01,偶然の一日目
周辺には田んぼに広がり、民家が点々とある。遠くの方を見れば山しか無い。とてものどかであり、そしてのんびりでもある、この村は時間がゆっくりに感じる。そんな辺境の村にカキーン、カキーン、と打撃音がこだまする。
と在る田舎の、特に何の変哲も無い寂れたバッティングセンター。ここで起きる偶然の連続、それこそがこの物語である。
このバッティングセンターの数少ない常連客の一人。名は俊輔。通称はシュン、と皆は呼ぶ。実家は農家を営んでおり、長男である彼は父親の後を継ぐことになっているのだが、正直なところはまだ認めきれていない。今年で24を迎えた彼なのだが、未だ持つ夢がプロ野球選手。高校時代に肩を壊して膝と腰まで痛めてしまって、プロへの道を諦めざる負えなかった。今ではすっかり平凡な彼がこの物語の主人公。
「あんのくそおやじがっ!!」
今、シュンはこのバッティングセンターで、一番速い球速を出すピッチングマシンを相手に打っている。だいたい130キロぐらいの速さで、かなりの荒れ球。このマシンの球を素人が打つとなるとかなり難しい。
「うぉぉらぁぁ!!」
こちらに放ってくる球に向け、思いっきりバットを振る。かすりもせず、バットが空を切る音が鳴るだけであった。放って来たコースは、ストライクゾーンを完全に無視した所を通っていったが、本来のシュンの調子であったならば、そんな悪球でもことごとくはじき返す。ワンバウンドしようが、頭の上を通過しようが、だ。
しかし、感情が調子を狂わせているのだろうか。今日の彼は非常に不機嫌であり、バッティングの調子もいまひとつ。その理由は、ここへ来る少し前の事が原因である。仕事中に父親と喧嘩でもしたのだ。最近は不景気からの苛立ちをシュンに当たり、決まってこう言う訳だ。
「この野球くずれが!!」と。
これを言われると、シュンは理性の歯止めが効かなくなる。最悪の場合、殴り合いとなり行くところまで行ってしまう。母親がいつも止めていなければニュースざたになることもありうる……。
まあそんなだから、喧嘩直後のスイングなんてもうボロボロであって、当たるはずがない。それでもシュンは、次に来る球に備えてフォームを構えた。
「今日はやけに内角の球が多いな」
左の足を三塁側のずらし、オープンに構えた。放たれる方向に体を向けることで、球の軌道を見やすくするのと、体を開くことで内角を通る球に対し、少しでも早く反応をできるようにするためだ。
球が放たれた。内角低め。膝元に当たるか当たらないかギリギリのコース。
「よし、もらった」
シュンは後ろに体重を残しつつ左足を踏み込み、打つポイントに来るまで上半身は開かず、溜める。ポイントに来たらバットのヘッドを後ろに残しつつ、右足から左足へ荷重移動。そして、ボールの軌道と合わせて真っ直ぐに振りぬく。スイングするタイミングは少し遅かったが問題ない、一、二塁間を抜ける当りになる……はずだった。
「痛っぁぁーーー!!」
又もやバットは空を切った。球は直接シュンの右膝に当たり、ただ軟式なので衝撃は大したことはないが、日頃の重労働から右膝を痛めていた。しかもたまたま痛みの発信源にピンポイントで直撃する。膝の激痛は半端ないものだった。
それでもまだワンセット終っていないため、無常にも球はどんどん飛んでくる。バントの構えすらできない状態のシュン。一応、一球一球反応はするのだが、ただ単に飛んでくるコースにバットを出すだけ、ぎこちない様子はとても無様である。
既定の投球数、20球を放りマシンがようやく止まる。シュンは足を引きずりつつ、通路へ出て、ベンチの元まで足を運ぶ。まだ痛みが治まらない膝に、苦痛の表情を浮かべながらもなんとかベンチに腰を掛けた。いつも来る度に、決まって同じベンチの、三つ席がある内の真ん中に座る。シュンの中ではここが指定席になっていた。打席に入る時は、ここの左隣りに荷物を置く。
シュンが持ってきたかなり大きめのサックに手を入れ、何やらがさごそと探している。数秒間探った後、引き抜いた。手には500ミリリットルのペットボトル、中身はスポーツ飲料が入っていた。蓋を外し、一口飲む。ワンセット終った後の、これまたいつものパターンだ。
「ふう、当分動けないな。今日は最悪だ」
そうぼやいてしまうのも無理はない。ストレスを発散しに来たのに、一発もまともに打つことができず、痛い思いをしただけに過ぎないのだから。
シュンはしばらくの間、ベンチで休むことにした。暇を潰すものを持ち合わせていなかったため、遠くを見てぼーっとするだけ。時がだらだらと流れていく……。来たときは夕暮れ前だったのだが、気が付けばすでに夜中となっていた。
このバッティングセンターは、平日休日問わず客がほとんど来ないため、静かでとても落ち着く。あまりの静けさに、シュンは寝てしまうこともある。シュンにとってここは安らぎの場所なのだ。
「さて、あと一回やって帰るか」
シメのワンセットを打つため立ち上がろうとした、その時。
「くそジジイがぁぁ〜〜〜!!」
横から女性の大声がして、シュンは声が聴こえた方向へ目を向ける。そこには黒髪のロングヘアーで、エメラルドグリーンのきらびやかなドレスを身にまとった女性が、不慣れな感じでバットを持ち打席に立っていた。
シュンは驚きの表情を隠せずにはいられなかった。まず、このバッティングセンターで女性の姿なんてカウンターにいるお婆ちゃんしか見たことがない。それに、一目見て惚れてしまっていた。シュンはその美貌に釘付けとなる。が、その美女の一球目で、シュンの中に一時芽生えた感情は玉砕されることとなった。
「きえぇぇぇ!!!!」
放られた球に向け、エイリアンのような奇声を発しながらバットを振り回す。これは絶対に野球はおろか、運動すらまともに出来やしないのであろう。そう思わせてしまうほどのデタラメっぷりだった。
何故かシュンの心の中は、有頂天から一気にどん底へと落ちて行く、本当に一瞬の一時だった。
「ほんの少しの間、夢をありがとう」
そう呟き、気持ちをバッティングの方へと切り替え、打席に向かった。
「おいっ!そこのお前っ!今、私のこと笑ったわよねぇぇええ〜〜?!」
シュンが打席に入ろうとした時、頭のおかしい美女がバットでシュンを差して、ドスの効いた大声を放つ。その後ろで彼女の様子を見ていた青年が止めに入った。
「お嬢様いけません!!早く御戻りなられて下さい!!」
黒いスーツ姿の青年は、打席に入り彼女を静止させようとする。だが、それを振り切ってまだおかしなことを叫んでいた。
「あんたまで私のこと、笑うぅ〜〜?なんだぁその目はぁ〜?文句あんのかぁ〜〜??」
シュンはそこでようやくあることに気付く。彼女の目は完全にすわっているようであった。すなわち、泥酔の状態だったのだ。それがわかり、少しほっとする。まだ夢は終わっていない、とシュンはそう思えた。
「すいません。本当は素敵な方なのですが、お酒が入るとどうも……」
黒スーツの青年がシュンに向け、とても申し訳なさそうに謝罪をした。確かに酒さえ入ってなければ、素敵な人なのであろう。酒の怖さをシュンは改めて感じた。
シュンの父親も酒が入ると手を付けられなくなる。酔っ払いの子守の苦労を知っていたシュンは、黒スーツの青年に対し同情した。あと、自分自身も気を付けよう、とも。
「け、啓次ぃ〜。気持ち悪いぃぃ……」
美女は急に呻きをあげた。酔っ払いが気持ち悪いと言い、次に起こりうる現象は……。シュンは直感的にこれはやばいと思った。確実に逆流の前兆だ。
「早くトイレへ連れてってやれ!!」
「えっ?あっはい。…………すいません、何処になるのでしょうか」
黒スーツの青年は、腰を低くしてシュンに尋ねる。一刻の猶予も無い、シュンはトイレの場所を教えると共に、早く行くよう急かした。
「奥の突き当りの左の扉だ!!間に合わなかったら、洒落にならんぞ、早く行きな!!」
「はっはい!!」
黒スーツの青年は、酔っ払い美女を連れてすぐさまトイレへ駆け込む。向う途中、青年は何度もシュンに、すいませんすいません、とお辞儀をしながら連れて行った。この様子から、彼の誠実さが窺える。
二人はトイレに入り、バッティングセンターに静けさが戻った。特にすることも無いシュンは、いつものベンチに座り二人を待っていた。実を言うともう帰ってしまった方のが良かった。家に帰るのが遅くなれば、母親が文句をたれて面倒だからである。しかし、そんな危険よりも、二人の事の成り行きを見る面白さの方が、シュンにとっては圧倒的に上回っていた。
しばらくして、黒スーツの青年だけがトイレから出て、落ち着いた笑顔を浮かべてシュンの元へ歩いてきた。
「先程はどうも有難う御座いました。もう少しで取り返しの付かなくなる処でした」
シュンはその言葉に笑って返す。
「あははははっ!!と言うことはきちんと出てきたんだな?中のもんが」
青年も一緒になって笑う。
「はははっ、ええ……それはもう、ドロッと」
異物を吐き出すジェスチャーを付けて応えてくれた。ご本人には知らぬが仏、ということで。
「はははっ、あ、そうだ。名前聞いていいか?あ、まあ俺から言うのが礼儀ってやつだよな。俺は秋田って言うんだ。秋田俊輔な。よろしくぅ!!」
よろしく、をする際に手をGOODのサインを作る。少し古臭く感じるが、ここはご愛敬。
「秋田様ですか。私は篠目啓次と申します」
申しますの時に姿勢正しくそして深くお辞儀をする。シュンとは生まれの良さの違いを見せつけるが如く……。もちろん本人にそのつもりは一切無いが。
「秋田様って、呼び捨てにしてくれ。俺は、さまを付けられるほど大そうな人間じゃねえよ」
シュンは敬語で挨拶をされ、それが少し嫌に思いタメ口で喋るよう注文する。啓次は戸惑った。
「ですが、しかし……」
「歳だってそう変わんねえだろ?俺は24だ。啓次は?」
「同じく、24です」
「だろ?ちゃんと呼び捨てをしろ。わかったな」
「……はい、わかりました。俊輔」
一応、名前は呼び捨てしてもらい聞き入れてくたようで、シュンは少し満足そうだった。ここでシュンはトイレを目視で確認する。酔っ払い美女は出てくる気配は無かった。確認を済ました上、シュンは酔っ払い美女について訊いてみた。
「あの子、なんて子なんだ?」
啓次はシュンの出した疑問に首を傾げた。
「ご存じでございませんか?」
今度はシュンが首を傾げた。
「はぁ?知ってたら聞かねーだろ。ったく名前ぐらい教えてくれても問題ねえだろ?」
啓次は口に手を当て、少し考える。そして美女の名を口にした。
「いちもん……コホン。……一文字美菜といいます」
シュンは名前を聞いて、もし酒が入ってなかったらどういう子であろうかと想像していた。以外にけっこう妄想家、言わばむっつりらしい。
それを見た啓次は勘違いをし、調子が悪くなったと思ってシュンを心配した。
「俊輔。大丈夫ですか?」
ここでようやくシュンは我に帰った。
「おっ悪ぃ悪ぃ。ちょっとどっか飛んでたわ。それよりさ、啓次、またここ来たりするか?俺、ほぼ毎日来てんだけど、いつも誰もいなくて暇でさ……。今度はあの酔っ払い抜きでいいからよぉ色々話しようぜ」
「申し訳御座いません。恐らくそれは無理かと……」
「また来るわよっ!!!!」
ベンチの後ろ、僅かな隙間に体を潜らせ、二人の間に顔を出しまたもや大声で叫ぶ美菜。
「わっ!!」「なっ!!」
完全に不意をつかれたシュンと啓次。ベンチに座っていた二人の間に、無理矢理美菜が割って入る。二人の様子からすると臭いはしないらしい。
シュンは少しおどおどしくして、時計を指差し言った。
「ま、まだ酔っているみたいだな。ほらこんな時間だし、そろそろ帰ったほうがいいんじゃないか?」
時計は21時をマークする。
「なぁに言ってるのぉ〜〜?夜はこれからよぉ〜〜、これからこれからぁ〜〜」
美菜がそう言うと、啓次はきつい表情して叱咤する。
「だめです!!俊輔も迷惑してますから!!ほら!早く家へ戻りましょう!!」
やだやだと、だだ捏ねる美菜の手を取って、強引に出入り口まで引きずって行く。まるでアニメのような光景だ。
外へと出る間際、美菜がこう叫んだ。
「あぁ〜〜君って俊輔っていうんだぁ〜〜。しゅ〜〜んすけぇ〜〜!!愛してるぅ〜〜!!」
ウィーンっと自動ドアが開いて、また閉まる。もうシュンの居る場所から見て、姿はなくなっていた。
「ハ、ハハハ……そりゃども」
いくら酔っ払いとはいえ、あれほどの美女に言われたら照れるものだ。シュンは美菜の言葉を聞き恥ずかしく思った。
嵐も過ぎ去り、一人となったシュンは、再びバッティングを開始しようとベンチを立った。
「うしっ!ここは切り替えて最後にワンセット、ぶっ放して帰るか!」
気付けば右膝の痛みは完全にひいていた。打席に入り、バットを手に取り、体を慣らすため軽く素振りをする。
「いい感じだ。悪くない」
思いのほか、体がスムーズに動く様子。マシンを動かすためコインを投入する。初球、まずはバントを試みる。バットの先にうまく当て、一塁側への絶妙なコースに球は転がっていった。
「うっしゃあ!!さあやっぞ!!」
続けて二球目が発射される。コースは外角、高さは甘め。シュンの得意とするコースである。シュンはただ無心でバットを振りぬいた。
カキーン!!と快音を響かせた打球は、センター方向へ飛ぶ最高の当たり。感触はばっちりの会心の一撃。ここがその辺にあるような小ぢんまりとした球場ならば、確実にホームランであろう。
その後のシュンのバッティングも絶好調であった。マシンが放ってくるあらゆる全て球を弾き返す。先ほどのスランプが嘘みたいだ。これでこそシュンのバッティングである。
最高の気分のままワンセットを終え、ここでふと呟いた。
「たまにはいいな、こーゆーのも。こんな偶然、滅多にないし。……ハハっ悪くない」
実を言えば、シュンは少し後悔していた。また会うため保証、すなわち約束をしておけば良かったな、と。
見るからに、シュンは自分とは明らかに次元が違う、そう感じても、あの二人とのわずかな時間は彼はとても楽しく思えた。恐らく二人はもう来ない。そんな風に自分の中で割り切っていた。
「よし。明日も仕事がんばるか」
気を明日へ向ける。農家に休みはないのだ。
シュンは店に用意されているおしぼりで手を拭き、帰り際、シュンはカウンターでうたたねしている婆ちゃんに起きてもらうために声をかけた。
「お〜い、ばあちゃん。もう9時半過ぎるよー。終わり終わりー」
ばあちゃんはうたたねから起きたのち、いつも悪いね〜、なんて言って応える。これはシュンにはよくあるやりとり。さっきと違って、これこそ彼にとってのいつも通り。そういつも通り、本来在るべき日常なのだ。
そしてシュンは、バッティングセンターを出て、マイバイクで家路についた。