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第五章 キムチと餃子は裏切らない~東信漬物と夢見亭 13

「僕と太陽がいくら仲良くなっても、人は人、妖怪は妖怪です。それを忘れた時、不幸は起きる。どれほど信じあい、(たっと)び合っていてもです。そんな光景も、たくさん見て来ました」

 ジライヤがうつむいた。小さな声で、続ける。

「今後は太陽も人間の友達が増えるでしょう。心に重くのしかかっていた家族の悩みが消えたのは大きい。奔放に遊び、心を開き合い、多くの友情を育むはずです。だから、これでいいのです」

 そこまで言って、うなだれていたかまいたちは、ぱっと顔を上げた。

「あなた方に、御礼だけは言おうと思ってお邪魔しました。本当にありがとうございます。それでは、これで」

 私たちは玄関まで、ジライヤを見送りに出た。ドアを開けると、夜空には月が出ている。

 ぺこりと器用に頭を下げて、四本の足を細かく動かし出すジライヤの後姿は、小気味よく――でもどこか、やはり寂しかった。

 私は思わず、声を上げた。

「ねえ! もし、太陽くんがあなたを探して山に入ってきたらどうするの!? 名前を呼んで、日暮れまでずっとあなたを探していたら!」

 ジライヤが動きを止めた。そのまま向き直らずに、声だけで答えてくる。

「姿を表したりはしません。決して。いつか、太陽が大きくなり、人の親にでもなったら思い出して……お伽噺の代わりにでも、子供に聞かせてやってくれれば、嬉しいですね」

 そう言って、小さな(あやかし)は闇に消えた。


 私たちは、居間に戻った。

 犬若がでんと畳にうずくまると、私とお姉ちゃんは、それぞれ左右両側から犬若の胴体にもたれかかった。子供の頃はよくこうして昼寝したなあ、と懐かしく思い出す。

 長く柔らかい毛を指先ですく。ふっふっという犬らしい息遣いの振動が伝わってきた。

「これでよかったのかな」と私はつぶやいた。

「む。奴の思いを尊重してやっていいだろう。妖怪の寿命は人間とは違う。人と出会えば、出会った数だけ、必ず別れることになる。その中でどう暮らしていくかは、妖怪によりそれぞれだ」

 犬若の大きな体の向こうから、お姉ちゃんの声がした。

「時々忘れそうになるけど、犬若がこうして一緒にいてくれるのって、当たり前じゃないんだよね」

「ぬ。それを言えば、人間の家族もそうだろう。次にお前たちの母親が帰るのはいつだ? せいぜい、親孝行してやるのだな」

「はあい」

 思わぬ忠告に、姉妹揃って返事をしつつ、張り詰めていた気持ちが緩んだせいか、ついうとうとしてきてしまった。

 温かい。

 お姉ちゃんも同じなのだろう。起き上がる気配がしない。

 もう少しだけ、このままでいたい。

 夜は、静かに更けていった。



 それからしばらくして、太陽くんは、ジライヤを探してうちに訪ねてきたりもした。

 私たちは彼の行き先を分からないとだけ答え、ジライヤが人の言葉を話せることも含めて、それ以上のことを伝えはしなかった。

 やがて太陽くんなりにジライヤの思いを汲んだらしく、無理に探し出そうという気持ちは段々と薄らいでいったようだった。


 八月に入ったある日、夏休みの太陽くんが、平日の午後にお姉ちゃんに会いに来て、こう話したという。

「それでも、悔しいことはあるんです。あいつ、妖怪じゃないですか。そうすると時々、俺が見ていたのはかまいたちの幻とか夢で、全部気のせいだったんじゃないかって思っちゃう時があって、それが……辛いです。それでつい、裏山にふらっと行っちゃうんですよね」

 お姉ちゃんは、太陽くんはしばらく山には近づかない方がいいのではないかと思ってやんわり告げると、「明るい時間に少しだけですよ」と照れたように笑った。

「それで、ついさっきもちょっと裏山を歩いて来たんですけど。下りてきたら、こうなってたんです」

 太陽くんは左手を差し出した。見ると、小指の横腹に、三センチくらいの長さの切り傷が走っている。

「変な傷ですよね。血がほとんどにじんでないから、山を下りて木陰から出るまで気付きませんでした。……かまいたちって、三位一体なんですよね。転ばす奴、切る奴、薬塗る奴。もしかしたら、って思いました。でも俺、転んだりはしなかったんです。だからジライヤの二人の兄弟が、俺にちょっかい出して、あいつをからかったんじゃないかって、そんなことを考えて」

 太陽くんは、左手を顔の前に持ってきて、優しい顔で傷を見つめた。

「だから俺、駆け戻って、山道の途中で言ってやったんです。お前らだろうって。忘れたりしないって。ていうか俺が山で転んだら、お前がやったせいにしてやる。この傷が消えても、ずっと覚えてる。昔の思い出じゃなくて、幻でもなくて、お前はずっと俺の友達だって……」

 お姉ちゃんは、太陽くんの頭を撫でた。

 夏の日差しを受けながら走って来た少年の頭は、その熱を帯びながら、何度もしゃくりあげていた。

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