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第9話 真夏の夜に咲く

「今年は大丈夫そうだな」


海里が満足気な表情で万願寺唐辛子の揚げ浸しにかぶりつく。その隣で花火師のマサさんが、いか飯に箸をつけた。


もち米がぎっしり詰まった甘辛いいか飯は、海里に教わりながら雫がイカの下処理をしてもち米を詰めた。万願寺唐辛子の揚げ浸しは渚が作ったものだ。


「渚は明日バイトだっけか?」


「あー……いや、休みなんやけどさ」


渚が頬を掻く仕草をしながら苦笑する。


「明日の花火は二人で見といて。私はその……約束があるっていうか」


そこまで言うと、海里は何かを察したように急に口元をニヤつかせた。


「そっかそっか。まぁ色々あるよなぁ、うん。じゃあ、俺らはここの海から見ようぜ。マサさん、明日、すんげぇ感動的なのをお願いしいます!」


「当たり前だ。想い出に残るようなでけぇのを上げてやるよ」


マサさんがふんと鼻で笑う。なんとなくその仕草が祖父と似ていて懐かしいような気持ちになる。


夕食後、マサさんは一階の六畳間に泊まる事になった。渚が家に帰ってから、雫は風呂に入った。


ドライヤーの暑さのせいで前髪の生え際や首筋に滲んだ汗を、庭から入る晩夏の夜風がさらりと撫でる。


縁側に座って、空色アサガオの日記のページを捲った。庭にある植木鉢の朝顔はひっそりとつぼみを付けて、まるで眠っているようだ。


「あっちぃー。はい、雫も飲むか?」


日記を読み返していると、風呂からあがって来た海里が、氷たっぷりの麦茶を雫の隣に置いた。


「やっぱり雫、絵上手いじゃん。ちゃんと特徴捉えてるし。絶対いい感じに出来ると思ってたんだよなぁ」


台所の方を指さす。入り口の柱にある、五歳の雫が描いたあの絵だ。


「俺すんげぇ嬉しかったんだよ。ここでの事が雫の想い出になったら良いなって思ってたからさ。嬉しそうに絵描いてる姿、今でも覚えてる。昔の自分と似た境遇の女の子が楽しんでくれたって事が、俺にとっても救いだったのかも。俺の自己満足もあったのかもって思うと嫌な奴みたいだけどさ」


「嫌な奴じゃないよ。すごく楽しかった。帰ってからの生活で、ここでの暮らしや海里との想い出がどれだけ救いになったか。本当だよ」


海里が「そっか」と笑顔を浮かべた。麦茶を一気飲みして喉を鳴らす。


「雫が来てからこの一年。絶対忘れない。もちろん、まだまだチビだった頃の雫と遊んだ事もさ」


その言葉の奥に隠した気持ちがあるようにも聞こえる。空を見上げた海里が夜空に投げかけた。


「神様。これ以上、俺から大事な人を連れて行くなよな」




花火大会当日は、朝からずっと清々しい青空が広がっていた。


マサさんは午後から準備があると出て行った。


夕暮れには、晩夏の庭でヒグラシが哀歌を奏で、それに混じって今はマツムシがチリリッと可愛らしい音を合奏している。


誰かからの電話を受けた渚が、急いだ様子で出かけて行った。


「花火まであと三十分か。早いけど、散歩でもしながら待つか」


海里の提案で、夜のしんと静かな海辺を並んで歩く。いつものように、遠くに見える灯台の白い光が海を真っ直ぐに示している。


まだほんの少し青みが残る暗青色の空に大きく輝く満月が昇っていた。目が覚めるような濁りの無い月明りが、たゆたう海面を優しく照らす。


ゆっくりと歩き、時に足を止めて海を眺める。砂浜に足を取られて転びそうになった雫の手を、そっと繋いで再び歩く。


海里がふと腕時計を見て呟いた。


「そろそろだな」


手を繋いだまま海里が灯台の方向の空を見上げた。


空はすっかり暗くなっていた。陸地が大きく弓なりに湾曲した向こうの場所にマサさんがいる。その時だった。


光の尾が天へ昇る。笛のような音と一緒に闇夜に昇ったかと思うと、大きな様々な色の花が開いた。


「すごい……」


そこから間髪入れずに次々に花火が上がる。大きな花火が消えたと同時に丸い光の球が空を飛び回る蜂と呼ばれるものは、まるで本当に生きているかのようで歓喜の声を上げた。


地上に降り注ぐように散るものは、落ちて来るのではないかと海里と繋ぐ手に力が入った。


海里の顔をちらりと見上げる。横顔が花火に照らされて、赤や黄など、色とりどりに輝いていた。


「この前、三日間いなかった時があっただろ」


花火を見つめたまま海里が口を開いた。


「母さんが死んだんだ」


雫は言葉を失った。だが海里は変わらず夜空を見上げる。その表情には悲しさというよりも、どこかすっきりとしているようにも思えた。


「黙ってたけどさ、時々母さんと電話してたんだ。会いに来るなって言うから、代わりにさ。でも、最期には立ち会えたんだよ。俺にはここでの生活を大切にして欲しいって言ってたのに、やっぱりいざとなると寂しかったんだろうな。おかげでちゃんと目を見て言えた。母さんを助けてやれなくてごめんって。俺をここに連れて来てくれてありがとうってさ。苦しいくせに『お父さんと違って、本当に強い子になったわね。自慢の息子だわ』って笑ってたよ。それとさ」 


二人の間を、あたたかい海風がふわりと駆け抜ける。


「あっちに行ったら会いたい子がいる。だから海里と離れるのは寂しいけど、怖くは無いのよってさ。ずっと気掛かりだったらしい。そう言って息を引き取ったんだ」


海里の手が雫を引き寄せる。話の内容に驚いているのか、この状況にドキドキしているのか。雫の鼓動が海里にも伝わりそうなほど強くなっていく。


漸く体を離した海里が、雫の頬に手を当ててじっと見つめた。


「雫はどこにも行かないよな。生きてるんだよな。ここでもっともっと普通の暮らしをするんだよ。今まで出来なかった分、当たり前の日常をここでさ。そうだろ?」


その問いに答えられないまま、雫は俯く。


 行きたくない。ずっとここに居たい。だけど私は……。


「なのに、何で。時々、雫の身体が透けて見えるんだよ……」


眉をひそませ、今にも泣きだしそうな表情を浮かべる。


そんな海里の向こうで、ラストを飾る一際大きな花火が次々と打ちあがった。


最後に打ちあがった一つの大輪の花火に、祖父と見た花火の記憶が重なって見えた。




花火大会から三日が過ぎた日の昼下がり。昼食時に出た話題に、民宿・夕焼けの家はいつにも増して賑やかだった。


「昨日の夜、翔ちゃんが家の前に来てなかったか?」


その言葉に渚が飲んでいた味噌汁を吹き出しそうになったのだ。


最初は何とか白を切っていた渚も、最後には観念して話してくれた。


「花火大会の日にね。山頂から花火見てたら、翔平君から付き合おうって言われてん。って、あーもう無理!この話終わり!」


渚が空いた食器を乱暴に積み上げてお盆に乗せ、逃げるように台所へと入った。


「はい、海里。メロンソーダ作ったよ」


渚がバイトに出掛けた午後三時。バニラアイスの乗った青色のメロンソーダは、炭酸の気泡も相まって海の中を見ているようだ。


海里と並んで、同じく真っ青な空と、高くそびえ立つようなもこもことした雲を眺める。


「翔ちゃん良かったよなぁ。実は俺、半年前に一回相談されてたんだよ。あの二人、幼稚園から高校まで一緒でさ。翔ちゃん、高校はろくに行ってなくて、渚がしょっちゅう家に呼びに行ってたんだって。バイクで大怪我した時も毎日見舞いに行って。小さい頃から翔ちゃんは渚が好きだったんだけど、そういうのもあって気持ちが増したって言ってたよ。あの食堂に渚を追っかけてバイトに入ったんだ。告白したいけど、未だに世話の焼ける弟みたいな扱いで悩んでるって言ってたよ。ま、でも上手くいったみたいで良かった。あ、そうだ!雫こっち来て」


メロンソーダを持ったまま、海里が手を引く。台所の入り口の柱の前に座り込み、油性ペンを渡された。


「柱二本あるから、こっちにも描いちゃおうぜ。2021年8月27日で宜しく」


「う、うん。わかった……」


キャップを開け、恐る恐る柱にペン先を当てる。


「上手く描こうとしなくて良いから、気楽にっ」


海里がメロンソーダを飲みながら、ニコニコと雫を見ている。まず自分を描いてみた。 


するとそれを機に肩の力が抜け、あっという間に絵が完成した。上に日付を書いて完成した絵を見て、海里が拍手した。


「完璧じゃん!良い絵だよ」


海里がわしゃわしゃと雫の頭を撫でる。満足気に大きな口でアイスを食べた海里が、冷たさに頭を押さえて唸っていた。


「ふふっ」


「あ、笑ったなぁ。雫はかき氷食う時もちょっとずつだからならねぇんだよ、きっと。頭キーンってなるから。ダメダメ、もっと。これくらいだ、これくらい」


雫の手を取ってスプーンに山盛りのアイスを取る。


「ほら、これくらいだ」


「えぇ……」


「はい、口開けて。ほら、もうちょっとしっかり開けないと」


半ば強引に口に押し込まれ、こめかみの辺りに鋭い痛みが走った。


「いたーい!」


「あははっ、これも夏の醍醐味だぞ」


「もう!ひどいー」


思わず吹き出し、笑い声が溢れ出る。今まで無意識にせき止めていた感情があふれ出すように。その様子を見て、海里も釣られて笑う。


短い一生を力の限り叫ぶ蝉にも負けないくらいの笑い声が、夕焼けの家に響き渡った。



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