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第五章 キムチと餃子は裏切らない~東信漬物と夢見亭 12

 私たちは居間へ移動して、ちゃぶ台を囲んだ。

「今回は大変お世話になりました」

 ジライヤがそう言って、ぺこりと頭を下げる。

「ええっ!? しゃべった!?」

「ジライヤくんて話せるの!?」

 私とお姉ちゃんが驚いて交互に聞いても、犬若はふうんとただ鼻を鳴らすだけだった。

「ん。かまいたちは人間とそれなりに接触するからな。人語くらい解しても不思議ではない」

 お姉ちゃんが、ちゃぶ台の向かいに立っているジライヤに向かって身を乗り出した。

「太陽くんの前では、口を利かなかったよね? ジライヤくんと会話できるなんて知ったら、太陽くん凄く喜ぶと思うけど」

「ええ。だからこそ、人の言葉で太陽と話すことはできませんでした」

「む。懐かれんためか」

 犬若が、察したように言う。懐かれないため?

「そうです。人間の子供は、僕たち獣はもちろん、虫や草花とも交歓しようとします。僕と話ができてしまえば、太陽の精神は大きく僕に依存するでしょう。それは避けなくてはならなかった。なぜなら僕が山道で彼と出会ってから今日まで、太陽の心は人の世で生きることに()んでいたからです。あとひと押しで、人の世を捨て、山に紛れ込んでしまう。しかし、闊達でよく笑う性格の彼がそこまで追い詰められていることに、周囲は気付くことができなかった。太陽には父がおらず、家に来る友人もおらず、最も身近な母親も蝦蟇に取り憑かれてしまっていたからです」

 段々、事情が分かってきた。

「僕の能力は人を転ばせることです。爪はそのために、丸く(かぎ)形になっています。これでは蝦蟇を掴み出すことはできません。僕にできることは、いよいよ太陽が山に入り込もうとした時に、何としてでもそれを阻むことだけです。散々に転倒させて、ですね。でもそれは根本的な解決にはならない。ですから犬妖に助けてもらえたのは、大変幸運でした」

 なるほどそれで……と思いながら、根本的な疑問がある。今度は私が聞いた。

「でも、どうしてあなたは太陽くんに、そんなに肩入れしてあげたの?」

 ジライヤがぴしゃりと答える。

爪牙(そうが)持たぬ人間の子が、群れからはぐれて、人外の領域に迷おうとしているのですよ。見過ごせるわけはありません」

「めっ……面目ありません……」

「僕には兄弟がいます。生まれてから消えるまで、ずっと共にある兄弟が。増えもしないし、減りもしない。ずいぶん留守にしてしまいましたが、山へ戻れば、弟たちは当たり前に僕を迎え入れてくれます。しかし、(あやかし)でないものはそうはいかない。得たと思えば離れ、別れ、時には思いがけず失う。しかし太陽は――失うものさえなくなるところでした。それも、妖怪の仕業で。放ってはおけなかった」

 太陽くんの顔を思い浮かべる。笑顔が印象的な、元気な子だ。あの子が、そんなに追い詰められているなんて、見ているだけでは分かりようもない。

「あの、」と私は小さく手を上げた。どうぞ、とジライヤが促してくる。

「太陽くんがお母さんと疎遠になってたのは分かったけど……学校ではそれなりに友達がいるみたいだったのに、それでもやっぱり孤立しがちだったのかな」

「太陽はあれで、気を遣う性格なんです。友人に家の事情など相談して、話がどう転ぶかも分からない。だから余計に、友人とも壁ができていきました。それに、……僕も隠れて横にいたのですが、太陽が一度、学校で教師に家のことを相談したことがあります」

「えっ」とお姉ちゃんが息を飲む。「先生に? それで?」

「年配の教師で、そうした相談には慣れていそうだと思い、期待したのですが。話を要約すると――あまり深く気にするな。今の子供は、つまらないことで悩み過ぎ、心が弱い。そんなところでした」

 私とお姉ちゃんは天を仰いだ。どちらともなく、「それ系かあ……」とこぼす。

「僕は人間の生理には暗いですが。小児が教師に言われたことで、かなり大きな影響力があったはずです。太陽は、自分の悩みは自分が弱いから起きていることだと思い込むようになり、己を責め、悩み、同時に、学校では救済や避難の道が断たれました。その上で親はあの状態ですから、家と学校の両方から追い詰められて、顔では笑っていても、太陽の精神は既に崖の縁にあったのです。あなたがたがいなければ、どうなっていたことか。僕には、太陽をすってんころりと転がすことしかできないわけですからね」

 そこまで聞いて、犬若が、ちゃぶ台の横からジライヤに迫った。二匹のサイズが違い過ぎて、ただでさえ不思議な光景がさらに現実感のない絵面(えづら)になる。

「お前、山へ戻れば――と言ったな。あの小僧のもとを離れる気か」

 私とお姉ちゃんは、ぐるりとジライヤに向き直った。

「そっ……そうなの!?」とお姉ちゃん。「どうして!?」と私。

「僕と太陽は、近づきすぎました。元より、人と妖怪がひとところに暮らすというのは、無理があるのです」

 私はびしっと犬若を指差した。見ると、お姉ちゃんも同じポーズでそうしている。

 ジライヤはやや気圧されながら、

「ま、まあ、中には例外もいますが。僕はそうではありません。いずれお互いに悪影響も出るでしょう。今夜この足で、僕は山へ帰ります。昔に比べてずいぶんこの辺りも開けてしまいましたが、棲めないほどではありませんし……それなりに、思い入れもありますからね」

と神妙な顔をする――……いや、今夜これからって!

 お姉ちゃんが、またもずずいとちゃぶ台にのしかかった。

「それにしても今夜なんて、急過ぎるよ……太陽くんのことをそんなに思いやっているんでしょう? このまま、言葉も――別れの挨拶も交わさずに行ってしまうの? 話そうと思えば、話せるのに」

「今日は、太陽の日常に劇的な変化が起きた日です。僕の経験上、人間とお別れするにはそうした日の方がいいのです。明日の朝、いつも通りにお互いがいる朝を迎えてからでは……別離が、辛くなり過ぎます。ここのところ一緒だったとはいえ四六時中横にいたわけではありませんから、一日や二日僕の姿が見えなくてもそれほど太陽も気にしないでしょう。やがておかしいなと思い、僕を探して、でももう決して見つかることはなく……そうして、いつか忘れてくれたら、それでいいのです」

 ジライヤの決意は固い。表情からそれが分かった。

 経験上。その言葉に、あまりにも流暢で、豊富な語彙の、ジライヤの「人間語」のことを思った。この妖怪は今日までに、どれほどの人間との出会いと別れを経験してきたのだろう。

 これまでもずっと、放っておけないからという理由で寄り添い、役目を終えたと思ったら身を引いて来たのだろうか。

 人間と――妖怪だから。

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