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「ガラスが割れてから、1分もなかった」
「そうか、私にはかなり長い時間に感じられたが」
「その体感時間を考えても、1分ということ。そんなわずかな間に、あそこまでどうやったら運べるっていうんだよ」
甲斐雪人は舌打ちした。その2分前に、動くべきではないと頭では考えていたというのに。もちろん、犯人を捕まえて方法を聞けば、すべての疑問は消失するわけだが。篠塚桃花が隣から不安そうに甲斐を見上げているのが分かる。もう切れるわけにはいけない。切れると、とんでもないことを口にしてしまうし、篠塚の前では遠慮したい、恥ずかしいだけだ。
ロープの先に、今度はスージーの真下に芹沢菫は吊るされている。ちょうど、こちら側から近い位置に止められているロープが、その菫の位置まで伸びている。甲斐は、割られた窓ガラスに注意しながら、その窓の先を確認する。
「危ないぞ」
「届きそう」
窓の先には、広くはないが人が歩けるだけの段があった。そこを利用すれば、一番近い一つのロープのところまで歩くことができる。これを利用したのは間違いない。甲斐は篠塚がついてきていないことを確認して、そのロープのところまで歩いた。かなり強固に固定されているようで、簡単には取れそうもない。それにロープ自体も、むしろ綱に近いほどの太さがあり、充分に重さに耐えられそうだ。これに滑車をつければ、あるいは運ぶことができるかもしれない。それに、1分という時間の制限もクリアできるだろう。けれど、運ぶだけでは、あそこまできれいに吊るすことはできない。
「甲斐、早く戻ってきてくれ。恐くて見ておれん」
篠塚のハスキーな声が、ひどくぶれている。驚いた甲斐は、ゆっくりとそこを歩いて戻り、気をつけて窓をくぐった。
「怪我はしておらんか?」
「ちょっと、雅様のジャージをやぶっちゃったかも。これは、高級なものじゃないよね」
「さあな。それで、何か分かったか?」
「かなり頑丈だということ。サファイアは青だろ。だとしたら、暗示しているのは、瑠璃?」
「そうだろうな」
「とにかく、一から考え直しかも。これの方法はなんとなく想像ができた。だから、まずは瑠璃さんを探そう」
「この会場に戻ってくる可能性は?」
「菫さんよりも低いと思うけど。でも、生きている可能性があるなら、感情的にそちらを優先したほうがいい」
「方向性が見えた、ということか」
「どうだろう。でも、これでもし、瑠璃さんも殺されていたら、残されたのは誰?」
「私と、甲斐と、雅だけだ」
「そういうこと。だから、生きているとしか考えられない」
「となると、どこから探すか、ということだな」
そもそも、今日の朝、気絶してから甲斐は日達瑠璃の姿を見ていない。もしかしたら、もうこの屋敷にいないのではないか、とも思ったが、その可能性は低い、ということになる。犯人であれば、この屋敷にいなければ犯行ができないからだ。
けれど、もはや見ていない部屋などいない。となると、すでに調べた部屋に隠れていると考えたほうがいいだろう。それは、秘密の部屋にいる、というわけではない。一度調べられた部屋に、改めて隠れたという意味だ。こちらの行動を把握しているのなら、それは可能であろう。いくらでも方法はある。1階を調べている間は2階にいて、2階からは外の非常階段を利用して、玄関から戻ることができる。あとは2階を調べている間に、1階の部屋に隠れる、という寸法だ。逆でも同じ。
この方法を用いれば、どこの部屋にでも今同等に隠れている可能性がある。が、甲斐ならどこの部屋を利用するだろうか?
「まずは、瑠璃さんが借りた部屋をもう一度調べてみよう」
「なぜ?」
「可能性的にそこに隠れている可能性が一番高い気がするから」
「ならそうしよう」
甲斐の手を篠塚は握る。甲斐は、走ることなく階段を下りると、甲斐が借りた部屋のある右側へと進む。甲斐の部屋を通り過ぎ、その先が瑠璃が借りていた部屋だ。廊下には北側にしか窓がない。そのせいもあり、太陽が沈み始めた廊下はそれほど明るくない。蝉の鳴き声も、心なしか弱くなっているように感じる。
部屋の前にたどり着くと、甲斐はそのノブを確認する。鍵はかかっていない。
「開けるよ」
篠塚が頷くのを確認してから、甲斐はその扉をゆっくりと開く。もし、中から突然襲われてもいいように、常に緊張しながら。
けれど、その様子はなかった。
静かだ。
少し進むと、ベッドが見えてくる。そこに、足が見えている。篠塚を握る手が強くなる。進むと、少しずつ全身が見えてくる。
が、
その胸部に、
ナイフが刺さっている。
そして、血が、そのナイフの柄の近くまで赤く、シルクのパジャマも、シーツも、すべてが、赤く。
両手を、萌と同じように広げ、けれど、目は閉じている。
「甲斐!」
篠塚のその声は、すでに遠くから聞こえていた。甲斐は、走り出している。後ろから、篠塚が懸命に追いかけてくる。
甲斐の足は、2階へ。
「甲斐!」
息を切らせて、篠塚が追いつく。
「ばか者、いきなり私を置いていくな。心臓が止まるかと思ったぞ」
「ここがどこか分かる?」
「雅の部屋であろう?」
「これで、残ったのは3人だね」




