第1話:すべては、あの白いドレスのために
「キタキタキタキタ……! やっと届いたぁぁぁ!」
届いたばかりの巨大なダンボールを、カッターを使うのすらもどかしくて素手でバリバリと引きちぎる。中から現れたのは、鈍い黒光りを放つ最新型のハイエンドVRゴーグル。
今日の私はテンションが完全にバグっていた。いや、バグって当然。なぜなら、現実世界のうっとうしい人間関係、クソ重い課題、教授の理不尽な説教、そのすべてを窓から投げ捨てて、夢のデジタルスローライフを始める記念すべき日だからだ!
目指すは、先週からSNSのタイムラインで狂ったように回ってきていた、あの超話題のほのぼの系VRゲーム。
可愛いお洋服をミシンでチクチク手作りして、自分だけのお庭に色とりどりのお花を植えて、気の合うフレンドとお洒落なテラスでお茶会を開く──。ああ、もう想像しただけで脳汁がドバドバと溢れ出てくる。現実の服飾専門学校で徹夜続き、目の下にクマを作って死にそうになっている毎日とは今日でおさらばよ! 今日から私は、仮想世界の最高に可愛いお姫様になるんだ!
「えへへ、それじゃあ……ログイン、スタートぉ!」
期待で胸をはち切れさせながら、フットペダルとゴーグルの連動を確認し、起動コードを入力する。
……そう、この時の私は、自分の限界突破した興奮と徹夜明けの寝不足のせいで、全く別のパッケージの起動コードを入力してしまっていることなど、一ミリも気づいていなかったのだ。
視界が一瞬で眩い純白の光に包まれる。
ここまでは完璧。ここまでは完全に私の思い描いた通りの極上ファンタジー。
しかし、脳裏に直接響き渡ったシステムアナウンスは、私のウキウキな鼓膜を容赦なくぶち壊しにきた。
『──ようこそ、血と鉄の地獄へ。これよりキャラクターメイクを開始します』
「……は? 地獄? いま地獄って言った?」
ちょっと待って。聞き間違いかな? ほのぼの系だよね?
困惑する私の前に、キャラクターデザインのUIが浮かび上がる。
画面の作りはものすごく精緻で、グラフィックの描写解像度は、現実の鏡を見るよりも鮮明かもしれない。
「ま、まあいいや! キャラメイク画面は可愛いし!」
気を取り直して、私はマイキャラの作成に没頭することにした。スローライフを誰よりも、それこそ全人類の誰よりもエンジョイするために、時間を忘れて設定を弄り回す。
髪型はさらさらのピンクゴールド、瞳は大きなアクアマリン。顔の輪郭や体型も、私の理想をすべて詰め込んだ最高に可憐な美少女に仕立て上げる。よし、めちゃくちゃ可愛い!
そして、初期装備の衣服の選択。トゲトゲした黒い鎧や、泥臭い革ジャンみたいな、どう見ても治安の悪そうな選択肢がズラリと並ぶ中、画面の最底辺に隠されていた、一番ファンシーでフリフリな『エプロンドレス』を迷わず選択した。
クラス(職業)選択の画面でも、私の指は一切迷わない。
「もちろん、生産職一択じゃん! 裁縫スキルを極めなくて何がスローライフよ!」
ポチッとボタンを全力でタップする。
『初期クラス:生産職を選択しました。キャラクター登録を完了します。これより、本ゲームの概要を説明する初期チュートリアルを開始します』
システムの声、なんだかめちゃくちゃ冷徹っていうか、心なしか「え? ガチでそれ選ぶの?」って呆れてるように聞こえたのは気のせいだろうか。まあいいわ。
「よし、それじゃあ私の夢のほのぼのライフ、スタートぉ!」
満面の笑みで、私は決定ボタンを親指で思いっきり押し込んだ。
直後。
視界が急激に暗転し、次の瞬間──私の目の前で、文字通り【世界が爆発】した。
ズガガガガガガガガガガアン!!!!!
「ぎゃあああああああ!? なにこれ、耳痛い、耳痛い!!」
五感同期システムが本気を出したせいで、鼓膜が木っ端微塵に消し飛ぶかと思うほどの爆音と、内臓を揺さぶるような地響きが全身を襲う。
煙に巻かれながら目の前の視界が開けた時、そこは緑豊かな牧場でも、のどかな農村でもなかった。
空を切り裂いて不気味な光線を飛び交わせる、巨大な魔導戦艦からの容赦ない砲撃。
大地をドロドロのマグマに溶かしながら炸裂する、ガチの質量を持った大炎上魔法。
そして血煙と泥にまみれながら、狂ったような怒号を上げて殺し合う、数千、数万のフルプレートアーマーの男たちの軍勢。
肉が焦げる嫌な臭いと、鉄の生臭い血の臭いが、リアルに鼻腔を突き刺して胃液が逆流しそうになる。
「待って待って待って! 意味わかんない! スローライフは!? 私のお花畑とお茶会はどこに行ったのよォォォ!?」
パニックになりながら、狂ったように腕を振ってシステムメニューを無理やり引っ張り出す。
画面の右上に小さく表示されたゲームタイトル、そこには血が滴るようなドス黒いフォントでこう刻まれていた。
『常時戦争型・超ハードコアPvPオンライン:レグナム・ベラム』
ネットのレビューで「一秒ごとに首が飛ぶ」「性格の悪い廃人しかいない」「運営の脳みそが沸いてる」と悪名高い、地獄の世纪末戦場ゲームだった。完全なる買い間違い、ログイン間違い。
「うそ、やだ! ログアウト! キャラ消去させて!」
涙目でログアウトボタンを連打する。しかし、無情な赤いシステムログが非情に視界を遮った。
『警告:現在、あなたは【紛争地帯】にいます。戦闘予測エリア内でのログアウトは、全所持アイテムの全損ドロップおよびキャラデータの強制初期化を伴います。安全圏へ移動してください』
「はあぁ!? 初期化されたら、さっき二時間かけて作った私の可愛いマイキャラが消えちゃうじゃん! ふざけんな!」
絶望と怒りで頭がどうにかなりそうだった。
前線を見れば、ガチ勢の男たちが狂ったように大剣を振り回し、お互いの首をリズミカルに刎ね合っている。一歩でもあそこに出たら、私のピンクゴールドの髪は一瞬で返り血に染まるだろう。
そんな時だった。
私の視界が、ぐん、と勝手に上空へとクロースアップしていった。ゲームの概要説明ムービーの強制演出らしい。
カメラが向かったのは、激しい戦火を見下ろす、遥か高みにある断崖絶壁の頂。
そこに、**「彼女」**は立っていた。
「──あ」
声が出なかった。全身の血が、一瞬で沸騰するような衝撃が走る。
荒れ狂う戦火と、黒い爆煙が渦巻く混沌の中。その女性はひとり、純白のドレスを翻して静かに佇んでいた。
透き通るような美しいシルクの布地。風を孕んで軽やかに、しかし気高く戦ぐ美しい裾。夜空の星をそのまま散りばめたような、精緻で暴力的なまでに美しい白百合の刺繍。
下界の泥や汚い返り血の一滴すら寄せ付けない圧倒的な神聖さと、世界すべてを足元に跪かせるような冷徹な美貌。
彼女が、細く白い手で漆黒の軍旗をガッと天に掲げると、崖下の数万の軍勢から、地を揺るがすような勝鬨が上がった。
(綺麗……ッ!!!)
胸を、重い鈍器で激しく殴られたような感覚だった。
服飾専門学校に通い、世界中のトップブランドのコレクションや歴史的な衣装を見てきた私だけど、これほどの、魂を鷲掴みにされるような「衣装の完成度」と「完璧な着こなし」は見たことがない。
その瞬間、私の頭の中で、何かのネジが完全にブチ壊れた。
買い間違いの絶望? 戦場への恐怖? デスペナルティ?
そんなもの、一瞬で脳の彼方へ消し飛んだわ。
『──私が作った最高のドレスを、あの人に着せたい』
自分でデザインした、この世で一番可愛くて、一番美しくて、一番気高い最高の一着を、あの大画面の向こうの綺麗な人に着てもらう。そのためなら、なんだってする。私のこれからのゲームライフの目的は、この地獄のド真ん中で、完全に決まった。
無情にもムービーが暗転し、画面には『騎士・魔術師・銃兵への転職案内(※戦闘職にするとステータスに多大なボーナスがつくよ!)』という華やかなポップアップがデカデカと表示されたが、私は鼻で笑ってそれをゴミ箱アイコンにドラッグ&ドロップした。
私にとってあのド派手な大戦争は、もはや「究極のドレスをどう着こなすか」のサンプル映像、あるいはドレスの背景でしかない。
『生産職のままゲームを正式に開始します。初期紛争地域・スラム街へ転送します』
視界が不気味な黒に切り替わり、私は戦場のすぐ裏手にある、荒れ果てたスラム街の汚い路地裏にドスンと放り出された。
頭上には『チュートリアル:そこら辺の素材を拾って、基本的な衣服を作成してください』という投げやりなシステム文字。
手元に支給されたのは、初期報酬の安っぽい「鉄の針」と「粗末な魔力糸」だけ。
普通の女の子なら、ここで心が折れて大泣きしてゴーグルを外すだろう。
でも、私は違った。
フリフリのエプロンドレスの裾をはためかせ、私は近くのゴミ山(というか、戦死したどっかの兵士の装備の残骸)から、ちぎれかけた防弾マントのハギレを拾い上げた。そして、クラフト画面を起動してみる。
【クラフト画面:合成・縫製】
自由度:無限。現実の物理法則を無視した魔力素材の結合が可能。
目の前に現れたクラフトUIの詳細を覗き込んだ瞬間、私の職人としての脳髄が、パチパチと狂ったように歓喜の火花を散らした。
(……待って、何これ。グラフィックの描写解像度、現実の顕微鏡レベルを超えてる。この魔力繊維の質感の表現、染料の組み合わせによる波長の変更システム……狂ってる。これ、レベルを極めて仕様の裏を突けば、現実のどこのトップブランドも絶対に真似できない、神をも恐れぬ『究極の可愛いドレス』が作れるじゃん……!!)
周囲では、相変わらず肉が焦げる臭いと、戦闘プレイヤーたちのクソ下品な罵詈雑言が響き渡っている。
その地獄のド真ん中で、私はじっと自分の「小さな針」を見つめ、静かに、ニィッと口角を上げた。
戦場? PvP? 国家の滅亡?
知るか、そんなこと。私の知ったこっちゃないのよ。
「決めたわ」
路地裏の向こうを、血眼になって走り抜けていく血まみれの戦闘プレイヤーたちを一瞥もせず、私はドスの効いた声で呟いた。
「私、ここでレベルを上げる。軍資金を毟り取る。誰も見たことがない最高のドレスを作って、あのドレスの彼女に着せる」
そのためなら、この血生臭いゲームのバグシステムを、歪んだ経済を、男たちの戦場を、利用できるものは何だって、骨の髄まで利用してやる。
「私の推し活の邪魔をする奴は全員、……お洋服の雑巾にしてあげるから、覚悟しなさいよね」
こうして、超ハードコア戦争ゲームの最底辺スラムに、のちに全国家の命運を布切れ一枚で弄ぶことになる、最悪の仕立て屋が誕生したのだった。
(第1話・了)




