第31話:空中都市の立体機動と、魔獣の脂が浮かぶ海
倉敷の白壁の迷宮で、デミカツ丼という西洋の暗黒魔法の強烈な洗礼を受けた私は、その重厚な満腹感を全身に纏ったまま、再び西へと進軍を続けていた。
岡山県を抜け、隣の広島県へと突入する。
私が降り立ったのは、穏やかな瀬戸内海の青と、急峻な山々の緑に挟まれた、箱庭のような港町――『尾道』である。
「……ここか。駅を降りた瞬間に潮の香りがするが、同時に山肌から見下ろろされているような、奇妙な圧迫感を感じる」
私は、駅前のロータリーから街を見上げ、絶句した。
すぐ背後に迫る山肌に向かって、びっしりと家々がへばりつくように建っているのだ。
平地(安全なグラウンド)は海沿いのほんのわずかなスペースしかなく、街の大部分が、空に向かって無理やり拡張されたかのように斜面にへばりついている。
「……なんという非常識な都市設計だ。これはただの街ではない。巨大な要塞……いや、『空中都市』だ!」
平地での戦闘を捨て、あえて険しい斜面と崖を領土とした、特殊な山岳猟兵(立体機動歩兵)たちの隠れ里に違いない。
私は、商人ギルドの情報端末を開き、この戦場(街)に潜む最強の回復ポイントを探した。
表示された『尾道ラーメン』の老舗ギルドは、平地にもあるが、強烈な魔力を放つ名店の一部はどうやらこの斜面や、複雑に入り組んだ路地の奥にあるようだ。
「……ゆくぞ。平地で待つのではなく、自らあの『空中都市の遺跡』へと踏み入り、彼らの魔力源を奪い取って見せる!」
私は、駅前の安全地帯を離れ、海と山を繋ぐ信じられないほど細く、そして急な石段の入り口へと足を踏み入れたのである。
「……ゼェッ、ハァッ、ハァッ……!!」
私は、苔むした石段に手をつき、荒い息を吐いていた。
見上げれば、果てしなく続く階段と、人が一人すれ違うのがやっとの細い坂道。
見下ろせば、瓦屋根の隙間から、太陽の光を反射してキラキラと輝く瀬戸内海(『魔の海峡』と私が勝手に名付けた尾道水道)が高い位置から一望できる。
景色は間違いなく美しい。
だが、今の私の両足(太ももの筋肉)は、完全に悲鳴を上げていた。
「……くっ、鳥取の砂丘とはまた違う、完全なアンチ・グラビティ(重力逆行)の地獄トラップだ! まるで終わりが見えん!」
この空中都市(斜面)に住む民たちは、当然のように飛翔魔術か、あるいは立体機動のスキルを標準装備しているに違いない。
私のような重量級の鎧(という脳内設定)を着込んだ前衛職にとっては、一歩一歩がMPとスタミナを激しく削り取る過酷な修練場だ。
「……おのれぇ、デミカツ丼のバフが、どんどん燃焼(消費)されていく……これほどまでにカロリーを搾取する地形が存在するとは!」
私は、汗だくになりながらも、決して歩みを止めなかった。
この苦痛の先にこそ、最も美味なるポーションが待ち受けていることを、これまでの冒険で経験的に学んでいたからだ。
やがて、急な石段の途中、小さな開けたスペース(セーフゾーン)に、古びた暖簾を掲げる中華そば屋(天空のギルド)を発見した。
換気扇からは、醤油の焦げる香りと、ふくよかな魚介(海のマナ)の出汁の匂いが、強風に煽られて辺りに撒き散らされている。
「……見つけたぞ。あの空中神殿からのドロップアイテム(魔法の匂い)……! 間違いない、ここが尾道ラーメンの補給所だ」
私は、最後の力を振り絞って階段を駆け上がり、崩れ落ちるようにしてその老舗ギルドの引き戸をガラリと開け放ったのである。
「いらっしゃいっ!」
威勢の良い声に迎えられ、私はようやく息を整えながらカウンター席にどっかと腰を下ろした。
店内は、この過酷な立体機動都市(尾道斜面)を生き抜くための、猛者たち(地元の労働者や観光客)でごった返していた。
厨房からは、ただの醤油ではない、イリコ(小魚の魔力干し)から取られた強烈な『海』の香りが立ち上っている。
「……なるほど。流石は瀬戸内海に面した港町。ベースとなるのは、海神から直接マナを搾り取った【水属性の防御結界(魚介醤油スープ)】のようだな」
私は、メニュー(魔導書)も見ずに、壁に大きく書かれた『ラーメン』の文字を指差した。
「……うむ。この過酷な天空都市を登りきった勇者にふさわしい、最強の霊薬(一杯)を頼む!」
「あいよー、ラーメン一つ!」
私が席に座って待っている間も、私の両太もも(脚部アーマー)は、先ほどの階段ダンジョンによるスリップダメージによって小刻みに震え続けていた。
一刻も早く、あの強烈な魚介出汁(海のポーション)で体力を回復させなければ、このまま街を降りることすらままならなくなる。
「お待たせしました!!」
ドサッ、と私の目の前に熱を帯びたどんぶり(シールド・ボウル)が着弾した。
私は、海神の優しい光(あっさりとした魚介スープの輝き)を期待して、その器の中を覗き込んだ。
しかし。
私の目に飛び込んできたのは、平穏で優しい瀬戸内海のさざ波などではなかった!
「……ッ!? な、なんだこれはっ!! スープの表面が……異物(魔物)に完全に侵略されているではないか!!」
私は驚愕のあまり、割り箸(二刀流の杖)を取り落としそうになった。
澄み切った琥珀色の魚介醤油スープ(海の結界)。
その神聖なる水面を埋め尽くすようにして、大小様々な大きさの『白くブヨブヨとした謎の肉片(スライムの群れ)』が、おびただしい数、プカプカと大量に浮遊し、海面を覆い尽くさんばかりに蠢いていたのである!
「……馬鹿な! 神聖なる海(魚介のスープ)の上に、明らかに『陸の魔獣(獣肉)』の細胞組織が大量に散乱しているだと!?」
私は、どんぶりの表面に浮かぶその不気味な白い塊(豚の背脂のミンチ)を凝視した。
豚の脂。
それも、スープに完全に溶け込ませた乳化魔法(博多豚骨のような全域汚染)ではない。
意図的に粗く、大きくミンチ状に残され、原形(物理的な肉としての形)を保ったまま、魚介の海の上に強引に放り込まれているのだ。
これまでの旅で、私は海(水属性)と陸(土や火属性)の魔法が複雑に絡み合う現象を見てきた。
だが、これほどまでに『水と油』という相反する属性(海と陸の魔力)を、一切混ぜ合わせる(調和させる)ことなく、同じ戦場(器)の中に同時展開させるなどという荒業は、私の常識には存在しなかった。
「……狂気の魔法陣だ! 海の結界(魚介)のあっさりとした防御力の上に、陸の獣(豚の背脂)の暴力的な物理攻撃力をごっそりと上乗せしているッ!」
本来、背脂の上着は、強烈なニンニクや豚骨の匂いを封じ込めるための極寒魔法(極地の保温スキル)として使われることが多い。
だが、この尾道のギルドは、わざわざ繊細な海の出汁に、この下品で野蛮な(そして圧倒的に美味なる)豚の脂の塊をぶつけてきたのだ。
「……海の静寂を、陸の暴力で完全包囲する『異文化の細胞侵略』か!」
私は、そのブヨブヨとした謎の肉片(背脂)から立ち上る、恐るべきカロリー(高濃度の魔力)の匂いに、ゴクリと大きく生唾を飲み込んだ。
「……ふっ、くははは! しかしまさか、瀬戸内の穏やかな平地を捨て、あえてこの過酷な空中都市(斜面)に住まうような狂人(尾道の民)たちが、ただの優しい海産物で満足するはずがなかったな!」
急激なカロリー消費(階段昇降)には、当然ながら急激なカロリー補給(背脂のオーバードーズ)が必須となる。
この一杯は、まさにこの地形を生き抜くために究極進化した、完璧な『立体機動戦用のスタミナ・レーション』だったのだ!
「よかろう、陸と海のキメラ獣(背脂魚介ラーメン)よ! この疲れ果てた元勇者の肉体に、その凶悪なまでのハイブリッド魔力を叩き込んでみせろ!」
私は猛然と箸(二刀流)を構え、その背脂の浮く海へと正面から突撃を開始したのである。
ズルルルルッ……!!
私は、魚介スープと背脂が織りなすカオスな海面(混沌の結界)の下に沈んでいた麺を力強く引きずり出し、己の胃袋へと流し込んだ。
「……ングォォォッ!! なんだこの麺は!!」
私の舌を直撃したのは、丸い断面を持つ通常の魔法陣(中華麺)ではなく、平たく潰された『平打ち麺』という特殊な形状であった。
普通の麺ならば、この暴力的なまでの背脂の塊を弾いてしまうかもしれない。
しかし、この平たい形状(拡張された表面積)は、スープと一緒にそのブヨブヨの魔獣細胞(背脂ミンチ)をこれでもかと絡め取り、口の中へと強制的に引きずり込んでくる。
「……見事な魔力兵器だ! この平打ち麺は、魚介スープの優しさ(光魔法)と背脂の凶悪さ(闇の物理打撃)を、一切逃さずに私の舌の上に叩き込むための『マナの導管』だったのか!」
魚介のあっさりとした上品な出汁が、口いっぱいに広がる。
しかし次の瞬間、平打ち麺にまとわりついた背脂を噛み潰した途端に、強烈な豚の甘い脂がジュワリと弾け、上品な結界を容赦なく破壊していくのだ!
「……ハァッ、ハァッ! 美味い! これは美味いぞ!!」
あっさりとこってり。静寂と暴力。
相容れるはずのない二つの属性が、私の口腔という戦場で激しく衝突し、これまでにない強烈な旨味の連鎖爆発を引き起こしている。
「……くっ、ふすっ……! これが、海と山を同時に制圧しなければ生き残れないという『空中都市(尾道)』の民衆が編み出した、極限のサバイバル魔法……!」
普通の街ならば、どちらか一つの属性(魚介か豚骨か、あっさりかこってりか)で陣形を選択するところを、両方の最強火力だけを強引にぶつけ合わせている。
しかも、スープの表面を覆う背脂の層が強力な断熱材として機能しているため、スープが全く冷めず、私の体温は急上昇を続けていた!
「……おのれぇぇ! カロリーの補給と同時に、熱魔法のデバフ(滝のような汗)で攻撃してくるとはっ!」
私は、顔中を大量の汗(HPは減らないただの生理現象)でビショビショにしながらも、その恐るべき海と陸のキメラ獣(尾道ラーメン)に向かって、一歩も引かずに猛然と喰らいつき(貪り)続けたのである。
「……ふっ、ごふぅぅぅッ!!」
私は、最後の一片の背脂(陸の魔獣)ごと、熱い魚介スープ(海の深淵)を完全に飲み干し、ドンッ!と白い器をカウンターに叩きつけるように置いた。
私の体からは、尋常ではない量の汗がもうもうと立ち上っていた。
それは、ただのラーメンの熱さから来るものではない。
背脂(高純度の脂質魔法)による強烈な保温力と、急激に注入された膨大なカロリーが、空中都市の階段ダンジョンで冷え切った私の肉体(炉心)を、一気に限界値まで燃焼させた結果である。
「……見事だ。私のHPは完全に上限突破した」
私は、おしぼり(回復用の布ポーション)で顔中の汗を拭い去りながら、この小さな天空のギルド(ラーメン屋の店主)に向けて満足げな笑みを浮かべた。
「……ごちそうさまでした。素晴らしいクロス・バースト(魔法の衝突)だった」
「まいどありー!」
私は銀貨を置いて店を後にし、再びあの急で細い階段(空中都市の下山ルート)へと向かった。
登る時にはあれほど私の太ももを削り取った地獄の階段も、背脂の超エネルギー(スタミナ・バフ)を纏った今の私には、ただの緩やかなスロープ(下り坂)にしか感じられなかった。
眼下に見える瀬戸内海は、夕陽に照らされてキラキラとオレンジ色(勝利の輝き)に染まっている。
「……フスッ、くっくっくっ。尾道(空中都市)の制圧、完了だ。デミカツ丼からの背脂という、西日本が誇る超重量級のコンボ攻撃……見事に受け切って見せたぞ!」
しかし、私の胃袋(鋼のブラックホール)は、これほどまで過酷なカロリー連撃を受けながらも、すでに次なる強敵(獲物)を求めて静かなる胎動を始めていた。
「次は、さらに西へ。本州の最西端、山口県……『岩国』だ」
商人ギルドの調査報告によれば、そこには、山のど真ん中に突如として現れる『山賊王の巨大な砦(大型テーマパーク系ギルド)』が存在するという。
「……魔禽類(巨大な鶏肉)の丸焼きと、人一人を圧殺できるほどの巨大な岩石結界(爆弾おにぎり)だと……?」
和歌山の『めはり寿司(緑の岩石)』をも遥かに凌ぐという巨大質量兵器。
しかも、山賊たちの宴の真っ只中に潜入し、野蛮に食らいつくという過酷な野戦クエストだ。
「……ふっ、望むところだ! この背脂の魔力が燃え尽きる前に、巨大なる山賊どもの本拠地を直接叩いてくれる!」
私は、尾道の駅に滑り込んできた山陽本線の黄色い電車(魔導ローカル・ビークル)に力強く飛び乗り、次なる巨大な戦場(岩国の胃袋の試練)へと向けて、夕闇迫る海際をひた走っていったのであった。
(第31話 了)




