井の中
中学生の頃、俺の世界は狭かった。
狭かったけれど、その中では、俺は何でもできた。
テストを受ければ、だいたい上位にいる。
体育の授業では、それなりに活躍できる。
顔だって、悪くないと言われていた。
クラスでは友達も多かった。
先生からも頼られた。
何かで一番になれば、周りが褒めてくれる。
何かで失敗しても、
「まあ、お前なら大丈夫だろ」
と言われる。
だから、いつの間にか俺は思っていた。
――俺は、できる人間なんだ。
勉強もできる。
運動もできる。
人付き合いもできる。
努力すれば、もっと上に行ける。
そんな未来を疑ったことがなかった。
自分の中には「理想の自分」がいて。
いつか、そこにたどり着く。
それが当たり前だと思っていた。
そんなある日。
転校生がやってきた。
「神谷玲です。よろしく」
教室の前で、そいつはそう言った。
第一印象は、普通だった。
少し整った顔をしていて、落ち着いていて、話し方も丁寧。
それだけ。
少なくとも、そのときの俺はそう思った。
けれど。
最初のテストが返ってきた日。
「一位、神谷」
先生が名前を呼んだ。
教室が少しざわついた。
「二位――」
俺の名前が呼ばれた。
たった一つ。
順位が違っただけだった。
それなのに。
胸の奥が、妙にざわついた。
次の体育。
神谷は運動もできた。
球技では俺より活躍した。
走れば俺とほとんど変わらない。
いや。
少しだけ、あいつのほうが速かった。
文化祭。
神谷は誰とでも自然に話した。
先生にも好かれた。
クラスの中心にいるようになった。
俺は初めて、自分より上にいる人間を身近に感じた。
そして。
初めて、そいつを羨ましいと思った。
「神谷ってすげえよな」
誰かが言った。
「勉強できるし、運動もできるし」
「顔もいいしな」
「性格もいいし」
笑い声が起きる。
俺も笑った。
「まあな」
そう言いながら。
心の中では、まったく違うことを考えていた。
――俺だって。
――俺だって、それくらいできる。
だから、神谷に冷たくすることもあった。
話しかけられても、適当に返す。
何かを頼まれても、少し面倒そうな顔をする。
今思えば、ひどい態度だったと思う。
それでも神谷は怒らなかった。
「お前、今日機嫌悪い?」
「別に」
「そっか」
それだけだった。
俺が勝手に張り合っていることにも気づいていたのかもしれない。
でも、何も言わなかった。
卒業が近づいた頃。
俺はようやく、少しだけ聞いてみた。
「……お前ってさ」
「ん?」
「俺のこと、どう思ってる?」
神谷は少し考えた。
「どうって?」
「だから……」
俺は言葉を探した。
「俺より上だと思ってる?」
神谷は目を丸くした。
それから、少し笑った。
「なんで?」
「いや……」
「俺、お前と競争してるつもりないけど」
その言葉が、妙に刺さった。
俺はまだ知らなかった。
人間は、順位だけでは測れないということを。
俺にとっての世界は、まだ狭かった。
井の中だった。




