが少しだけ困惑の色をのせて上目遣いで見つめる紫の瞳。
その姿にイーラスの中で何かが崩れた。
ウジウジと悩んでいた自分とは反対にティリアの豪胆な行動力。
こんな年下の少女に教えられるとは思わなかった。
(……これが、若さかな。いや、年を言い訳にするのはやめよう)
イーラスは軽く頭を振ると柔らかく微笑んでティリアへ声をかけた。
「……実は、これから君に会いに行くつもりだったんだ」
「どうしてですか?」
「君が領地に戻ると言った時、伝え忘れていた言葉があってね」
「伝え忘れた言葉、ですか?」
コテンと可愛らしく首を傾げる少女にイーラスは力を込めて言った。
「私の側にいてほしい」
その一言に紫の瞳が丸く大きくなる。
「え?」
無表情のまま目だけをパチパチと瞬かせているティリアへ言葉を続ける。
「若くないし、こんなオジサンだけど……それでも良かったら、私の側にいてほしいんだ」
そう言って右手を差し出す。
剣ダコで固くなった皮膚にゴツゴツとした大きな手。そんな手を紫の瞳がジッと見つめる。
時間にしたら、ほんの瞬き数回分ほど。
それでも、イーラスにとってはこれまでで一番長く——————
「はい!」
ティリアが差し出した手をすり抜けてイーラスの胸に飛び込んだ。
思わぬ動きだったが、しっかりと抱きとめる。
そこで壁の一部になっていた老齢の執事が嬉しそうに声を弾ませた。
「これは、これは。他の使用人たちにも知らせなくては。あとティリア様の部屋の準備もいたしましょう」
セバスチャンが軽い足取りで書斎から出て行く。
パタンと静かにドアが閉まる音を聞きながらイーラスが胸の中にいるティリアへ訊ねた。
「……本当に私でいいのかい?」
「イーラス様がいいんです!」
きっぱりと言い切った言葉にイーラスが参ったとばかりに赤茶の髪をくしゃりとかきあげる。だが、その目尻にはシワが浮いており……
「あぁ、もう……」
そう呟きながらイーラスが手で口元を隠した。
「ダメだね」
その言葉にティリアの顔からサッと血の気が引ける。
「ダ、ダメとは……」
「君がここに居たいから来たと言った時、ホッとしてしまったんだよ。それに、これが現実だとじわじわ実感してきて……その、顔が緩んでしまう」
その言葉にティリアの白い頬が朱に染まっていく。
「そ、それは……」
恥ずかしくなったのか離れようとする華奢な体をイーラスが抱きしめる。
「こうなったら手放せなくなってしまうけど、いいかな? ティリア」
初めて名前を呼ばれ、紫の瞳が大きくなる。
それから、ティリアの全身が甘く痺れ、大きな目が微かに潤み……
「はい」
そう返事をした顔は笑顔に染まっていた。
ずっと無表情が当たり前だった少女が初めて表した喜びの顔。それは、とても幸せそうで、満ち足りた顔をしていて。
初めて見せる氷が溶けたような笑みにイーラスも満たされていく。
庭からは犬たちの嬉しそうに吠える声が響き、鷲たちが空高く飛び立った。
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