32話 唯一
彼も隣に座り、数秒だけ間を空けてから話を始めた。
「確かに、君との結婚は利害の一致からだった。俺は干渉してこない妻という存在が欲しくて、ブラウン家は経営の手助けが欲しかった。お互いを助けるために君を妻として迎えたが、今となっては本当に失礼なことをしたと思っている。申し訳ない」
「そんな、旦那様が謝る必要はありません! その……本当のことを言うのであれば、最初の頃は嫌な気持ちや不安もありましたが、今ではなんとも思っていません。旦那様の妻になることができて幸せだと思っています」
「そうか……君は優しいな」
優しく笑った旦那様の顔に見惚れてしまう。
こんなに笑ってくれるようになっただけでも、光栄なことだ。
「先ほどのことだが」
「はい……」
思わず肩に力が入ってしまう。女のくせに、意見を言ってしまった。
あの時は同意してくれたけれど、内心怒っている可能性だってある。旦那様の専門分野に土足で足を踏み入れたようなもの。何を言われても受け入れる気持ちだ。
「君の意見は的確で、見事だった」
「本当ですか?!」
「ああ。俺も君と同じ意見だったから驚いたよ」
旦那様の言葉に嬉しくなる。
勉強を続けていてよかったと思ったし、私の意見も通じるのだと実感した。
「君は、すごいな」
「……旦那様に、そんなふうに言っていただけて光栄です」
目の奥から溢れ出しそうなものを堪える。誰よりも、旦那様に認められるのが嬉しい。
堪えるためにハンカチで目頭を押さえていると、「話は変わるが」と言った。
「君は、本当に両親との縁を切ってもいいのか?」
「はい……やはり、あの人たちは私のことなんて見ていませんでした。もう関わりたくありません」
「そうか」
「ですが、もし私が縁を切ることで旦那様のお仕事に支障が出たり、公爵家に影響があるなら縁は切りません」
もし影響があるなら、無理に縁を切る必要はない。
会わないようにすればいいし、先ほどの件で両親にとっては大きな恥となっただろう。反省はしないだろうが、周りに見せしめをしたようなもの。それだけでもあの人たちには十分な恥で、報復ができたと言ってもいいだろう。
「俺が言うのもおかしな話だが、そこについては君が気にすることはない。君の両親が君に何もしてこなかったのは知っていた。その中で、君の家族だからと目を瞑っていたところもあったから、君が望むのであれば法的手続きを取ろう」
「ありがとうございます」
「……ただ、そうなると君の家族は俺だけになってしまうが、それはいいのか?」
「へ?」
素っ頓狂な声が出てしまった。
それはそうだ。祖父母は隠居していると聞いたきりで、今は生きているのかすらも私にはわからない。
両親と縁を切れば私に家族と呼べるような人は旦那様以外にいなくなる。言われて気付いたことだった。そんなことは、何も考えていなかった。
「俺たちは夫婦だろう?」
「それはそうですが……旦那様は、私と夫婦を続けてくださるのですか?」
「当たり前だ」
何を言っているのだと、そんなことを言いたげな表情で言われ、さっきまで我慢していた涙が耐えられず目からこぼれてしまった。
目の前にいる旦那様が目を見開き、少し慌てているようにも見えたけどそんなのをお構いなしに涙をこぼす。
私は、旦那様に認めてもらいたかったんだ。彼に妻として、家族として認めて欲しかった。前世では認めてもらえるどころか、私の存在すら認知していたのか怪しいほどの扱いだった。
過去の旦那様のことがあるから、憎しみは湧かないのかと聞かれてしまえば、それは全くないわけではない。
私が死んでしまう時くらい、私のことを見てほしかった。少しでもいいから夫婦としての情を向けてほしかった。でも、過去の自分を思い出せば、旦那様の対応は無理もない。私の存在は相当ひどかったことに間違いはないだろうし、呆れられても仕方なかったと思う。妻という名前だけで役に立つどころか、途中からは厄介者になっていたに違いない。
子どもを作るための夜の営みだって淡白で、彼から女性として性を求めらたことはない。その上、子どもを成すこともできなかったのだから私はお荷物だったに違いない。
そんな過去だったのが、今では全く違う。私の名前を呼んで、笑ってくれる。私の唯一の家族となり、夫であり続けると言ってくれている。もうそれだけで、十分だ。
「ありが、とうござい……ますっ……」
涙をこぼす私を見て旦那様は困惑したままだったが、すぐにハンカチで目元を優しく拭いてくださった。
それを甘えて受け入れ、少しの間そうしている間に落ち着くことができた。
(人前で泣いてしまうなんて……)
でも、旦那様の言葉がそれだけ嬉しかった。人前で泣いてしまったことに恥ずかしさを覚えるが、それでもこんな姿を見せられるのは旦那様だけだ。
「今日はもう帰るか? こんなこともあったし、君も疲れただろう」
「……いえ、ここで帰ってしまえば噂に尾ひれがついてしまうかもしません。公爵家が悪く言われてしまうのは避けたいので」
近くにあった飲み物を飲み干し、深く息を吐いた。
まだふわふわと浮いているような興奮状態が完全になくなったわけではないけれど、先ほどよりはだいぶ落ち着いてきた。このまま帰って、公爵家について何か言われてしまうのは避けたい。ただでさえ、社交界は噂の周りが早い。噂が噂を呼んで、とんでもない話に仕立て上げられるのも困る。それを避けるためにも本人たちが話をすれば、嫌な広がり方はそんなにしないはず。
「もう大丈夫です。ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」
「そうか。それなら、行こうか」
「はい」
差し出された手を取り、立ち上がる。
しっかりと立っている感覚もあるし、隣には旦那様がいる。これなら、きっと何を言われても大丈夫だろう。
手を引かれるがまま、会場に戻る。見つからないように深く息を吐き出したあと、旦那様についていくように足を踏み出した。
当然のことではあると思うが、再入場すればそれなりに目立つ。先ほどのこともあるので、なおさら注目を浴びてしまう。
会場に足を踏み入れた瞬間、近くにいた人らに限らず、私たちのことを気にしていたであろう人たちの視線が一気に集まる。嫌な汗が背中を伝っていくが、それを気にしていないように気取って旦那様と足を進める。まずは、別室を用意してくださったチェンバレン公爵にお礼を伝えなければならない。
「チェンバレン公爵様」
「おや、夫人。お加減はいかがですか?」
「おかげさまで随分と良くなりました。お気遣いいただき、ありがとうございます」
「それはよかった。ウィリアムは?」
「大丈夫だ、別室を用意してくれて感謝する」
「構わないさ。このあと、君たちは大変かもしれないが……できることはサポートするつもりだよ」
旦那様と一緒にもう一度お礼を伝え、チェンバレン公爵から離れる。それを待ってましたと言わんばかりに周りにいた貴族たちが集まってきた。
色々と質問を投げかけられる中で、答えられるものは答えた。というより、旦那様が何度もフォローを入れてくださったおかげでなんとかなった。
今後の親子関係はどうするのか、そもそも何が起こったのか、他にも色々聞かれる中でも「奥様には商才がある」と言ってくれた人もいた。
商才なんてものはなく、たまたま勉強していただけだ。これを仕事にすることはできないし、旦那様を支えるにはまだ足りないところも多い。でも、そう言ってもらえて悪い気はしなかった。
今回の件で夫婦仲を気にしている人たちがいるのか、私たち二人のことについて言及する人もいた。
「ウォーカー公爵家の夫婦は仲が良い」
「二人は相思相愛だろう」
と、そう言ってくれる人も何人かいて、少しだけ照れくさくなってしまった。真偽は置いておくとして、そういう雰囲気が出ていることに嬉しい気持ちと、安心の気持ちがある。前までは反対のことを言われていたので、旦那様がどう思っているのかはわからないけど、きっといい影響にはなるだろう。
どうやら変な噂をしている人たちはおらず、ほとんどの人が肯定的で安心した。
公爵家であることから、ずっとウォーカー公爵家を恨んでいるであろう人たちは嫌悪感を含んだ目でこちらを見ていたが、肯定的な意見が多い中に突っ込んでくる勇気はないらしい。きっと、別の場所で声を大きくしながら話すことだろうが、それは仕方ない。
質問責めに合っている間に夜会の終わりが近づいているらしく、主催であるチェンバレン侯爵が前に立ってアナウンスを始めた。
「本日お集まりの皆様。この度は私、ハロルド・チェンバレンが主催する夜会にお越しくださり、ありがとうございました。楽しい時間はあっという間でしょう、そろそろお開きの時間となります。皆様の馬車の手配は済んでおりますので、順番にご帰宅ください。それでは皆様、良い夢を」
派手ではない拍手が起こり、皆それぞれに動き出した。
私たちは最後の方らしいので、残っている人たちに挨拶をしながら順番を待つ。人が徐々にいなくなると、またもチェンバレン公爵が近づいてきた。
下の「⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎」や絵文字リアクションをを押していただけると活動の励みになります!
ブックマークやリアクション、評価なども本当に本当にありがとうございます……!とても嬉しいです。
もしよろしければ感想などもお気軽にお待ちしています。




