Prologue1:神が悪である場合
始まります。この物語はフィクションです。
「神様、どうかこの者たちをお救いください」
カビの生えた内装材を改修する予算すらもなく、ただただボロボロになった石造の教会で、人間たちが祈りを捧げている。
ここはとある国の山奥の教会であり、ここにいる信者と子供たちの多くは、人類を襲う『怪物』たちから逃げてきた者たちであった。
この世界には小説のような超常的力が存在するにはするのだが、それはごく一部の人間しか関係のない話であり、多くの人間は逃げて祈ることしかできない。祈るという行為は、困難な状況に置かれた者たちの最後の砦であった。
「なぁ……怪物たちはまだまだ侵略を重ねているらしいが、このままだと、ここにも……」
「諦めてはいけません。我らが神は必ず見ています」
「そ、そうでしたね……ええ、そうです。必ず……我らが神が……必ず」
弱々しく呟く人々に対してこの教会を管理する信者の女性は声掛けを続けるが、人々は時間が経つにつれてその不安の感情を隠しきれなくなっていた。
(どうすれば……)
そして信者の女性本人も、不安の感情を殺し切ることはできていない。
彼女は心から神のことを信じているが、だからといって人としての生存本能に逆らうことができるわけではない。
暗い空気が教会の内部に流れる中、そこにさらに良くない知らせと現実が到着する。
「たのむ……助けてくれ!俺たちの仲間が重症なんだ!」
「………っ!!ひとまずこちらへ」
教会の端に、10人ほどの男女がやってきた。そのうち5人は意識を失っていて、今にも命を落としてもおかしくないほどの怪我を負っていた。
「隣町ですか?」
「……はい。昨日……門が破られて……みんな」
「……そうですか」
隣町に『怪物』たちが侵略されつつあることは皆が知っていた。
そして嫌な想像が現実になってしまったことを思い知る。
(まだ安全ではあるかもしれないけど……みんなを逃がすべきか)
実際のところ、食料には余裕があり、まだ暫くここに籠城することはできる状況であった。
しかしながら隣町の門が破られたという事実は、この山が属する町に『怪物』たちが急接近していることを意味していた。
みな共通して悍ましい見た目をしている『怪物』たちの体長は、1mのものから15mを超えるものまであり、かなり個体差がある。仮に15mの個体であれば、この程度の山はすぐに登ることができてしまうだろう。
負傷者がだんだんと増えていく状況の中で、まだ若い彼女は人の人生を左右する重要な選択を迫られていた。
「……念のため、避難の準備を」
「教会主様!入り口にまた人が!」
「え?」
そんな中、教会がまた騒がしくなった。
彼女はまた何か悪いことが起きたのかと思って顔を青くしたが、その後、教会のドアを勢いよく開けた者たちを見て目を丸くした。
「私たちは政府戦闘員の者です。政府からの要請で救助に来ました」
10代後半ほどに見える男女5人は、自らを『政府戦闘員』と名乗った。
彼ら彼女らはその体格に見合わないほどの巨大な武器を持っており、只者ではないことは明白であった。
「既に隣町まで『怪物』たちは迫っていると。情報提供ありがとうございます。ひとまず、皆さんはここで待機してください。私たちがこのエリアを解放します」
政府戦闘員たちは教会内を軽く確認すると、そのまま教会から出ていった。彼ら彼女らはそのまま山を降りたようだ。
「……これは、神様が私たちを見てくださったということなのでしょうか……?」
圧倒的なスピードで事が進んでいくことに困惑しながらも、教会の管理者である信者の女性は僅かな希望が己の内から湧き上がるのを感じた。
***
「このエリアは後回しになってしまっていたから、かなり被害が広がっている。急いで国民の安全を確保するぞ」
「はい、隊長」
政府戦闘員の5人は早足で山を駆け降りていた。
「……もっと戦力があれば」
隊長と呼ばれた女性の表情は少し険しかった。
彼女は、自分たち政府戦闘員が少ないが故に、都市部から離れた街に住む人々を『怪物』に好き放題されてしまっていることに苛立ちを覚えていた。
『政府戦闘員』は誰でもなれるわけではない。
生まれつき特殊な戦闘能力を授かり、かつ戦闘訓練を受けた者だけがその名で活動する事ができる。
彼ら彼女らは一般人とは比べ物にならない力を有している。そして兵器が殆ど通用しない怪物相手に互角以上に戦うことができる。
「……いたな」
特に、この場にいる5人はエリート中のエリートであった。
5人は昨日他の街を解放したばかりである。
「慎重にいくぞ」
5人の目の前には、10mほどの巨大な化物がいた。化物は烏賊のような見た目をしているが体は紫色だ。そして高速で移動することができる足を持っている。
怪物たちは、時速100キロを超えるスピードで5人に迫った。
(多いな。繁殖が始まっているか?)
隣町は情報通り門が破壊され、怪物たちに蹂躙されていた。
既にこの町には生きている人間はおらず、化物の鳴き声だけが響いている。
「はぁっ!!!」
隊長の女性は、普通の人間ならば目で追うことのできないスピードで大剣を振り翳し、衝撃波を飛ばす。それによって女性の前にいた怪物の殆どが吹き飛ばされ、前に空間ができる。
女性はすかさずその空いた空間に進み、今度は大剣を振り回して前、右、左に衝撃波を飛ばす。それを繰り返し、気付けば女性は元いた位置から500mほど、つまり町の端から端まで移動していた。
「……」
彼女は既に怪物に壊されてしまった建物以外はできるだけ破壊しないように丁寧に怪物たちを始末した。生きている者たちだけでも、帰る場所が残されているように。
町の中では彼女がいる位置から少し離れた場所で残りの4人がまだ戦っているが、もうそろそろ決着がつきそうであった。
「ここか」
そして彼女は怪物に破壊されてしまったと言う町の門へとやってきた。町を囲む石造りの壁に巨大な穴が空いている。これが町の門であった場所である。
(……正直、門が破壊されなくても、巨大な怪物が突撃してくればこのくらいの壁は破壊される。ここまでよくもった方か…………いや、後もう少しだけ、運良くもってくれれば…私たちが間に合ったのだが)
なんとも言えない感情に襲われながら、彼女はあたりを見回す。
(ん?)
空は快晴で、清々しい風が吹いている。
しかし、彼女にはどこか嫌な気配がした。
「……あ」
「オハヨウ」
目の前に、蜘蛛のような形をした怪物が現れる。
それは大きな口をパカッと広げ、穏やかに彼女に語りかけた。
「………」
彼女は動くことができない。それが恐怖によるものではなく催眠によるものであると、彼女は理解したが、何もすることができない。
体のあらゆる場所からナイフのようなものと目玉を生やした紫色の蜘蛛は、ゆっくりと彼女に近づき、そのまま彼女の目の前までやってきた。
「ぁ……」
「キミハツヨスギル。メイワクダヨ」
「………ぁ」
またにこっと笑ったように見えた蜘蛛は右足を前に出して、それを彼女の腹に刺した。
「………あ゛!?」
彼女は戦闘員として活動してから経験したことのない痛みと恐怖を味わっていた。
彼女はただの人間ではないが故に、自分が今何をされているのか、そして自分がいつ死ぬのかを察した。
しかし心が動揺していても、催眠によって体は動かない。彼女は永遠のような死への時間を体験することになった。
「マッタク、テガカカルヨ」
彼女の体にだんだんと毒が回ってくる。彼女は多少の毒は効かないはずだが、多少ではないから仕方はない。
(このままだと……みんなも………)
彼女は動かない体を無理やり動かそうとして、心の中で必死にもがいた。だがそれは夢の中で自由に動き回ろうとするようなものだった。
「ジャアネ」
蜘蛛は彼女の腹に刺していた右足を抜いた。その結果、彼女は体を支えることができずにその場に倒れた。
(もう……何もできることは)
「──おっと、遅くなってしまいましたか。申し訳ないです」
(…………?)
そのときふと、彼女の頭の中に男性と思われる人物の声が響く。
その声は全てを包み込むような優しいもので、理由なく彼女を安心させた。
「ダレダ?」
蜘蛛には彼が見えていた。
この場に相応しくない人間を見て蜘蛛は怪しんだ。
「私は芹と申します。その態度はあまり良くありません。まぁ、別に良いのですが」
「ナンダ?」
「ふふふ」
「………ア」
芹と名乗った白髪の男性は、少し笑ったかと思うと、一瞬のうちに自身よりも大きいはずの蜘蛛をその手で握りつぶし、そのまま手のひらの中にしまい込んだ。
「………え?」
それを見て、歴戦の猛者である女性も困惑を隠せなかった。彼女は今目の前で何が起こったのか理解できなかった。
「立てますか?」
しかし、困惑する者に対し、芹という人間はそんなことを言う。彼女は立てるような状態ではないと文句を言いたかったが、数秒後、力を入れると、何故か立つことができた。
「なんで……?」
「とりあえず、お仲間の方に向かいましょうか」
「え?……は、はい?」
この場の空気を一瞬にして変えた奇妙な人間の言われるがままに事は進んでいく。
町の中に入った芹は、町の惨状を見て「良くない景色ですね」とだけ言った。
「あの人たちはあなたの仲間ですか?」
「あ……」
進んだ先には、無残に敵に投げ捨てられた4人の姿があった。
そして、芹の目線の先では先ほどの蜘蛛の怪物に似た別の怪物がむしゃむしゃと何かを捕食していた。
「あ……あぁ……」
「見ていてください。丁度良いです」
「ぇ……?」
絶望している彼女の横で、芹は手に小さな石ころを持った。それは地面に落ちていたものだったが、彼が相手を見た目良く始末するには充分であった。
彼はそれをただ投げ、その攻撃によって怪物はその命を刈り取られた。
「ということでですね。私は貴女たちを助けに来ましたのでご安心ください。お仲間も蘇生しますね」
彼が手のひらを向けると、さきほどまでボロボロになって倒れていた4人が息を吹き返す。
全員が何事もなかったかのように動き出す光景は、ある意味で隊長の女性に消えない衝撃を与えた。
「あ、あの……ありがとうございます?えっと、せり、さん?貴方は……?」
「遅くなって申し訳ありませんでした。少し報告が遅れていまして」
「い、いえ」
「亡くなった方も、この世界の財産も、私が責任をもって全て元の状態に戻しますからご安心ください」
「え?」
「あ、それとですね。こちらもどうぞ」
「……あ、え?病院?」
隊長の女性は名刺のようなものを受け取った。名刺には『院長 石山芹』と書かれていた。
「後ほど、他のことについては職員が対応いたします。私は一旦帰りますが、もう危険はありませんので、少しゆっくりしていてください」
そう言いながら、困惑する5人を置いて芹はどこかへと向かってしまった。
しかしながら彼を追うことができる者はいない。
この場にいる全員が、彼が人間の姿をした別の何かであることに気づいていた。
***
「……なぜだ。なぜ私の使いたちが全滅した!戦闘員にも勝てるように設定したと言うのに!」
「レポートを全く出していないと思ったら。少し世界で遊びすぎですよ、愚かな神」
「……っ!?誰だ!」
「ここに入れるのは同じ神しかいないでしょう」
「あ……せ、芹……様?」
この世界(先ほどまで怪物がいた世界)を管理している第369神は、芹を見て冷や汗をかいた。
この空間には神しか入ることができないから、好き勝手なことを言っても普段は問題ないのだが、それを芹に見られてはいけなかった。
「あの怪物たちは貴方が意図的に発生させたものですよね。なぜそのようなことを?」
「い、いえ、それは……愚かな人間たちを、敵を与えて一致団結をですね」
「そもそも勝てないように怪物の強さを設定していたようですが?」
「あ……いや、あの」
「この世界に住む者たちは、皆困っていました。そして悲しんでいました。私はあなた方神に基本全ての管理を任せていますが、それはしっかりと管理するという前提があるからです」
「あ………」
第369神はこの場から逃げようとしたが、弱々しく腰を抜かしてしまう。彼にはゆっくりと自分に近づく存在が悪魔のように思えたのである。
「ふふ」
この世を統べる『最高神』である芹は、「貴方は神に相応しくない」と、微笑みながら、静かに告げた。
神の命が刈り取られたその瞬間、突如として世界に平和が訪れた。
お読みいただきありがとうございます。




