第27話:紅の三重塔と、血の継承儀式
特急列車(山岳突破型魔導ビークル)に揺られ、中国山地という巨大な自然の防壁を越えた私は、ついに本州の北側――日本海に面した神話の国『島根』へと足を踏み入れていた。
その中でも、古来より八百万の神々が集い、強大な縁結び(精神支配)の魔法を司るという巨大な神殿群を擁する街、『出雲』である。
「……ここか。空気が重く、そして果てしなく古い」
出雲大社の巨大な鳥居(神聖結界のゲート)を見上げながら、私はこの土地に満ちる太古の魔力に圧倒されていた。
長崎の洋食や、岡山・日生の無骨な漁師飯といった、荒々しくも近代的なジャンク・マジックとは対極にある、完全なる『神秘』の領域。
商人ギルドの古文書(観光ガイド)によれば、この地には、この神聖なる気配にふさわしい、日本三大蕎麦の一つとして数えられる『出雲そば』という強力な儀式食が存在するという。
「……蕎麦。私の世界で言えば、エルフたちが常食するような、細く長く寿命を延ばすための純粋な自然魔法食だな」
私は、出雲大社の参道沿いに建ち並ぶ、格式高い蕎麦屋(和食系ギルド)の連なりの中から、一際古く威厳のある一軒を選び、暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「……一人だ。この出雲の地で最も伝統的で、最も格式高い『試練の蕎麦』を頼む」
「はい、名物の『割子そば』ですね。かしこまりました」
案内された座敷(結界部屋)に腰を下ろし、私は静かにその儀式の開始を待った。
蕎麦といえば、通常は大きな一つの器に盛られ、別の小鉢に入ったツユ(魔力液)に浸して食べるのが一般的だ。
だが、この出雲の『割子そば』は、その提供のスタイルそのものが、他の地域のそれとは全く異なるという。
「お待たせいたしました、割子そば三段です」
店員(巫女)が恭しく私の前に置いたそれを見て、私は思わず目を見開いた。
「……なっ! なんだこれは!」
私が驚愕したのは当然である。
目の前に置かれたのは、朱色に黒い漆塗りの装飾が施された、真ん丸な器。
しかもそれは一つではない。まるで高層建築魔術のように、三つの器が見事に重なり合い、『紅の三重塔』を形成していたのだ!
「……三層構造のダンジョン、だと……!?」
一番上には、薬味であるネギ、海苔、もみじおろし等が美しく配置されている。
そしてその下の階層には、色黒で野性味溢れる力強い蕎麦(大地の魔弦)が、それぞれの器に鎮座しているのが見えた。
「……なるほど。これが神々の街の『試練』か。一層ずつ敵(蕎麦)を倒し、塔の最上階から最下層へと進軍していくという、過酷な階層突破型クエスト(サバイバル・タワー)というわけだな!」
私は、己の内に眠る勇者の血(ゲーマー魂)が、激しく疼くのを感じていた。
「よかろう! この私が、貴様らの用意した紅の三重塔(割子ダンジョン)、最下層までぶっ通しで踏破してくれよう!」
私は、一番上の階層(第一の器)へと箸を伸ばそうとした。
しかし、その時である。
「お客さん、出雲そばは初めてですか?」
店員(巫女)が、ふわりと微笑みながら声をかけてきた。
「食べ方のご説明をいたしますね。まず、一番上の段の蕎麦に、直接このツユ(徳利に入った黒い液体)をかけて、薬味を乗せてお召し上がりください」
「直接かける、だと?」
蕎麦はツユにつけるもの、という私の常識(江戸のルール)が早くも崩れ去る。
なるほど、ぶっかけスタイル。それは香川のうどんでも経験済みだ。それ自体は驚くことではない。
だが、巫女のアドバイスは、それだけで終わらなかった。
「そして、一番上の段を食べ終わったら、器に残ったツユを『そのまま2段目の器に移し』、足りなければ新しいツユを少し足して召し上がってください。3段目も同じように、2段目で残ったツユをかけてお召し上がりくださいね」
ピタッ。
私の思考回路(魔法処理装置)が、その瞬間、完全に機能停止した。
「……今、なんと?」
私は、信じられない思いで巫女の顔と、紅の三重塔を交互に見比べた。
食べた後の、器に残ったツユを、次の階層の蕎麦にかける?
「……馬鹿な! そんな狂気じみた『儀式』が実在するというのか!」
私は戦慄した。
蕎麦を食べた後のツユには、当然ながら私の唾液や、蕎麦の溶け出した成分(戦闘の残滓)が含まれているはずだ。
それを捨てることなく、わざわざ次の階層(二段目の敵)へと物理的に注ぎ込み、再利用するだと?
「……なるほど、完全に理解した。これは、単なる食事ではない」
私のゲーマー脳(勇者の思考回路)が、一つの恐ろしい結論を激しく弾き出した。
「倒した敵の血と、そこで使った魔力(薬味のネギやもみじおろし)の残滓を、あえて次の階層の敵(二段目の蕎麦)へと移植する! 敵を自ら強化(バフ掛け)し、あえて難易度を跳ね上げることで、己の戦闘力を限界まで引き上げるという、究極のドM自己修練――『血の継承儀式』!!」
「……この出雲の神官たちは、私のような高レベルの冒険者相手に、どこまで過酷な縛りプレイ(ハードモード)を要求してくるというのだ!」
私は、自らの意思で次の刺客(二段目の蕎麦)を強化しなければならないという、恐るべき試練のルールに歓喜と恐怖の入り交じる震えを覚えた。
「望むところだ……! 来い、第一階層の使徒よ!」
私は、徳利(漆黒の霊石)からツユという名の魔力液を一段目にぶっかけ、薬味(初期バフ)を全投入すると、猛然と蕎麦(大地の魔弦)へと食らいついていったのである。
ズルルルッ……!!
第一の器(最上階)に満ちていた、少し色の濃い野性的な出雲そばが、甘辛いツユとともにつるりと胃の腑へと滑り落ちていく。
「……美味い! なんだ、この強烈な蕎麦の香り(大地の魔力)は!」
江戸(東京)で食べられるような、洗練された白っぽい蕎麦(ハイエルフの主食)とは根本的に強さが違う。
殻ごと挽き込まれた真っ黒な蕎麦粉が、野性味溢れる強いコシと風味(ドワーフの怪力)を生み出し、濃厚な甘辛いツユ(魔法液)と格闘している。
あっという間に、第一層目の敵(蕎麦)は完全に殲滅された。
そして。
器の底に残ったのは、私が蕎麦を啜り込んだ際の残り香たる黒いツユ。
さらには、もみじおろしの赤い辛味成分(炎属性の残留)と、ネギの僅かな欠片(木属性の破片)である。
「……さあ、儀式の時間だ」
私はごくりと息を呑み、震える手でその第一の器(残滓)を持ち上げた。
そして、まだ手つかずの二層目(第二の蕎麦)に向かって、その『血』をゆっくりと、文字通り一滴残らず継承させたのだ。
「……馬鹿な、なんという背徳の行為!」
普通なら、一度使ったツユは汚れたものとして捨てるか、蕎麦湯で割って飲むのが常識。
しかしこの出雲の地では、それが正式なルールの『継承(強化)』として機能する。
私は、新たに少しだけツユの原液(追加補給)を第二の器に垂らし、再び箸を突き立てた。
ズルッ!
「……っ!! なんだこれは!!」
私は、己の味覚に強制的に書き込まれた『情報の多さ』に絶句した。
第一層で溶け出した蕎麦の風味(土属性)が、ツユを介して増幅され、第二層の蕎麦に強制的に上乗せされている。
あえて敵を強化してみせたはずが、それが逆にツユの『複雑な旨味(魔力の濃さ)』へと劇的に進化し、私の味覚に強烈な恩恵をもたらしているではないか!
「……そうか! 第一階層で戦った経験値(蕎麦の出汁)が、次の階層へ行くごとに失われるのではなく、完全に蓄積していくシステムだったのか!」
恐怖(難易度の上昇)だと思っていたものは、実はこの神々の地(出雲)が用意した、途方もなく寛大な『恩恵の増幅回路』であった。
「……くっ、ふはははっ! さすがは八百万の神々が集う街! 自らの血を引き継がせることで、味をどんどん深化させていくとはな!」
私は完全にこの快楽(修練)の虜となり、第三層目(最下層)に向かっても、一切の躊躇なく、さらに複雑に濁った『第二層の血』を注ぎ込んだ。
もはやツユはただの黒い魔法液ではなく、様々な味の記憶が溶け込んだ琥珀色の神水へと変貌を遂げていた。
「この究極のバフ・スタック……一気に飲み干してくれよう!」
私は最下層の蕎麦を、蓄積されたすべての旨味(経験値)ごと、一気に己の胃袋へと流し込んだのである。
「……ふっ、ごふぅぅっ!」
私は最後の一滴、蕎麦の欠片とネギが浮かぶ濃厚なツユ(究極進化したエリクサー)を、熱い蕎麦湯(清浄なるマナの湯)で割りながら飲み干し、朱色の器を静かに置いた。
紅の三重塔(三層ダンジョン)。
そのすべてを攻略し終えた今、私の胃袋(HPゲージ)は、長崎のトルコライスや天理のスタミナラーメンのような暴力的な『満腹感(過積載)』ではなく、どこまでも研ぎ澄まされた『精神的な充実感(マナの完全同調)』に包まれていた。
「……見事な儀式であった。まさか、自ら敵(蕎麦)を強化(汚染)する行為が、これほどの劇的な『旨味の蓄積』をもたらすとは」
私は、空になった3つの朱塗りの器を丁寧に重ね直し、神前の供物のように拝み込んだ。
この出雲の民は、食材(魔物)を単体で消費する(倒す)だけではなく、食べる行為そのものを連綿と『繋いでいく(縁結び)』ことで、より高次元の美食へと至る魔法を完成させていたのだ。
「……やはり、神話の源流(出雲)の魔導士は一筋縄ではいかんな」
私は銀貨を数枚置いて、静かな蕎麦屋(古風な神殿ギルド)を後にした。
外に出ると、大鳥居の向こうに、日本海から吹き付ける厳しくも清浄な風(神の息吹)が舞っていた。
この島根という神域には、私の知らない恐るべき魔物(B級グルメ)がまだ潜んでいるという。
「……次は、ここから少し東へ向かった、水と湖の都『松江』か」
商人ギルドの情報端末によれば、そこにはこの出雲そばのような精神的な修練とは全く異なる、『果てしない物理的な苦行(反復クエスト)』が待ち受けているという。
「……お椀の底が見えないほど大量に沈む、無数の微細な『水属性の装甲魔獣』の群れだと?」
一杯の汁の中に、何百匹もの殻付きの魔獣がひしめき、その殻を一つ一つ手作業(箸)で外し続けなければならない、終わりのないミニゲーム(地獄の苦行)。
「……ふっ。私のような高レベルの勇者に、そのようなちまちまとした単純作業を強いるというのか」
私は少し呆れたように笑いながらも、その『超高濃度の肝臓回復ポーション(しじみエキスのスープ)』の力に興味を惹かれずにはいられなかった。
「よかろう。宍道湖の微小魔獣どもよ。私がその無数の装甲を、最後の一匹に至るまで全て剥ぎ取り、貴様らのマナ(肝臓への効能)を吸い尽くしてやる!」
私は、出雲大社の方向へ向けて一礼すると、次なる戦場である松江へと向かうため、ローカルな私鉄(一畑電車・のんびり型の魔導軌道車)の駅へと足を踏み出したのであった。
(第27話 了)




